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「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

モード・ジャズと一口に言っても・・・(7)

2008-11-27 23:43:34 | 音楽(ジャズ)

バップを続けることでそれなりの商業的成果はあげていたマイルスですが、先に述べたとおりその刺激的な進化にこそ価値のあるジャズにおいて、このスタンスは致命的であったと思います。
ここでマイルスはショーターとハービー・ハンコックを自己のバンドに招き大幅なメンバー変更を実行しました。ショーターの「独特の和声感とモードの融合」、ハンコックの「ファンキーなノリとモードの融合」が欲しかったのではないでしょうか?そしてそれを下支えできる強力なドラマーとベーシストにトニー・ウィリアムスとロン・カーターを配したのです。
彼らはマイルスの要求に想像以上の働きをしたと思います。ショーターはブルース感の希薄なぼんやりとしたアドリブスタイルが、コルトレーンやソニー・ロリンズなどのアクティブな物と比較して地味なせいかプレイヤーとしての評価が今ひとつの印象がありますが、作曲家としての独特の和声感は他のジャズ・コンボには無い世界を創り出しました。
「E・S・P」や「ピノキオ」などはアナライズすればするほど奥深い世界に驚かされます。と言うか解釈が多様でまさにモードでしかアドリブは不可能にすら思えます。
ショーターの地味さに比較し抜群のリズム感とファンクで鍛えたノリとフレーズをモードに持ち込んだのがハービー・ハンコックです。彼のファンクを残しつつモードを駆使したノリノリのアドリブは正直暗くてわかりにくいショーターの曲を、実にわかりやすく「かっこいい」ものに変化させました。
こうしてバップからの脱却に商業的には乗り遅れた感のあったマイルスは、ジャズというビジネスのトレンドを実に俯瞰的に観察し「どこにも無い和声感+モード+ファンク+強力ビート」の融合で1960年代のジャズ界を席巻したのでした。
カリスマ、ワンマンと評価されがちのマイルスですが、これだけ個性のあるメンバーを統括するからには「聞くべきときは耳を傾け、しかしイニシアティブは取る」才能があったのでしょう。当時としては非常に若いメンバーを集めたことも互いのスタイルを吸収しつつバンド・サウンドを発展させる推進力となったと思います。

以上、ものすごく間をあけながらとりあえずバップから進化の道を模索したジャズが紆余曲折しながらも、結局はマイルス・バンドでモードの完成形を見たあたりを例によって私見満載で考察しました。
実際はこの流れとパラレルにビル・エヴァンスが発展させた別の形でのモードと、その流をくむチック・コリア、キース・ジャレット。あるいはサックスでもショーターだけで無くジョー・ヘンダーソンなどと言ったプレイヤーがいるわけですが、そのあたりはまた別の機会に考察したいと思います。
個人的にはそちらのほうが謎が多い・・・。

1960年代の黄金グループによる初録音です。後年、新伝承派と呼ばれるマルサリス兄弟などもこのアルバムの曲を何曲も取り上げており、新主流派ジャズのスタンダード的なチューンが満載です。

イー・エス・ピー - マイルス・デイビス


モード・ジャズと一口に言っても・・・(6)

2008-10-12 01:44:55 | 音楽(ジャズ)

ファンク・ジャズの商業的成功を横目にモードは商売にならないと判断してしまったマイルスですが、じゃあモードはどうなったのか?ここで注目すべきは若き「怒れるテナーマン」ジョン・コルトレーンでした。
ジョン・コルトレーンはマイルス・バンドに在籍し「Milestones」の初録音でもソロをとっていますが、自身のバンドでワンモードもしくはそれに近いかなり固定的なモードでのアドリブを追及しています。有名な「My favorite things」などは2モードでソロが繰り広げられます。つまり初期のモード手法を発展させていったのは実はジョン・コルトレーンでした。その後コルトレーンはモードが極まりフリーに近づいていきますが、モードの追求をしていた時期に恐らくそのコルトレーンのモードに影響を受けたと考えられるのが、同じテナー・マンでジャズ・メッセンジャーズに在籍し神秘思想を音で具現化したような独特の和声感を持つウェイン・ショーターです。
バップの範疇で停滞していたマイルスとしてはフリー以外の(マイルスはオーネット・コールマンなどを批判していた)フォーマットを統合し、ジャズ・メッセンジャーズやコルトレーンを超える商業的な成功を成し遂げる必要があったことは想像できます。

バップを続けることでそれなりの商業的成果はあげていたマイルスですが、先に述べたとおりその刺激的な進化にこそ価値のあるジャズにおいて、このスタンスは致命的であったと思います。ここでマイルスが打ち出した発展への道は?天才マイルスの底力を次回は考察したいと思います。

コルトレーンは「My favorite things」がよほどお気に入りであったようで、ライブでも何度も録音しておりそう意味で彼の変遷が聴いて取れます。一番おとなしい録音がこちらで演奏はモードよりバップのスタイルであろうと思います。ちなみにこの後ベースをジミー・ギャリソンに変えて彼のジャズはモードからフリーへと驀進していきます。

マイ・フェイヴァリット・シングス(+2) - ジョン・コルトレーン


モード・ジャズと一口に言っても・・・(5)

2008-10-05 22:39:12 | 音楽(ジャズ)

モードの始祖と崇められているイメージのマイルス・デイヴィスですが、実は一旦バップに戻ってしまったことを前回はご説明しました。いったい何があったのでしょうか?
ここからも推測の域は出ませんが商業的な理由があるのでは無いでしょうか?

そもそも進化しすぎたバップが行き場を失ってから後、もっとも商業的に成功していたジャズはラムゼイ・ルイスやジャズ・メッセンジャーズなどのファンク・ジャズだったと思います。ハービー・ハンコックなどもどちらかと言えばこちらの人間です。またこの他にフリー・ジャズのムーブメントもそれなりの存在感でしたが、これは和声がどうこうと言う問題では無いのではずして考えたいと思います。
整理します。脱バップを模索するムーブメントとしては「ファンク」「フリー」「モード」の3つがその段階の選択肢として存在していたわけです。しかし前述のラムゼイ・ルイスのリーダー・アルバムなどが大ヒットしている中で、進歩的な部分での評価はされても思ったほどは売れないモードにマイルスは興味を失ったのでは無いでしょうか?

このままモードは忘れられたアプローチとなっていくのでしょうか?恐らくですがモードは商売にならないと判断したマイルスですが、モードのその後はなかなか興味深いものがあります。次回はそのあたりを考察したいと思います。

ハービーは新主流派のリーダー的イメージで語られますが、マイルスやトニー・ウィリアムスと会うまでは実は「ファンク・ジャズ」の人でした。
マイルスのバンドに入る前の代表的アルバムで、かつファンキーって何?な方は是非ご一聴を・・・。

テイキン・オフ+3 - ハービー・ハンコック


バークリー理論?

2008-09-28 00:19:35 | 音楽(ジャズ)

作曲を趣味にしておきながらきちんと勉強をしたことがありません。

実は高校生になるまでジャズやロックでピアニストやギタリストが演奏するソロが、アドリブと呼ばれる即興であることを知りませんでした(恥。あんな複雑な曲をよくポンポンと弾けるよな~。とかのんきなことを考えていたとです。
なんにしてもそれからはいろいろなレコードを聴き、音楽関係の雑誌や理論書、平凡社の百科事典まで読んでそれなりに、ただしあくまで独学で勉強しました。
やはりよく読んだ物と言いますか実質それしか無かったのですが、「バークリー式」のコードの上にスケールを紐付けるように乗っけて、その範囲でフレーズを展開していく方法を解説した物を最も参考にしました。
大学生になってサークルに入ってみると周りでこの考え方を理解している人間は殆ど皆無で、結果的に私はビッグバンドを始め多くのバンドでプレイする経験ができました。
反面、後輩にはエラそうに「このスケールを全キーで弾ける(吹ける)ようにして!」と指導し、その段階で挫折する後輩は「これを理解して自由にハンドリングできなければジャズはあきらめだよ」なんてイヤな先輩でした。もちろん根拠の無い言い分では無いわけですが、言われた方はたいていガックリするかムカついたかどちらかでした。

初歩的な楽典は一応は勉強しましたが、音楽活動の基本にしていたのはこの「バークリー式」の理論でした。作曲や編曲もアドリブの延長みたいに始めた感じです。

で本題ですが、バークリー式の理論って本当に理論なんでしょうか?
何でこんなことを言うかと申しますと、前述のとおり学生時代に後輩にスケールとコードの関係を説明したり、あるいは自分が勉強をしたりする際に、トップ・レベルのプレイヤー(自分だとバップならバド・パウエル、モードならチック・コリアやハービー・ハンコック)なんかのアドリブを耳コピして分析をしたんですが、どう解釈してもありえない音がいっぱいで、正直「ちゃんと考えて弾いてる?」と本人に確認したい気分になります。一応わかったような顔で後輩に講釈をしますが、例えばG7のコードを使っている小節でそれがドミナントだとして、代理コードのD♭7で解釈してそこに乗っけるスケールとして、シンプルにD♭ミクソリディアンを対応させている。とします。採譜するとそうなっているようなのですがそこにC音が出てきて、D♭のイオアニアンかリディアンのようにも解釈できるわけです。後輩は素直なんで疑問を指摘してきますが、逆にこっちが聞きたいくらいになっているので、「経過的に使うことで新主流派らしさが出ている部分」とか適当にごまかしたもんです。
これが更にラムゼイ・ルイスとか初期のハービーのようにファンクの世界になると、メジャー7thコードの上でばんばんミクソリディアンや全然関係無いペンタとかが満載で、もうホントなんも考えて無いんじゃないか?と疑りたくなります。もはや理論では無く黒人特有のブルージーさ、ファンキーさが自然に表現されている。とか適当にしか分析のしようが無い世界で、時々は自分のアドリブにこの音使いを試すのですがこれがどうにもカッコ悪くて、「やっぱセンスの問題か・・・」で片付けるしか無いものです。

そういった諸々の経験から私が行き着いた結論は、「バークリー式は理論では無くて、先人のアドリブに対するアプローチと言うかアイディアに理屈をつけたものだ」と言うことです。
これはそれがいいとか悪いとかの問題では無く、結局ジャズはアドリブを聴かせる音楽ですから、そのためのアイディアのストックが物を言うわけで、それを殊勝な方がまとめたものは極めて実践的で有用な武器です。そしてこれが何故か理論と呼ばれているわけです。
それなりに理屈をつけて集約したもののどこが理論じゃ無いんだ?と言うご意見があれば、他の音楽の理論、例えば「対位法」のようなモノフォニーからポリフォニーへの変革の要求に応えるために、あるべき音列の体系化から始まって徐々に自由度を増していったようなものこそが理論であって、「こういう考え方もあります。こうもできます。でも時には理屈付けは不可能な使われ方もあります」と言うのは、ベースにはできても理論と呼ぶのは少し抵抗があるように思います。
もちろんアドリブを取ったりジャズらしいアレンジをするためには、もはや避けて通るのは遠回りになる。という認識は私にもありますので、学ぶあるいは覚える意義が無いわけでは無いことは強調しておきます。

あまりあれもこれも使って勉強しても時間ばかり要します。私が使って「こりゃ使えるな」と感じた書籍です。かなり古い本ですが現在でも十分通用する「わかりやすい」テキストだと思います。

コンテンポラリー・ジャズ・ピアノ 1 インプロヴィゼーション&アナリゼ 


モード・ジャズと一口に言っても・・・(4)

2008-09-22 00:05:41 | 音楽(ジャズ)

1959年に録音されたマイルス・デイヴィスの2枚のリーダー・アルバム「Kind of Blue」と「Sketches Of Spain」。どちらもモードの手法を提示している名盤と評価されていますが、その雰囲気はまったく異なるもので特に「Sketches Of Spain」はモード云々以前にクラシックとジャズの融合であることが重要な作品です。そりゃロドリーゴのアランフェスを元ネタにしているので当然と言えば当然ですが・・・。恐らく想像ですがギル・エヴァンスのアレンジしたアランフェスでマイルスはどうソロをとったらいいのか悩んだのでは無いでしょうか?ギルはスパニッシュな曲調のこの曲に(これはスペインの曲ですから)フリジアンなどを基調とした音使いを指示したと思います。これは全体の調性を把握して共通するスケールで旋律的にアドリブをするモードの基本そのものです。
対して「Kind of Blue」はよりモードに傾倒した作品が多く収録されています。全体の雰囲気は明らかにまだバップなのですが例えば有名な「So What」などは、先の「MIlestones」の路線を踏襲し拡張した曲で、ツーモードで緊張感のあるパフォーマンスを聴かせます。

ところがこれ以後のマイルスは何故かワンモードやツーモードで展開するモードから離れてしまったように見えます。その後の録音である「Someday My Prince Will Come」などは明らかにバップのままです。と言うかバップに戻ってしまっています。
これは何故でしょう?

次回はモードの始祖という評価が定着しているマイルスが何ゆえバップに戻り、それでいて現在ではモードの始祖となりえたのか?を考察いたします。

スケッチ・オブ・スペイン - マイルス・デイビス


モード・ジャズと一口に言っても・・・(3)

2008-09-16 00:07:12 | 音楽(ジャズ)

どんどん複雑になるジャズの和声。刺激的な進化にこそリスナーが見出していた価値をどう維持していくのか?それがモードであったのかを引き続き考察させていただきます。

ここで一般論として語られることですが、バップがジャズのアイデンティティーを追求するあまり、コード進行が極度に複雑化しそれに乗るアヴェイラブル・ノート・スケール(以下スケール)が多様化、結果としジャズはマイルス・デイヴィスによってモードへと進化した。と言うジャズの歴史的な認識があります。これは大なり小なり異論はあれどおおむね一致した見解のように見えます。しかし本当にこのままの認識で正しいのでしょうか?
モードの先駆的作品としてよく引き合いに出されるのがマイルスの「Milestones」です。あえてコードで示せばC7だけの単純なバッキングの上にアドリブが展開される。複雑なバップの曲の中にあって「わびさび」のようにシンプルな雰囲気を持った曲で、当時のムーブメントの中では画期的だったろうと思います。
でこの曲が録音されたのが1958年です。その後マイルスはフランス近代の影響を感じる独特の和声感と、それまでは基本は「明るく能天気」なイメージのあったジャズに、ある種の静的な世界を持ち込んだビル・エヴァンスを迎えて「Kind of Blue」を1959年に録音します。また同年にギル・エヴァンス(名前似てるけど注意!)をアレンジャーとして「Sketches Of Spain」も録音されました。
どちらもモードの手法を提示している名盤と評価されていますが、その雰囲気はまったく異なるものでした。

モードを洗練させていくマイルスですがそれではこの段階モードはどのようなものだったのでしょうか?次回はこの2枚のアルバムについて少し触れ、その後のマイルスのモードへのアプローチへとつなげていきたいと思います。

カインド・オブ・ブルー - マイルス・デイビス


モード・ジャズと一口に言っても・・・(2)

2008-09-02 00:06:29 | 音楽(ジャズ)

1950年代のジャズはバップ期でした。以前に私のこの場でもご説明したとおり「個人のアドリブ・ソロ」に重点を置いたジャズは、「もっと個性的に。もっと先進的に。」と和声を複雑化しました。このムーブメントは従来のジャズに貼られていたイメージ
・クラシックやブラバンの楽器を使い
・有名な流行歌などをモティーフに
・黒人がローカルで楽しんでいたリズムや旋律の崩し方を適用して
演奏している音楽。つまりはある種のパロディーと言うかリミックスと言うか、とにかく他の音楽要素をかき集めた音楽から、ジャズをより明確な存在感を持ったジャンルに昇華させた。という意義があります。

ただしより先鋭的になれば和声は限界まで複雑化しました。従来のジャズの基本「Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ」やブルース進行から大きく離れ、ついにはジョン・コルトレーンの「GiantSteps」のようなそれまでバルトークぐらいしか考え付かなかったような展開の曲が出現しました。バップがもはや進化の限界に到達したような曲です。

これ以上の進化はバップに残されていないのか?ジャズが選んだ進化として一般に語られるモード・ジャズですが本当にそうであったのか?次回に引き続き考察したいと思います。いつになるかは・・・???。

以前にも紹介させていただいたのですがハード・バップとしてだけで無く、もはや音楽史に輝く名曲「GiantSteps」の初録音が収録されたアルバムです。

ジョン・コルトレーン ジャイアント・ステップス(+8) - goo 音楽


夏の思い出(大昔のね)

2008-08-28 00:12:16 | 音楽(ジャズ)
このところ涼しい夜も見られ夏の終わりを告げる「つくつくほうし」の鳴き声も聞かれます。

夏と言えばもう何年も前の話ですが現在はすでに閉園してしまった「宝塚ファミリーランド」で夏に「ジャズフェスティバル」が開催されていました。

1980年代にアコースティック・ジャズのブームがあったのですが、ジャズ、フュージョン系のバンドもプロ・アマ両方で活発な活動をしていました。オーディオ関係を始めとした多くの企業のCMでも「ナベサダ」さんを筆頭に「渡辺香津美」さんや「日野皓正」さんなどが役者やモデルのような雰囲気で出演され、「東京ユニオン」などのビッグ・バンドのコンサートはTVでオンエアされ会場も満員で、高校生が普通にフュージョンを口ずさんでいる。など現在(2008年)から見ると日本の音楽シーンの構成がかなり今とは違っていたと思います。

そんな中で関東を拠点に事業をされている「山野楽器」が今も続く歴史のある「山野ビッグバンドコンテスト」を開催され、毎年、全国の学生ビッグバンドが集合して覇を競っていたのでした。でそれに対抗しようとしたわけでも無いのでしょうが先に述べたとおり「宝塚ファミリーランド」で、その名も「宝塚ジャズフェスティバル 学生ビッグバンドコンテスト」が開催されたのです。
私はとある事情で第四回と第五回のフェスティバルを聴く機会がありました。因みに第六回は資金難だかで無かったために開催されなかったような記憶が・・・このあたり曖昧ですがどなたかご存知でしたら教えていただきたいです。

で個人的には第五回が非常に印象が強いのですがその理由はこの回の優勝バンドの賞品として、当時、人気のあったトランペッター(実際はコルネット吹きですが)の「日野皓正」さんとの共演が用意されてたんです。でしかも上位3位の演奏はFMラジオでオンエアもされるという特典もありました。

優勝は同志社大学の「ザ・サード・ハード・オーケストラ」でした。ついでにベスト・ドラマーとベスト・ピアニストとベスト・ギタリストも同志社の方だったように記憶しています。正直「他にいねぇんだよな」と言った雰囲気はありましたけど。
ちなみに京都産業大学はどこから連れて来たのかヴァイブを弾くお姉さんが参加されていて、確かベイシーの「リル・ダーリン」で何か涼しくなるオブリを弾きまくり「審査員特別賞」だかをもらっていたような。「あ!ずるい」と思ったけど・・・。
あと関西大学が演奏した「夜は千の目を持つ」はサンバ・アレンジでかっこよかったです。テナーのソロを吹きまくっていた方は賞を取られ、その後も時々ライブハウスのセッションなどに参加されておられ「あの人、ヨルセンのソロやった人だよ・・・。」と学生たちの間でささやき声がしていました。
確かプロになられたはずです(ネットで調べると恐らくわかると思います)。
関西大学のピアニストはバッキングがかっこよかったので「おお」と思って聴いていましたが、ソロになったら正直リズムが弱くて・・・。審査員の評価でもそんなことを言われていたように記憶してます。多分、バックをきちっとキメることに重点を置いた方だったんでしょうね。

優勝した同志社大学は今はどうか存じませんが例によってフュージョンを演奏しました。ウェザー・リポートの「サイト・シーイング」をOBの方がビッグバンド・アレンジしたもので、前面にドラム・ソロを打ち出したアレンジでした。他にジェフ・ベックの「ワイアード」に収録されていた「レッド・ブーツ」のアレンジ版も演奏(されたと思いますがひょっとしたら別のステージでだったかも・・・)されました。これもドラムスが叩きまくる曲(元曲もナラダ・マイケル・ウォルデンが叩きまくるので)でした。担当されたドラマさんは左利きでしたので同志社の番がくるとドラム・セットの配置替えで20分くらい間が空くという少し迷惑なことになっていました(笑。
前述のとおり優勝した同志社大学と「日野皓正」さんとの共演は、早い話が「サイト・シーイング」の途中のピアノ・ソロの部分を「日野皓正」さんのソロにしただけなんですが、もし本格的なベイシーとかの古いスィングだったら「日野皓正」さんはどうしてたんだろう?やっぱりあのモード・バリバリと言うかハイノートでトリル鳴らすのしか印象の無いソロでもってったんだろうか?考えると笑ったものです。

このころから老舗のキャバレーがつぶれたりして、活動の場が減ったプロのビッグ・バンドは今はあまり元気がありませんが、学生や社会人の趣味としてのビッグ・バンドは今やクラシックのオケに肩を並べるぐらいの音楽的地位にあると思います。

モード・ジャズと一口に言っても・・・(1)

2008-08-25 23:11:16 | 音楽(ジャズ)

社会人になり相当の年月が経ちました。学生時代はジャズを中心に当時は全盛であったフュージョンやファンク(と言いますか当時はブラコンと呼んでいました)をバンドで演奏していましたが、社会人になってからはすっかり離れてしまいもっぱらCDで名盤と言われるジャズの、それもバップ期の演奏やクラシックを鑑賞する程度の生活でした。
久々にコンテンポラリーなジャズがどうなっているのかいろいろ調べると、1980年代から90年代にかけて復古的にアコースティック・ジャズがブームとなり、マルサリス兄弟などが「新伝承派」として活躍していたのも今は昔。ジャズはHipHopの一要素としてよくはわかりませんがAcidJazzとかRareGrooveと言われる音楽になっているようです。
そして所謂正統的なジャズの愛好家は「ジャズの歴史は終わった」と語っているのでした。
ジャズの歴史が終焉しているのか現在進行形なのかは、感覚的な部分や単に好き嫌いの問題もあるので今回の本旨とはいたしませんが、バップ期に明確にその存在感を示し一時代を築いたジャズは、1960年はじめから多様化し複雑化したように感じます。
なにがあったのでしょう?

最近、知り合いから「毎回の文章が長くて読む気力が出ない」と言われてしまいました。できるだけ読みやすくするため続きは次回とさせてください。

今回の文章のためにモード・ジャズについて考える機会があり、いろんなCDを聴いたりしているうちに自分でもジャズのコンボが創りたくなってしまいました。
よろしければ聴いていただけるとうれしいです。

「No longer matters」 by evnc_chck


ジャズの和声と旋法(6)

2008-08-18 00:03:04 | 音楽(ジャズ)
Jazzのスタイルの変遷を特に和声、旋法の面から説明させていただきました。このシリーズも今回で最終回にさせていただきたいと思います。

最後に今、多くの方々が例えばJ-Popなんかを聴いて、そこにJazzっぽいアレンジがされていたとします。Jazzっぽいと感じるイメージの殆どが先に述べたハード・バップの手法です。「新ルパンⅢ世」のJazzっぽい挿入曲を聴いて、Jazzが好きになった人もおられるんじゃないかと思いますが、音楽を担当した大野雄二もバップの手法が多いですね。

また今のJazzの理論は「リディアン・クロマティック・コンセプト」というのが主流らしいです。あまり勉強していないので詳しくは説明 できないのですが、いろいろ調べる範囲ではバップもモードも対位法も、このセオリーで説明ができてしまいそうな考えです。最も親和性の高いリディアン・モードを選択して、旋律を含めた音列を検証するんですから、反則っぽい気もしますがとにかく勉強していないので、あまりえらそうなことは言えません。すいません。

こうして順を追ってまとめるとアメリカのバークレーが、高い授業料を取って教えている理論は(プッ)、戦後からたかだか30年くらいで一気に生み出されたものを、奇特な人が後から理論付けたものだなぁ。と思います。逆にたった30年くらいの間にバロックから近代までを包含する形で、独自のセオリーを構築していった多くのジャズ・マンと、それを受け入れた時代に目がくらむような驚きを感じます。

長々と失礼しました。
このレポートは私見によるものも多いので、頭から納得してはいただけない部分もあるかと思いますが、何かの参考になるとうれしいです 。