『東京新聞』6月13日夕刊(WEB版)に「戦後の復興期に草の根から生まれ、忘れ去られた“幻の国歌”が14日、東京・日比谷公園の小音楽堂で披露される」とあった。敗戦後、“君が代”にかわる「国歌」がなぜ制定できなかったのか疑問を抱き続けている当方にとって、このニュースは新鮮な驚きだった。“幻の国歌”の題名は「われら愛す」で、作成の経緯をこう伝えている。
<1953年、サンフランシスコ講話条約発効一周年を機に新しい国民歌を作ろうと、寿屋(現サントリー)が全国規模の新聞広告で公募。歌詞に約5万点、曲に約3千点が寄せられ、サトウハチローや山田耕筰らが審査して選んだ。>
作詞者は山形県の教師だった芳賀秀次郎(1915~1993)。戦時中、軍国主義教育を推し進め、戦争賛美の国民歌謡も手がけた人らしい。芳賀秀次郎は自著『わが暗愚小傳』に「私は実にやすやすと戦陣訓を愛唱した翌日に、新憲法を語ろうとしている自分を見ないわけには行かない。…そのみにくさ、そのひくさ、そのおろかさ、これを双の目に焼きつくすほど凝視…しないわけには行かない」と告白しているという。作曲した西崎嘉太郎とともに多くの童謡、校歌も作っている。まずは、『われら愛す』の歌詞をみてみよう。
『われら愛す』
作詞 芳賀秀次郎
作曲 西崎嘉太郎
一、われら愛す
胸せまる あつきおもひに
この国を われら愛す
しらぬ火 筑紫のうみべ
みすずかる 信濃のやまべ
われら愛す 涙あふれて
この国の 空の青さよ
この国の 水の青さよ
二、われら歌ふ
かなしみの ふかければこそ
この国の とほき青春
詩ありき 雲白かりき
愛ありき ひと直かりき
われら歌ふ をさなごのごと
この国の たかきロマンを
この国の ひとのまことを
三、われら進む
かがやける 明日を信じて
たじろがず われら進む
空に満つ 平和の祈り
地にひびく 自由の誓ひ
われら進む かたくうでくみ
日本の きよき未来よ
かぐわしき 夜明けの風よ
2005年、歌の由来を『われら愛す~憲法の心を歌った“幻の国歌”』にまとめた著者の元高校教師生井弘明氏の話は次のリンクをご参照頂きたい。
「憲法の心を歌った“幻の国歌”」:http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20050912.html
わが国の国歌は『君が代』とされているが、私はこの歌を歌おうとは思わない。その理由は昨年2月28日の記事(『わたしは「君が代」を歌わない』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/m/200702)で書いたので省略するが、わが国の歴史、とりわけ現代史を忠実になぞるならば、これが戦前・戦中を肯定する「天皇讃歌」の歌で民主主義国家にふさわしくないのは明らかだからだ。“小皇帝”石原慎太郎の意を受けた東京都教育委員会は、学校現場で「日の丸・君が代」を強制し、これに反した者は処罰を強行するという愚行を続け、司法の独立を放棄する裁判所の一部がこれを追認しているが、時代のネジを巻き戻すことが不可能であることは歴史が示している。
アメリカをはじめ、ヨーロッパの立憲君主国でも学校での国旗掲揚や国歌斉唱を強制してはいない。「国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例」をみれば、わが国の異常さがわかるだろう。アメリカの1989年最高裁判決を読めば、石原慎太郎は仰天するに違いない。
<国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保障される>
参照:http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
先の本ブログにリンクしておいた『あなたは「君が代」を歌いますか』には、アメリカ在住の文学者・米谷ふみ子さんの談話がある。
<私の息子の嫁が、ドイツ生れオランダで育ったから、「学校で国旗に宣誓とかあったの」とたずねると、「そーんなことドイツでもオランダでも、したことはなかったわ」と驚いたように言われた。フランスの領事館に電話してたずねてみると「フランス人に政府の言うことを聞けと言えると思いますか? そんなこと法律にしたら革命が起こりますよ。ネバー」ということであった。日本の文部省は何が教育であるか熟考したことがあるのだろうか?>(『朝日新聞』1999年6月14日)
『君が代』に代わる国歌が制定されてはじめて、わが国は民主主義国家としての第一歩を歩み始めることになるだろう。その意味でも、この『幻の国歌』を広く国民に知らせ、敗戦後間もない時代に、志高く、真実を語り、未来を見つめて、高らかに新たな歩みを始めた自国を褒め称える歌をつくった日本国民がいたことを誇りにしたいと思う。
参照:「幻の国歌“我を愛す”」:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/maborosinokokka.htm
<1953年、サンフランシスコ講話条約発効一周年を機に新しい国民歌を作ろうと、寿屋(現サントリー)が全国規模の新聞広告で公募。歌詞に約5万点、曲に約3千点が寄せられ、サトウハチローや山田耕筰らが審査して選んだ。>
作詞者は山形県の教師だった芳賀秀次郎(1915~1993)。戦時中、軍国主義教育を推し進め、戦争賛美の国民歌謡も手がけた人らしい。芳賀秀次郎は自著『わが暗愚小傳』に「私は実にやすやすと戦陣訓を愛唱した翌日に、新憲法を語ろうとしている自分を見ないわけには行かない。…そのみにくさ、そのひくさ、そのおろかさ、これを双の目に焼きつくすほど凝視…しないわけには行かない」と告白しているという。作曲した西崎嘉太郎とともに多くの童謡、校歌も作っている。まずは、『われら愛す』の歌詞をみてみよう。
『われら愛す』
作詞 芳賀秀次郎
作曲 西崎嘉太郎
一、われら愛す
胸せまる あつきおもひに
この国を われら愛す
しらぬ火 筑紫のうみべ
みすずかる 信濃のやまべ
われら愛す 涙あふれて
この国の 空の青さよ
この国の 水の青さよ
二、われら歌ふ
かなしみの ふかければこそ
この国の とほき青春
詩ありき 雲白かりき
愛ありき ひと直かりき
われら歌ふ をさなごのごと
この国の たかきロマンを
この国の ひとのまことを
三、われら進む
かがやける 明日を信じて
たじろがず われら進む
空に満つ 平和の祈り
地にひびく 自由の誓ひ
われら進む かたくうでくみ
日本の きよき未来よ
かぐわしき 夜明けの風よ
2005年、歌の由来を『われら愛す~憲法の心を歌った“幻の国歌”』にまとめた著者の元高校教師生井弘明氏の話は次のリンクをご参照頂きたい。
「憲法の心を歌った“幻の国歌”」:http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20050912.html
わが国の国歌は『君が代』とされているが、私はこの歌を歌おうとは思わない。その理由は昨年2月28日の記事(『わたしは「君が代」を歌わない』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/m/200702)で書いたので省略するが、わが国の歴史、とりわけ現代史を忠実になぞるならば、これが戦前・戦中を肯定する「天皇讃歌」の歌で民主主義国家にふさわしくないのは明らかだからだ。“小皇帝”石原慎太郎の意を受けた東京都教育委員会は、学校現場で「日の丸・君が代」を強制し、これに反した者は処罰を強行するという愚行を続け、司法の独立を放棄する裁判所の一部がこれを追認しているが、時代のネジを巻き戻すことが不可能であることは歴史が示している。
アメリカをはじめ、ヨーロッパの立憲君主国でも学校での国旗掲揚や国歌斉唱を強制してはいない。「国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例」をみれば、わが国の異常さがわかるだろう。アメリカの1989年最高裁判決を読めば、石原慎太郎は仰天するに違いない。
<国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保障される>
参照:http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
先の本ブログにリンクしておいた『あなたは「君が代」を歌いますか』には、アメリカ在住の文学者・米谷ふみ子さんの談話がある。
<私の息子の嫁が、ドイツ生れオランダで育ったから、「学校で国旗に宣誓とかあったの」とたずねると、「そーんなことドイツでもオランダでも、したことはなかったわ」と驚いたように言われた。フランスの領事館に電話してたずねてみると「フランス人に政府の言うことを聞けと言えると思いますか? そんなこと法律にしたら革命が起こりますよ。ネバー」ということであった。日本の文部省は何が教育であるか熟考したことがあるのだろうか?>(『朝日新聞』1999年6月14日)
『君が代』に代わる国歌が制定されてはじめて、わが国は民主主義国家としての第一歩を歩み始めることになるだろう。その意味でも、この『幻の国歌』を広く国民に知らせ、敗戦後間もない時代に、志高く、真実を語り、未来を見つめて、高らかに新たな歩みを始めた自国を褒め称える歌をつくった日本国民がいたことを誇りにしたいと思う。
参照:「幻の国歌“我を愛す”」:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/maborosinokokka.htm