毎号“版画”で飾る岩波書店発行の月刊『図書』10月号の表紙は、≪労役に従うアダムとエヴァ≫(作者不詳)の木版彩色画(19世紀前半)である。坂本満氏は解説で言う。
<右後景に二つの祭壇。その右側は人祖アダムの最初の二人の子供の、弟アベルが羊を、左は兄カインが農作物を神に捧げる。聖書の神はときとして無残で不公正であった。神はアベルの羊を喜び、カインの供物を無視したのである。それに憤ったカインは弟を殺す。…>
『聖書』(「新共同訳」/日本聖書協会)「創世記4・カインとアベル」では、カインが弟を殺したあとをこう記している。
<主はカインに言われた。
「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは答えた。
「知りません。私は弟の番人でしょうか。」
主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口をあけて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらうものとなる。」
カインは主に言った。
「私の罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれであれ彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。>
神はなぜ、カインの献(ささ)げ物である“土の実り”を無視し、アベルの“肥えた羊の初子(ういご)”に目をかけ受け入れたのだろうか。
『カインとアベル』というサイトによれば、「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。(「創世記3・蛇の誘惑」)」とあるように、エデンの園から二人を追放するにあたって「歴史上初めて生物から血が流され」て“皮の衣”が作られた。この事実から導かれることは、「神が受け入れられる捧げ物とは、すなわち罪を贖うべきものであり、それには動物の血が流される必要があった」ので、神はアベルの“肥えた羊の初子”を選び取られ、カインの“土の実り”を無視されたという。さらにこの物語には伏線があって、「この子羊はもちろん新約における真の神の子羊イエスを予表している」のだという。
参照:http://www.dr-luke.org/Characters/CainAbel.html
『カインとアベル』に関しては「護教的」解釈のほかいろいろの見方があるらしいが、それにしても、歴史上初の殺人者となったカインはあまりにも可哀そうではないか。ここに神の“無慈悲”をみてしまう。
さて、印象に残る映画を挙げよ」と言われれば、文句なしに『エデンの東』と答えるであろう。『聖書・創世記』のこの物語を頭に入れてエリア・カザン作、ジェイムス・ディーン主演の名画『エデンの東』を鑑賞すると、「物語」が巧みに脚色されているとはいえ、カイン(キャル)への同情は一層深まる。成人式を迎えたばかりだったが、久留米の映画館で友人のS君と観終わった二人は、涕も拭かずしばらく立ち上がれなかったことを鮮明に憶えている。あらすじは下のリンクを見てもらうとして、ラストシーンだけ記しておく。
<…脳卒中で倒れた父アダムは病院のベッドに横たわっていたが、死は時間の問題だった。冷ややかな看護婦が担当だった。キャルとともに見舞っていたアブラ(弟アロンの婚約者)は、アダムの耳元で言うのだった。
「愛されないほど辛いことはありません。愛されないと心がねじけます。キャルがそうだったのです。彼を愛しています。彼を立ち直らせてあげて…」
アダムの口元が動いた。キャルが耳を寄せた。キャルの目が潤んでいた。
「あの看護婦は気に入らん。お前に看護して欲しいって…」
アブラは泣いた。
父と子の気持ちが通じ合った。>
『エデンの東』:http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/EAST%20OF%20EDEN.htm
<右後景に二つの祭壇。その右側は人祖アダムの最初の二人の子供の、弟アベルが羊を、左は兄カインが農作物を神に捧げる。聖書の神はときとして無残で不公正であった。神はアベルの羊を喜び、カインの供物を無視したのである。それに憤ったカインは弟を殺す。…>
『聖書』(「新共同訳」/日本聖書協会)「創世記4・カインとアベル」では、カインが弟を殺したあとをこう記している。
<主はカインに言われた。
「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは答えた。
「知りません。私は弟の番人でしょうか。」
主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口をあけて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらうものとなる。」
カインは主に言った。
「私の罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれであれ彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。>
神はなぜ、カインの献(ささ)げ物である“土の実り”を無視し、アベルの“肥えた羊の初子(ういご)”に目をかけ受け入れたのだろうか。
『カインとアベル』というサイトによれば、「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。(「創世記3・蛇の誘惑」)」とあるように、エデンの園から二人を追放するにあたって「歴史上初めて生物から血が流され」て“皮の衣”が作られた。この事実から導かれることは、「神が受け入れられる捧げ物とは、すなわち罪を贖うべきものであり、それには動物の血が流される必要があった」ので、神はアベルの“肥えた羊の初子”を選び取られ、カインの“土の実り”を無視されたという。さらにこの物語には伏線があって、「この子羊はもちろん新約における真の神の子羊イエスを予表している」のだという。
参照:http://www.dr-luke.org/Characters/CainAbel.html
『カインとアベル』に関しては「護教的」解釈のほかいろいろの見方があるらしいが、それにしても、歴史上初の殺人者となったカインはあまりにも可哀そうではないか。ここに神の“無慈悲”をみてしまう。
さて、印象に残る映画を挙げよ」と言われれば、文句なしに『エデンの東』と答えるであろう。『聖書・創世記』のこの物語を頭に入れてエリア・カザン作、ジェイムス・ディーン主演の名画『エデンの東』を鑑賞すると、「物語」が巧みに脚色されているとはいえ、カイン(キャル)への同情は一層深まる。成人式を迎えたばかりだったが、久留米の映画館で友人のS君と観終わった二人は、涕も拭かずしばらく立ち上がれなかったことを鮮明に憶えている。あらすじは下のリンクを見てもらうとして、ラストシーンだけ記しておく。
<…脳卒中で倒れた父アダムは病院のベッドに横たわっていたが、死は時間の問題だった。冷ややかな看護婦が担当だった。キャルとともに見舞っていたアブラ(弟アロンの婚約者)は、アダムの耳元で言うのだった。
「愛されないほど辛いことはありません。愛されないと心がねじけます。キャルがそうだったのです。彼を愛しています。彼を立ち直らせてあげて…」
アダムの口元が動いた。キャルが耳を寄せた。キャルの目が潤んでいた。
「あの看護婦は気に入らん。お前に看護して欲しいって…」
アブラは泣いた。
父と子の気持ちが通じ合った。>
『エデンの東』:http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/EAST%20OF%20EDEN.htm