耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

悪魔の国“イスラエル”、そして人形遣いの米英

2007-05-22 14:34:27 | Weblog
 今日(5月22日)の「天木直人のブログ」は、「選挙で選ばれた首相を“暗殺する”と公言するイスラエルという国」と題するコラムである。

 「天木直人のブログ」:http://www.amakiblog.com/archives/2007/05/22/
 
 第二次世界大戦後の1948年5月、イスラエルという国が勝手に“建国”されて以来、世界は[正義」から見放されてきた。度重なる国連決議に従わずやりたい放題のイスラエルは見逃し、でっち上げの証拠を突きつけ60数万人もの無辜のイラク人を虐殺する米英政府。建国以来イスラエルがやってきたこと、その歴史的経緯を解き明かした広河隆一著『パレスチナ』(岩波新書)をみれば、中東混迷の温床がどこにあるか、そしてアメリカが吹聴する「テロとの戦い」が如何に欺瞞に満ちているかがわかる。

 ここでは前に掲げた『氷焔』(刀鬼著/評論社)から、第三次中東戦争が始まった1967年6月の記事(週刊エコノミスト)を引用する。

 
 <…大戦当時に協力要請とひきかえにアラブ人とユダヤ人との双方を甘い言葉で釣った欧米列強(とりわけイギリス)の二枚舌が、中東危機の根因。

 一リットルの容器に二リットルの酒を入れることはできぬ。
 この無理押しから、イスラエル国の誕生とともにアラブの難民があふれ出た。現に各地のキャンプに収容されているものだけで130万をこえる。

 信仰の対立は、たしかに深刻であろう。
 しかし“宗教相克”のコロモを一枚はげば、そこには天国ならぬ現世の散文的な経済・政治の“函数表”があらわれる。

 キプロスのギリシャ正教徒の反英闘争を、イスラム教徒のアラブ人たちが支援したことは、私たちの記憶に新しい。
 二十世紀後半は、いかなる意味でも“宗教の世紀”ではない。…>(6月6日号)

 <カイロからカルカッタへ━大英帝国のCC路線にたいして、
 ビザンチンからバグダットへ━帝政ドイツのBB路線は挑戦した。

 半世紀前の第一次大戦いらい、中近東の地は列強争覇の舞台となってきた。
 そこに住む民衆は、いわばボクシングのリングのマットにすぎなかった。

 そのあとの“持てる者”と“持たざる物”との対立も、つまりは土着の民衆を生命なき“土俵の砂”と見る偏見の上に築かれた。

 今日は砂が叫び、石が物言う時代である。
 砂漠のなかをえんえんと伸びる送油管の石油が“侵略者のために働くのはごめんだ”と抗議の声をあげることだってあり得よう。…>(6月13日号)