『平家物語』によれば、一の谷の合戦で、わが子直家と同年の弱冠17歳平敦盛(あつもり)の首を泣く泣く討ち取り、戦の非情、世の無常を悟って法然上人の門をたたき出家した熊谷直実(1141~1208)だが、この熊谷直実には逸話が多い。なかでも有名なのは、法然上人のもとを辞し、関東に下向するにあたって道中「逆馬」で通した話であろう。
図参照:「熊谷直実」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%9F
蓮生(れんせい・直実の法名)は「行住坐臥、西方に背を向けず」(往生礼賛)という文を深く信じていたのだろう、かりそめにも西に背中を向けるようなことはしなかった。それで、京都から関東へ下る時にも、西に当たる京都に背を向けないように、馬の鞍をさかさまに置かせ、馬の頭の方に背を向けて乗り、馬子に馬の口をひかせて下向したという。(『四十八巻伝』:梶村昇著『熊谷直実』/東方出版より)
かつての荒武者はどこへやら、なんとも微笑ましく、初々しい念仏者ではあるまいか。この「逆馬」の熊谷直実から連想されるのは、法然上人の遺言「一枚起請文」にある“智者のふるまいをせずして只一向に念仏すべし”という言葉である。他人の目など寸毫も気にせず、わが道を行く蓮生房熊谷直実こそが、真の念仏者だったのかも知れない。ついでに、同書からもうひとつ「十念質入れ」という逸話を引いておく。
<蓮生はあまりにも急いで京都を出発してしまったので、途中の路銀にも不自由するほどであった。世俗のならわしを捨てたとはいえ、久しぶりの帰郷であれば、老母や一族にわずかな土産でも持って帰りたい。そこで藤沢の宿で、大宿の主人藤屋平兵衛に、思い切って銭一貫文の借用を願った。胡散臭い旅の僧とみた主人は、やわらかく断った。
「紹介された方でもあればともかく」
「もっともなこと。それでは質物をお預けするが」
「質物とはなんでござるか」
「旅の僧のことゆえ、何ものも持ち合わせぬが、念仏十遍称えるので、それを質とされたい」
「これはしたり、念仏など千遍いただいても一銭文の役にもたたず、質物にはなり申さぬ」
「いや、わが称える念仏は、一遍で一蓮を生じ、十遍で十蓮を生じるが」
本気にもしていない平兵衛は、あしらうように、
「それは、それは。そのようなものをお見せ願いたいもの」
と言った。
蓮生は縁先に出て、合掌して力強い念仏を称えた。するとあら不思議、庭前に蓮華が忽然と生じた。腰を抜かすほど驚いて平兵衛は言った。
「まこと失礼申しあげました。もしや弘法大師の再来ででもござりまするか、銭はいかほどなりともお使いください。もちろんお返しなど必要ございません」
しかし蓮生は、願ったとおり一貫文だけを借りて熊谷へと向かった。その後、故郷での用事を済ませ、再び京都へ帰る途次、平兵衛方に立ち寄って約束通りお金を返却した。主人は恐れ入って、毛頭ご返却には及ばないと再三断ったが、蓮生は、借りたものを返さないのは永劫の罪になると無理に返した。そして、
「借りたものをお返し申しあげたによって、預けた質物をご返却願いたい」
と言った。
「それが庭前の蓮華のことでございますれば、ご勘弁賜りたい。不思議な蓮華を切るに忍びませぬ」
「いや、さにあらず。預けたるものは十遍の念仏なれば、このたびは平兵衛殿が念仏を十遍称えてお返し願いたい」
平兵衛は喜んで、殊勝らしく合掌して、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と十遍称えた。ところが、その夜は明けて翌朝庭前を見れば、何と、きのうまで青々として美しく咲いていた蓮華は一茎も残らず消えていた。驚いた平兵衛は、
「何とぞ、もう一称なりと念仏したまいて、わが家に蓮華をとどめられたい」
とたのみこんだ。蓮生は、
“この世はかりの宿り、きのふ開きし花もけふは消失。穢土の現世に蓮華生ぜんよりは、永々未来極楽浄土の蓮華こそねがふべきことなり。ただ信心こらして称名念仏する人は、かならず浄土の蓮華生ふること疑いなし。”
と教化した。平兵衛は心の底から念仏を信じ、またこの話を伝え聞いた人びとも多く専修念仏の行者になったという。>(『直実入道蓮生一代事跡』)
無心一途の念仏者、蓮生房熊谷直実らしい話である。
図参照:「熊谷直実」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%9F
蓮生(れんせい・直実の法名)は「行住坐臥、西方に背を向けず」(往生礼賛)という文を深く信じていたのだろう、かりそめにも西に背中を向けるようなことはしなかった。それで、京都から関東へ下る時にも、西に当たる京都に背を向けないように、馬の鞍をさかさまに置かせ、馬の頭の方に背を向けて乗り、馬子に馬の口をひかせて下向したという。(『四十八巻伝』:梶村昇著『熊谷直実』/東方出版より)
かつての荒武者はどこへやら、なんとも微笑ましく、初々しい念仏者ではあるまいか。この「逆馬」の熊谷直実から連想されるのは、法然上人の遺言「一枚起請文」にある“智者のふるまいをせずして只一向に念仏すべし”という言葉である。他人の目など寸毫も気にせず、わが道を行く蓮生房熊谷直実こそが、真の念仏者だったのかも知れない。ついでに、同書からもうひとつ「十念質入れ」という逸話を引いておく。
<蓮生はあまりにも急いで京都を出発してしまったので、途中の路銀にも不自由するほどであった。世俗のならわしを捨てたとはいえ、久しぶりの帰郷であれば、老母や一族にわずかな土産でも持って帰りたい。そこで藤沢の宿で、大宿の主人藤屋平兵衛に、思い切って銭一貫文の借用を願った。胡散臭い旅の僧とみた主人は、やわらかく断った。
「紹介された方でもあればともかく」
「もっともなこと。それでは質物をお預けするが」
「質物とはなんでござるか」
「旅の僧のことゆえ、何ものも持ち合わせぬが、念仏十遍称えるので、それを質とされたい」
「これはしたり、念仏など千遍いただいても一銭文の役にもたたず、質物にはなり申さぬ」
「いや、わが称える念仏は、一遍で一蓮を生じ、十遍で十蓮を生じるが」
本気にもしていない平兵衛は、あしらうように、
「それは、それは。そのようなものをお見せ願いたいもの」
と言った。
蓮生は縁先に出て、合掌して力強い念仏を称えた。するとあら不思議、庭前に蓮華が忽然と生じた。腰を抜かすほど驚いて平兵衛は言った。
「まこと失礼申しあげました。もしや弘法大師の再来ででもござりまするか、銭はいかほどなりともお使いください。もちろんお返しなど必要ございません」
しかし蓮生は、願ったとおり一貫文だけを借りて熊谷へと向かった。その後、故郷での用事を済ませ、再び京都へ帰る途次、平兵衛方に立ち寄って約束通りお金を返却した。主人は恐れ入って、毛頭ご返却には及ばないと再三断ったが、蓮生は、借りたものを返さないのは永劫の罪になると無理に返した。そして、
「借りたものをお返し申しあげたによって、預けた質物をご返却願いたい」
と言った。
「それが庭前の蓮華のことでございますれば、ご勘弁賜りたい。不思議な蓮華を切るに忍びませぬ」
「いや、さにあらず。預けたるものは十遍の念仏なれば、このたびは平兵衛殿が念仏を十遍称えてお返し願いたい」
平兵衛は喜んで、殊勝らしく合掌して、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と十遍称えた。ところが、その夜は明けて翌朝庭前を見れば、何と、きのうまで青々として美しく咲いていた蓮華は一茎も残らず消えていた。驚いた平兵衛は、
「何とぞ、もう一称なりと念仏したまいて、わが家に蓮華をとどめられたい」
とたのみこんだ。蓮生は、
“この世はかりの宿り、きのふ開きし花もけふは消失。穢土の現世に蓮華生ぜんよりは、永々未来極楽浄土の蓮華こそねがふべきことなり。ただ信心こらして称名念仏する人は、かならず浄土の蓮華生ふること疑いなし。”
と教化した。平兵衛は心の底から念仏を信じ、またこの話を伝え聞いた人びとも多く専修念仏の行者になったという。>(『直実入道蓮生一代事跡』)
無心一途の念仏者、蓮生房熊谷直実らしい話である。