耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

法然上人を偲ぶ(再)

2007-01-27 20:15:53 | Weblog
 法然上人を語るとき欠かせないのが<女人往生>である。

 昔から、女性には内に<五障>があり、外に<三従>のある身だといい、仏になることもできなければ、極楽浄土に生まれることもできない、と説かれていた。<五障>とは古代インドの輪廻思想で、梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身になることを妨げる五つの障害のこと。<三従>とは、幼い時には父や兄に、嫁しては夫に、老いては子に従わなければならないことをいう。過去の諸仏典はすべて女人往生をまともに取り上げず、女性の死後は冥府(死後の世界)を彷徨って定着できる場所がないとされていたのである。

 女人の救いをはばんでいるのは浄土ばかりではない。今世でも霊山・霊地、例えば高野山や比叡山などは女人の登山を嫌い、東大寺の大仏も遥か彼方からしか拝めず、扉のうちに入ってお詣りできなかった。

 女人に救いの道を開いたのが浄土教であった。浄土教の根本経典とされる「無量寿経」は、阿弥陀仏がいまだ修業中で法蔵比丘(ほうぞうびく)と呼ばれていた頃、四十八の誓願をたてられた。その第三十五願は<女人往生>が主題である。

「たとい我れ仏を得たらんに、その女人にあって我が名字を聞き、歓喜信楽(かんぎしんぎょう)して菩提心を発(おこ)し、女身を厭い、寿(命)終の後未だ女像たらば正覚(しょうがく)を取らじ」(「私も浄土に往生したいと願い、仏道に励む心を起こす女性がいたならば、身を男性に変えて往生させてあげる。万一、身を変えられず女性のままだったら、自分は仏にはならない」という願。)

 これを「女人成仏の願」もしくは「変成男子(へんじょうなんし)の願」とも言うが、法然上人はこの第三十五願について、きっぱりと「疑いあり」と自著『無量寿経釈』で言い切っているという(寺内大吉著/『法然讃歌』参照)。法然上人を浄土教に導いたのは中国僧・善導和尚だが、その善導さえ「変成男子の願」の域を脱せなかったのに、法然上人は「女性は女性のままの姿で浄土に往生できる」と説いたのである(大橋俊雄/『法然入門』参照)。

 上人が流罪にあって讃岐にくだる途上、室津の浜で船に乗る遊女から声を掛けられた話は有名である。

「上人の御船のよしうけたまはりて推参し侍るなり。世をわたる道まちまちなり。いかなるつみありてか、かかる身となり侍らむ。この罪業おもき身、いかにしてかのちの世たすかり候べき」(四十八巻伝)

 これに答えて上人は言った。
「もしかからずして、世を渡り給いぬべきはかりごとあらば、速かにその業(わざ)を捨て給うべし。もし余(他)のはかりごともなく、また身命を顧みざるほどの道心いまだ起り給わずば、只そのままにして、専ら念仏すべし。弥陀如来は、さようなる罪人の為にこそ、弘誓(ぐぜい)をもたて給える事にて侍れ」(四十八巻伝)。

 上人は、<性>に悩む親鸞に「妻帯して念仏が唱えられなければ妻帯するな。妻帯しないと念仏ができなければ妻帯すればよい」と言ったというが、いたるところで「捉われない、ありのままで念仏せよ」と説いている。

 ここでふれておきたいことは、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という『悪人正機説』である。長い間、これが親鸞の言葉として教科書にも紹介されてきたが、実は、これが親鸞の師法然上人の説であることが分かった。詳しくは梶村昇著『法然の言葉だった「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」』、その他近年の『法然』書に譲るが、この事実を踏まえて『歎異抄』を読み返してみると、親鸞を通して新たな法然像が浮かび上がる。

 法然上人ほど伝記や消息(書簡)、問答類が多い宗教者も珍しいと言われている。また、『平家物語』『吾妻鏡』『保元物語』『徒然草』など著名な文献だけでなく、私家本の類にも多数の記述が残されている。さらに、京の都を訪ねれば、いたるところに上人の遺跡がある。なかでも、大原三千院の側にある<勝林院>で第61世天台座主顕真が主催し、法然が被請者となって開かれたた浄土宗義についての討論≪大原談義≫は圧巻だったようである。『四十八巻伝』は伝える。

「勝林院の丈六堂に会合す。上人の方には、重源以下の弟子どもそのかず集まれり。法師(顕真)の方には、門徒以下の碩学、ならびに大原の聖たち、坐しつらなれり。山門の衆徒をはじめ、見聞の人多かりけり。論断往復すること一日一夜なり」。

 数年前、勝林院を尋ねたが、この熱気がいまに蘇るようであった。