耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

易と正月

2007-01-01 22:09:18 | Weblog
 今年の干支(えと)は<丁亥(ひのとい)>である。ご存知でない方のために一言すると、本来、年干支は立春(太陽暦2月5日前後)から次の立春までを言い、今の年初から年末までを言うのではない。巷間、「今年は亥年」とか、「私は亥年生まれ」などと言われるが、これも正しいとは言えないのである。干と支の組み合わせが<えと>で、また、今年の立春前に誕生すれば<戌>年生まれとなる。

 干支は十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を言い、その組み合わせを一巡する(甲子<きのえね>から癸亥<みずのとい>まで)のに六十組を数える。年数で言えば六十年に一度廻ってくる干支(えと)、満六十歳の<還暦>がここからきているのは周知の通りである。

 干も支も自然界の循環を示す。すなわち万物の発生→繁茂→成熟→伏蔵の過程を意味するのである。人の<還暦>もこの循環を一巡して次の新たな発生を迎えるものだ。これらの思想が中国古来のもので、『陰陽五行説』に由来することはつとに知られている。

 さて<正月>だが、自然界の循環から言えば旧暦<寅月>を指す。暦には太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦がある。太陽暦は一太陽年の長さが基準で、平年三百六十五日。太陰暦は一朔望月を基準に一ヶ月を決め、十二ヶ月を一年とし、平年三百五十四日、毎年、約十一日が日付と季節がずれていく。太陰太陽暦は一ヶ月の基準は太陰暦と同じだが、三年間で約一ヶ月の太陽暦とのずれを閏月の挿入で調整する。二、三年に一回、十九年に七回の割りで十三ヶ月の年を設ける。日本の旧暦はこの太陰太陽暦である。

 ところで、旧暦では閏月を置くことで「月」の調整はできるが「季節」の調整はできない。そのためにおかれたのが、今でも天気予報で耳にする<二十四節気>である。これは太陽年の三百六十五日を二十四等分すると約十五日となる。旧暦は冬至を基点とするので、この冬至から十五日ずつを区切り、これを節気と中気とした。各節気、中気には月名がかぶせてあり、立春、雨水をそれぞれ正月節、正月中と呼ぶ。

 では、<易>と<正月>の関係はどうか。<易>の八卦は乾・兌・離・震・巽・かん(土偏に欠)・艮・坤である。方位では東方が震、東南が巽というように割り振られ東北が艮(ごん)となる。『説卦伝』で<艮>は「東北の卦なり。万物の終を成す所にして始を成す所なり。故に曰く、艮に成言すと。」と書かれている。つまり<艮>は東北の卦で、丑寅の方位である。ここは万物の終始を包摂すること、すなわち万物万象は<艮>において成り、成ればすなわち次の始まりが生じる。
 <易>と<正月>が結びつく所以とされている。
 (詳しくは『五行循環』/吉野裕子著=人文書院刊・『五行大義』/中村しょう(王偏に章)八著=明徳出版社を参照)
 
 なお、60年前(1947)の丁亥(ひのとい)年の主な出来事を上げておく。
・1.1  吉田首相、年頭の辞で労働運動指導者を「不逞の輩」と非難、問題化
・1.18 全官公庁共闘、<2.1スト>宣言
・1.28 吉田内閣打倒・危機突破国民大会、宮城前広場に30万人参加
・1.31 マ元帥、2.1スト中止声明を発表
・2.25 八高線で買出し列車転覆、死者174人
・3.31 教育基本法・学校教育法各公布
・4.7  労働基準法公布
・5.3  日本国憲法施行
・6.1  片山哲内閣成立
・8.14 パキスタン独立
・8.15 インド独立
・10.11 山口良忠判事、配給食糧による生活を守り、栄養失調で死亡
・12.18 過度経済力集中排除法公布
・12.22 改正民法公布(家制度廃止)
・12.31 内務省解体

 60年を一巡期とみる中国古代思想から、はたした何が見えるだろうか。