タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

懺悔文 (ざんげもん) ・・・

2022-10-15 17:13:13 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

大乗仏教・・・とりわけ日本の大乗仏教にとって、「基本中の基本」が、「懺悔 (ざんげ) 」。

仏教と関係ない人間道徳であっても、「反省」は人生の基本です。

「反省」が、仏教的につきつめたのが、懺悔であり、キリスト教などでも懺悔があります。ただ、イメージ的にキリスト教などの懺悔は、「懺悔したら罪が無くなる」と思っているように見えるが、

仏教では懺悔しても行動を改めなければ、「絵に描いた餅を食べようとするのに等しい」。どの宗教でも道でも、行動を改めなければ、懺悔しても罪 (仏教では業と言う) は無くならないです。

懺悔文 (ざんげもん)・・・全宗派共通と思われる。

「我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう) 

 皆由無始貪瞋癡 (かいゆうむしとんじんち)

 従身語意之所生 (じゅうしんごいししょしょう)

 一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ)」

意味は、

「私が昔から作ってきた色々な悪い業は、遠い過去世から積み上げてきた、貪癡 (とんじんち) すなわち三毒によるものです。
それは、体で行った・話した・思ったという三業から生まれたのです。
私は今、それら全てを懺悔します」

癡 (とんじんち) ・・・貪 どん・・・貪ること。我欲に基づく対象に対する貪りの欲の行為。

瞋 じん・・・怒り、憎しみの行為。心にかなわない対象に対する憎悪。自分の心と違うものに対して怒りにくむこと。私論では、悪しき者に対する怒りは除く。ただ、その場合、自分自身が道徳的に正しいのが原則。私論です。

癡 ち・・・愚痴のこと。無明。

貪瞋癡 (とんじんち) にみまれた生活をしていると、我執が強くなる。我執が強くなると、正しい人の意見は聞かず、我欲で行動するため、ウソを平気でつくようになります。国家を運営する政治家などで、我執が強いと、国が傾いていく。

最近の日本の政権与党は、「自画自賛」・・・自分で自分に採点しているのだから手に負えない。

われわれ凡人は、なかなか行動まで改めるのは難しい。

しかし、懺悔文を仏前で唱えるだけでも、「最初の一歩」を踏み出している・・・私はそう思います。

曹洞宗の仏事に参加した時渡された経本に、修証義があり、その中に「懺悔滅罪」があり、読むと「すっ」とした経験があります。

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする