こんばんは。
いよいよ書くことが無くなってきました。前述した通り、私が知り得た「本丸」については記せません。ヒントは多々記しています。
絶版本・「密教の本」(学研) より。
平安中期の修験者であり、真言宗の僧侶でもあった「日蔵」は、あの世とこの世を行き来する、超能力・僧侶だったそうです。
「道賢、のちの日蔵の「冥途記」については、「扶桑略記」や「北野天神縁起」にやや詳しい記述がある。
日蔵の名を後世に遺した霊的事件は、金峯山修行時代に起こった。
過酷な修行中に仮死状態に陥った日蔵は、冥界に迷い込み、地獄や天界を遍歴した末、13日後に蘇生した。この「臨死体験」時の見聞が、世に名高い「道賢上人冥途記」なのである。
それによると、道賢は彼を守護する蔵王権現の導きで、天界から地獄までを駆け巡った。「三界六道を見ぬところなかりけり」とある。
その過程で、彼は世にときめく菅原道真の怨霊に、金峯山浄土で出会った。
怨霊といっても、その力は並のものではない。自ら「日本太政威徳天」と名乗る道真の怨霊は、海のように巨大な池の中に築かれた島内の光り輝く宮殿に住み、無数の異形のものを従えていた。その日本太政威徳天は、「生前流した涙で日本を水海と化し、84年ののちには、その水海の上に己の王城を築くつもりであった」と道賢に語った。
が、その後、諸仏諸神の力で天神の恨み心も薄らぎ、「今は大きな災いをもたらす気はないが、ただ自分の眷属16万8000の悪神が祟りをもたらす分については、自分も静止することはできかねる」と、道賢に告げたのである。
さらに道賢は、「鉄窟苦所」と呼ばれる地獄で、真っ赤に焼けた熱灰の上に、ほとんど裸の格好でうずくまり、泣き叫んでいる亡者たちの姿を見た。
それは無実の罪で菅原道真を憤死させた報いで、地獄の苦しみに喘いでいる醍醐天皇と、その従者たちの姿だった。
天皇は道賢に、「自分を敬う必要はさらにない。冥途では生前の罪の有無だけが境遇を決める。貴賤は無いのだ」と語り、己の罪の大きさを懺悔したのである。
こうして、さまざまな境遇を遍歴したのち、道賢は蘇生し、蔵王権現から「日蔵」の名を賜り、以後もたびたび不思議を現した。
たとえば、蔵王権現の守護教導で、弥勒 (みろく) の住まう兜率天 (とそつてん) に登ったり、あるときは、京都松尾社で21日間の行に入り、釈迦仏の過去七仏の一つ、
毘婆尸仏 (びばしぶつ) の顕現も見たとも言う。(毘婆尸仏 (びばしぶつ) は、過去91
劫前の宇宙期の仏。第一仏。今の宇宙の91宇宙前の宇宙と言うことか・・・?)
また、前世のことも記憶していたエピソードもある。
日蔵は、尸解仙 (しかせん) と言う仙界に入って消え失せたと伝説は伝えている-----------。」
です。
奈良県吉野の金峯山寺「蔵王堂」。
金峯山寺には、菅原道真公をお祀りする、「威徳天満宮」もあります。
神社と寺院が混在し、神仏習合を今に伝える金峯山が、金峯山浄土と言われるのも、納得です。
前の前の?管長が書いた本に、「金峯山や大峰山の山の怖さ」も書いてあり、役僧にそのことを質問すると、「そういうこと (霊山の怖さ) もある・・と言うくらいにとっていただければ」と言ってました。
天神様 (菅原道真公) をお祀りするところには、「牛」が御縁があり、天神様の神使が「牛」なのだとか。
ではまた。
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