インチ記と褌

駄文をつらねた大変私的なドキュメンタリーブログ
※決して役には立ちません。

先日起きたイージス艦あたごと漁船の衝突事故について。

2008-02-25 | 真面目

このような社会的に大きく報じられる問題を専門知識のない自分がブログで
取り上げるのは正直嫌なのだけど一人の意見として今回は言わせてもらいたい。

まず自分が感じている点。

・過失の所在
一言で言ってしまえばどちらにもあるという事。
冷酷な意見のようだが10:0ということはありえない。
もちろん責任大小で言えば、石破大臣も認めている通り明らかにあたごが悪い。
法律上はイージス艦側に回避義務がありもっと早くに回避行動を取るべきだった。
警笛も鳴らすべきだったと思う。
自動操舵についてはすぐに解除できるのでそれ自体は問題ではない気がするけど、
衝突寸前まで自動はおかしい。漁船を認識していなかった可能性があるんじゃないか。
当たらないと思ったという発言は子供か。

漁船側も、仲間から連絡を受けながらなぜ回避できなかったのか、
法的に正しいとしても常識的に考えて人間とアリぐらい大きさの違うものが近づい
てきている事に回避行動を取らず、寸前でなぜ舵を切っているかなど謎が残る。
救命胴衣を着けていなかったかもしれない点も。
 
・メディアの報道
一部メディアの報道があまりにも酷すぎる気がする。
公的機関を攻撃しとけば視聴率が取れるとも思える報道まであり憤りを感じる。
真実を報道するのがメディアの正義ならば報道機関は何を考えているのだろうか。
TVの無駄な検証CGやセット、何も知らない芸能人に意見を求める祭りのような
報道には正直うんざりする。そんな金があるならもっと他に使い道はあるはず。
ちなみにちょっと噂になっている中川翔子の発言については不謹慎の一言。
彼女なりのあってはならない気持ちを伝えたかっただけだで、
ついうっかりというのも理解できなくはないけど言っていい事と悪い事がある。
生存は絶望的なので問題ない、という意見もあるがそんな事思ってもTVでは口に出してはいけない。
最近の言葉狩りの風潮はどうかと思うがアイドルにコメントを求めるほうもどうかしている。
あのキャラクターなんだから、スタッフも少し気を配ってやれよ。
むしろ立場を考えると自民党の笹川尭衆院議院運営委員長の発言のほうが問題ではないだろうか。

一方でイージス艦側の情報公開が遅れているのは真実で、
メディアが被害者側を主に取材せざるを得ないのはよくわかる。
だからといって責任がイージス艦に10割あるというような善悪だけの印象の報道は控えるべき。
むしろ情報公開が遅れている事を指摘するべき。
番組高感度伝々で国側を完全に悪にすれば企業利益になり
国民は納得するとでも思っているのであればそれは大間違い。

・イージス艦側の情報公開
この後に及んで何を渋ってるんだと呆れるばかりである。
情報を二転三転、呆れるを通り越してまたですかという感じさえする。
清徳丸を認識していなかったのではないかという根本的な疑問から、
船内の管理体制、船員の意識、衝突寸前に後進をした、赤灯青灯の認識、
レーダーにうつり難かった等、状況ははっきりと見えてきていない。
それにレーダーに映り難かったとの言い訳では済まされない。
爆弾を積んだテロ船だったらどうするのだろうか。
映りませんでした。沈みましたでは。。
約1400億円を投じて造られた船が20m程の船で沈む可能性を露呈したのは
国際的に見ても笑える話ではない。
実はレーダーにも2種類あるとか、通常航行だからという見方もあるが
テロの相手は準備が整うまで待ってくれたりしない。
現に2000年10月、アメリカ海軍のイージス艦がイエメン沖でゴムボートの自爆テロに
より多数の死者が出ている。
それに船のエンジンは金属であり、これをレーダーが認識しない訳がないとのこと。
船内の管理体制、意識については最高機密情報であるにも関わらずネット漏洩から
始まり護衛艦しらねの火災問題、本来現場で情報を集め指揮するはずの戦艦から
は考えられない。お前が沈んでは意味がないじゃないか。
先日アメリカ駐留海軍の問題での町村発言そのまま「たるんでる」としか言いようがない。

衝突寸前の後進については乗組員が衝突の衝撃、後進の衝撃の2つをを体感しているはずだ。
7700tの巨大な船が全力で後進するわけで通常慣性の法則から中の人間には凄い衝撃だろう。
衝突後に全力後進したのではないかという情報もあるが謎。
船内の人間を港に着いた後も外に船内から出さないのは何なんだ。

・政府の対応
大臣まで連絡が行くのに時間がかかりすぎ。
連絡が早く行けば回避できたという問題ではないが、伝言ゲームをしている場合ではない。
民間企業のノウハウを取り入れて即座に改善すべき。
最高機密の塊であるイージス艦が事故ってる時点でただ事ではないと認識してほしい。
民主党の大臣の辞任という政争は論外。
辞任しても行方不明者は見つからないし、被害者のご家族も望んではいない。

その他色々あるでしょうが一刻も早く行方不明の2人が見つかり、真実が明らかになる事、
そして世界でもトップクラスの軍事力をしっかりと管轄できる能力を持つ事を願います。



もう、終わり~だね~♪

2006-07-26 | 真面目
 先程、相方と別れました。ここで私生活を書かなくてもいいんですが、気にして下さってる方も一部ですがいるので一応ご報告ということで。勝手な意見で言い方も悪いですが、最初から私の器に納まらない予感はあったし、最近ちょっと話しただけで「ああ、もう気持ちは無いんだなぁ」って実感しました。私もこのままより、いっそ友達に戻ったほうがいいと考えてましたし、相方も今回話せて「すっきりした」と言っていたのでそれは良かったです。
 人は人生の中で今まで築き上げてきた環境から新しい環境になる時に、縁を切るべき捨てなくてはならないものがあるものです。それが人だったり物だったり、無い人もいるかもしれません。後で思い返すと、あの時は一方的に酷い事をした、後々また買いなおさなければならない、後悔する事もあります。 しかし、それは自分があの時あの瞬間に精一杯判断した事なのです。大げさな話、一生悔いる人もあるかもしれません。
 時計の針は1秒たりとも後には戻す事はできません。また月日が経つにつれ過去の重要な大切な瞬間は記憶に焼き付くものです。どうすれば戻せるのか、それはケーズバイケースではありますが戻ります。タイムカプセルのように何年も記憶という土に埋められたままにされていても、誰かがその場所を掘り返せば出てくるのです。そしてその箱を自分で勇気を出して開ける事ができれば、人はその瞬間に少しだけ戻る事ができるのかもしれません。
 そんなタイムカプセルは埋めたまま自然に分解されていくほうが幸せだと言う方もいるでしょう。しかし私は再度今のこの瞬間に賭けて、馬鹿にされても、自分が納得するまで精一杯、あがき疲れるまであがいてみるのは悪くないと思います。ガラクタと化していた思い出を再び宝物に変える為に。

父と祖父と恋人と『縁』

2006-04-30 | 真面目

先日23日は父の七回忌でした。僕が高校三年生の時に亡くなったのですが、はやり時間の経過と共に過去の事ではないけども、今も生きている思い出という感じでになってきています。同い年ぐらいの子供がいたとか色々なで父の友達の家族とは仲良くしていて、今回もみんなで七回忌を迎えられました。就職などで自分の友達が疎遠になっていく中でとてもありがたい事だと感じました。


そして今年の4月26日、母方の父、自分からすると祖父が亡くなりました。82歳という男性では少し長生きで。僕の知っている祖父は戦争時代の人なのもあって、厳格でまっすぐで昔の男というか、軍人というイメージでした。年のせいもあってそのまっすぐさ故に少しわがままで頑固にも写りました。肉が好きで植物が好きで最近では自分の家の宗教である禅宗の曹洞宗に凝っていました。毎日2時間近くもお経をあげていたそうで、何とも祖父らしいです(笑)
そんな祖父は3月に入院し僕も何度も病院へ足を運びました。行くごとに少しずつ元気が無くなっているような祖父は痛み止めである麻薬の影響もあってか、たまにしゃべっている事も支離滅裂です。

ある日病室を訪れると祖父はこんな事を話しました。(麻薬の影響で独演会チックに僕たちに話してくれました笑)
「私は19xx年xx月xx日(私が今覚えてないだけで本当は正確言ってます)に戦争から帰ってまいりました。自分の家へ帰ってまず発した言葉は『お母さん、雄三はただ今帰ってきました。お母さん。』でした。」
「私は数々の迷惑を他人にかけてきました。本当に申し訳なかった。どうか許してくれ。私は毎日お経をあげてきました。しかしここへ来てお経をあげた。でも一向に前へ進まんのですわ。一行目から前へ進まんのです。何たる事かと、毎日一生懸命にあげていたつもりが、もう何たる事かと。」
「人間『』というのはとても大切です。こうして皆さんがいてくれる事ものおかげです。どうか皆さんもというものを大切にしてください。」

人によって感じることは違うと思いますが僕はこんな話を聞いて何だかとても感動というか胸が熱くなりました。僕はそんな祖父に「お疲れ様でした。」と心の中で思いました。病室でゴミを変えに来た看護婦さんや、お見舞いに来た自分たち全員に祖父は「ありがとう、ありがとう」と何度も言っていた感謝の精神を僕は忘れないでしょう。


ワタクシは変わり者であります。故に最近の若い感じというか、爽やかな人間とは合いません。特に女性とは縁などなく、それなりに話す事は出来ますが、相手が楽しい話題は決まってワタクシは楽しくありません。そんなワタクシですが、なんとこの度お付き合いする方ができました。ちなみに男性の方では御座いません。
ワタクシがその方と出会ったのは3月の頭頃、ネットででしょうか。ワタクシの変わり者というとこが引っかかったらしいです。お互い絵を書く者同士、その方の作品を見てビックリしました。ワタクシの第一印象『殺される』でした。決して殺人的描写の絵だった訳ではありません。
真剣に絵を描く者は誰もが『自分がNO1だ』という意識があると思います。好きじゃない物を一生懸命自分の為にする人間はいないはずです。そんな誰にも負けたくないというワタクシの心は一瞬にして容易に折られました。完全敗北でした。ワタクシはその才能への絶対服従という恋をしました。完全に折れた心は現在違った形で徐々に再生していますが、あの時の衝撃は忘れません。いつかワタクシはあの時味わった絶対なる完全な服従で彼女の心を殺して自分の物にしたいと思いました。何だか怖い話のように聞こえますが、体を傷つけたりそういうのじゃないのでご安心ください(笑)要はワタクシは彼女が好きという事です。ちなみに顔も美人です。

 ローサ似。結局ソコかい!


バレンタイン

2006-02-15 | 真面目

本日2/14はバレンタインで御座います。お菓子メーカーが売り上げ倍増の為勝手に決めた記念日システムです。
ワタクシの人生において何の意味も成さない日でありますので、このお題で記事を書くことは無いと思っておりましたが、どうやらそうでもないらしいです。

ワタクシにも随分と昔はお付き合いしている方がいたものです。今でも友達ですが、中身は年に一度挨拶メールを送る程度です、あけおめとか。そもそも男女間の友情はありえないワタクシですが、この方は違うようです。一度付き合って別れてるので成立してるのかもしれません。
そんな人に今日久しぶりに会いました。東京の方なのでネットでですが話しました。相変わらず気が強くちょっと不器用な人でした。でも少しだけ素直でした。素直な理由は当時より距離があるからとか詮索すると見つかりそうですが、詮索しないとワタクシの中で答えが出たので素直にそうします。素直なかわいさもですが、『元気にしている』のがワタクシにとっては何より嬉しかった一番のプレゼントでした。


腹の底から黒いものが(笑)

2005-11-26 | 真面目

最近仕事でいろんな人に会う。
「学生さん?」とほとんどの人が聞いてくる。
私は「いいえ、フリーターですよ。」といつも答える。
もし学生だったらどこの大学か何学部か何回生か等トークが弾むのだろうけど、決まって相手の反応はイマイチだ。でもトークが弾まない事なんて私にはどうでも良い事だったりする。「学生さん?」と聞かれて「画家です。」と胸を張って答えれない、これが私には何より悲しいことだ。自慢でも何でもない、僕には絵しかできませんと胸を張って言いたいのだ。

絵なんて売れた事もないし、最近本気で描いたこともない。
来年製作に集中できるように、途中でお金がなくなって働かなくていいように今は金を稼ぐんだと自分に言い聞かして仕事マシーンとして働いている。
仕事マシーンはある意味楽だ。最低限の仕事さえしていれば、決まったお金が貰える。
嫌なことがあればお酒も飲めるし、タバコも吸える、好きな物だって買ってストレスを解消できる。発狂して、激痩せして最高の物を作っても金になんてならない世界だってあるのに。そう思えば残業なんて何の祖の。(金にならないのは需要と供給が釣り合ってないからなのだけども)

でも僕は仕事マシーンであっても、一時も絵の事を考えなかった事はない。何年もそうしてきた。夢にだって見る。
アンテナの強弱はあるけど、常に脳味噌のどこかで考えている。
1分、1秒でも圏外になった瞬間に、そうして生きている他の人間に遅れるから。

ゴッホは生涯絵が売れなかったけど、胸を張って画家ですと他人に言えたのかなぁ。

僕は気が付いたら絵を描いていたし大きなひとつの生きがいとして今もあるけど、みんなはどんな事を考えて、生きがいとして生きているんだろうか。
肺を1つなくせば、脚を両足無くして歩けなくなれば、それだけの代償で自分の理想を表現できるのなら僕はきっと喜んでそうするだろう。
100%満足する作品が1つでも出来るのなら、正直僕は命さえ惜しくはない気持ちだ。

ダークな考え方だけど、僕は笑っている時も、楽しい話をしている時も、いつだってこんな事を考えている。十代の時は絵を描く事に興味がなければ、どれだけ楽しく生きれるだろうって思ったけど、今はそんな気持ちはあまりなくなった。
僕はお金にはならないかもしれないけど、とても強いものを1つだけ持っている、と今はなんか満足だ。


歴史とワタクシ

2005-10-03 | 真面目

今回ばかりは面白ネタにできない、してはいけない話なので真面目に。

ワタクシは毎日職場まで電車で通勤しているのですが、本日帰りの車内で吊革を持って立っていると、男子高校生2方が乗ってこられました。どうやら社会の授業の話をしていたようで『GHQ』や『第一次世界大戦』という単語が飛び交っておりました。今そこをやってるのかぁ等と思うだけのワタクシでしたが、座席に座っていた80代ぐらいのお婆様は大変反応しておりました。ワタクシ達『戦争が終わって僕らは生まれた』の若者には、授業で習うだけの過去の出来事なのかもしれないのですが、お婆様には体験してきた今も終わらない出来事なのだと深く重いました。

ワタクシの頭の中にはブルーハーツの『1985』という曲が鳴り響いておりました。著作権の関係で曲、歌詞はご自分でお探しくださいまし。