
緑魔子伝説
「やさしいにっぽん人」1971年 監督:東陽一
東京で自動車の修理工をしているシャカは、幼いころ渡嘉敷島で起きた集団自決から生き延びた過去を持つが、その記憶を失くしている。そのため自身の言葉で自分を語れない彼を、同僚は「引用野郎」と批判する。一方、恋人のユメも自らの言葉を失いかけていて…。劇中で口ずさまれる、緑魔子のすべてを包み込むような歌声が味わい深い。
東陽一初監督作品ということで、かなり気合入れすぎましたか。
映画を観て出てきた客に「あなたにとってやさしいにっぽん人といったら誰ですか」なんてインタビューするシーンがあったり実験的要素も多い。
演劇青年が登場するような作品なので屁理屈コネまくり感がいかにも70年代だったりする。
内容的に眠らずに最後まで観た事が快挙。
年長の伊丹十三もふくめたこの連中の中にあって惜しげもなく肌を晒す緑魔子のニンフォな存在はポルノ女優以上に女神を感じる。
一見、難しいテーマを描いているようですが、これは緑魔子の性技映画といって良いでしょう。主に恋人河原崎長一郎に施される性技の数々。
デタラメ言語を発しながら乳繰り合う緑魔子と河原崎長一郎のお尻。

脱ぐ事に恥ずかしさを感じないタイプと自身でおっしゃっていました。(5.2トークショー)
連中の中でもう一人、立ち位置の良い人が石橋蓮司。
劇中、六文銭が登場「街と飛行船」
小室等らの後ろにくっついているのがおケイさん(四角佳子)ですね。あまり良く見た事なかったもんで・・・
桜井浩子が育児ノイローゼの若い母親。赤ん坊を窓から投げ捨てちゃう。
渡辺美佐子は死んだ夫がノートに残した膨大な言葉の断片を諳んじている。
歌について特別なレッスンは受けていないと言っていた(5.2トークショー)緑魔子の歌がとても良いです。
これもいかにも70年代初頭って感じですが。
やさしいにっぽん人
シネマヴェーラ渋谷

「やさしいにっぽん人」1971年 監督:東陽一
東京で自動車の修理工をしているシャカは、幼いころ渡嘉敷島で起きた集団自決から生き延びた過去を持つが、その記憶を失くしている。そのため自身の言葉で自分を語れない彼を、同僚は「引用野郎」と批判する。一方、恋人のユメも自らの言葉を失いかけていて…。劇中で口ずさまれる、緑魔子のすべてを包み込むような歌声が味わい深い。
東陽一初監督作品ということで、かなり気合入れすぎましたか。

映画を観て出てきた客に「あなたにとってやさしいにっぽん人といったら誰ですか」なんてインタビューするシーンがあったり実験的要素も多い。
演劇青年が登場するような作品なので屁理屈コネまくり感がいかにも70年代だったりする。
内容的に眠らずに最後まで観た事が快挙。

年長の伊丹十三もふくめたこの連中の中にあって惜しげもなく肌を晒す緑魔子のニンフォな存在はポルノ女優以上に女神を感じる。

一見、難しいテーマを描いているようですが、これは緑魔子の性技映画といって良いでしょう。主に恋人河原崎長一郎に施される性技の数々。

デタラメ言語を発しながら乳繰り合う緑魔子と河原崎長一郎のお尻。


脱ぐ事に恥ずかしさを感じないタイプと自身でおっしゃっていました。(5.2トークショー)
連中の中でもう一人、立ち位置の良い人が石橋蓮司。

劇中、六文銭が登場「街と飛行船」

小室等らの後ろにくっついているのがおケイさん(四角佳子)ですね。あまり良く見た事なかったもんで・・・

桜井浩子が育児ノイローゼの若い母親。赤ん坊を窓から投げ捨てちゃう。

渡辺美佐子は死んだ夫がノートに残した膨大な言葉の断片を諳んじている。
歌について特別なレッスンは受けていないと言っていた(5.2トークショー)緑魔子の歌がとても良いです。

これもいかにも70年代初頭って感じですが。
やさしいにっぽん人
シネマヴェーラ渋谷

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