函館港イルミナシオン映画祭 会期中広報「イルプレ」

函館港イルミナシオン映画祭開催期間中情報をリアルにお届けする「イルプレ」です。

クロージングは究極の愛です!

2005年12月07日 | 2005
「VITAL」…。
辞書で調べてみるとその意味は、「生命の、生命に関する」と明記されていた。
うむむ…なるほど。
塚本監督の「ヴィタール」はその映像や手法とは裏腹に、
根底のあるのは「愛」なのだと気づかされた。

「ヴィタール」それは「愛」の映画でもあり、そして「喪の仕事」の映画でもある。
しかもそのそれは恋人を解剖する・・・という究極の「喪の仕事」なのだ。
喪の仕事・・・・。
人が亡くなった後、私たちが最初にしなければならない事・・・
それはその人の死を受け入れること。
医学生の博史は恋人の解剖を通して・・・無くなった記憶を思いだし
そしてその彼女を死を受け入れ始める。

恋人の体を解剖する・・・それはある意味とても静粛で厳かな行い。

都市と肉体をテーマに撮り続けてきた塚本監督は、
ここに来て自然を取り入れ始める。
「今まで都市ばかり撮っていたので、自然を取り入得るのはテレがあります」
監督はそんな事を言っていた。
照れ屋であるからこそ、こんな愛の映画が創れるのかもしれない。

今回はこの撮影に向けて、2ヶ月にわたり解剖の現場を取材したという監督。
監督業ほか、製作、脚本、撮影監督、美術監督・・・
と、何から何まで全てをこなしてしまう監督に、そこを聞いてみた。
その答えは「自主上映の頃からやっているので・・・」と、淡々としたもの。
でもそこには絶対に監督のこだわりがある事を観客は知っている。
監督の作品はどれも皆塚本作品だとわかる、色濃いものなのだから。

そんな塚本監督の9作目である次回作は49分の短編「ヘイズ」。
予告編を上映してもらったものの、観ただけでは解らない・・・。
「狭いところから、逃げ出そうとする映画です」と注釈をつけてくれた監督。
何やらまた塚本監督の面白い作品を観られる事になりそうです。

そうそう最後に、この映画で主役を務めた浅野忠信が生まれた病院がなんと
この映画で使われた病院(今は廃病院)だと言う事をお知らせしておきます。
何かしら因縁めいたものを感じますねぇ~~~。

Wanted!!ムロツヨシを探せ!!

2005年12月07日 | 2005
【函館】映画「サマータイムマシン・ブルース」に出演の俳優ムロツヨシさんが12月3日午後10時ころ牛頭バー(はこだて写真図書館1階)に訪れていたことが6日までに明らかになった。
目撃者によると,牛頭バーの階段付近で見覚えのない人物に遭遇。ゲストパスを下げていたことから当日のゲストと推察されたが舞台挨拶等で同人物を現認していなかったため不審に思ったという。本人に接触の上,確認したところ,舞台挨拶で着用していたタンクトップ(映画撮影時も着用)の上にパーカを羽織り,眼鏡を外していたことが判明。変装し周囲の目を欺いて行動していた模様。化粧を落とすと別人になる女性は多いが,衣装を変えただけで別人になる男性は稀有であり,ガラスの仮面の北島マヤ同様「千の仮面を持つ男」としてさらなる警戒,監視が必要である。関係筋によれば,来る12月10日土曜日フジテレビ系列の踊るレジェンドドラマスペシャル「逃亡者・木島丈一郎」出演までの行動はつかめているが,実際ドラマの中で発見できるかどうかは危惧されるところである。その後の足取りは不明。当局は目撃情報を募っている。(陽子)



サーファー大杉漣さん、いよいよ登場!

2005年12月06日 | 2005
50代で定年退職後、突如としてサーフィンを始めた男を演ずるため、同じく50代でサーフィンを始めた俳優大杉漣さんが、いよいよ登場!朝早くから列に並び、整理券を手にしたお客さまだけが聴けた大盛り上がりトークに加え、イルプレ班が独自に聞けたインタビューを交えてお送りします!

---40代では田口トモロヲさんに誘われてギターを、50代では本作でサーフィンを始められた大杉さん、60代では何を始めるんですか?

出会ったときが始めるとき。始めると結構凝るほうなので、今、プロフィールには、趣味サッカー、テニス、手裏剣(会場どよめき!)、あと小さくサーフィンって書いてます。

---50代でサーフィンというのもすごいですよね。

最近は年をとられてから始める人も結構多いみたいで、映画をきっかけに始めたという手紙もいただきましたよ。

---今回の映画でご苦労された点は?

僕、サッカーやってるんですよね。生まれが四国の徳島で海のあるところで育ったので、海には馴染みもありましたし、体力的なところで過信してた部分があったのは事実で。でもパドリングってありますよね、あの海ガメの産卵みたいなやつですよ。あれからしてもう全然できなくて。ですからある意味ドキュメンタリーの要素を含んだ映画になっていると思います。

---どのくらいでサーフィンを習得されたんですか?

今まで一度もやったことがなかったんですよ。本当はある程度練習してから撮影に入りたかったんですけど、スケジュールが合わなくて、種子島に入ってから現地の方に教えていただきながら練習を始めました。もうぶっつけ本番ですよ。種子島にいた二十数日間で、あそこまで乗れるようになりました。ボードの上に立つシーンで、監督はスタントを使うことも考えていたようですが、僕は絶対に吹き替えは嫌だったので、立てたときには本当に嬉しかった。あの表情はその気持ちが十分に出てるんですよね。

---今回は大杉漣初主演ということで報道されていましたが。

いや、本当は他にもあるんですけどね。けれど主演でも、そうでない作品でも、役作りのスタンスの違いはあっても、演じることに対する姿勢や、目線の置きどころは全く変わらないです。

---この作品の持つテーマとは?

会社を中途退社した米倉が人生をどんなふうに生きていこうかと思ったときに、亡き妻の言葉を思い出して、「そうだ、サーフィンをやろう」と思ったこと、それが大事なんですよ。ささやかなことでもいいんですよね、例えば散歩するとか。与えられたものではなく、待つことでもなく、自分でなにかを見つけるということ、「気持ちの一歩」をどう踏み出すかということが大切なのだと思います。

---その後サーフィンは?

僕、さっきも言いましたけど、サッカーやってるんですね。だからそちらのほうも忙しくてなかなか。でもやりますよ! 趣味の欄に小さく「サーフィン」って書いてることですし、自分に示しがつかないので(笑)もちろんボードもウェットスーツもちゃんと持ってますしね。

---サッカーのことを少しお聞かせください。

サッカーは「鰯クラブ」と言って、100名くらいメンバーがいるんですけど、もう15年くらい続けてます。職業も年齢も関係なく、ひとるのボールを追いかける。オフタイムの過ごし方としては最高ですね。僕たちの息子も同じチームにいて、その息子たちに「しっかり蹴ろよー」なんて怒られたりするのがまた快感だったりするんですよね(笑)

---函館の印象は?

僕の兄の奥さんが函館の人なので、とても馴染みがあるんです。情緒があるし、食べ物は美味しいし、函館の言葉もなんとも言えない味わいがあっていいですよね。でもこの仕事をして思うことは、出会いであったりとか、縁だったりとか、そういうものがとても大切だということ。こうしてこの映画祭と一本の糸が繋がったわけですから、どんどん拡げていきたいですね。もう二回でも三回でも来ますよ!

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このつたない文章では雰囲気が伝わりにくいと思うのですが、大杉さんの華麗なるトークに会場は爆笑に次ぐ爆笑!こんなに笑ったトークは初めてじゃないかしら?というくらい熱気あふれた時間を共有させていただきました。「たくさんご来場下さってありがとう、よっぽどヒマなんですね、みなさん他にすることないんですか?(笑)」とおちゃめな台詞を後に、観客の皆さんと握手をしながら会場を大回りして退場していただきました。イルミシオン映画祭始まって以来です、このような大サービスは!この大杉さんの心の温かさにスタッフもお客様も大感激。大杉さん、ありがとうございました!来年も再来年もぜひいらしてくださいね!次は凍っていないイカソーメンを用意しておきますので(笑)

「監督」池内博之 ~ 13の月と空白の一日

2005年12月06日 | 2005
 1年を13か月に分けた暦がある。潮の満ち引きで換算すると一月は28日になる。そして、13の月の暦の上では1年のうち何日でも何曜日でもない空白の1日ができる。その空白の日にはそれまでのすべての矛盾が形になって現れ,その反動で世界のつじつまは一気に合う。それでつじつまが合ったら世界は元に戻る。

 だれも意識をせず,でもきっとだれの中にもある空白の1日をモチーフにもどかしいほどの純愛を描いた,痛いほど切なく優しい映画「13の月」。実はこの日がワールドプレミア!
 
 池内博之監督は,3年前のイルミナシオン映画祭に「ロックンロール・ミシン」で俳優として来函,そのたときの弾けたイメージとは一転,今回は少しナーバスな御様子。

 舞台挨拶では開口一番「すごく緊張してます・・・・。」。

初監督の苦労は?
「どう作っていくか,どう観客を引っ張っていくかを考えたけど難しかった。俳優の気分を尊重して撮ったつもりですが,周囲が『どーすんの,これ』って空気になって,みんなが敵に見える一瞬がありました(場内笑)。」

俳優さんとの対応は?
「友達でも割り切ろうと,柏原君とは同年齢だけど絶対敬語。あえて壁を作りました。」

監督御自身も出演されていましたが。
「前日までキャストが決まらなくて仕方なくやったんです。頭の中は次のカットのことで一杯一杯でテンパってました。」

特に気を付けたことなんてありましたか?
「死に関する場面ですね。死を扱うのは責任重大なのでちゃんと撮らなきゃと思いました。」

次回監督作はいかがですか?
「もう最初で最後かもしれない(場内笑)。でも,撮るならコメディ,15分くらいでできるだけ短く。」

俳優としての今後のお仕事は?
「『全身と小指』という作品で大杉黽さんと共演します。役どころは,禁断の愛,自分の妹を好きになるという。(キャーッ!!と場内どよめき)」

 俳優池内博之のアクティブなイメージとはちょっと違い,古風とも言える純愛を描いた本作については,古風というより主人公ははっきり言えない感じで,なかなか前に進めない性格だと語り「自分もそうかも・・・」とちょっと気になる一言をぽろり。
 俳優として,そして監督として今後ますます目が離せません!!(陽子)



生きる痛みと叫び ~ ジーナK

2005年12月06日 | 2005
「朝からこんなのをかけていいのか不安だったんですが・・・。」
 藤江監督の最初の言葉に会場は拍手で応えた。
 伝説のストリッパー・カトリーヌ(石田えりさんメチャクチャ綺麗で格好いい!)とその娘,ジーナKことかやの(SHUUBIの歌声は心に疵を付ける)の葛藤と彼女らを取り巻く人々のひりひりと痛むような「生」の物語。
「生きる」ことを伝えたかったという藤江監督,悲劇的過ぎないかという声に
「どんな状況でも這いつくばっても生きていくというのを描きたかった。癒しが流行っているけど癒しなんて本当はなくて,一生懸命生きようという人間に初めて幸せな時間があるんじゃないかと思う。」
 女たちは強くたくましく,弱くて情けない男たちを愛する。どんなに痛めつけられても泣き言も恨み言も言わない。
 「なんでこうなるんやろね。」ninaのその言葉は諦めに似ている。でも,それは「仕方ない,ここからまた始めよう。」という決意。どんなにつらくても立ち上がる彼女らに与えられたラストシーンは痛いけれども,暖かな希望の光が見えた。
 舞台となり,また多くのアーティストを輩出する博多の街を藤江監督はリバプールになぞらえてあえて「辺境」と呼ぶ。そこには,うなされる熱のような何かがある。本作も企画後行き詰まっていたものが博多の街を歩き,博多弁で脚本を書き始めたら進んでいったという。 
 ところで,クライマックスのジーナとカトリーヌの母娘対決のシーン撮りの日は,奇しくもSHUUBIの誕生日,おまけに撮影衣装もその日にあがってきて,彼女のウキウキした気分がカメラに映ってしまう。そんなとき石田えりさんから「こんなちゃらちゃらした主役の映画で裸になるほど落ちぶれたと思われたくないのよね。」と一喝。(その後撮られたシーンは映画で御確認ください。)場の空気を変えるベテランの計算し尽くされた一言に映画撮影現場の醍醐味を感じたというエピソードも披露してくれた。(陽子)


『ニライカナイの手紙』で、トークde北海道。

2005年12月04日 | 2005
今日はちょっと趣向をかえて、ニライカナイからの手紙」を観た直後に、
鼻を赤くしたイルプレ班女性3人のトークをお届けしますよ。
わたしたちのトークなんて聞きたくないって?あー、痛いところを(笑)
でも少しの時間だけお時間くださいませね。

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「良かったよねー」
「つい泣いちゃった。展開何となく分かってたんだけどなぁ。」
「あのクールなNさんも泣いたんだって!」
「えっ!でも、佳境に入ったらあちこちで鼻すする音がしてたもんね。」
「司会の方も号泣してた」「私もヒトのこと言えないけど(笑)」
「蒼井優ちゃんがとにかく良かった。ピュアな感じがね。」
「あのまつ毛を見ただでも胸がキューとなる。」
「うんうん、素朴な雰囲気がいいの。あと、カイジ役がいい感じだった。
 優ちゃんの風希が好きなんだけど余り本気にされなくて、でも違う女の子には
 思われて、じれったいんだけど良い奴なんだもの。」
「あー、そうね。俺がおっかぁを探してやるさーってとこジーンときた。」
「沖縄のイントネーションとか言葉って可愛いよね。みんなで協力しあうって意味の
 "うつぐみ"って言葉は良い言葉だったな」
「やはりその土地の味が出る映画ってとても好き。そういえば、道をホウキで
 掃いているシーンがたくさんあったけど、何を掃いていたんだろ?わかる?」
「竹富島では毎朝、島民の方が家の前をほうきで掃き清めているんだって。」
「あ、そうなんだ!知らなかった!キレイといえば、映像もとてもキレイだった。
 冒頭の海とか、ガジュマルの木とか」
「あー、冒頭の海のシーンは素晴らしかった!幸せががしがし伝わってきた。
 海の青さがまた儚げで、でも永遠で。」
「あとね、島のおばぁが"自分の信じたいことを信じればいつか真実になる。"って言う
 のも好きだなぁ。沖縄って何でも叶いそうな気持ちになるよね」
「うん。北国とは違うのね。憧れちゃいます。
 あ…、あとね話は変わるんだけどじじぃがさー」
「え!違うっておじぃ…おじぃだよ。」
「そうそう、そのおじぃ。そのおじぃと風希って、イマイチうまくいってない
 感じでしょ?
 でもねそれをつなぐ唯一のものがあの"ニンニク煮"だったような気がするんだけど、
 それについてはどう思う?」
「ニンニク"漬け"だよ!(笑)なんだか「8月のクリスマス」のビデオの録画の仕方を
 メモに残すシーンを思い出した。風希が西日の射す部屋でポリポリ食べるシーンは
 沁みたなぁ。きっと風希の味と同じ味だっただろうね。でも少しだけ不器用な味なの。」
「あれ、食べてみたいよね。」「うん、食べてみたい!」
「行ってみたいなぁ、竹富島」
「あ、でもさっき監督もおっしゃてたけど、あの郵便局も、あの郵便ポストも実際には
 ないんだってね。」
「そうそう、残念。でも主要キャスト以外は全て島民の方々っておっしゃってたから、
 あのおばぁたちにはばったり会えるかもね。」
「やっぱり行こうか、竹富島に」
「行きたいね」「行こうよ、いつか」

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不思議な魅力のある映画でした。いつのまにか、竹富島のあの雰囲気に飲み込まれていました。
「おっかぁ!」と海に向かって叫びたくなる、そんな映画。
それにしても蒼井優ちゃんて、ほんといい女優さんになったなぁ。
彼女の演技の力は、人の心を揺らします。熊澤監督、まなべさん、優しい作品を
ありがとうございました。またぜひ函館においでくださいね。

内田監督の職人技「運命じゃない人」をナメンなよっ!

2005年12月04日 | 2005
 シナリオ。それってやっぱり映画の核だ。核であり、芯であり、中枢。錯綜した時系列を巧みに操り、一分の隙もない完璧ともいえるストーリー展開は、内田監督の揺るぎのない自信が伺える。なんなの、この強烈な引力は!緻密すぎるほどに計算しつくしたシナリオにはただただ唸るのみ。けれど決して難解ではない。むしろものすごくストレートに単純に観客に伝わってくる。随所にちりばめられた笑いの小技。これがまた痛いほどツボにはまる。天才ではないのか、この監督は!「面白かった」だなんて一言では決して片づけられない。面白すぎる。面白いの通り越して、わたしは一瞬天国をみた。昇天。

ということで、その「天才」内田監督のインタビューを公開します。

---現場を経験せずにいきなり監督をやられたとか?

そうなんです。何にもわからないまま監督をやることになりまして。実は助監督のサードも現場が初めてで、助監督のセカンドがサードに教えてるのを、僕が横で耳を大きくして聞いて勉強してました(笑) これが噂に聞くロケハンか!と心の中で思ったり。
 
---函館は初めてですか?

いえ、高校の修学旅行で一度きました。そのときは自由時間の間、ずっと映画を観てましたよ。「その男、凶暴につき」とか「メジャーリーグ」なんかを(笑)

---暴力を排除した作りになっていますが意図はありますか?

ヤクザさんて実際に会うと優しいんですよね、実は。僕たちは逆にヤクザさんのイメージというものをディフォルメして作り上げていると思うのですが、違う一面をディフォルメしたかったんですよ。

ここからはイルプレ班が独自に聞いた監督のインタビューです。

---高校在学時に映画を目指したと聞いていますが、きっかけは?

映画監督になりたいと思ったのは小学生の頃なんです。その頃から「将来の夢」は映画監督と言ってました。きっかけはジャッキーチェンの「プロジェクトA」のNG集を観たときです。でも本格的に決心したのは高校の時にチャップリンの「サニーサイド」という短編を観たときですね。

---この作品でもっとも苦労した点は?

予算がなくて、とにかく「削る」という作業が多かったこと。この映画の第一稿は、実は一晩ではなくて二晩の想定だったんですけれど、それをそのまま映画にすると、一億ぐらいかかっちゃうので、とにかく削りに削りましたよ。

---その削った部分を少しだけ教えてください。

宮田は実は合気道の達人という設定だったんです。自分からなにもしない人間だけれど、いざかかってこられるとめちゃくちゃ強いという。最後のほうではアクションも盛りこむつもりだったんですけど、これもバッサリ削りました。でも削ったことでスッキリして自分としては気に入っています。

---音楽もとても良かったです。

これは作曲家の友人が全て担当してくれました。映画が出来上がってからそれを観てもらい、曲を書いて、自ら演奏もしてくれたのです。今回は効果音的な音楽の使い方をしたかったんですよ。

---次の作品の予定などは?

いま脚本を書いているところです。漠然としたアイディアがあって、その辻褄を合わせていくといったスタイルでやってます。

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内田監督の言葉のセンスが好き。「電話番号をなめんなよ」シビレタ。
そして監督の小ネタが好き。「ナタデココ」「自転車のベル」「固まった手とつま先」「組長デンワデス」「タクシーの運転手さん」全てがツボだった。本編とは全く関係のないところで思いっきり楽しんでいる感じ、こだわった演出、台詞の印象力、わたしにとってはまさに日本のビリー・ワイルダー。今後、日本の映画の新しい流れをつくり出していくのは、まさに内田けんじ、この監督に他ならないでしょう。今、確信。(み)

リピーターを愛する男!

2005年12月04日 | 2005
香川県出身・・・大のうどん好きの本広監督がこの函館にやって来た。
「映画撮影中監督は、美味い食べ物の事ばかり言ってる事が多いんです」と語ったのはメガネを外すとやけに二枚目で、ドキドキしちゃうこと間違いなしの主演のムロツヨシさん。(彼は映画と同じようにタンクトップで登場してくれました。ブラボー!)
監督自身「丁度美味い物がある函館っていいなぁ~と、思っていたところを呼んで頂いて・・・」なんて嬉しいことを言ってくれます。
そんな本広監督の「サマータイムマシーンブルース」は下北沢の劇場で上演された劇団「ヨーロッパ企画」の芝居にほれ込んで、タイムマシーンをテーマに映画を作りたいとばかりに出来た映画との事。

そんな本作品ははファン心をくすぐる、
「きたなぁ~~~きたなぁ~~~本広監督ぅ~~~っ」と思えるものでした。
スクリーンのあちらこちらに張り巡らされたリンクの数々。
マニアックな監督・・・それが本広監督なのか・・・と思っていました。
ところが監督から聞かれた言葉は、リピーターを意識して作っているんだ・・・という言葉。
そうなんです。監督のファンをくすぐる映画創りの源は、ファンを意識して楽しいものを作りたいというサービス精神・・・。
しかも並々ならぬサービス精神の賜物なんだと気付かせてくれました。
ファンを、リピーターを愛する男・・・。
そこが映画に愛される稀な監督なのだと改めて思う。
そして監督の映画は誰よりもファンの心をつかんでしまう。
監督素敵です!

そんな監督は今回監督と初プロデュースを手がけたとの事。
その中で何よりも楽しかったのはキャステイングを思いのままに決めることが出来たことだとか・・・。
そして苦労というか不安にさせられたのは、自分の意見が何もかも通ってしまう不安・・・独裁者、裸の王様になってしまうかもしれない不安だと言う。
そこはファンの事を第一に考えてくれている監督ならではお言葉。

本広監督のそうした映画に対するものの考え方は、全てのものに愛着を持って接することにあるように思います。
なんたってこの函館での滞在も、何かを吸収するぞ・・・
というのが伝わってくる。
ムロツヨシさんを伴って食べ歩く予定を立てている本広監督のかわいさったら・・・半端じゃありません。
この函館を食いしん坊万歳風に食べ歩いてる監督とムロさんの姿が浮かんできて、思わずにんまりしてしまいます。

さてさて、そんな本広監督の次回作は映画の中で何度も登場したお店の名前に関係すると・・・監督が上映後、舞台でおっしゃっていまいしたね・・・。
もちろん・・・そこはインタビューさせて頂きました。
その作品のタイトルは「うどん」。「うどん」です!

その「うどん」に関連してこの場で問題を出させてもらいます?
映画に登場したうどん屋の正式な名称はどれが正しいでしょう?
「まついうどん」と「松井うどん」・・・・。
観たあなたは記憶をたどり・・・観ていないあなたは、
これから、チェックすることをお薦めします。
さ~~~~て、ドキドキしてきたでしょう?
リピーターを愛する男の術中に、まんまとひっかかってみましょう!(まつい)

名前を呼んで~ジェニファ

2005年12月03日 | 2005
 「呼ばれない名前は哀しい」
 親も無く呼ばれるべき名前を持たなかった少女と、親を殺し呼ばれるべき名前を失った少年。片翅だけでは飛べない蝶が半身を求めるように惹かれあう二人。石に変えられた少年の涙でいっぱいになった涙石の伝説になぞらえた切ない物語の中にも思わず吹き出すユーモアが散りばめられる。
 「切ないところは三枝健起監督のカラーで、笑いの部分が本来の今井雅子のカラーなんです。」
 今井雅子さんといえば「パコダテ人」をはじめイルミナシオン映画祭とは並々ならぬ縁がある人。
 今回の作品とは「パコダテ人」の前田監督絡みで出会ったという今井さん、「縁は信じるほうなんです」。
 今回は監督がアマゾン原産の、中にちゃぷんと水の入った本物の涙石まで持っていたというから驚く。確かに出逢っても縁がなければつながらない。
 本作でも突然、田舎の寺にホームステイにやってきたジェニファが膠着した周囲に波紋を広げ、何かが少しだけ変わってゆく。心を閉ざし道端に置き去りにされた涙石が隆志なら、波紋を起こす小石ジェニファもまた涙石。
 ジェニファが消えてしまう哀しいラストにはメールで「なぜ?」の嵐だったそうだが、「痛みと引き換えに無償の愛を教えるために来たことを表現したかった。」ということで消え案はA~Hくらいまであったとか。
 それでも、最後に羽ばたく蝶に、そしてエンドクレジットの後のワンカットに、見えないけれどそこにいる人を見出すだろう。そして思い出してほしい。
「名前があれば呼んでもらえる」ことを。(陽子)

マジやばい、まずい、困っちゃう!シンポジウムって?

2005年12月03日 | 2005
 美しい金沢の街並みとしっとりとした人々の営みを綴った、青山真治監督の「秋聲旅日記」。
 金沢のミニシアターと近隣商店街で企画、全国公募したシナリオから学生が映画を撮るワークショップで監督自身が撮ったのがこの作品。本作でもコンビを組む青山監督とたむらまさき撮影監督は10年来のパートナーで、来年1月末に次作の上映も決まっている。「エリ、エリ、レマサバクタニ」。神よ、なぜ私をお見捨てになったのですかというタイトルについて問うと、今の世界情勢そのもので、思わずつぶやきたくなる言葉だからと答えた。常に問題作を提起するシニカルとも思える姿勢、一見近づき難いスタイリッシュなルックスの下に、世界を憂える暖かい眼差しを見た。
 空港からまっすぐ会場入りした青山監督に無理を承知で函館の印象を聞いてみた。「育った町にあった路面電車が今も走ってるので、懐かしい気がします。」

 そして続く「田んぼdeミュージカル」。関係者の平均年齢は74歳、カメラマンは85歳!
 自分のおじいちゃん、おばあちゃんが頑張っているようで、最初はどきどきしながら見ていたのに、輝くばかりの笑顔にいつしか引き込まれている。ちらりと盗み見た撮影指導の崔洋一監督の横顔も嬉しそうで幸せそう。関係者だれに聞いても「楽しくやらなきゃ続かない。」地方発映画成功の鍵を既に手にしている。印象的だった昔の結婚式の場面。のし付きの一升瓶を持参し酒をもらう。後で伊藤好一監督は、昔の習慣、文化をも映画に残すことの重要性を熱く語ってくれた。

 短時間ながらも盛り上がったシンポジウム「映画を創る映画祭」から印象的な言葉をピックアップ。

 崔洋一監督:言い出しっぺは自分。商業映画でも否でも、やろうと言ったときから映画は始まる。うちのプロデューサーは人たらしで(笑)リクルートするけどケアもする。作りたいんだ、作るんだという気持ちを共有すること。自分の中に秘めるだけじゃいけない。立て!走れ!

 斎藤プロデューサー:とにかく老人パワーがすごい(笑)撮影はホームビデオ、振り付けは保母さんが12パターン用意、音楽は地元のバンドと地元の力で出来た映画。崔監督は年寄りには優しいけど自分だけはよく怒られてたので見ると涙がでます(会場大爆笑!)

 青山真治監督:「田んぼ」はヤバいですよ。日本中でやりましょう!とにかくやったモン勝ち!言い出してやっちゃったら最後までごまかして、次もよろしくってのが上手いやり方だけど、そこに達している斎藤さんは既にプロ。監督もカメラも僕より映画のことを知ってる、悔しいから年の功と言っちゃうけど(爆笑!)みんな映画のセンスを持ってるんです。まずいっすよ、やばい、困っちゃう!

 ってなわけで、やりたくてしょーがない人たちが集まって共感できれば何でも出来る!

 おまけ。「ヤバい」を連発していた青山監督、三次会会場ではギターを抱えて居眠りするも、その姿さえも様になり、居合わせた映画関係者からは羨望の眼差しが…。ほんと格好いいんです。ヤバいです。(陽子)