函館港イルミナシオン映画祭 会期中広報「イルプレ」

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内田監督の職人技「運命じゃない人」をナメンなよっ!

2005年12月04日 | 2005
 シナリオ。それってやっぱり映画の核だ。核であり、芯であり、中枢。錯綜した時系列を巧みに操り、一分の隙もない完璧ともいえるストーリー展開は、内田監督の揺るぎのない自信が伺える。なんなの、この強烈な引力は!緻密すぎるほどに計算しつくしたシナリオにはただただ唸るのみ。けれど決して難解ではない。むしろものすごくストレートに単純に観客に伝わってくる。随所にちりばめられた笑いの小技。これがまた痛いほどツボにはまる。天才ではないのか、この監督は!「面白かった」だなんて一言では決して片づけられない。面白すぎる。面白いの通り越して、わたしは一瞬天国をみた。昇天。

ということで、その「天才」内田監督のインタビューを公開します。

---現場を経験せずにいきなり監督をやられたとか?

そうなんです。何にもわからないまま監督をやることになりまして。実は助監督のサードも現場が初めてで、助監督のセカンドがサードに教えてるのを、僕が横で耳を大きくして聞いて勉強してました(笑) これが噂に聞くロケハンか!と心の中で思ったり。
 
---函館は初めてですか?

いえ、高校の修学旅行で一度きました。そのときは自由時間の間、ずっと映画を観てましたよ。「その男、凶暴につき」とか「メジャーリーグ」なんかを(笑)

---暴力を排除した作りになっていますが意図はありますか?

ヤクザさんて実際に会うと優しいんですよね、実は。僕たちは逆にヤクザさんのイメージというものをディフォルメして作り上げていると思うのですが、違う一面をディフォルメしたかったんですよ。

ここからはイルプレ班が独自に聞いた監督のインタビューです。

---高校在学時に映画を目指したと聞いていますが、きっかけは?

映画監督になりたいと思ったのは小学生の頃なんです。その頃から「将来の夢」は映画監督と言ってました。きっかけはジャッキーチェンの「プロジェクトA」のNG集を観たときです。でも本格的に決心したのは高校の時にチャップリンの「サニーサイド」という短編を観たときですね。

---この作品でもっとも苦労した点は?

予算がなくて、とにかく「削る」という作業が多かったこと。この映画の第一稿は、実は一晩ではなくて二晩の想定だったんですけれど、それをそのまま映画にすると、一億ぐらいかかっちゃうので、とにかく削りに削りましたよ。

---その削った部分を少しだけ教えてください。

宮田は実は合気道の達人という設定だったんです。自分からなにもしない人間だけれど、いざかかってこられるとめちゃくちゃ強いという。最後のほうではアクションも盛りこむつもりだったんですけど、これもバッサリ削りました。でも削ったことでスッキリして自分としては気に入っています。

---音楽もとても良かったです。

これは作曲家の友人が全て担当してくれました。映画が出来上がってからそれを観てもらい、曲を書いて、自ら演奏もしてくれたのです。今回は効果音的な音楽の使い方をしたかったんですよ。

---次の作品の予定などは?

いま脚本を書いているところです。漠然としたアイディアがあって、その辻褄を合わせていくといったスタイルでやってます。

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内田監督の言葉のセンスが好き。「電話番号をなめんなよ」シビレタ。
そして監督の小ネタが好き。「ナタデココ」「自転車のベル」「固まった手とつま先」「組長デンワデス」「タクシーの運転手さん」全てがツボだった。本編とは全く関係のないところで思いっきり楽しんでいる感じ、こだわった演出、台詞の印象力、わたしにとってはまさに日本のビリー・ワイルダー。今後、日本の映画の新しい流れをつくり出していくのは、まさに内田けんじ、この監督に他ならないでしょう。今、確信。(み)

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