函館港イルミナシオン映画祭 会期中広報「イルプレ」

函館港イルミナシオン映画祭開催期間中情報をリアルにお届けする「イルプレ」です。

第17回函館港イルミナシオン映画祭 イルプレブログ終了します!

2011年12月23日 | 2011
12月2日から4日の3日間、映画祭に来てくださった皆様
イルプレを手にとってくださった皆様
そしてこのブログを見てくださった皆様
本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

また、私たちの都合でブログの更新が遅れてしまったことを
お詫び申し上げます。

これで第17回本映画祭のイルプレブログの更新をひとまず終了とさせていただきます。

また来年お付き合いくだされば、幸いです。

最後に、今回のオープニング上映であった「僕達急行A列車で行こう」の
森田芳光監督が12月20日急逝されました。
森田監督は函館をこよなく愛してくださっており、
北海道を舞台にした作品を多数世に送り出しています。
今回の映画祭に来場することは叶いませんでしたが、
病をおしてメッセージを寄せてくださいました。
森田監督のご冥福を心よりお祈りいたします。

「監督失格」4日(日)金森ホール

2011年12月04日 | 2011
クロージング上映を飾ったのは平野勝之監督作「監督失格」でした。

この作品は平野監督自身のドキュメントであり、
アニメ・エヴァンゲリオンの監督としても有名な庵野英明さんがプロデュースしています。
また矢野顕子さんが音楽を担当し、主題歌を描き下ろしています。

この作品は35歳の誕生日前日に自宅で亡くなったAV女優・林由美香をめぐる、
二人の14年間にも及ぶ愛の記録です。

出会い、交際、そして由美香の死が日記のように残されています。
大切な人に贈る愛情やその喪失、死を目の当たりにした人の再生を描いた人間賛歌です。

ラストを飾る生前の由美香の言葉は
何度編集しても監督が「これだけは残したい」と思ったものでした。

上映後には来函なさった平野監督と寺脇研さんの対談が行われました。
由美香の死の後、監督は映像制作を一時中断なさっていました。
しかし、手元に残った由美香の死の映像を残さなければならないという使命感によって
この作品をまとめられたそうです。
当初「自分は由美香の死に張り付かれていた」と思われていたそうですが、
「自分が由美香に張り付いていたのではないか」と実感したそうです。

寺脇さんが
「この映画は監督と由美香さんののろけ映画ですよね」
と、言うと監督は
「まあ、そうですね」
と笑って答えていました。

ショッキングな映像もありますが、
監督の由美香さんに対する愛情が存分に感じられる作品となっています。

「寝盗られ宗介」 4日(日) 金森ホール

2011年12月04日 | 2011
今年7月に亡くなられた名優・原田芳雄さんを偲んで上映されました。

つかこうへいさんが自身作の同名喜劇を本作品のために脚本化し、
若松孝二監督がメガホンを握った作品です。
毎分ごとに笑いのポイントがあり、会場は爆笑の渦に巻き込まれていました。


上映後、若松監督とキネマ旬報の元編集長である植草さんのトークショーが行われました。

「思い出のシーンは?」という質問に対し若松監督は
「原田芳雄さん演じる宗介が女装して愛の賛歌を歌うシーンです」
とおっしゃっていました。

若松監督は次回作の「千年の愉楽」にも盟友であった
原田さんに出演をしてほしかったそうです。
残念ながら、それは叶わぬこととなってしまいました。
しかし、本作で宗介が着ている衣装を「千年の愉楽」にて
高良健吾さんが身に付けているとのお話があり、
若松監督の原田さんに対する思いが伝わってきました。


ぜひ、「寝盗られ宗介」を見た後「千年の愉楽」をご覧になってください。

篠原哲雄監督プログラム 4日(日) 十字街シアター

2011年12月04日 | 2011
「純子はご機嫌ななめ」 谷口雄一郎監督
 谷口監督は、過去に本映画祭のシナリオ大賞を受賞されています。
 本作は、「ジェニーはご機嫌ななめ」という曲から
 構想を得た、ポップな作品となっています。
 劇中の小学生はプロの子どもではなく、素人の子なのだそう。
 篠原監督のお話によると、「いろいろ省略はされているが、
 とても丁寧に撮られているので、よく見れば細かいこともわかる
 作品になっている」とのことでした。

「惑星のささやき」 澤田サンダー監督
 昨年シナリオ大賞を受賞した澤田サンダーさんの初監督作品。
 とても静かで、スローなテンポの作品になっています。
 物語の鍵となる「星」の形をした石にはかなりのこだわりが
 あったそうで、現在も澤田監督の家にあるそうです。
 澤田監督は2007年に「幼なじみのバッキー」という絵本で
 岡本太郎現代芸術賞に入選しており、「受賞の折、母親に
 他の受賞者の方に謝りなさいと言われた」と会場を沸かせていました。
 
「柔らかい土」 篠原哲雄監督
 約3分という非常に短い映画です。
 篠原監督はこの作品について、
 「震災で傷付いている人たちに対して、同じ立場でいる人より
 むしろ外野の人のほうが勇気、元気を与えることができるのでは
 ないかという印象を受け、この作品を作ろうと思った」
 とお話してくださいました。

「深夜裁判」 篠原哲雄監督
 3月11日、大地震のあった日の夜に結ばれた男女が起こした
 裁判と、それをとりまく人たちの人間関係を描いた笑いあり、
 エロスあり、そして驚きありの作品です。
 篠原監督によると、「僕の周りに実際に、震災で同じようなごたごたが
 あったカップルがいて、その人たちをモデルにこの作品を撮った」
 のだそうです。
 本作には個性豊かなキャラクターがたくさん登場します。
 それは、監督が「あいつは一見○○そうだけど、実は××だよね!」
 という風に、キャラを立たせていったからなのだそうです。

「KAMACHOP」 4日(日) ふるる函館

2011年12月04日 | 2011
映画祭最終日、ふるる函館にて「KAMACHOP」が上映されました。
本作品は、もっともパンクな映像集団「革命トマト」の
記念すべき初の長編作品となっています。

宿命を受け入れていく人間の心情を綴った
「シューシュポスの神話」をモチーフに、
他者との意思疎通が希薄になった現代社会における
愛と宿命を描いたシリーズ第1作。
ボンクラ幽霊コンビ「カマチョップ」が日常の愛の事件を解決する
オフビート・ヒューマン・ドラマです。

上映後、「革命トマト」の旗揚げ人であり、「KAMACHOP」の監督でもある
松本庵路監督がゲストとして登場しました。
カマチ役を演じている鎌地広行さんは、
監督の双子の弟であるとの話も飛び出しました。
松本監督が行く居酒屋は役者さんもよく現れるそうで、
その方達と映画の話をするそうです。
それがきっかけで、大森南朋さんや桐谷健太さんの出演を
決めることができたとのことでした。

なお、現在は続編を執筆中だそうです。
カマチとチョップの新たな活躍に期待しましょう。

「津軽百年食堂」 3日(土) 金森ホール

2011年12月03日 | 2011
映画祭2日目の最終上映は、「津軽百年食堂」でした。

津軽にある蕎麦の店「大森食堂」を舞台に
後継ぎ息子の葛藤を描いた作品です。

上映後、大森一樹監督がゲストとして登場しました。

大森監督のお話によると、
劇中の東京のシーンも弘前で撮影をしたそうです。
その際、東京らしさを出すために現地で集めたエキストラさん達に対して
そのシーンでの津軽弁を禁止したとのことでした。

弘前出身の方にとっては、桜祭りをはじめとした、
懐かしい風景も楽しむことができると思います。
青森に愛着のある方はもちろん、青森を訪れたことのない方でも、
心がほっとするような暖かい作品ですので、
ぜひご覧になっていただきたいです。

また、この作品が初めて上映されたのは震災後で、
初公開から半年以上経った今でも全国各地で公開されています。
大森監督は「この映画が東北地方に住む方々の何らかの力になっていれば」と
仰っていました。

「マイ・バック・ページ」 3日(土) 金森ホール

2011年12月03日 | 2011
川本三郎さんが自身の体験を記した著書を、
山下敦弘監督が映像化。

1969年、新聞社で週刊編集記者として働く沢田は、
激動する“今”と葛藤しながら日々活動家たちを追いかけていました。
そして1971年、先輩記者とともに活動家・梅山と接触します。
沢田は梅山に疑念も抱きつつも、不思議な親近感を覚え、
次第に彼の行動を追うようになります。
そんな中、「駐屯地で自衛官殺害」というニュースが
沢田の耳に飛び込んでくるのでした。

上映後、原作者の川本さん、本作に出演しているあがた森魚さん、
そして元キネマ旬報編集長の植草さんの対談がありました。

川本さんは、
「過激派と呼ばれる存在が出てきたことによって、
ジャーナリズムが難しくなってきた時代だった。
つまり、彼らが本当に思想を持った人間たちなのか、
それともただの殺人犯なのか、その線引きが難しくなって
きていたんです。
ジャーナリストはその線引きを求められますが、
それは正解のない世界なんです。しかし、正解のない問題に
直面するというのはその当時のことだけでなく、ジャーナリストにとっては
いつの時代もありえることなんです。」
とお話してくれました。

また、当時の音楽も話題にあがりました。
その当時はボブ・ディランの歌が若者たちの
原動力となっていました。
とにかく音楽が大きな力を持っていて、
川本さんのお話によると、
劇中で沢田が梅山に興味を持ったのも、梅山が
沢田の好きだったCCRというバンドの曲を
ギターで演奏したからなのだそうです。

マイ・バック・ページの時代背景は暗く殺伐としたものではありますが、
その時代にも楽しいことはあったのだとお話ししてくれました。

そのような雰囲気も感じ取れる作品となっていました。

「天皇ごっこ」 3日(土) 金森ホール

2011年12月03日 | 2011
本作は激動の時代を駆け抜け、自死を選んだ作家・見沢知廉の
実像に迫るドキュメンタリー映画です。

新左翼から新右翼へと身を転じ、
スパイ粛清事件で服役中に書いた小説「天皇ごっこ」が
新日本文学賞を受賞して、一躍時代の寵児となった見沢知廉。
その見沢にゆかりのある方へのインタビュー映像や、
実際の闘争の映像が流れる衝撃的な作品でした。

上映後、大浦信行監督と小林三四郎さんの
トークショーが行われました。


大浦監督は本作を作った動機として

「僕の中にある時代に適応できないという焦燥感が
見沢さんと共通していると思う。
そのため、見沢さんに自分と近いものを感じる。
彼をたどっていくことで自分自身の中におりていくことができ、
自己確認にも繋がると思った。
また、現実に伝わっている見沢知廉像とは
違ったものを映画の中で描ければと思った」

とおっしゃっていました。

「ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦」

2011年12月03日 | 2011
3日目、金森ホールでの一本目を飾ったのは『どーばーばばぁ 織姫たちの挑戦』でした!

この映画は下は54歳から上は67歳の6人の女性が、世界一難しいといわれている
ドーバー海峡横断リレーをチャレンジするというドキュメンタリーです。

一人一時間の遠泳を繰り返し、水温14℃前後の中
イギリスのドーバーからフランスの岬まで泳ぎきることの全体の成功率は6割にしか満たないといわれおり、
ましてや5、60歳の女性にとっては非常に困難なことです。
しかし、そんな挑戦に成功したのは「ドーバー海峡横断」という目標に向かって
やり遂げようとする気持ちが一人一人のメンバーにあったからだと思います!

日本での練習は、暖かい海で1時間の水泳や
本番に近くなるとドーバーの水温に適した川で練習していました。
練習中に冷たい水温に体力を取られ、筋肉が硬直してしまったり、
足がつってしまうことがしばしばありました。

そんな時もメンバーと支えあい、一人ひとりの粘り強さが見られました。

ドーバー海峡を泳ぐためには、水温や波が適した水準にならなければ泳ぐことができません。
そのため、イギリス滞在期間2週間と限られた中、イギリスに着いてもなかなか泳ぐことができませんでした。

ドーバー海峡横断当日、AM6:45 リーダーの大河内さんからの出発でした。
時には波が激しくなったり、行く方向が違っていたりしていましたが、
PM9:04に無事到着しました。
14時間のリレーの中、メンバーやコーチが泳いでいるメンバーに対して
ずっと声をかけていました。
最後の最後まで、諦めることはしませんでした。

無事着いたときにメンバーが肩を寄せ合い、
お互いを讃えあっていたシーンがとても印象に残りました。

当日は中島久枝監督と6人の女性の2人、
リーダーの大河内さんと最年長の原田さんが来場されました。

中島監督はこの映画を撮る際に客観的に撮ろうと意識していたことや
2年半織姫たちを撮り続けたこの作品に対する気持ちの強さを伝えて下さいました。

大河内さんはリーダーとしてメンバーを支えてきたことや、
ドーバー海峡横断中右肩の腱を切っていたことなど
ドーバーにかける気持ちが伝わるようなお話をして下さいました。

原田さんは怪我を乗り越え、一度はドーバーを諦めることも考えましたが、
最年長としてドーバーに挑戦した意気込みなどを話して下さいました。

また来年に対馬海峡横断を企画されているそうです。
これからの織姫たちの挑戦が楽しみですね!

人は挑戦することを忘れてはいけないということを伝えてくれた映画。

天の川 夢という彦星にかけるおばちゃんパワー

そんな勇気を与えてくれる映画を皆さんも観てみませんか?

「赤い夕陽の爺yulie(ジュリー)」 3日(土) クレモナホール

2011年12月03日 | 2011
シリーズ作品1作目「田んぼdeミュージカル」から10年、
本作品は4作目になります。
出演者の平均年齢は78歳。
中には80代の女性がホステスを演じているシーンもあります。

この10年の間に亡くなってしまった仲間たちに捧ぐ、
渾身の1作になっています。

上映後、斉藤征義プロデューサー、
本作で悪役のボス・デイモンを演じた宮田さんをはじめ、
田んぼdeミュージカルのスタッフの方々がお話をしてくれました。

斉藤プロデューサーは、
「出演者のお年寄りたちは映画を撮っている間すごく元気になる。
彼らは映画にでることが楽しみで仕方がないんだ。
中には、撃たれて倒れる役をやりたがる人もいるくらいだから。」
と、お話していました。
宮田さんは、
「この映画の中では、70代なんてまだまだニューフェイス。
私ぐらいの歳ならアイドルだよ。」
と言って、会場を沸かせていました。

北の大地のお年寄りたちから元気をもらえる、そんな作品です。