函館港イルミナシオン映画祭 会期中広報「イルプレ」

函館港イルミナシオン映画祭開催期間中情報をリアルにお届けする「イルプレ」です。

十字街ショートフィルム・セレクション&かわなかセレクション

2009年12月06日 | 2005
十字街ショートフィルム・セレクション&かわなかセレクションでは、かわなかのぶひろ監督がチョイスした作品と十字街シアターのチョイスした作品が放映されました。

かわなか監督の「個性的」であることが大切だという言葉に、近年の映画事情について考えさせられました。今回の作品はどれも個性的でユーモアにあふれており、特に古本恭一監督の『わたしのいえ』は印象的でした。タクシー一台、男一人、女一人であそこまで物語が広がるとは思いもよらず、古本監督の個性のすばらしさをひしひしと感じました。

ついにきちゃったインディペンデント最終日

2007年02月27日 | 2005
ネバーギブアップル
とねりに引っ越してきた子に一目惚れ→付き合う→リンゴの銘柄で大喧嘩、破局→夢落ち→学校に行くと夢で出てきた子が自分の親友の知り合い→アプローチをかけるか迷っていたら親友が告白→夢落ち→親友と買い物に出かけているときにまたその子に会う→友達と別れこそこそその子に会いに行く→そして二度の夢落ちを経てむすばれるというストーリー
山形の映画祭に出す作品の条件が東北というテーマだった
青森に行ったときにリンゴ娘。というユニットの印象がかなり大きくリンゴを前面に出した作品にしたと須藤さん
とってもテンポがいいなぁーって印象でした。
未来大がふんだんに使われていていくつも見覚えのある場所がでてましたよー(笑)

あなにやし
おばあちゃんが亡くなり、あんまり関わりがなくて仲が良いわけじゃなかったからこそ映像をとってみたら愛おしい存在になるかなーっておもったのがとるきっかけになったそうです
タイトルの意味はなんて素晴らしいという古語で、これが見れたらいいなとつけたそうです。作品の中で何人かで会話してもらってたり、火葬場での骨拾いの場を撮ってそれをつかったりしてました。
感想は結構ぐろいなーって思ってたんですが、でも鮮やかなところはグラフィックとかがすごくきれいで少しギャップを感じつつもでもそのギャップがあなにやしでした。

とげとげのさぼてんのとげ
元彼が結婚するから、違う元彼に愚痴を聞いてもらう話
すごく日常に近いんじゃないかなぁーって思ってみてました。
最後の結婚する元彼との思い出の家が駐車場になってたところは自分だったらすごくへこむだろーなって考えてました。
でも話を聞いてくれる人がいるって言うのはいいことですよね。

かわなかのぶひろ作品集
時の絵
ミャンマーで撮ったものを作品としたものです。
ビデオに撮られている現地の人がみんなかわなかさんに対して笑顔でいるのが印象的でした。
かわなかさんは、どんな風に撮られているかモニターを相手に向けてとったからみんな笑顔をしてくれていた。フィルムではできないことだといっていました。
映像書簡10
自分の入院生活をとったものでかわなかさんの日記みたいでした。
映像書簡9でもいっしょだった萩原朔美さんと共同で作っているのですが、映像で会話しているようにも見えました
胃カメラの最中もカメラを回し、先生に怒られる一面も(笑)
かわなかさんは「自分の胃を撮ったやつはいないだろう」と少し自慢げでした。

最後にアップが遅れたこと深くお詫び申し上げます。

美式天然 インタビュー

2006年12月02日 | 2005
 一向に少年が無声映画「美式天然」の最終巻を砂浜に埋めるシーンが出てこない。予想していた展開が見事に裏切られた気がした。

 この映画は、少年が老人になり、そして彼の記憶の中の映画館で「美式天然」が上映されていく。老人の記憶の中の「美式天然」は彼の理想の結末が描かれていた。
 また、昭和の時代がカラーで、現代がモノクロで表現されていた。「普通は昭和の時代がモノクロでしょ」なぁんて勝手に思っていた私。しかし映画を観ていくとこの私的逆転現象の理由がなんとなくわかる気がした。人は誰でも鮮やかな記憶を持つだろう。でもそれがいつかはそれぞれ違う。現代こそ鮮やかな世界では決してない、そんな当たり前のようなことをこの「美式天然」でさらに強く思う。
 各シーンでは、あのりんごの皮むきは何テイク重ねたの?もしかして監督に似ている人がいる?と感じる場面が。

 この「美式天然」を制作した坪田拓史監督は上映後のトークショーで「日本であまり知られないまま40年このままでいようかと思った。」「勝手に作っちゃった作品。」だと監督はおっしゃっていたが、そこはやはりトリノ国際映画祭でグランプリをとった作品。それぞれに感じるものがあるからこそ日本でも上映されたのだと思う。

 監督はさらに新作「アリア」を7分間に編集したものを公開してくれた。この作品も海外の映画祭に出品されるそうだ。この「アリア」もぜひ日本で観られたら、と思う。
(もん)

三年身籠る インタビュー

2006年12月02日 | 2005
2日目最初の上映となった『三年身籠る』。
1日目のオープニングパーティーにも参加していただいた唯野未歩子監督と日下部圭子プロデューサーがゲスト出演。
これは今年の映画祭の最初のラインアップにあがった作品です。なんと4月にすでに決まっていたとか・・・。

監督は「動物の赤ちゃんが産まれてからすぐに立ちあがれるように、人間もそうであったら母親の育児が楽になるのではないかという発想からこの映画ができあがった」、プロデューサーは「脚本を読んだとき、本当の結末は母親が子どもを産んだときに死んでしまう予定だったが、せっかく産んだのだから育ててほしいということで、穏やかな内容に直した」と映画について話しました。
作品の撮影期間は4週間。
『映画はシナリオ』だと言う監督は約2年間で20稿書き直しをかけたとのこと。
現在小説にもなっていて、これは1年かけて執筆されました。
映画は主人公である冬子の家族について描かれており、小説は冬子とその姉妹の男性関係に焦点を置いて描かれています。
11月21日にDVDも発売されました。

「映画に出てくる料理のレシピは実際に自分で作ってみて、それをベースにして作りました」と唯野監督。
映画には数多くのおいしそうな料理が出てきました。
唯野監督は映画を撮るとき、「すぐに本番に入りたいんです。どうしてもテストはしなきゃいけないんですけどできるだけやりたくない」と言います。
現在は講談社の雑誌に短編作を掲載しているとのこと。

☆インタビュー☆
監督「函館に来るのは今回で2回目です。前回の映画祭の時には役者という立場で呼んでもらいましたが、今回は監督という違う立場で呼んでもらってうれしい。私自身、出産を経験したことはないけれど資料で調べていくことは楽しかった。現在、自然に産むということが見直されてきて、夫と協力して出産や子育てをすることが必要になっていることを知った。」
プロデューサー「明るい人をと主演に選んだ中島知子さんは利口で聡明な人。そういうところは監督に似ているかも(笑)下を向いたときに伏せるまつげの感じがいかにも冬子を思わせていた。」

映画祭を見に来てくれたみなさんへ。
「朝早くから、しかも雪の降る中、こんなにたくさんの人が来てくれてうれしかったです。こういう場所でやる映画祭はめったにないのでいいと思います。北海道は寒くてもみなさんはあったかくて良い人たちでした。」
(浜)


「世界は~」御法川監督インタビュー

2006年12月02日 | 2005
 御法川監督の函館凱旋作品となった『世界はときどき美しい』
 「前回の映画祭に参加した時に、函館ではとても良い時間を過ごすことが出来た。5部ある作品のうち、一つは函館で撮りたかった。」トークでそう語ってくれた御法川監督。西プロデューサーも「電車止めを行ったのは初めてだった。しかし市民のみなさんのおかげで、スムーズに撮影が出来た。良い時間をもらった皆さんへのお返しの思いで作った。」と語ってくれた。
 
 全体を通し、5部構成となっている本作品では、「オムニバス形式の映画ではなく、一冊の本のような、ページをめくるとき、その音がするような作品を作りたかった」と監督が話すように、全体を通して人が生きて生活していく中で、必ず辿り着く「切なさ」を、5人の主人公を介して描きあげている。
 
 お客さまからも「第4部では函館がとても素敵な町に描かれていて、そのインスピレーションを感じることができた。」「自分が生きているっていうことはこういうことなのだ、と感じた。」など、様々な感想を聞くことが出来た。中でも「第2部の中の、グラスで氷が回る音や、主演の柄本明さんの声の響きが良かった。特にコースターからグラスが離れる音には鳥肌がたった」と言う感想には、御法川監督も驚いている様子で、その『音』に関する撮影の秘話を話していただいた。


☆インタビュー内容☆


2年ぶりの函館での映画公開ですが、変わったなどの印象などはありますか?

―特にありませんね。だけど、撮影とかでお世話になった人や、以前に来たときからの知人に「やぁ!」と言えるのは嬉しいですね。

私的なことなんですが、自分は第3部が一番好きなのですが、第3部で見られる黒い背景と自動販売機やお寺の描写には、なにか狙いがあるんですか?

―まず、いろんな見解があって面白いね。第3部は設定が彼女の部屋。それを抽象 的に描いてみたんだ。そしてその中で彼女の意識が、近くの自動販売機にいったり、遠いインドのお寺にいったり、その様子を表現してみたんだ。

キャストについてなのですが、松田龍平さんと松田美由紀さんはご家族で、それぞれの物語の主演をやられてますよね?これはなにか狙いがあったんですか?

―それはまったく無いです。以前から松田美由紀さんの演技が好きで、若い人が出来ない演技をみせてくれるじゃないですか。それで今回演じてもらいました。お二人はまったく別の、一人の役者さんとして演じていただきました。


東京での公開を前に、先行的に公開された本作品は、多くの人々の心に足跡を残していったように思える。これが東京だけでなく多くの都市で人々に見られてほしいと思う。 (川又)

開会式☆

2006年12月01日 | 2005
17:15からあがた森魚さんのギター演奏で開会式が始まりました。開会式前には入り口に多くの人が並び、今年の始まりを心待ちにしているようでした。
演奏前にあがたさんは「このまちへの愛着からこの映画祭に参加させてもらうことになりました」と話し、演奏がスタート。

米田哲平実行委員長の挨拶の時には約20人の実行委員がキャンドルを手にステージへ。
同時にシアターのカーテンが開けられ、窓一面にははこだての夜景が輝いていました。

米田実行委員長は
「こんばんは。今年もはこだてイルミナシオン映画祭へようこそ。はやくも今年で13回目を迎えました。毎年足を運んでくれる皆さまに大変感謝しています。これからも皆さまの力を借りてこの映画祭を続けていきたい」とあいさつしました。 
 

講演『コミュニティ・シネマ、そして映画祭』中島洋さん(シアターキノ)

2006年12月01日 | 2005
毎年、函館の映画祭には来ているが今年は初めて話す側として参加しました。
国内、海外含めて映画祭にはよく行きます。夕張にも毎年参加していました。
その中で映画祭の魅力を強く感じます。

実は昨日、米田さんから事前打ち合わせの誘いが入っていたのですが、昨日はシアターキノでレディースデーだったために来ることができませんでした。
函館にはJRで先程着きました。

今年シアターキノで上映している私のベスト1である『麦の穂を揺らす風』はとても素晴らしい映画だと思います。だけど、映画を見終わったあとには、観客はみな下を向いて帰るんですね。とても良い作品なのにこのような反応だとどう宣伝するかということになりました。
まさかこんなにヒットするとは思わなかったのでこうなったのは、かなりのレベルの作品だと感じます。

しかし、混むことを予想していた昨日のレディースデーはそんなに人が入りませんでした。
土日は混んでいたので昨日も混むことが予想されたのに何故なのでしょうか。
そう考えたとき、一般に知られている作品の上映時にはシアターはパンクします。

理由はまず一つ目にテレビなどでおすぎさんが宣伝していたり、何度もCMなどで宣伝されていたりすることから話題性を作って持ち出されるパターンがあること。

もう一つは、映画を本気で見たいという映画ファンがレディースデーなど、人が多く入る日を避けて見に来ていること。この話題性でとりあえず見てみようという宣伝の影響と映画をとにかく見たいという人たちの層が分かれていることがわかりました。

先日、NPО団体で中学生と映画についてのワークショップを行いました。そこで知りあった中学生に映画館の利用や映画をどれだけ見るのかを聞いてみました。
最近の子どもは、映画館利用はアニメなどを小さいときに見たくらいで他の有名な作品はDVDで借りるのがあたりまえになっているのが現状です。

今の時代、生まれたときにはケータイ社会、メールでの通信という社会の中で、子どもたちに手紙の必要性をどう教えようか。
インターネットは、今までの映画流通を大きく変えることになるでしょう。
音楽業界ではi-podがあたりまえになったように、みんなが同じ場所に集まって一つのものを見る映画館よりこれからDVDやインターネットが先に作っていくことになるのではないだろうか。
映画館よりもDVDの売り上げの方が高い現在ではネットなどで映画が発信される映像文化になっていく可能性があると考えられます。

You Tubeが広まったのは、有名な作品から古い作品、マニアックな作品まで見ることができます。
シアターキノでは年間150本の映画を上映しています。その多様性が今後ネット上に移行していくが、その時の映画館の役割は何かというと、地域(コミュニティー)との連携です。ミニシアターの独自の企画力と地域との連携で存続していかなくてはならない。私たちの企画力で本当に届けたいものは何か、本気で伝えていくものは何か。

それは日常的にやっていけるもの、映画祭のような要素のものが必要になってきます。
このはこだてイルミナシオン映画祭でも、この三日間だけが祭ではないのです。
日常的な通年のものにするべき。トータルな意味での祭である必要があると思う。

コミュニティーシネマとして、北海道に多く存在するシネマをなんとか活用したい。そのために現在ではメーリングリストで意見を交換しあい、行政に提案するネットワークを考えています。
映画という文化は私たち映画にかかわる人間には衣食住の次に大切なもの。映画を糧にしてこれからの映画文化を続けていきたいと思います。

クロージングは究極の愛です!

2005年12月07日 | 2005
「VITAL」…。
辞書で調べてみるとその意味は、「生命の、生命に関する」と明記されていた。
うむむ…なるほど。
塚本監督の「ヴィタール」はその映像や手法とは裏腹に、
根底のあるのは「愛」なのだと気づかされた。

「ヴィタール」それは「愛」の映画でもあり、そして「喪の仕事」の映画でもある。
しかもそのそれは恋人を解剖する・・・という究極の「喪の仕事」なのだ。
喪の仕事・・・・。
人が亡くなった後、私たちが最初にしなければならない事・・・
それはその人の死を受け入れること。
医学生の博史は恋人の解剖を通して・・・無くなった記憶を思いだし
そしてその彼女を死を受け入れ始める。

恋人の体を解剖する・・・それはある意味とても静粛で厳かな行い。

都市と肉体をテーマに撮り続けてきた塚本監督は、
ここに来て自然を取り入れ始める。
「今まで都市ばかり撮っていたので、自然を取り入得るのはテレがあります」
監督はそんな事を言っていた。
照れ屋であるからこそ、こんな愛の映画が創れるのかもしれない。

今回はこの撮影に向けて、2ヶ月にわたり解剖の現場を取材したという監督。
監督業ほか、製作、脚本、撮影監督、美術監督・・・
と、何から何まで全てをこなしてしまう監督に、そこを聞いてみた。
その答えは「自主上映の頃からやっているので・・・」と、淡々としたもの。
でもそこには絶対に監督のこだわりがある事を観客は知っている。
監督の作品はどれも皆塚本作品だとわかる、色濃いものなのだから。

そんな塚本監督の9作目である次回作は49分の短編「ヘイズ」。
予告編を上映してもらったものの、観ただけでは解らない・・・。
「狭いところから、逃げ出そうとする映画です」と注釈をつけてくれた監督。
何やらまた塚本監督の面白い作品を観られる事になりそうです。

そうそう最後に、この映画で主役を務めた浅野忠信が生まれた病院がなんと
この映画で使われた病院(今は廃病院)だと言う事をお知らせしておきます。
何かしら因縁めいたものを感じますねぇ~~~。

Wanted!!ムロツヨシを探せ!!

2005年12月07日 | 2005
【函館】映画「サマータイムマシン・ブルース」に出演の俳優ムロツヨシさんが12月3日午後10時ころ牛頭バー(はこだて写真図書館1階)に訪れていたことが6日までに明らかになった。
目撃者によると,牛頭バーの階段付近で見覚えのない人物に遭遇。ゲストパスを下げていたことから当日のゲストと推察されたが舞台挨拶等で同人物を現認していなかったため不審に思ったという。本人に接触の上,確認したところ,舞台挨拶で着用していたタンクトップ(映画撮影時も着用)の上にパーカを羽織り,眼鏡を外していたことが判明。変装し周囲の目を欺いて行動していた模様。化粧を落とすと別人になる女性は多いが,衣装を変えただけで別人になる男性は稀有であり,ガラスの仮面の北島マヤ同様「千の仮面を持つ男」としてさらなる警戒,監視が必要である。関係筋によれば,来る12月10日土曜日フジテレビ系列の踊るレジェンドドラマスペシャル「逃亡者・木島丈一郎」出演までの行動はつかめているが,実際ドラマの中で発見できるかどうかは危惧されるところである。その後の足取りは不明。当局は目撃情報を募っている。(陽子)



サーファー大杉漣さん、いよいよ登場!

2005年12月06日 | 2005
50代で定年退職後、突如としてサーフィンを始めた男を演ずるため、同じく50代でサーフィンを始めた俳優大杉漣さんが、いよいよ登場!朝早くから列に並び、整理券を手にしたお客さまだけが聴けた大盛り上がりトークに加え、イルプレ班が独自に聞けたインタビューを交えてお送りします!

---40代では田口トモロヲさんに誘われてギターを、50代では本作でサーフィンを始められた大杉さん、60代では何を始めるんですか?

出会ったときが始めるとき。始めると結構凝るほうなので、今、プロフィールには、趣味サッカー、テニス、手裏剣(会場どよめき!)、あと小さくサーフィンって書いてます。

---50代でサーフィンというのもすごいですよね。

最近は年をとられてから始める人も結構多いみたいで、映画をきっかけに始めたという手紙もいただきましたよ。

---今回の映画でご苦労された点は?

僕、サッカーやってるんですよね。生まれが四国の徳島で海のあるところで育ったので、海には馴染みもありましたし、体力的なところで過信してた部分があったのは事実で。でもパドリングってありますよね、あの海ガメの産卵みたいなやつですよ。あれからしてもう全然できなくて。ですからある意味ドキュメンタリーの要素を含んだ映画になっていると思います。

---どのくらいでサーフィンを習得されたんですか?

今まで一度もやったことがなかったんですよ。本当はある程度練習してから撮影に入りたかったんですけど、スケジュールが合わなくて、種子島に入ってから現地の方に教えていただきながら練習を始めました。もうぶっつけ本番ですよ。種子島にいた二十数日間で、あそこまで乗れるようになりました。ボードの上に立つシーンで、監督はスタントを使うことも考えていたようですが、僕は絶対に吹き替えは嫌だったので、立てたときには本当に嬉しかった。あの表情はその気持ちが十分に出てるんですよね。

---今回は大杉漣初主演ということで報道されていましたが。

いや、本当は他にもあるんですけどね。けれど主演でも、そうでない作品でも、役作りのスタンスの違いはあっても、演じることに対する姿勢や、目線の置きどころは全く変わらないです。

---この作品の持つテーマとは?

会社を中途退社した米倉が人生をどんなふうに生きていこうかと思ったときに、亡き妻の言葉を思い出して、「そうだ、サーフィンをやろう」と思ったこと、それが大事なんですよ。ささやかなことでもいいんですよね、例えば散歩するとか。与えられたものではなく、待つことでもなく、自分でなにかを見つけるということ、「気持ちの一歩」をどう踏み出すかということが大切なのだと思います。

---その後サーフィンは?

僕、さっきも言いましたけど、サッカーやってるんですね。だからそちらのほうも忙しくてなかなか。でもやりますよ! 趣味の欄に小さく「サーフィン」って書いてることですし、自分に示しがつかないので(笑)もちろんボードもウェットスーツもちゃんと持ってますしね。

---サッカーのことを少しお聞かせください。

サッカーは「鰯クラブ」と言って、100名くらいメンバーがいるんですけど、もう15年くらい続けてます。職業も年齢も関係なく、ひとるのボールを追いかける。オフタイムの過ごし方としては最高ですね。僕たちの息子も同じチームにいて、その息子たちに「しっかり蹴ろよー」なんて怒られたりするのがまた快感だったりするんですよね(笑)

---函館の印象は?

僕の兄の奥さんが函館の人なので、とても馴染みがあるんです。情緒があるし、食べ物は美味しいし、函館の言葉もなんとも言えない味わいがあっていいですよね。でもこの仕事をして思うことは、出会いであったりとか、縁だったりとか、そういうものがとても大切だということ。こうしてこの映画祭と一本の糸が繋がったわけですから、どんどん拡げていきたいですね。もう二回でも三回でも来ますよ!

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このつたない文章では雰囲気が伝わりにくいと思うのですが、大杉さんの華麗なるトークに会場は爆笑に次ぐ爆笑!こんなに笑ったトークは初めてじゃないかしら?というくらい熱気あふれた時間を共有させていただきました。「たくさんご来場下さってありがとう、よっぽどヒマなんですね、みなさん他にすることないんですか?(笑)」とおちゃめな台詞を後に、観客の皆さんと握手をしながら会場を大回りして退場していただきました。イルミシオン映画祭始まって以来です、このような大サービスは!この大杉さんの心の温かさにスタッフもお客様も大感激。大杉さん、ありがとうございました!来年も再来年もぜひいらしてくださいね!次は凍っていないイカソーメンを用意しておきますので(笑)