【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【ウイワットの友情】

2007年06月25日 | アジア回帰
 浮きが、ぐいと沈み込んだ。

 竿をあおると、ガツンという手ごたえがあった。

 リールを巻くと、ずっしりと重い。

 岸に近づくに連れて引きが強くなり、竿先がきしむ。

 強引に引き上げると、なまずのような顔が水面に現れた。

 だが、茶色の背びれや尾びれは鮫のように大ぶりで、体長は60センチくらいはあるだろうか。

 空気を吸わせて弱らせようと試みたが、なかなか抵抗をやめない。

 やっと岸辺に寄せると、ウイワッが魚体を引き上げ針を外した。

 そして、魚を水に戻した。

 てっきり、持ち帰って料理するものと思っていたら、なんと“キャッチ・アンド・リリース”である。

「逃がしてやるのかい?」

「ああ、俺はいつも釣って楽しむだけだよ」

「ふーん、俺もその方が好きだな」

 ここは、ウイワットの自宅近くの釣り池である。

 池の向こう側には膨大な数の建売住宅が立ち並んでいるが、手前には田んぼやいわゆる“鎮守の森”が広がり、まだ自然が色濃い。

 岸辺に敷いた茣蓙の上では、ウイワットの3歳になる娘が錘の箱をガラガラ鳴らして元気に遊んでいる。

 彼女はすっかり私になついて、しきりにじゃれかかってくるようになった。

「キヨシにも娘ができたね」

 ウイワットはそう言ってくれるのだが、実は私のことを“クンター(おじいさん)”と呼ばせて、喜んでいるのである。

 池畔に、涼やかな風が吹き抜ける。

 釣りの合間に、私たちは辛い辛い豚肉のカレー和えともち米を食べ、移動コーヒー屋が売りにきた甘い甘いコーヒーを飲んだ。

 昼過ぎに2匹目が釣れたが、その後はぴたりと食いがとまった。

 ウイワッに用ができてひとりになったので、ラーに電話をかけた。

     *

「キヨシ、どこにいるの?」

「池で魚釣りをしている」

「え?私も釣り好きなのは知ってるでしょ?どうして、誘ってくれなかったの?」

「だって、ウイワットが俺だけを家に招待してくたんだから仕方ないよ。今日は奥さんの妹の誕生日で、夜にはパーティーがあるらしいんだ。初めは、家族みんなでナムトック(滝)に行くと言ってたんだけど、奥さんがパーティーの準備で忙しいから、娘と3人で釣りに行くことになったらしい。彼は英語がほとんど離せないから、詳しいことはよくわからないけど・・・」

「今朝会ったとき、ウイワットはわたしに何も言わなかった。最近、彼は私のことを嫌っているみたい」

 確かに、ウイワッはラーを嫌い、意識的に私から遠ざけようとしている。

「キヨシは家族同然だから問題ないけど、ラーは家族には会わせられないよ。煙草を吸うし、とても行儀が悪いからね。それに、彼女はいつもキヨシのお金を当てにしているだろう?英語もうまくて、とても賢いけど、それだけに危険だよ」

 確かに、ラーは大学に通い始めた甥っ子に金を注ぎ込んで、自分自身はからっけつだ。だから、絶交するまで、飯代や酒代はいつも私やエレンがもっていた。

 ウイワット自身はとてもお金にきれいで、彼と飲み食いするときはいつも割り勘だ。いや、むしろ自分のほうが多めに払おうとする。

 だからこそ、その様子を仔細に観察して、ラーを私から遠ざけようと決めたらしい。

 今朝も、私の部屋で彼とラーが鉢合わせしてしまったのだが、日本語を教わろうとするラーの眼を盗んでしきりに私に目配せをして、「早く家に行こう」と誘い出したのだった。

    *

 実は、昨日からラーの村をたずねる予定だったのだが、彼女がIDカードや財布、ATMカードなどの貴重品をなくしたために、村行きは中止になってしまった。

 そこで、彼女も気分転換したかったらしいのだが、ウイワットが私だけを連れ出したので、それにカチンときたらしい。

 電話で話しているうちに次第に興奮してきて、ウイワットの悪口を言い出したのでやむなく電話を切ると、その後何度も何度も電話をかけてくる。

「ラー、落ち着けよ。俺は、キミのボーイフレンドじゃないんだ。気分転換がしたければ、近くのお寺に行って涼しい風にでも当たってこいよ」

 彼女は、すぐにカッとなる性格なのだが、冷静になるのも早い。

「わかった、そうするよ。でもね、キヨシ。わたしがお寺で仏陀にお祈りしても、あなたが魚を釣って殺していたら、お祈りの意味がなくなるのよ」

「殺しちゃいないさ。釣って楽しんで、あとは放して池に返してやっているんだ。だから問題ないよ」

「でも、針で魚を痛めつけているんでしょ?」

「そりゃ、まあそうだけど・・・。あのなあ、俺はお前さんの・・・」

「父ちゃんでもボーイフレンドでもない、でしょ?わかっているよ」

「まったく・・・」

 いろいろ問題は多いが、機智に富んだラーとの遠慮のない会話はとても楽しい。

 私が楽しそうに笑っていると、横でウイワットが「わけが分からん」という顔をして肩をすくめてみせた。

     *

 自宅に戻ると、スキ(タイスキ)の準備が進み、ウイワットと乾杯をした。

「主役の妹は何時に来るの?」

「もう、隣の実家でパーティーは始まっているんだ」

「?」

「妻と妻の母と3人の姉妹。女が5人と子供がふたりも集まるとうるさいから、俺たちはこちらでふたりだけのパーティーを楽しもう」

 どうやら、離婚は回避できたらしいが、まだ気まずい雰囲気がのこっているのだろう。

 だが、こちらのほうが私も気楽だ。

「キヨシ、何も気を使わずに自分の家にいるような気分で楽しんでよ。サバイ、サバーイ(気楽に、気楽に)」

「ありがとう」

 しかし、それにしてもなんていい奴なんだろう。

 ソンテオ運転手と客という関係のときにも、それほど乗車代をはずんだわけではない。

 いま、彼が寄せてくれる好意は、身に余るほどだ。

 話は、彼が応援している市長候補のこと(立候補番号2番で美人軍人兼ヤクザなのだそうだが、ヤクザの意味は不明である)、ラーのこと、私が書こうとしている本のことなどに及び、酒が回るほどに支離滅裂になった。

「ウイワット、本当のことを言うと、俺とお前があんまり仲がいいから、ラーは嫉妬しているらしんだ。さっきの電話で、彼女は“ウイワットはレディボーイだから気をつけなさい”なんて言ってたぞ」

「ゲーッ!俺はゲイなんかじゃないぞ。妻もあれば、子供もいるんだ。まったく、ラーは頭がおかしいよ」

「その通り。あいつは、わがままで自分勝手なクレイジーガールだ」

「じゃあ、なんでキヨシはラーと仲良くするの?」

「うーん、それは説明が難しいな」

「好きになったの?」

「いや、そうじゃないな」

 “指差し会話帳”をめくって、「興味がある」というタイ語を見つけ出した。

「これこれ、そうそう、俺はラーに興味があるんだ。俺の仕事は本を書くことだから、興味のあることを調べたり、試したりする。いま俺は、ラーのことをいろいろ調べたり試したりしているんだと思うよ」

「なるほど、そういうことか。それなら、俺にも理解できるよ」

「俺は、いま55歳だ。お前は俺のことを心配して、ラーに気をつけろと言ってくれるけど、38歳のラーは俺にとって赤ちゃんみたいなもんだ。それに、彼女はお前が思っているほど悪い人間じゃない。いや、悪いところはいっぱいあるけど、少なくとも悪人じゃないと思うよ。だから、心配しないでも大丈夫だよ」

     *
 話がひと段落すると、隣の庭に移動して誕生パーティーに合流することになった。

 若い友人たちも集まり、とても楽しそうだ。

 そのうち何人かは、片言の英語と日本語をしゃべり、英語と日本語と中国語と片言のタイ語を話す妙な日本人の私に興味津々だ。

 それぞれが仕事をもち、とても礼儀正しい。

 この半年あまり、ほとんどベンとだけ付き合ってきた私にとって、彼らとの語り合いはとても新鮮で、刺激的だった。

 ラーからのしつこい電話がなければ、私はウイワットの勧めにしたがって彼の家に泊まっていたに違いない。
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