【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【これぞタイ式?】

2007年03月18日 | アジア回帰
「ベン、俺はそろそろ日本に帰らなくちゃいけないんだ」

「病気のお母さんの様子を見るため?」

「もちろんそれもあるけど、税金も払わなくちゃいけないし、ほかにもいろんな用事がある。仕事も含めて、ショウライのことも考えなくちゃいけない」

「ショウライ?」
 
 “ショウライ(将来)”は、ベンが“ジイチャン、バアチャン”の次に覚えた日本語である。

「そう、キミの将来も大事だけど、俺にも将来があるんだ」

 28歳になったばかりのベンと違って、この私に将来が本当にあるのかどうかは分からないが、言外にベンのわがままをたしなめる気持ちがあったことは確かだ。

 このところ、実家の建て替え問題やベンの病気に振り回されて、私自身のことを考える余裕がまったくない。
           *
 昨日も、薬をもらい直しにいった病院の待合室で保険加入について話し合っていたところ、途中で放映中のテレビドラマに見入ってしまったので、いけないと思いつつきつくたしなめて、その場で別行動をとることにした。

 その場ではベンも薬の礼を言っておとなしくクルマに乗り込んだのだが、30分ほどして電話がかかり、開口一番「おなかがすいた」とのたまうではないか。

「キヨシ、私が朝から何も食べていないのを知っているのにどうして一緒にご飯を食べなかったの?」

「ギンカーオルーヤン(もうご飯食べた?)」という言葉がご挨拶代わりに使われるように、タイ人にとって飯を共に食べるという行為は日本人が考える以上にとても大切な意味をもつ。

 いかに怒ったとはいえ、昼飯も一緒に食べずにベンと別れた行為は、タイ人の彼女にとってどうしても解せないことだったらしい。
 それに、タイ人にとってはテレビもかなり重要な存在であるようだ。

「タイの女は、とてもテレビが好きなの。とくに、昨日やってたドラマの主人公はとても人気があるのよ。私は別にあなたとの話をおろそかにしたんじゃなくて、自然とテレビを見ただけなのに、どうして怒るのか理解できない」

 そういえば知りあった当初、ベンは「月曜日の夜にはとても大切な用事があるの」と言いながら慌てて私を安宿に送ってくれたことがあったが、その“大切な用事”とはテレビドラマを観ることだった。

 昭和30年代には、わが日本国でも『キミの名は』というテレビドラマが放映される晩には銭湯の女湯がガラガラになったという話を幾度も聞いたことがあるが、おそらくタイのテレビ文化もそうした時期にあるのだろう。

 ともかく、電話を受けたとき私はソンテオという乗合いバスに乗っており、猛烈なエンジン音がうるさかったこともあって「とにかく今は話したくないんだ!」と言いつつかかってきた電話を2度も切ってしまった。

 ベンもベンで、そのままノンが入院している病院に戻って、午後から眼の手術を受けるノンに付き添わなければならない情況にあった。

 ノンが入っている個室の環境は劣悪らしく、付添ベッドがないのでベンは茣蓙を持ち込んで前夜も床に寝たという。
 エアコンの音もうるさく、安定剤を含めた薬をなくしたベンはほとんど眠れなかったらしい。

 いかに微小とはいえ、脳梗塞という重篤な疾患をかかえる身で、人の付添いなどすること事態が私からすれば許しがたい。
 少なくとも、手術の前日はノンの目は見えるわけだから、泊まり込むのは今日からでいいはずだ。

「でも、タイではね、友だちが困っているときは助け合うのが当たり前なの。スリン出身のベンには友だちがいないし、家族もなぜか見舞いにもこない。それに、手術の前の日ってとても不安でしょ。だから、私が付き添うのは当たり前なの。母からも、ノンを助けるようにって何度も電話があったし・・・」

 そんな次第で、今日の午後になって電話してきたベンの声は疲れ果てていた。

「キヨシ、どうして電話くれなかったの?」
「どうしてって、昨日俺はキミのことを怒ってもう会いたくないと思ったんだから、電話なんかするわけないだろう」
「あ、昨日は本当にありがとう。とってもいい薬で、夜もよく眠れたわ」

 薬の影響か、あくびまじりで唐突に礼を言う。
 なんだか、怒り続けるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
         *
「それで、タイにはいつ戻ってくるの?」
「分からないなあ。結婚するかもしれないし・・・」

 もちろん、そんな予定はまったくないのだが、“私はベイビーブッダだから結婚できない”と言い張るベンにこの台詞を言うと、困ったような複雑な顔をするからときどきいじめてやるのである。

「俺はカミさんもいないし、子どももいないから、そろそろ優しい奥さんがほしいんだ。ベンは実家の建て替えに協力して欲しいって言うけど、俺とは結婚できないんだろう?」
「・・・うん」
「それに、“霊仏陀”が霊視しているから今は俺の部屋にも泊まれないんだろう?それなのに、どうして俺が実家の建て替えに協力しなくちゃいけないんだ?」
「だから、寝室が別々なら大丈夫なの」
「それが分からないんだよ。ベンとふたりきりで村に行っちゃ行けないのに、ノンと3人で行けば問題ない。この間は実際に問題ないどころか、親戚一同にも大歓迎してもらったけどなあ・・・。それに、結婚はできないけど実家にベンと俺の寝室を別々に作って、別々に寝れば死ぬまでいたって構わないというのもよく分からないんだよなあ・・・」
「分からないかもしれないけど、それがムラ(村・ベンが3番目に覚えた日本語)なの!」

 もしかしたら、タイは日本以上の“たてまえ社会”なのかもしれない。

 生まれつき首にネックレス状の線をもつ娘は、“ベビーブッダ”として未婚のまま村の精霊信仰の一翼を担わなければならないが、寝室さえ共にしなければ得体の知れない日本の中年男がその実家に住み着いても不問に付されてしまう。

 それは、いわゆる通常の結婚とは違うのだから、ベンは“たてまえ上”未婚のままで自らの役割をまっとうすることになる・・・ということになるのだろうか。

 驚いたのは、ベンが「キヨシは村で死にたい?」と言い出したからである。

 “日本ではお金がないと生きていけない。だから、日本人はタイ人のようにお金が入ったからといってすぐに使ってしまわずに、貯金に励んで老後に備えるんだ”という話をしたのがきっかけだった。

「分かった。もしも、日本に帰ってお金がなくなったらすぐにベンに電話してね。村ではお米とバナナはタダだから、いくらでも送ってあげるよ。もちろん、実家に住めば食べ物はタダだよ。年寄りになっても病気になっても、ベンやママ、ジェイ(義弟の嫁)や家族や親戚一同がみんなで面倒みるから、何も心配いらないよ。だから、新しいお嫁さん必要ないでしょ?」

 どうやら、私の牽制に対して最後のひとことが言いたかったようだが、それにしても、この2007年という時代に、28歳の娘(私からすれば)の口から聞かされる村の共同社会は、あたかも遠い昔の“桃源郷”の如くではないか。

 もちろん、現実がそれほど甘くないことは承知の上だが、日本の世知辛さからすればこのタイ北部農村の大らかさは文字通り“別天地”と形容しても過言ではあるまい。

 唯一の懸念は、その“桃源郷”の主人公であるはずのベンの天衣無縫なまでの楽天ぶりである。

 私の大好物のスイカを手にアパートに現れたベンは、開口一番、
「日本でのおみやげはこれにしてね」
 嬉しそうにリーフレットを私に手渡した。

 それは、すっかり忘れていたのだが、1月にチェンマイに来るときに日本で入手した新商品ファンデーション試供品のリーフレットで、“113オークル”という品番にしっかりと赤印が付けてあるではないか。

「タイにはいつ戻るか分からない。もしかしたら、タイには戻らないかもしれない」
 
 電話で、そう何度も匂わせたはずなのに、もう頭の中はおみやげのことでいっぱいらしい。

 この楽天ぶりには、思わず力が抜けてしまった。

「仏につかえるベイビーブッダに化粧は不要なんじゃないのか?」

 そう言うと、
「1月に“霊仏陀”のお手伝いで村人たちに聖水を注いだとき、みんなが“きれいなベイビーブッダね”って囁いてくれたの。だから、わたしもっときれいにならなくちゃ」

 にっこりと微笑んだ。

 やれやれ。

 それでこのところ「もっときれいな二重まぶたにしたい」などと言い出したのだな・・・。

 村に住んでも、果たして平安な日々はやってくるのだろうか。

 不安である。

 ベンに病気がなければ海外に出稼ぎに出して(ベンの学生時代の友人たちは韓国や台湾のコンピュータ業界でかなり稼いでいるらしい)、私は村でのんびりと野菜作りや魚捕りにでもいそしみたいところだ。

 

 

 
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