オムコイに戻ったのは、日曜日の10時頃だった。
戻る早々、隣家の主婦メースワイ(きれいなお母さんという意味の渾名・本当かね?)がやってきて、「村の若者が結婚するから見に行こう」という。
村に住み始めてから、葬式には何度も招かれたが結婚式は始めてである。
私とラーも一応結婚式は挙げたのだが、お互いに再婚ということもあって、簡略なものであった。
「正式な村の結婚式とはどんなものなんだろう?」という好奇心に駆られ、さっそく出かけることにした。
*
式場になっている花嫁の家に行くと、庭に宴席用のテントが設けられている。
家の中からは、男衆たちの歌声が聞こえてきた。
「ん?このメロディーはどこかで聴いたことがあるぞ」
記憶をたどってみると、それは葬式のときに歌われていた歌の曲調にそっくりだった。
黒いジーンズの上に民族衣裳を着た若者が、「こちらへどうぞ」というような仕草をしたので、彼が花婿であることが分かった。
彼と同年代の若い衆たちは、全員がラフなTシャツ姿である。
その若い衆たちが、花婿を取り囲むようにして何かを手渡している。
よく見ると、それは裸の20バーツ紙幣だった。
嫁のラーが彼を手招きして、「これはクンターとわたしから」と言いつつ同じく裸の100バーツを彼に手渡した。
ワイ(合掌礼)をした彼の掌から、裸の紙幣がこぼれ落ちそうである。
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宴席で焼酎(舐めるだけ)と料理をいただき、高床式の家に入った。
左手の控えの間では、ラーの甥っ子やいとこ、友人など顔見知りの男たちが車座になってご詠歌のような曲調の歌を歌い続けている。
車座の中心には、もちろん焼酎の瓶がどんと鎮座している。
右手のメイン式場(やや広めの台所兼食堂)に入ると、囲炉裏の奥の方にやはり数人の男衆が座って同じような歌を歌っている。
手前に花婿と花嫁が並んで座り、10人ほどの老人たちがふたりを取り囲んでいる。
花婿は老人たちにひたすらビールを注ぎ、花嫁はビニール袋に入ったバナナ葉巻をひとりひとりに手渡している。
それが一巡すると、老人たちはその葉巻を掌に挟み込んで合掌し、何やら祈りの言葉を唱え始めた。
花婿と花嫁も、深々と頭をさげて合掌しながら、その言葉をいただいている。
それが終わると、今度は花嫁がひとりひとりの葉巻を受け取り、火を吸い着けてそれをまたひとりひとりに手渡していく。
なぜか、民族衣裳の上にジャージをはおった花嫁のまわりは、葉巻の煙でもうもうとしている。
この村では、既婚の女たちは時おりパイプを吹かすけれど、未婚の女には禁じられているようだ。
煙に包まれた花嫁の姿を見て、ちょっと気の毒になってしまった。
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火のついた葉巻が一巡すると、今度は老人たちが歌を歌い始めた。
ラーがその歌に耳を澄ませ、歌詞の意味を通訳する。
「好きな人ができたら、時間をかけて愛するように努めなさい。結婚したら、お互いに助け合い、お互いの家族の面倒をみて仲良く暮らすように。カレン族は、死ぬまでひとりの男と女だけを愛するのが決まり。決して、浮気なぞしてはなりませぬ。すべては、仏陀がお見通し。いつも、仏陀がふたりのことを見守っていなさるぞ」(一部意訳)
ひとりの老人が、私たちを手招きしてラーになにやら話しかけた。
「この歌はね、初婚の場合だけに歌われる伝統的な歌で、わたしのように前夫が死んで再婚した場合は歌われないそうよ。いまは、一部の年寄りしか知らない歌で、若い衆たちはこうした歌にも興味を示さなくなっているって・・・」
ということは、かつてのカレンでは、「死ぬまでひとりの男と女を愛する」ために再婚も許されていなかったのだろうか。
*
いつの間にか、花婿と花嫁の姿が消え、老人と男衆たちの歌だけが延々と続いている。
そのうちに、太鼓と鐘の音が聞こえ始め、男たちがぞろぞろと庭に集まり始めた。
ひとりの酔っ払いが私の手をとって踊りを教えるような仕草をし、「リー、リー(行こう、行こう)」と言う。
太鼓と鐘が先導して行列が動き始め、90歳にもなろうかという長老が突然、膝を深く折り曲げる激しい踊りを舞い始めた。
踊りながら村を練り歩くのだという。
そのあとを着いていくと、一軒の家に全員であがりこみ、長老たちが焼酎の満たされたぐい飲みを手に手に、家の壁に向かって呪文のようなものを唱え始めた。
「ここがふたりの新居なのか?」
ラーにそう尋ねると、「ううん、この家の主人がモーピー(霊媒師)で、ここを拠点にしてこの行列が村の家々を訪ね歩いて歌を歌うらしいの。さっき、誰かがウチでも歌いたいって言ったんだけど、酔っ払いが続出してクンターが疲れるといけないから、その申し出は断ったんだ。なにしろ、このお祝いは3日3晩続くんだから・・・」
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やれやれ。
確か、葬式も3日3晩が基本で、金持ちになるとそれが1週間も続くと聞かされたことがある。
体力がなければ、この村では生きていけない。
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