明日、中国の昆明に移動する。
昆明は雲南省の中心地で、ここから南のシーサバンナ、北の大理、麗江などに移動することができる。
とりわけ、麗江は2年前に納西(ナシ)族の人々と親しくなり、移住を考えたほどの土地なのだが、今回の旅の目的は21歳になった洛陽の小楊(xiao yang)を訪ねることにあるので、まずは昆明経由で洛陽まで飛び、それから小楊の大学や勤務先の都合などに応じて、旅の予定を組み立てることになるだろう。
「5日に昆明に着いたらすぐに電話するよ」
そんなメールを送っておいたら、今日「楽しみに待ってるね!」という弾けるようなメールが届いていた。
なにしろ、2年前に大学に入学したという連絡を受けて「すぐに会いに行くよ」とメールしておきながら、ニューヨークに沈没したり、中国をすっ飛ばしてアジアをうろついたりして、なかなか成長した彼女の姿を確かめることができなかったのだ。
メールを読む限り、英語力もかなり身に付いている。
私の方が中国語を忘れた分、彼女の英語が私たちの久しぶりの再会を助けてくれるだろう。
彼女の長年の夢だった麗江旅行が実現できればいいのだが・・・。
*
私の昆明行きが近づくにつれて、ラーが落ち着かなくなってきた。
先週末のプラオ行きにもしきりに同行したがったのだが、ウイワッが望まない以上、私にはどうすることもできない。
なによりも彼が私を招待したくれたとき、私とラーは喧嘩別れの状態だったのである。
チェンマイに戻ってからは、できるだけ一緒に過ごすようにしてきたのだが、きのう、とうとう「中国行きを中止してほしい」と言い出した。
「マッサージ学校は、あと10日で修了するの。今までの成績もまあまだから、修了と同時に資格証書ももらえると思う。修了パーティーもやりたいし、そのあとの就職や開業のことなんかもいろいろ相談したい。わたしの村にも、ぜひ一緒に行ってほしいの。だから、お願い・・・」
「俺もお前さんのことをもっと理解したいとは思うけど、中国にはどうしても行かなくちゃならないんだ。もう。ずいぶん前からの約束だからね」
中国行きのチケットを買ったとき、私はそのまま中国経由で日本へ戻ることを考えていた。
ベンとの離別が決定的になって、ラーのわがままにもすっかり手を焼いていたところだった。
だが、このところラーの存在は、ベンの空白を少しずつ埋めるようになってきたのも確かな事実なのである。
昨日、おとといと私たちは宿の隣りの食堂で夕食を共にし、その後もそれぞれの部屋を訪ねては夜遅くまで語り合った。
いわゆるタイ人とはまったく異なる価値観や生活スタイル、言語をもつカレン族のラーを理解することは、ようやっと片言のタイ語がしゃべれるようになってきた私にとっては、至難の業である。
だが、牛歩のような理解には、到達の深い喜びが伴う。
今のところ定かではないが、おそらく私はラーの待つチェンマイに再び舞い戻ってくるのだろう。
昆明は雲南省の中心地で、ここから南のシーサバンナ、北の大理、麗江などに移動することができる。
とりわけ、麗江は2年前に納西(ナシ)族の人々と親しくなり、移住を考えたほどの土地なのだが、今回の旅の目的は21歳になった洛陽の小楊(xiao yang)を訪ねることにあるので、まずは昆明経由で洛陽まで飛び、それから小楊の大学や勤務先の都合などに応じて、旅の予定を組み立てることになるだろう。
「5日に昆明に着いたらすぐに電話するよ」
そんなメールを送っておいたら、今日「楽しみに待ってるね!」という弾けるようなメールが届いていた。
なにしろ、2年前に大学に入学したという連絡を受けて「すぐに会いに行くよ」とメールしておきながら、ニューヨークに沈没したり、中国をすっ飛ばしてアジアをうろついたりして、なかなか成長した彼女の姿を確かめることができなかったのだ。
メールを読む限り、英語力もかなり身に付いている。
私の方が中国語を忘れた分、彼女の英語が私たちの久しぶりの再会を助けてくれるだろう。
彼女の長年の夢だった麗江旅行が実現できればいいのだが・・・。
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私の昆明行きが近づくにつれて、ラーが落ち着かなくなってきた。
先週末のプラオ行きにもしきりに同行したがったのだが、ウイワッが望まない以上、私にはどうすることもできない。
なによりも彼が私を招待したくれたとき、私とラーは喧嘩別れの状態だったのである。
チェンマイに戻ってからは、できるだけ一緒に過ごすようにしてきたのだが、きのう、とうとう「中国行きを中止してほしい」と言い出した。
「マッサージ学校は、あと10日で修了するの。今までの成績もまあまだから、修了と同時に資格証書ももらえると思う。修了パーティーもやりたいし、そのあとの就職や開業のことなんかもいろいろ相談したい。わたしの村にも、ぜひ一緒に行ってほしいの。だから、お願い・・・」
「俺もお前さんのことをもっと理解したいとは思うけど、中国にはどうしても行かなくちゃならないんだ。もう。ずいぶん前からの約束だからね」
中国行きのチケットを買ったとき、私はそのまま中国経由で日本へ戻ることを考えていた。
ベンとの離別が決定的になって、ラーのわがままにもすっかり手を焼いていたところだった。
だが、このところラーの存在は、ベンの空白を少しずつ埋めるようになってきたのも確かな事実なのである。
昨日、おとといと私たちは宿の隣りの食堂で夕食を共にし、その後もそれぞれの部屋を訪ねては夜遅くまで語り合った。
いわゆるタイ人とはまったく異なる価値観や生活スタイル、言語をもつカレン族のラーを理解することは、ようやっと片言のタイ語がしゃべれるようになってきた私にとっては、至難の業である。
だが、牛歩のような理解には、到達の深い喜びが伴う。
今のところ定かではないが、おそらく私はラーの待つチェンマイに再び舞い戻ってくるのだろう。