【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【ベイビーブッダの秘密】

2007年02月10日 | アジア回帰
 このところ、堂々巡りが続いている。

 ベンは、死期を宣告された祖母と、相次いで村の同年代の友人を亡くしてすっかり落ち込んでしまった祖父のために、今すぐ実家を建て替えたいと走り回っている。
 家族もすでに走り出し、木材の買い付けも徐々に進んでいる。現在のところ、立床式住居の母屋(2階部分)と母屋を支える柱の半分をまかなえる材木は確保できたらしい。

 村に木材を供給する山は、2000年以降急速に伐採が進み、家屋用の樹木は減少の一途をたどっている。

 ベンや家族が、急き立てられるように材木を買いためているのは、「今のうちに材木を確保しておかないと、数年後には材木の値段が急騰し、それどころか手に入らなくなるかもしれない」という焦りがあるからだ。

 それに加えて、6月ごろから始まる雨季の問題がある。

 連日のように激しいスコールが襲う雨季は、家作りには適していない。
 家を建てるなら、雨季が始まる前、遅くとも5月中には新居を建て終え、タイのラッキーナンバーである9人の僧侶を招いての読経と悪霊祓い、さらには村中の人に無料でアルコールやタイフード、楽団付の「野外ディスコティック」などを振舞う“新築祝い”を済ませなければならない。

 一昨日には、ベンの心をさらに掻き乱す事件がおきた。
 同年代の友人の葬式から帰ってきた“ジイチャン”(ベンは祖父のことを私の教えた日本語でこう呼ぶ)が、「死にたい」と漏らしたのだ。

 ここ数ヶ月の間に、村に住む同年代の老人たちが次々に亡くなった。
 私がベンと知り合ってから、ちょうど2ヶ月になるが、その間に「今日は村で葬式がある」と何度も聞かされた。
 よく聞けば、“ジイチャン”の友だちは、3ヶ月の間に4人も亡くなったのだそうである。
 
 92歳のジイチャンは最高齢なために「次は自分の番だ」という想いが日増しに強まり、今回の1週間に及ぶ近しい友人の葬式でつくづくと無常観に駆られてしまったらしい。

 日ごろは驚くほどに楽天的で陽気なタイ人だが、それだけに落ち込んで欝状態になったときの深刻さは、われわれ日本人の想像をはるかに超える。

 老人だけではない。

 実は、ベン自身もこの年末から年始にかけて、同年代の二人の友人を亡くしている。そのうちのひとりは、白人のボーイフレンドから感染させられたエイズ。もうひとりは、ベンも多少の問題を抱えている血流障害が死因だった。

 「二人とも、とてもきれいだったのに、腕なんかこんなに細くなって、とてもカワイソウ・・・」

 “可哀相”だけを日本語で言って、目を伏せながら「ベンもあと少しで死ぬかもしれない」と呟いたベンの表情は、今でも忘れられない。

 もっとも、その後の検査入院でベンの病状は「今のところ問題なし」というお墨付きを得たのだが、昨日の電話でベンは再び「死にたい」と口にした。

 どうやら、ジイチャンの漏らした「死にたい」のひとことが、相当に応えたらしいのだ。

 その背後には、現在でもタイの田舎に根付いている独特の仏教教育がある。

 ベンは、いわゆる“爺ちゃん婆ちゃんっ子”である。
 父母の仕事の都合で、生まれた直後に祖父母に引き取られ、爺ちゃんと婆ちゃんはバナナの実を噛み砕いてミルク状にし、乳代わりにベンの口に含ませたという。

 「だからかな・・・今のベンはあまりバナナが好きじゃない」

 そう聞いたときには大笑いしたが、バナナはともかく、信心深い爺ちゃんと婆ちゃんの影響で、ベンは仏陀とピー(精霊)を自然と畏敬し敬うようになる。

 また、ベンは普通の村人とは違う特異な運命を背負って生まれてきた。
 
 ベンの首まわりには、ネックレスのような細い線がひとつながりに走っている。
 また、眉間のまんなかににきびの痕のような小さな穴があいている。

 さらに、シャワーのための着替えのときにも絶対に肌をさらさないベンは決して教えてはくれないのだが、おしりのやや上の部分にも何かがあるらしい。
 
 首のネックレスも眉間の穴も、言われてよくよく眺めてみれば「そうかな?」という程度なのだが、村人たちにとって、それは稀有な“仏の御子”(ベイビーブッダ)の印なのだという。

 ちなみに、首にネックレス状の線をもっているのは、約1200世帯の村人の中でもベンともう一人の幼女の二人だけだそうだ。

 そのせいもあってか、とりわけ爺ちゃんは幼いベンに仏教徒信仰の素晴らしさを教え、「ベンが大人になってメーチー(尼僧)になってくれれば、爺ちゃんは死んでもきっと成仏できるよ」と語り続けたらしい。

 ベンは、実際に祖父母に命を救われてもいる。
 幼少期のベンはなぜか病気がちで、一度は医者からも見離されるほどの大病を患っている。
 
 また、22歳の時にはクルマごと村の崖から転落し、右足を骨折すると同時に頭を強打。2週間も昏睡して、このときも医者に首を横に振られた。

 つまり、28歳(ベンは2月3日に誕生日を迎えた)にして二度も死にかけたわけだが、この二度の生命の危機に際して爺ちゃんと婆ちゃんは、まさに不眠不休の介護と祈りで、ベンをこの世に引き戻してくれたのだった。
 
 もちろん、父と母の心労と献身も並大抵ではなかったろう(ベンには、孤児になったために父母に引き取られた養子の既婚弟がいるが、ベンが実質的な女系家族の後継者である。タイの田舎では、結婚すると基本的に夫が妻の家で暮らし、家や土地は妻が相続するらしい)。

 だからベンは、「ジイチャンとバアチャンが亡くなったら、ベンも死ぬ」と当たり前のように言う。

 「ジイチャンとバアチャン、そして家族みんながハッピーになったら、ベンはもう死んでもいいんだ。“霊仏陀”は『ベイビーブッダは、33歳になったら天から迎えがきて、天にのぼって寝釈迦のように安らかに過ごすんだ』って教えてくれたんだよ」

 ランプ-ンというチェンマイの隣町のお寺に“寝釈迦”像を見に行った帰り途、現世での功徳や来世での生まれ変わりの話をしていたとき、ハンドルを握りながらベンは突然そんな話を始め、私に“首のネックレス”を見せてくれたのだった。

 “霊仏陀”の定義はよく分からないのだが、アニミズムに根ざす精霊信仰をつかさどる女性僧(ベンは処女しかなれないと言った)らしく、1月末に3日間にわたって行われた村の精霊行事では、ベンは“ベイビーブッダ”としてこの女僧の助手を務め、祈りを捧げる村人たちに聖水を降り注いだという。

 ベンは、この“霊仏陀”に私の存在を厳しく糾弾されたらしい。
 行事の数日前に田舎に帰った折りに呼ばれていくと、軽い憑依状態になった女僧がベンに向かって指をさし、
 「あんた、男がいるね!」
 ベンは震え上がって、そそくさと家に逃げ帰った。

 もっとも、ベンと知り合って数日後の12月中旬に実家に遊びに行った私は、すでに村中の噂になっており、ベンは母親から「困ったことになった」と打ち明けられていた。ベンも「叔父、叔母が中心になって『ベンが男を連れてきた。悪い娘だ』と噂してるらしいの。しばらくは、村には行けなくなっちゃった」と私に伝えた。

 つまり、村への“立ち入り禁止令”が出てしまったのだ。

 「村の娘が、未婚の男を家に連れて帰るのはよくないという風習はよく分かった。じゃあ、いつになったら俺は実家に行けるんだい?」
 「私が33歳になったら、大丈夫」
 「33歳?!ベン、キミはもうすぐ28歳になる。ということは、5年間も村に行けないということか?」
 「そう」
 「そうって、そんな馬鹿なことがあるもんか。キミの夢は、村はずれの土地に家を建てて果樹園や魚の養殖をすることなんだろう。その夢の手伝いをしようと思って、俺は土地を見に行った。そして、その足で実家に寄ったんだ。みんな歓迎してくれて、爺ちゃんも婆ちゃんも手を握って喜んでくれた。メー(母親)やボム(弟)やジェイ(義妹)とはパヤオのお寺にも行ったし、ポー(父親)や叔父さんとは、ウイスキーも呑んだ。俺は、小さくて可愛くい爺ちゃんや優しい婆ちゃんが大好きになった。なのに、5年も実家に行けないのか?」
 「ごめんなさい・・・」
 「じゃあ、二人が結婚すればいいのか?」
 「ベイビーブッダは、結婚できないの?」
 「は?」

 33歳という年齢は、霊仏陀がベンに語ったという「天から迎えがきて天にのぼる」という年齢と符合する。
 つまり、ベイビーブッダの使命は33歳で終了するから、そのあとは結婚しようが、未婚でも男を連れて来ようが不問に付すということなのだろう。
 ベンはなぜか自分の口からは言わないが、“33歳まで”という期限が霊仏陀からの指示であることは疑いがないだろう。

 ベンがしゃべる英語は、かなり限られている。
 私のしゃべるタイ語も、ベンのしゃべる日本語も、それぞれ数語にしか過ぎない。辞書や『指差し会話帳』を使っても、どうしても通じず、互いにため息をつくこともしばしばだ。
 だから、相互に思い違いや勘違い、説明不足などがあることは否定できないが、それにしても、この展開だけは夢想だにできないものだった。

 なんともはや無茶苦茶な話だが、それにしても面白すぎる。

 というわけで、ベンはいま、ジイチャンとバアチャンのための家作りに夢中で、今日も父親と一緒に、残りの柱のための樹を見るために山に出かけた。
 樹が気に入ったら、その場で金を払い村の男たちに伐採を依頼する。

 山から帰って来ると、ベンは興奮して「きれいな樹だったよ、とってもきれいな樹だったよ。キヨシも見たい?樹を買いたい?」と電話をかけてくる。
 先日は、作業をする象も見たと言っていた。

 「当たり前だ。見たいし、買いたいに決まってるじゃないか。象だって、見たいよ。でも、俺は村には行けないんだ。それに、家にも住めないんだ。だろう?」
 「ごめんね。分かってるんだけど・・・」

 つまりは、この繰り返しである。
 まったく、笑うに笑えぬ堂々巡りに悩みながらも、私は結構、この状況を楽しんでいる。

 なにせ、敵は稀有なる存在の“ベイビーブッダ”だ。
 冥土の土産には、もってこいの語り草には違いない。
 
 

 
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