【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【タイ語の迷宮】

2007年02月07日 | アジア回帰
 今週の月曜日から、タイ語の勉強を始めた。

 本当はもっと早く始めたかったのだが、「学校に行きたい」というとベンが難色を示したのだ。

 「知り合いのファラン(外国人)も学校に行ったけど、お金がかかった割りにはあんまり喋れなかったなあ。あなたの発音はなかなかいいから、私と一緒に喋っていればすぐにうまくなるよ。私が先生になってあげる」

 こちらも、すっかりその気になって彼女を当てにしていたのだが、ほどなく甥の具合は悪くなるわ、爺ちゃん・婆ちゃんの面倒は見なきゃならんわ、実家の建て替えの話は持ち上がるわで、ゆっくり喋る暇もなくなってしまった。

 わが“幻のタイ語教師”は、夕べも実家からの呼び出しを受け、風のようにランパ-ンの山の中の田舎へ帰ってしまったのである。

 いやはや。

 そこで、やむなくタイ語がしゃべれる日本人の知人や現地日本語新聞などを通じて、いくつかの会話学校やプライベート講師に当たってみた。

 その結果、内容的にも価格的にもYMCAがベストと思われたのだが、初心者クラスの開講は今月19日まで待たねばならない。

 思い立ったらすぐに行動しないとおさまらない性分なので、その待ち時間がまどろっこしくて仕方ない。

 そこで、料金はやや高いが、開講までの日時をプライベートレッスンに充てることにした。

 アパートにやってきたのは、ラチャパット教育大学日本語学科の女子大生アンである。

 本当は、日本語ガイド歴15年のセキサンに習いたかったのだが、彼はハーブの店や日本人ロングステイヤー向けコンドミニアム斡旋も手がけており、どうにも時間がとれないという。

 あいにく彼が組織する講師チームにも空きがなく、急遽学生に声をかけてくれたのだが、無理を言った以上えり好みはできない。

 やや不安だったが、アンの初対面の挨拶や立ち居振る舞いは日本人よりも奥ゆかしく、思った以上に美しい日本語を喋るので、驚くと同時に胸をなでおろした。

 もっとも、タイ語はまったく読み書きできず、喋るのも数語の挨拶程度だから、講師の良し悪しなど判断もできるわけはないのであるが・・・。

 まず、初めは1から10までの数字の数えかたから。それを徐々に20、30と伸ばしていき、なんとか100、そして1000までたどり着いた。

 次に、日曜日から土曜日まで。これが、またなんともややこしい。中国語は「星期(曜日)」に1、2、3を足していけばよかったのだが、タイ語の場合は文字が読めないから一連の法則がつかめない。ともかく、発音と声調を耳と頭に叩き込むしかない。

 猛烈な勢いで脳細胞を失いつつある54歳という年齢にとって、新しい言葉の習得は考えていた以上に厳しい。

 そういえば、ベンの超ブロークンな英語に付き合っているうちに、英語の単語や文法も急速に忘れつつある。

 中国語にいたっては、2年前の春に中国各地で友人をつくりまくっていたことが夢うつつのようにしか思えないほどの凋落ぶりだ。

 授業の後半に、まるで暗号のような44の子音の書き取り練習をしていると、まるで迷宮に入り込んだような気分になってきた。

 発音や書き取りがうまくいくと、アンは女子大生らしく拍手をして喜んでくれるが、これから先覚えなければならない単語や文法のことを考えると、意識が遠のきそうだ。

 だが、曜日と日時を組み合わせたアンの質問に対し、小学生のような無心な姿勢で答えているうちに、達成感のようなものも湧き上がってくる。

 ともかく、しばらくは無心で“タイ語の迷宮”に迷い、遊ぶこととしようか。

 
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