大晦日に呑みすぎたせいか、扁桃腺が腫れてしまい、正月1日、2日と寝込んでしまった。
3日にようやく体調が戻り、仔犬の〝元気〟と高原の棚田を散歩。日本の晩秋のような景観に心がほぐれ食欲も出てきたので、過剰なほどに心配症のラーも「これでやっと私も眠れる」とひと安心した様子だ。
*
この間、ふたりの甥っ子が竹組みの玄関づくりを済ませたので、年末からの懸案事項だった「垣根づくり」も、無事終了。
おかげで、隣家に集まる正体不明の阿片吸引者や野良犬が我が家の土地に無断侵入することもなくなり(もっとも近隣の鶏たちは約1メートル50センチの垣根を軽々と飛び越えてしまう)、住環境もずいぶんと快適になってきた。
翌日からは、ラーの長年の夢だった畑づくりに着手し、これまた屈強な甥っ子たちの働きで、家の周囲が見る間に野菜畑に姿を変えていったものだ。
長年のライター生活で腰痛持ちになってしまった私は、甥っ子たちのようなハードな作業には取り組めない。
そこで、彼らが大雑把に掘り起こした畝を慣らし、石ころやガラスの破片、ビニールなどを取り除き、種まきができるような状態にまでもっていく。
なにしろ、この作業を彼らに任せてしまうと畑に釘やガラスを平気で残してしまうので、安心できないのである。
*
幸い、私には家庭菜園づくりの経験がある。
カミさんがまだ元気なころは、埼玉にある家の庭を拓いて、ミニトマト、胡瓜、枝豆、蕪、コマツナなどを毎年順調に収穫していた。
かつては日本での田舎暮らしを夢見、カミさんと共にクワをふるい、共に汗を流すことを夢想していたものだが、残念ながらその夢は果たすことができなかった。
いま、日本からはるか離れたオムコイの地でヨメのラーと肩を並べて土を耕し、水遣りをしていると、言葉にはできない感慨が胸に満ちてくる。
*
9日には家庭菜園づくりもひと段落し、10日からはいよいよバナナ畑の開墾に着手した。
この作業には、バナナ畑を譲ってくれた義兄(長姉の夫)と別の甥っ子夫婦を雇うことにした。
重労働のできない私たちと、現金収入のない彼らが、私たちのビジネスを通じてお互いに助け合い、いつかやってくる実りを共有する。
そうした私たちの夢の第一歩が、このバナナ畑の開墾事業だ。
すでに、年末に刈り取った雑草(主に萱)を取り除き、残った根にクワを入れていく。
歩測でおよそ2500平方メートルのバナナ畑を見渡すたびにため息が出てくるのだが、乾いた土地にはびこる草の根は意外に浅く、作業は急ピッチで進んでいく。
彼らのための昼食(ラーが毎朝手作りする)を携えて昼前にバナナ畑に着くと、すでに驚くほどの広さが拓かれている。
朝夕は5度前後まで冷え込むのだが、日中の気温は28度前後まであがる。
だが、高原に吹き渡る風は爽やかで、炎天下の作業もそれほど苦痛ではない。
このところ腰の調子もよく、むしろこの作業を私は楽しんでいる。
午後5時過ぎに作業を終え、ビールを呑みながらあちこちに積み重なった雑草の山に火をつけると、得も言われぬ充実感が腹の底から沸きあがってくる。
*
この作業も昨日12日でひと段落し、私はやっとこれまで雑草に覆われていた〝新たな夢の舞台〟の全容をつかむことができた。
ヨメのラーと共に日陰に腰をおろし、ビールを呑みながら・・・
「家を建てるなら山がよく見えるあのあたりだな」
「魚の養殖場は水場に近いあのあたりがいいと思う」
「野菜も作りたいけど、姉の土地からやってくる鶏の防護柵が必要だね」
・・・などと、とりとめのない夢や計画を語り合う。
実際の事業計画は、すべてこれからの話なのだが、夢を語り合うのは〝夢の舞台〟を手にいれた者の特権である。
その夢が、何らかの事情で無残に壊れたとしても、私たちはただいま現在の〝幸福感〟を、絶対に忘れることはないだろう。
*
初期の必要作業を終えた私は、今日、1年間のロングステイ・ヴィザを更新するためにチェンマイにやってきた。
オムコイでのネット環境はいまだ整わず、わずか1軒のインターネットカフェも開店休業状態が続いている。
このブログも、できれば毎日更新したいのは山々なのだが、すべてがうまくいかぬのは世の常である。
どうか、これまで同様、気長にお付き合いください。
*
最後に、はるかオムコイまで年賀状をお送りくださった皆さま、そしてコメントやトラックバックをくださった方々に、遅ればせながらお礼を申しあげます。
チェンマイ滞在中に時間がとれれば、またお会いしましょう。
では、チョークディー・クラップ(幸運を)!
3日にようやく体調が戻り、仔犬の〝元気〟と高原の棚田を散歩。日本の晩秋のような景観に心がほぐれ食欲も出てきたので、過剰なほどに心配症のラーも「これでやっと私も眠れる」とひと安心した様子だ。
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この間、ふたりの甥っ子が竹組みの玄関づくりを済ませたので、年末からの懸案事項だった「垣根づくり」も、無事終了。
おかげで、隣家に集まる正体不明の阿片吸引者や野良犬が我が家の土地に無断侵入することもなくなり(もっとも近隣の鶏たちは約1メートル50センチの垣根を軽々と飛び越えてしまう)、住環境もずいぶんと快適になってきた。
翌日からは、ラーの長年の夢だった畑づくりに着手し、これまた屈強な甥っ子たちの働きで、家の周囲が見る間に野菜畑に姿を変えていったものだ。
長年のライター生活で腰痛持ちになってしまった私は、甥っ子たちのようなハードな作業には取り組めない。
そこで、彼らが大雑把に掘り起こした畝を慣らし、石ころやガラスの破片、ビニールなどを取り除き、種まきができるような状態にまでもっていく。
なにしろ、この作業を彼らに任せてしまうと畑に釘やガラスを平気で残してしまうので、安心できないのである。
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幸い、私には家庭菜園づくりの経験がある。
カミさんがまだ元気なころは、埼玉にある家の庭を拓いて、ミニトマト、胡瓜、枝豆、蕪、コマツナなどを毎年順調に収穫していた。
かつては日本での田舎暮らしを夢見、カミさんと共にクワをふるい、共に汗を流すことを夢想していたものだが、残念ながらその夢は果たすことができなかった。
いま、日本からはるか離れたオムコイの地でヨメのラーと肩を並べて土を耕し、水遣りをしていると、言葉にはできない感慨が胸に満ちてくる。
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9日には家庭菜園づくりもひと段落し、10日からはいよいよバナナ畑の開墾に着手した。
この作業には、バナナ畑を譲ってくれた義兄(長姉の夫)と別の甥っ子夫婦を雇うことにした。
重労働のできない私たちと、現金収入のない彼らが、私たちのビジネスを通じてお互いに助け合い、いつかやってくる実りを共有する。
そうした私たちの夢の第一歩が、このバナナ畑の開墾事業だ。
すでに、年末に刈り取った雑草(主に萱)を取り除き、残った根にクワを入れていく。
歩測でおよそ2500平方メートルのバナナ畑を見渡すたびにため息が出てくるのだが、乾いた土地にはびこる草の根は意外に浅く、作業は急ピッチで進んでいく。
彼らのための昼食(ラーが毎朝手作りする)を携えて昼前にバナナ畑に着くと、すでに驚くほどの広さが拓かれている。
朝夕は5度前後まで冷え込むのだが、日中の気温は28度前後まであがる。
だが、高原に吹き渡る風は爽やかで、炎天下の作業もそれほど苦痛ではない。
このところ腰の調子もよく、むしろこの作業を私は楽しんでいる。
午後5時過ぎに作業を終え、ビールを呑みながらあちこちに積み重なった雑草の山に火をつけると、得も言われぬ充実感が腹の底から沸きあがってくる。
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この作業も昨日12日でひと段落し、私はやっとこれまで雑草に覆われていた〝新たな夢の舞台〟の全容をつかむことができた。
ヨメのラーと共に日陰に腰をおろし、ビールを呑みながら・・・
「家を建てるなら山がよく見えるあのあたりだな」
「魚の養殖場は水場に近いあのあたりがいいと思う」
「野菜も作りたいけど、姉の土地からやってくる鶏の防護柵が必要だね」
・・・などと、とりとめのない夢や計画を語り合う。
実際の事業計画は、すべてこれからの話なのだが、夢を語り合うのは〝夢の舞台〟を手にいれた者の特権である。
その夢が、何らかの事情で無残に壊れたとしても、私たちはただいま現在の〝幸福感〟を、絶対に忘れることはないだろう。
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初期の必要作業を終えた私は、今日、1年間のロングステイ・ヴィザを更新するためにチェンマイにやってきた。
オムコイでのネット環境はいまだ整わず、わずか1軒のインターネットカフェも開店休業状態が続いている。
このブログも、できれば毎日更新したいのは山々なのだが、すべてがうまくいかぬのは世の常である。
どうか、これまで同様、気長にお付き合いください。
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最後に、はるかオムコイまで年賀状をお送りくださった皆さま、そしてコメントやトラックバックをくださった方々に、遅ればせながらお礼を申しあげます。
チェンマイ滞在中に時間がとれれば、またお会いしましょう。
では、チョークディー・クラップ(幸運を)!