【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【ラーの初マッサージ】

2007年06月16日 | アジア回帰
 ラーをマッサージ学校に送り終えたウイワッが、私の部屋に戻ってきた。

 彼は、ソンテオ(ピックアップトラックを改造した乗り合いタクシー)の運転手である。英語はほとんどしゃべれず、今日はタイ英辞書を手にしている。

 「キヨシ、具合はどうだい?もう、ご飯は食べたかい?」

 今朝会ったときにひどい咳をしていたので、心配して見舞いにきてくれたらしい。

「いや、あんまり食欲がなくてね。とりあえず、オレンジジュースと薬を飲んだよ」

「うーん、よくないね。そうだ、今夜12時に俺、プラーオの実家に帰るんだ。そして、週末を過ごす。よかったら、気分転換に一緒に行かないか?なにもない田舎だけど、自然だけはきれいだよ。滝遊びや魚釣りもできる」

 地図を広げてみると、プラーオはチェンマイの北方にあり、驚いたことにベンの実家のあるワン・ヌーアとはほぼ横並びの位置にある。

 おそらく、同様の田園風景がひろがっているのだろう。

「ありがとう、ウイワッ。きれいな空気を吸えば、のどの調子がよくなるかもしれない。ラーやYも誘っていいかな?」

「マイペンライ。雑魚寝になるけど、いいよね?」

「マイペンライ(構わないよ)」

 ウイワッは、さっそく実家の父親に電話をかけ始めた。

 実家には、父と母、弟が住んでおり、兄と姉はバンコクで働いているという。

 ウイワッは、35歳。離婚して、息子と娘の3人でチェンマイで暮らしている。

 眉毛が濃く、目鼻立ちのはっきりしたハンサム・ガイだ。

 物静かで、礼儀正しく、酒や夜遊びよりもお寺参りを好むという。

 そういえば、ランプーンの寺めぐりを勧めてくれたのも彼だし、仏像や塔に興味を示すエレンに対し懇切に説明をしていたっけ。

「ところで、いつも英語の辞書を持ち歩いているの?」

「うん、ファランの客も多いからね。でも、なかなか話せない」

「俺でよかったら、教えようか?」

「本当に?それはありがたいなあ」

 話をしているうちに、少し食欲が出てきたので食堂に行くことにした。

 そのあと堀端に茣蓙を敷いて、会話のレッスンを始めた。

 思った以上に単語の意味を知っているので、商売にすぐに役立つ実践的な会話を教えることにした。

 街でファランや日本人を見かけたら、「どこに行くの?」と尋ね、特に行き先がなかったらめぼしい観光スポットに誘い、案内する・・・という営業戦略込みのレッスンである。

 これは日々の商売に結びつくと思ったのか、ウイワッも真剣だ。

 続いて、ファランと親しくなった場合に想定される日常会話を繰り返して、本日のレッスンを終えた。

「じゃあ、これからさっそくファラン相手に試してみるね。あ、それからラーを学校に迎えに行くときに、実家行きの話もしてみるから」

「おお、頼むよ。しっかり稼いでくれ」

 握手を交わして、別れた。

     *

 夕方になって、頭痛が出始めた。

 単なる喉の炎症かと思っていたのだが、どうやら風邪をひいたらしい。

 宿に戻ると、庭に面したテーブルに座ってラーが教科書を広げている。

 ちらりと振り返った横顔が、にこりともしない。

「どうした?疲れたのか?」

 黙ってうなづき、マッサージをほどこす側とほどこされる側の位置関係がひと目で分かるように、今朝買ったばかりの色鉛筆で色を塗りわけ続ける。

「そうだ、ウイワッから実家行きの話を聞いたか?」

「うん、聞いたけど、今日の授業はとてもハードで、すっかり疲れちゃった。だから、今日は行けない」

「そうか、俺も頭が痛くなってきたんでやめることにしたよ。悪いけど、ウイワッに電話してくれないか」

「ごめんなさい。いま、勉強中なの」

 カチンときた。

 日ごろは自分の都合で人を振り回してばかりいるくせに、自分が疲れたとなるととたんに不機嫌になる。

 それに、勉強と言ってもいまは塗り絵をしているだけだ。

「ヘイ!勝手なことばかり言うんじゃないよ。早く連絡しないと、ウイワッが困るだろう?1分間ぐらい、手を休めろよ!」

 きつく言うと、素直に従ったが、そのあとがいけない。

 私がウイワッに事情を話して断りを入れ、飲み水を買いに行こうとすると「ヘイ、ビールを買ってきてよ」とのたまう。

 私が酒を控えていることを知っているくせに、なんてやつだ。

 「ノー!」にらみつけて、市場に向かった。
  
 気分が悪いので、そのまま公園まで足を延ばし、ゆっくりとウオーキングで汗を流した。

 薬を飲むために、グオッティオ(タイ麺)を食べていると、ラーから電話が入った。

「キヨシ、いまどこにいるの?具合が悪いんだから、早く宿に戻って休まなくちゃだめだよ」

 具合を悪くさせているのは、お前さんじゃないか。

 そう言いたかったが、「分かった」とだけ言って電話をきった。

 宿に戻ると、ラーが同じテーブルにすわり村の友人に電話をかけていた。

 手招きをするが、無視して通り過ぎる。彼女のタバコの煙で咳き込むのは、ごめんこうむりたい。

 薬を飲み、シャワーを浴びるとベッドに横になった。

 眠りかけたところに、ラーがやってきた。

「キヨシ、大丈夫?」

「大丈夫じゃないから、寝ているんだ。邪魔しないでくれ」

「頭が痛いと言っていたから、マッサージをしにきたんだ。タイガーバームも擦り込んであげるから」

 少し、反省したらしい。

 しかし、ラーは今日で勉強4日目の初心者だ。

 大丈夫だろうか?

 不安がよぎったが、せっかくの親切心を無碍にはできない。

「わかった。じゃあ、頼むよ」

 ベッドの上でラーがあぐらを組み、その上に後頭部を乗せる。

 ラーがこめかみにタイガーバームを擦り込み、教科書を眺めながらマッサージを始めた。

 案の定、性格どおりの荒っぽさだが、つぼつぼはきちんと押さえていくので、なかなか気持ちがいい。

 腕や指の力は人並み以上だから、相手を思いやる気持ちを身につければいいマッサージ師になれるかもしれない。

 その後、うつぶせになったり、仰向けになったり、体の位置を変えながらの「練習」が続いたが、町で受けるマッサージとはかなり異なって、技も複雑だ。

「ラー、いつものマッサージとはぜんぜん違うな」

「だから、言ったでしょう?わたしの行ってる学校は、チェンマイで一番だって。ファラン相手の金儲け学校とは、違うんだから。わたしは、その中でナンバーワンになってやるんだ」

 やれやれ。

 だが、ラーの言うとおり、このマッサージはかなり高度だ。

 力もかなり必要なようで、ラーも必死で私の足や腰を持ち上げたり、ひねったりしている。

 これでは、授業のあとにラーがぐったりしているのも無理はない。

「ラー、分かったよ。お前さんが疲れていた理由が、よく分かった」

「でしょう?体の大きな男の先生をはじめとして、何人もの生徒を相手に練習するんだから。ファランなんて重くて重くて、こうやってのけぞりながら抱えるんだから」

 その様子を再現する姿を見て、思わず笑ってしまった。

「さて、疲れたから今日はこれくらいにしておくね」

「ありがとう。気持ちよかった。キミはいいマッサージ師になれるよ」

「ありがとう。さあ、キヨシ、ビールを飲みに行こう。Yは今日が5日間コースの終了日で、パーティーがあるんだって。だから、あとでそこに合流するんだ。明日は学校休みだから、久々に飲むぞお」

「おいおい、俺は具合が悪いんだ。酒は飲まない。このまま眠りたいんだ」

「マイペンライ。行こうよ、飲もうよ。マッサージしてあげたんだから、ビールおごってよ」

 いやはや。

 まったく。

 子供のようにごね続けるラーを、強引に部屋から追い出した。

 ちなみに、ラーという彼女のニックネームは“赤ちゃん”という意味だそうな。




 
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