午後7時過ぎ、やっと埼玉の我が家にたどり着いた。
前回出国したのが5月5日だったから、6ヶ月以上も留守にしたことになる。
青嵐の季は、いつしか梅雨、盛夏、秋分を経て初冬の様相を見せ始め、薄着、素足にサンダル履きの私はすっかり震え上がってしまった。
半年間のツケは大きい。
雑草の蔓が玄関先まで伸び尽くし、郵便受けは通信物の重さに耐えかねて地面に落下している。
すべての衣服をカビが多い、畳にはうずたかく埃が積もっている。
手紙や役所からの通知、請求書などの類いをチェックするだけでも数時間を要し、溜め息だけが際限なくあふれ出す。
たまらず、オムコイのラーに電話すると「クンター(じい様)、淋しいよお。会いたいよお」といきなり泣き出してしまった。
「・・・昨夜は全然眠れなくて、今日は全然食べられなくて・・・。見かねて隣りのプーノイ(修業した人)クンターが夕食に招いてくれたんだけど、やっぱりどうしても食べられない・・・昨夜はどうして電話くれなかったの?」
「実はバンコク発の飛行機が大幅に遅れて、香港発の成田行きに乗り継ぎできなかったんだ。だから、昨夜は香港に泊まって、ついさっき日本の家に着いたばかりなんだ」
「そう、じゃあとても疲れたでしょう。腰の痛みは大丈夫?」
「ああ、今は大したことはない。だけど、明日家を掃除して、生い茂った庭の雑草を刈って・・・と思うと、なんだかゾッとするよ」
「手伝えなくて、ごめんね。いろいろ大変だろうけど、無理してまた腰を傷めないように気をつけてね」
「ああ、分かっているよ。親父の50回忌に行けなくなったら大変だからな。とにかく、明日九州に行くためのチケットを買ってから、また電話するよ」
「うん、あなたが村(とラーは言う)に帰ったら、わたし、あなたのお母さんや家族にハローを言いたいんだ」
「オーケー。じゃあ、今夜はこれでおやすみ。淋しくなったら月を見るんだ。オムコイと日本がどんなに遠く離れていても、ふたりは同じ月を見ることができる。オムコイで、そう話したろう?」
「うん、分かっているよ。でも、クンター・・・わたし、いますぐあなたに会いたいよお」
ラーが、子どものように地団駄を踏む様子が目に浮かび、思わず苦笑する。
私が彼女につけたタイ語のあだ名は、“デクソン(いたずらっ子・利かん坊)”である。
*
長い間このブログを更新できなかったのは、ひと月以上もオムコイに滞在していたからである。
オムコイには、インターネットカフェ(といっても、ガソリンスタンドのパソコンを借用するわけなのだが)が1軒しかなく、そのパソコンでは日本語入力ができない。
従って、メールの返信はアルファベットを使ってなんとかこなせるのだが、ちゃんとした文章はとても書けないのである。
オムコイでは、毎日いろんな事件が起こり、ラーを始めとしてさまざまな人たちが喜怒哀楽に満ちた多彩なドラマを提供してくれた。
私自身もラーと共に人生の転機を迎えることになり、いま私の左手薬指ではリングが光っている。
オムコイの村では粗末な木材と竹で組まれたカレン族様式の家に住み、息子や何人もの甥っ子、親戚、隣人たちに囲まれて毎日を忙しく過ごしていた。
家から望むことのできる棚田広がる草原で8頭の牛を飼い、長姉から買い取った広大なバナナ畑で養豚や魚・蛙の養殖、野菜栽培などを行う算段を立て、甥っ子のひとりにバイクと車の修理工場を開業させた。
家にはひっきりなしに人がやってきて、“チョークディー(グッドラック)”という挨拶と共に焼酎を飲み干す儀式が絶え間なく繰り返される。
稲刈り(昔の日本と同じく鎌で刈る)と脱穀(稲穂を古タイヤや材木に叩きつける)の時季には、皆が持ち回りで助け合う。
汗をかいたら、川で水浴びをする。
持病の腰痛が再発した私は体を使うことができないから、“クンター(じい様)”というニックネーム同様にラーや村人たちの厚い庇護を受け、まるで権威ある長老のように常に上座を占めては酒や飲み物をふるまい、長々と寝そべってはバナナ葉巻をふかしながら皆の働きぶりに感心するばかりである。
村を離れる前夜には、ラーが昔世話になった老婆の葬式にも参加させてもらい、お棺のまわりをゆったりと回りながら死者に捧げる歌の善し悪しを品定めする独特の葬儀様式や、死者をそっちのけで賭けゲームに熱中する奇態な村人(ラーもそのひとりである)の生態にも触れることができた。
今や私は村人のひとりであり、初めはとまどったような表情を見せていた村人たちは老若男女を問わず、“クンター(じい様)、クンター”と声をかけてくれるのである。
とりわけ、隣家のプーノイは私の身元引受人のような役割を果たし、毎朝家にやってきては炉に焚き火をおこし、米を浸した水を腰や背中に吹きつける祖霊信仰にもとづいた治療を行い、薬草入りの焼酎を酌み交わすのである。
*
淋しがり屋のラーは、まだ隣家の炉端でプーノイ相手にだべっていることだろう。
充分にぬくもってまぶたが重くなったとき、彼女は竹組みのドアを開いて隣家の軒先に立つ。
そのとき見上げる月は、いま私が仰いでいる月と同じ満月に向かいつつある月である。
埼玉の夜空は、今にもこぼれ落ちそうな満天の星に彩られたオムコイの夜空とは較べようもないけれど・・・。
前回出国したのが5月5日だったから、6ヶ月以上も留守にしたことになる。
青嵐の季は、いつしか梅雨、盛夏、秋分を経て初冬の様相を見せ始め、薄着、素足にサンダル履きの私はすっかり震え上がってしまった。
半年間のツケは大きい。
雑草の蔓が玄関先まで伸び尽くし、郵便受けは通信物の重さに耐えかねて地面に落下している。
すべての衣服をカビが多い、畳にはうずたかく埃が積もっている。
手紙や役所からの通知、請求書などの類いをチェックするだけでも数時間を要し、溜め息だけが際限なくあふれ出す。
たまらず、オムコイのラーに電話すると「クンター(じい様)、淋しいよお。会いたいよお」といきなり泣き出してしまった。
「・・・昨夜は全然眠れなくて、今日は全然食べられなくて・・・。見かねて隣りのプーノイ(修業した人)クンターが夕食に招いてくれたんだけど、やっぱりどうしても食べられない・・・昨夜はどうして電話くれなかったの?」
「実はバンコク発の飛行機が大幅に遅れて、香港発の成田行きに乗り継ぎできなかったんだ。だから、昨夜は香港に泊まって、ついさっき日本の家に着いたばかりなんだ」
「そう、じゃあとても疲れたでしょう。腰の痛みは大丈夫?」
「ああ、今は大したことはない。だけど、明日家を掃除して、生い茂った庭の雑草を刈って・・・と思うと、なんだかゾッとするよ」
「手伝えなくて、ごめんね。いろいろ大変だろうけど、無理してまた腰を傷めないように気をつけてね」
「ああ、分かっているよ。親父の50回忌に行けなくなったら大変だからな。とにかく、明日九州に行くためのチケットを買ってから、また電話するよ」
「うん、あなたが村(とラーは言う)に帰ったら、わたし、あなたのお母さんや家族にハローを言いたいんだ」
「オーケー。じゃあ、今夜はこれでおやすみ。淋しくなったら月を見るんだ。オムコイと日本がどんなに遠く離れていても、ふたりは同じ月を見ることができる。オムコイで、そう話したろう?」
「うん、分かっているよ。でも、クンター・・・わたし、いますぐあなたに会いたいよお」
ラーが、子どものように地団駄を踏む様子が目に浮かび、思わず苦笑する。
私が彼女につけたタイ語のあだ名は、“デクソン(いたずらっ子・利かん坊)”である。
*
長い間このブログを更新できなかったのは、ひと月以上もオムコイに滞在していたからである。
オムコイには、インターネットカフェ(といっても、ガソリンスタンドのパソコンを借用するわけなのだが)が1軒しかなく、そのパソコンでは日本語入力ができない。
従って、メールの返信はアルファベットを使ってなんとかこなせるのだが、ちゃんとした文章はとても書けないのである。
オムコイでは、毎日いろんな事件が起こり、ラーを始めとしてさまざまな人たちが喜怒哀楽に満ちた多彩なドラマを提供してくれた。
私自身もラーと共に人生の転機を迎えることになり、いま私の左手薬指ではリングが光っている。
オムコイの村では粗末な木材と竹で組まれたカレン族様式の家に住み、息子や何人もの甥っ子、親戚、隣人たちに囲まれて毎日を忙しく過ごしていた。
家から望むことのできる棚田広がる草原で8頭の牛を飼い、長姉から買い取った広大なバナナ畑で養豚や魚・蛙の養殖、野菜栽培などを行う算段を立て、甥っ子のひとりにバイクと車の修理工場を開業させた。
家にはひっきりなしに人がやってきて、“チョークディー(グッドラック)”という挨拶と共に焼酎を飲み干す儀式が絶え間なく繰り返される。
稲刈り(昔の日本と同じく鎌で刈る)と脱穀(稲穂を古タイヤや材木に叩きつける)の時季には、皆が持ち回りで助け合う。
汗をかいたら、川で水浴びをする。
持病の腰痛が再発した私は体を使うことができないから、“クンター(じい様)”というニックネーム同様にラーや村人たちの厚い庇護を受け、まるで権威ある長老のように常に上座を占めては酒や飲み物をふるまい、長々と寝そべってはバナナ葉巻をふかしながら皆の働きぶりに感心するばかりである。
村を離れる前夜には、ラーが昔世話になった老婆の葬式にも参加させてもらい、お棺のまわりをゆったりと回りながら死者に捧げる歌の善し悪しを品定めする独特の葬儀様式や、死者をそっちのけで賭けゲームに熱中する奇態な村人(ラーもそのひとりである)の生態にも触れることができた。
今や私は村人のひとりであり、初めはとまどったような表情を見せていた村人たちは老若男女を問わず、“クンター(じい様)、クンター”と声をかけてくれるのである。
とりわけ、隣家のプーノイは私の身元引受人のような役割を果たし、毎朝家にやってきては炉に焚き火をおこし、米を浸した水を腰や背中に吹きつける祖霊信仰にもとづいた治療を行い、薬草入りの焼酎を酌み交わすのである。
*
淋しがり屋のラーは、まだ隣家の炉端でプーノイ相手にだべっていることだろう。
充分にぬくもってまぶたが重くなったとき、彼女は竹組みのドアを開いて隣家の軒先に立つ。
そのとき見上げる月は、いま私が仰いでいる月と同じ満月に向かいつつある月である。
埼玉の夜空は、今にもこぼれ落ちそうな満天の星に彩られたオムコイの夜空とは較べようもないけれど・・・。