【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【気分はソンクラン】

2008年04月09日 | アジア回帰
 

 4月も第2週に入って、村はすっかりソンクラン(伝統正月)ムードに包まれている。

 まずは、「開国記念日」2連休の初日に当たる日曜日にガムナン(統括村長)選挙があり、わが村在住の現役ガムナンが勝利を収めた。

 彼は弱者救済に熱心なことで知られ、村人の多くが彼の再選を望んでいた。

 彼と親しいラーも大喜びで、村人たちが次々に祝福に訪れる。

        *

 その祝祭ムードは翌日にまで持ち越され、早朝からあちこちの家で宴会が始まっている。

 豚の世話を終えて家に戻ると、隣家のプーノイ(修業した人)がソンクラーン用の花柄のシャツをまとって私を誘いにやってきた。

 ラーの通訳によれば、「今日は一年に一度の“冗談の日”。とにかく、一日中冗談を言い合って一年の憂さを晴らす」のだという。

 なんだかよく分からないが、「まあ、エイプリルフールみたいなものなのだろう」と考えて隣家におもむくと、すでに数人の村の衆が焼酎を酌み交わしている。

 話題は、おのずと昨日の選挙における私の“武勇伝”に集中した。

 といっても、泥酔して(投票所で酔っ払うなよな、まったく・・・)嫁のラーを侮辱した小学校教師を怒鳴りつけただけなのだが、この教師は生徒に暴力をふるうなどとても評判が悪く、誰もが一度が制裁を加えたいと思っていたらしい。

 ところが、タイでは教師の地位がきわめて高く、しかも彼の父親が村の実力者ということで、誰も手どころか口も出せなかった。

 そこで、私の「武勇」に多くの村人が喝采をおくっているというのである。

 背負い投げで投げ飛ばしたというのならともかく、ただ怒鳴りつけただけで誉められるのは面映ゆいが、そんな性質の悪い教師と知っていたら、裸絞めで締め落とすところだったのに、惜しいことをしたもんだ。

 もちろん酔っ払いの常で、宴席の話題はころころと転がっていく。

 “冗談の日”のはずなのに、そのうちに怒鳴り合いや夫婦喧嘩まで始まったので、早々に退散した。

         *

「ラー、いまの宴会もソンクランの一環なのか?」

「そうだよ。みんながハッピーだから、お酒もすすむ。ほら、今度は歌が始まったよ」

 さっきまでの怒鳴り声は収まり、隣家では男衆がソンクランの歌を歌い始めた。

「でも、本当の伝統正月は4月中旬の3日間なんだろう?このソンクラーン・ムードはいったいどのくらい続くんだ?」

「だいたい2週間かな」

「2週間?2週間もこの騒ぎが続くのか?」

 いやはや。

 すでに学校や会社の長期休暇が始まり、生徒や学生があちこちにたむろし、大人たちも昼間から赤い顔をして家々を巡っている。

 私も、久しぶりに焼酎を呑まされ、なんとなく“お祭りムード”に浸りつつあるところだ。

        *

 そこへ、今度は郡をあげての一大イベントである。

 昨日の朝、朝食を終えるとラーが「面白いものを観にいこう」と言い出した。

 なんでも、村別対抗の料理合戦があり、審査員が試食をしてその優劣を決めるのだという。

 会場に着くと、村人たちが私たちを取り囲み「行こう、行こう」と川原の方へ誘う。

 見ると、整地した川原に大きな綱が置かれていて「これから闘いが始まる」というアナウンスが聞こえる。

「ラー、これは綱引きじゃないか。何が料理合戦だ?」

「料理はあとあと。クンター、一緒に闘おう。わたしの村が勝つように力を貸してよ」

 勢いにおされて、実に何十年ぶりかの綱引きに臨んだのであるが、力及ばず、わが村は連敗に次ぐ連敗。

           *
 
 このあと、ラーの話どおり料理コンテストが始まり、昼食のあとで写真のような「水上騎馬戦厶エタイ」「うなぎつかみ競争」「スタンド・バスケットボール」「仔豚早どり競争」・・・と各種の村別対抗合戦が延々と続いた。

 この「ソンクラン前哨戦」ともいえるイベントは、夜になっても終わることを知らず、生歌付きディスコパーティーで踊り疲れた私たちは、夜10時半、逃げるように会場をあとにした。

 でも、楽しかったなあ。

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