【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【荷風もはまったワーグナー楽劇】

2005年10月16日 | ニューヨーク再び
 昨夜(14日金曜日)、メトロポリタンオペラハウスで『アイーダ』(ヴェルディ)の今季初演を観た。

 歌手は粒ぞろいで、久々に劇場を震わせるような声量をもつソプラノ(アイーダ)とテノール(ラダメス)を堪能したのだが、どこかでオペラの世界に浸りきれない自分がいる。

 これは、先月19日に観た今季オープニングガラ(フィガロの結婚、トスカ、サムソンとデリラを一幕ずつ)でも、さらには
10月に入って観た『ラボエーム』『ファルスタッフ』『カルメン』でも感じたことだが、ときどき意識が舞台から離れてカミさんやJudyのことに向かってしまうのだ。

 とりわけ、裁判に追われ今回はまだ一度もオペラに同伴していないJudyが抱える問題は大きなプレッシャーとなって、“夢見心地”を旨とするオペラの世界とは相容れないものとなっているらしい。

 ワーグナー楽劇を観るときは、決してこんなことはなかったはずだ。
 
 前回4月には幸運にもドミンゴの『ワルキューレ』を観ることができたのだが、出会って二日目のJudyがとなりに座っていても意識は完全に舞台に向かっていた。

 いや、むしろ夢のような出会いを果たしたオペラ好きのJudyとオペラグラスを交互に使いながら舞台に集中することで、いつにも増してワーグナーの世界が豊かに膨らんでこの身に迫って来たのだった。

 ワーグナーにはまったおかげで、その楽劇のビデオやLDはかなり繰り返し観ている。
 ストーリーも歌詞も大筋は頭に入っているので、英語の字幕を読む必要がない点も有利に左右しているのだろう。

 確かに、昨夜の『アイーダ』はイタリア語でそれほど好みのオペラではないから、英語字幕の助けが必要だった。
 不得手な英語を追うのに追われて、舞台から意識が逸れることもしばしばだった。

 ともかく、せっかくMETのシートに座りながらときおり訪れる“上の空”状態を打破するためには、どうしてもワーグナー楽劇が必要であると感じた次第。

 ワーグナーといえば、100年前にこのニューヨークで暮らした若き日の永井荷風も、一時期ワーグナーの楽劇にのめりこんでオペラハウスに通いつめている。

 オペラシーズンたけなわの1906年冬の日記を読むと、1月5日に『トリスタンとイゾルデ』(8日にはプッチーニの『トスカ』)、22日には『タンホイザー』、2月16日に『ローエングリン』、22日に『パルジファル』、3月6日に『ワルキューレ』と、まさしく“ワーグナーびたり”の日々を過ごしているのである。

 今では考えもつかない夢のような演目の連続であった。

 今季のメトロポリタンオペラハウスでは、『ローエングリン』と『パルジファル』の上演が予定されているが、いずれも冬季に入ってからで、11月初旬に帰国する俺はワーグナーを一度も観ることができない。

 頭の中で、うなるようなワーグナーの旋律が鳴り響き、稀にみる幸運に恵まれた若い荷風をぶん殴りたくなってきた。

 





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