古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

出雲と筑紫と大和の始まり

2019-11-23 19:17:34 | 歴史
前投稿で古代史と違う投稿をしてしまったので
一応蓋をしておきます。

出雲旅行関連ですが
出雲と筑紫、大和の始まりについてです。
前にも書きましたが国名に使った漢字についてです。

・出雲
 イズモ と呼ぶ国は弥生時代、古墳時代に始まります。
 出雲 と漢字で書いても イズモと読みませんよね。
 つまり、漢字が伝わる前からイズモと呼ぶ国がありました。
 平安時代に漢字二文字で国名を表すようになって
 出雲と云う漢字を使います。
・大和
 やはり、こちらも大和と漢字にしても、誰もヤマトとは読みません。
 こちらも弥生時代、古墳時代の呼び名です。
 魏志倭人伝に、邪馬台国が紹介されていて
 邪馬台 は ヤマト と発音していたのではないでしょうか。
 古事記などでは
 倭 と漢字一文字でヤマトよ呼んでいます。
 徐々に、倭、大倭、大和と漢字を変えています。
 大和という漢字にしたのは、やはり片アイン時代でしょう。
 もちろん、大陸の史記(魏志倭人伝など)を読んでいたことは
 間違いありません。
・筑紫
 こちらは、現在の読み方でも チクシ です。
 魏志倭人伝にも チクシ に該当する国名は登場しません。
 地理的には、伊都国、奴国になります。
 古墳時代に王朝交代があったのでしょう。
卑弥呼の死後(3世紀記後半)に弥生時代から古墳時代に変わります。
九州の吉野ヶ里の様な大型環濠集落がなくなります。
大きな権力を有した筑紫王朝が、環濠の開放を要求したのでしょう。
お墓の携帯も
弥生時代・・・甕棺による集合墳
から
古墳時代・・・王族(豪族)のみ古墳
にかわります。
装飾品には金製の冠や指輪などへ
銅矛や銅鐸の青銅製の祈祷文化も無くなります。
原因は
・卑弥呼の死で祈祷文化が終了
・大陸三国(魏蜀呉)の滅亡
・朝鮮半島の高句麗の南下
が理由です。
最初に九州北部で伊都国、奴国などに朝鮮人の移住により
政権交代が発生したのでしょう。
それが筑紫

出雲は、元々よりイズモと呼ぶ国がありました。
九州とは違って朝鮮半島の影響は弱く
古くより王朝が交代せずに残った国です。

大和は、二つの考え方があります。
1、元々、近畿に ??と呼ばれる国があった。
  後に魏志倭人伝などの史記を読んで
  自国の読み名を ヤマト(邪馬台)とした。
  或いは、神武東征の神話の様に九州から移住した王が
  近畿に作った国
或いは
2、古代より ヤマト(邪馬台)と呼ばれる国があって
  漢字を 倭 として、後に 大和 に変えた。
邪馬台国九州説の方は 1 です。
邪馬台国近畿説のあは 2 になりますね。
皆さんは、どちらでしょうか?
どうしても気になるが
天皇家の正当性を主張する「古事記」「日本書紀」に
九州から移住する神武東征のお話を挿入したのが不思議です。


他にも
漢字二文字読み二音
安芸、吉備など
宇陀(奈良)、宇佐(大分)も同じですが
似たような地名が九州と近畿に

漢字に意味を持たせた地名
日向

平安時代に出来た地名
吉野、熊野
「古事記」などの日本神話にあわせて名づけた?
高千穂など
地名から歴史を考えてみると面白いです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿