まず
魏志倭人伝から卑弥呼の時代の人口を考えてみます。
対馬国 千 余戸
壱岐国 三千 許家
末廬国 四千 余戸
伊都国 千 余戸
奴国 二万 余戸
不弥国 千 余家
投馬国 五万 余戸
邪馬台国 七万 余
微妙ですが、単位に
余、許
家、戸
が使われています。
余 は 以上
許 は 以下
の意味ではないでしょうか。
とにかくアバウトです。
魏志倭人伝の朝鮮半島でも
家、戸が表示されていて
2家 = 1戸 ではないかと云われています。
当時の家族関係で
おじいちゃんが主役
二人の男子(息子)夫婦と同じ家で生活する場合 戸
一人の男子(息子)夫婦と同じ家で成果する場合 家
ではないでしょうか。
それぞれの国の風習で
子孫を男子二入以上
と
一人の場合があったのではないでしょうか。
では
一家の場合
おじいちゃん+2~3人の妻
息子+3~4人の妻
子供5~6人
十数人
一戸(二家)は
更に、20人以上になります。
ざっとですが
対馬国 1.5万人
壱岐国 1.5万人
末廬国 2.0万人
伊都国 1.5万人
奴国 40.0万人
不弥国 0.5万人
ここまでで 合計50万人弱
投馬国 100.0万人
邪馬台国140。0万人
ここまで合計300万人程
+21国
それに対抗しうる狗奴国も
100万人
として、卑弥呼の時代の人口
合計 400万人超
その他に
瀬戸内海湾岸、近畿地方内陸部、四国東海の太平洋側に
約100万人
関東より北部北陸地方が
100万人とすると
合計日本列島
600万人
弥生時代の実行予想300万人を超えてしまいます。
奴国まで合計(九州北部)が50万人
この部分まであり得るかも??
邪馬台国近畿説で、狗奴国も西日本で計算
西日本だけで400万人
既におかしくなって来す。
疑わしい数値は
邪馬台国7万戸
投馬国 5万戸
大陸の使者が実際に確認したわけではありません。
多分、倭人が使者に大げさに伝えたのでしょう。
奴国2万戸<投馬国<邪馬台国=狗奴国
の順番を伝えたかった。
しかし
それも事実とは限りません。
魏志倭人伝から卑弥呼の時代の人口を考えてみます。
対馬国 千 余戸
壱岐国 三千 許家
末廬国 四千 余戸
伊都国 千 余戸
奴国 二万 余戸
不弥国 千 余家
投馬国 五万 余戸
邪馬台国 七万 余
微妙ですが、単位に
余、許
家、戸
が使われています。
余 は 以上
許 は 以下
の意味ではないでしょうか。
とにかくアバウトです。
魏志倭人伝の朝鮮半島でも
家、戸が表示されていて
2家 = 1戸 ではないかと云われています。
当時の家族関係で
おじいちゃんが主役
二人の男子(息子)夫婦と同じ家で生活する場合 戸
一人の男子(息子)夫婦と同じ家で成果する場合 家
ではないでしょうか。
それぞれの国の風習で
子孫を男子二入以上
と
一人の場合があったのではないでしょうか。
では
一家の場合
おじいちゃん+2~3人の妻
息子+3~4人の妻
子供5~6人
十数人
一戸(二家)は
更に、20人以上になります。
ざっとですが
対馬国 1.5万人
壱岐国 1.5万人
末廬国 2.0万人
伊都国 1.5万人
奴国 40.0万人
不弥国 0.5万人
ここまでで 合計50万人弱
投馬国 100.0万人
邪馬台国140。0万人
ここまで合計300万人程
+21国
それに対抗しうる狗奴国も
100万人
として、卑弥呼の時代の人口
合計 400万人超
その他に
瀬戸内海湾岸、近畿地方内陸部、四国東海の太平洋側に
約100万人
関東より北部北陸地方が
100万人とすると
合計日本列島
600万人
弥生時代の実行予想300万人を超えてしまいます。
奴国まで合計(九州北部)が50万人
この部分まであり得るかも??
邪馬台国近畿説で、狗奴国も西日本で計算
西日本だけで400万人
既におかしくなって来す。
疑わしい数値は
邪馬台国7万戸
投馬国 5万戸
大陸の使者が実際に確認したわけではありません。
多分、倭人が使者に大げさに伝えたのでしょう。
奴国2万戸<投馬国<邪馬台国=狗奴国
の順番を伝えたかった。
しかし
それも事実とは限りません。
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