古代日本の歴史を謎解き

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地名から古代を推測 「古事記」「日本書紀」

2019-09-23 13:53:36 | 歴史
平安時代作成された日本の歴史書
「古事記」「日本書紀」に登場する地名は
自らが名前を付け漢字にした地名です。
平安時代より前
古墳時代から飛鳥時代の始まりです。

九州は
筑紫(現在も筑前、筑後、筑豊など呼び名があります。九州北部で間違いないです)
熊襲(古事記などでは九州南部の国です、九州説では狗奴国)
豊国(トヨ国でしょうか、漢字一文字です。大和朝廷が初めた氏姓制度より以前に
   国名を漢字にしていたのでしょう)
日向、宇佐
安芸、吉備、浪花
熊野(近畿説では狗奴国)
宇陀
出雲
大和朝廷の氏姓制度に従って、それぞれの国が漢字二文字で名前を付けます。
大和朝廷の意思に賛同した国づくりがありました。
多分、熊襲だけが最後まで反発したため大和朝廷が勝手に漢字をあてた可能性があります。
あまり良い意味の漢字ではありません。
後に
・大和尊の熊襲征伐
・仲哀天皇、神功皇后の熊襲征伐 の物語がありますが
筑紫や豊国ではありません。
九州南部の熊襲国の征伐です。

魏志倭人伝」に登場して金印が贈られた 奴国が登場しません。
末盧国 が松浦半島 で
対蘇国(とすこく) 鳥栖
蘇奴国(さがなこく)佐賀
呼邑国(おぎこく) 小城
華奴蘇奴国(かなさきなこく)神崎
鬼国(きこく)   基山
など、福岡、佐賀地方であれば
紹介されている30国のほどんどが
筑紫 になっています。
三世紀の権力者 邪馬台国の卑弥呼
から
筑紫一族に権力が変わっています。
筑紫一族が卑弥呼一族の末裔の可能性は少ないので
卑弥呼の死後、九州の支配が筑紫に変わったのです。
卑弥呼一族の後継者は 台与 ですので
豊国(トヨ国)が邪馬台国の後継となります。
台与の国造りに協力した魏国の役人 張政らが
漢字を使って 豊国 としたのでしょう。
この時から 奴国、邪馬台国などの国名がなくなりました。

諸国の地名を決めて国を統一する大和朝廷ですので
自らの国名 大和(ヤマト)を決めたのもこの時代です。

多分、卑弥呼の死後
最初に地名を漢字にしたのが 豊国
次に、筑紫、日向(共に漢字に漢字に意味があります)
※紫は大陸で高貴な色です。
次に、出雲
そして大和(税所は倭を使ったかもしれません。)
大和朝廷の指導の氏姓制度で漢字を二文字使った国が
宇佐、安芸、吉備、宇田など漢字二文字読みも二音です。
熊野は発音が三音です。
大和と同様に「魏志倭人伝」に登場する
邪馬台国、狗奴国 をイメージした名前ではないでしょうか。

豊国(漢字一文字、読み二音)
筑紫、熊襲、日向、出雲、淡路、大和、熊野(漢字二文字、読み三音)
その他多くは、漢字二文字、読み二音です。
たまたま、魏志倭人伝に九州地方の国名が紹介されていますので
九州の権力の移り変わりが読み取れますが
近畿を含めて、その他地方の状況は殆どわかりません。
特に地名は漢字が無いと難しいです。
末盧国 が松浦半島の様に
紀伊半島や琵琶湖が当時の呼び名のヒントかもしれません。
キイ も ビワ も古代の名前の響きを感じるのですが
如何でしょうか。


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