古代日本の歴史を謎解き

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邪馬台国 と 大和朝廷(近畿説編)

2018-09-15 18:59:23 | 歴史
以前にも同じような投稿をしましたが、もう一度、まとめておきます。
まずは 邪馬台国
邪馬台国と書いて、 ヤマト国 と読む
この説は、結構多くの方の意見があります。
その邪馬台国か、魏志倭人伝に
「倭国大乱の際、邪馬台国の卑弥呼が女王となる事で大乱が治まる。」とあります。
多分、西暦180年位とされていますので
その時には、卑弥呼は邪馬台国で祈祷師として台頭していた。
邪馬台国は、それ以前より存在していた。
「漢委奴国王」の金印が贈られた時代に
或いは、それ以前より、かなり古く縄文時代より
邪馬台国の始まりは不明ですが、卑弥呼が倭国の女王になる前から
存在していた国です。

邪馬台国近畿説では
紀元前位から近畿奈良地方に ヤマトと云う国があった。
大陸に国の名前を伝えたときにヤマトが 邪馬台 と漢字になった。
南へ水行10日陸行1月は 東への間違い
魏志倭人伝に紹介される倭国は出雲、近江など山陰から近畿、四国、九州の西日本一帯
海を隔てて東に住む倭人とは、琵琶湖の東側
邪馬台国の南にある敵国 狗奴国は 熊野の事
となります。
そして、卑弥呼が倭国の女王になり、五百年ほど発展して、大和朝廷となる。
こちらの方が、邪馬台国と大和朝廷の関係を説明するにはすっきりしますよね。
こちらが弥生時代後期の祭器文化圏の地図です。

倭国大乱は、銅矛文化の九州北部と四国東部で起こり
銅鐸文化圏の近畿にある邪馬台国の卑弥呼に女王になってもらった。
と云う事です。

九州説の反論
魏志倭人伝に、倭国を回ると5000里
東の端を海を渡って倭人の国は四国
ちょうど、銅矛文化圏が倭国である。
勝手に南を東にかえるな!!




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