古代日本の歴史を謎解き

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弥生時代の二つの文化圏

2020-11-29 13:45:00 | 歴史
前投稿の補足です。
弥生時代(卑弥呼の時代)には西日本は
銅矛文化圏(九州中心)
銅鐸文化圏(近畿中心) に分かれていました。
出雲など中国地方には別の文化圏もあります。

この時代の鉄製品の普及は、銅矛文化圏です。

想像出来る事ですが
銅矛文化圏では、武力が信仰されていて、争い事があった。
弥生時代に大陸から銅矛や鉄製品の武器も入ってきます。
新しい国造りの課程で争いが続いたのでしょう。
魏志倭人伝では、90年に及ぶ倭国大乱と記されています。
銅鐸文化圏では、比較的平和で、争いごとは少なかった。
農耕や環濠集落など大陸の文化も入ってきますが
幸いに鉄製品の普及は遅れています。
後の大和朝廷にみられる連合国体制は銅鐸文化圏の方が早かったのでは?
倭国大乱の後、諸国から推薦された女王卑弥呼がとった政策は
祈祷の信仰を中心とした連合国家体制です。
卑弥呼は銅鐸文化圏の国づくりを参考にしたのでしょうか
或いは、銅矛文化圏の出身だったのか?
もし、卑弥呼が銅鐸文化圏の大和朝廷の覇者であれば
卑弥呼の時代に銅矛文化圏が無くなりそうですが。

卑弥呼の死後
銅矛文化圏、銅鐸文化圏は無くなり
環濠集落など弥生時代の特徴もなくなります。
西日本では
九州の 筑紫
山陰の 出雲
近畿の 大和 など強国ごとに分かれた古墳時代に突入します。
200年以上の歴史を得て
飛鳥時代、奈良時代、平安時代に仏教、漢字が伝わり
大陸の国づくりを真似する為に遣隋使、遣唐使を派遣
日本国として一つにまとまります。
女王卑弥呼の邪馬台国が西日本を統一した連合国とは考えにくいのですが
如何でしょうか。

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