古代日本の歴史を謎解き

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副官 卑奴母離 は軍の長官

2019-10-20 15:20:31 | 歴史
まだまだ、魏志倭人伝からわかる古代の事実があります。
官、つまり役職名で、卑狗 と 卑奴母離 が多数登場します。

     官        副官
対馬国 卑狗       卑奴母離
一支国 卑狗       卑奴母離
伊都国 爾支(にき)   泄謨觚(しまこ)・柄渠觚(ひここ)
奴国  兇馬觚(しまこ) 卑奴母離
不弥国 多模       卑奴母離
卑狗(彦:ヒコ)は王、又は皇子で男性の長
玄界灘側の国々で副官に卑奴母離(ヒナモリ)が四人登場します。
その役目は、防衛(人守)ではないでしょうか。
弥生時代、大陸の大国(漢、魏)は朝鮮半島の支配に力を入れています。
もちろん、その先には 倭国があり
朝鮮半島の国々も生き延びるために倭国へ勢力を広げる可能性が十分にあります。
玄界灘の国々には、防衛の為の武人組織が必要でした。
もちろん、邪馬台国の卑弥呼も必要性を感じていたでしょう。
「漢委奴国王」の金印
卑弥呼に贈られた「親魏倭王」の金印は
大陸の強国との安全保障条約で必要だと感じて実行したのでしょうか。
弥生時代の鉄器の出土数でも

福岡、佐賀が圧倒的です。
地図の上では有明海上でも多数ある様に描かれていますが
多くは玄界灘側です。
朝鮮半島の状況、大陸の情報は
交易の中で、伊都国の一大卒を通じて
卑弥呼に伝えられてでしょう。

銅矛文化圏と銅鐸文化圏の地図でも

九州北部の邪馬台国連合が銅矛文化圏です。
朝鮮半島からの侵略の心配が排除できない
九州の地理的条件の為
武力の証である銅矛を祈祷、信仰したのです。

有明海の地形で農耕や生活に有利な土地は
筑後川周辺です。
参考までに古代の有明海の地図です。

現在では内陸にある久留米市も湾岸の地域です。
奴国が二万戸
邪馬台国は七万戸ですので
博多湾よりかなり広い地域です。
筑後川の広い部分が邪馬台国ではないでしょうか。
その中の、どこかに卑弥呼が1000人の女性と暮らす館があったというわけです。
ここまで如何でしょうか。
魏志倭人伝を読む限り
卑弥呼の邪馬台国は
福岡県南部、熊本県北部の有明海側としか考えられません。

朝鮮半島の方には残念ですが
半島は東西に 百済と新羅に分かれて
一つにまとまることはありませんでした。
北には高句麗の南下政策と倭国に挟まれる時代です。


       

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