古代日本の歴史を謎解き

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日本神話まとめ と聖徳太子の幻の歴史書「天皇記」

2020-06-13 15:30:09 | 歴史
いつも読んで頂きありがとうございます。
先月からはじめました日本神話の目次です。
・日本の神様のお話「日本神話」
・日本神話の世界観
・日本神話 天地開闢~イザナギ・イザナギ
・イザナギとイザナミの国産み・神産み
・黄泉の国~イザナギ・イザナミ
・天照大神様、素戔嗚命 誕生
・誓約~天照大神・素戔嗚命
・天岩戸隠れ~天照大神
・八岐大蛇の退治~スサノオ
・天孫降臨~瓊瓊杵尊(ニニギ)
・神武東征~磐余彦尊(イワレビコ 後の神武天皇)
これでも大分割愛していますので、全体的な流れだけです。
「古事記」の上巻に紹介されています。
以後、中巻(初代~15代天皇)、下巻(16代~33代天皇)は歴代天皇のお話で
43代元明天皇に712年に献上されています。
34代舒明天皇(623年~)から43代元明天皇は特に記述しなくても良く知られていたのでしょうか。
十世代、過去100年ぐらいは伝承でも大丈夫・・・
720年に作成された「日本書紀」にも同様な神話が紹介されています。
※日本書紀には41代持統天皇まで
仏教と同時に漢字が大陸から伝わり、大陸の歴史書の匹敵する国書が必要だったのでしょう。
ちょっと不思議におもうのは、元明天皇は自分が43代目である事は知っていたのでしょうか。
この「古事記」の作成で初めて自分が43代である事を知った??
どうも違うようです。

実は、それより100年ほど前に天皇の歴史書を作成した人がいます。
620年に蘇我馬子と聖徳太子が「天皇記」と「国記」を作成しています。
※後の争いで焼失した事になっています。
この時代には自分が何代目の天皇であるかは決まっていたでしょう。

推古天皇が33代の時代です。
それから十数代前くらい前は十分に正しく伝承されていたでしょう。
内容からしても26代継体天皇(507年~)に関する記述は大分、事実に使いと思われます。
この時代ごろは自分が何代目であるかは、伝承で決まっていたのでしょう。
当時の寿命は50歳ほどです。十代後半から20代で結婚、出産なので一代は20年位でしょう。
507年 26代継体天皇が正しければ
初代神武天皇は370年位(507年ー26人X20年)となります。
古墳時代ですね。
※初代神武天皇を辛酉の年(紀元前660年2月11日)に設定したため
100歳を超す長寿の天皇が紹介されています。
歴代の人数が正しいかもしれませんが、その実態はかなり疑わしいです。

もし神武東征が事実の伝承であれば、古墳時代に九州の一族が近畿へ移住して新しい国づくりを行い
ヤマト朝廷が出来た事になります。
日本神話に登場する
・天照大神の岩戸隠れ
・素戔嗚の八岐大蛇退治は
古墳時代に伝承で信じられていた神話です。
弥生時代の卑弥呼の時代に九州で皆既日食が二年連続であった事も現在ではわかっています。
もちろん、平安時代の人達が知りえる情報ではありません。
天照大神=卑弥呼 と信じているのですが、如何でしょうか。

神武東征~磐余彦尊(イワレビコ 後の神武天皇)

2020-06-13 13:09:28 | 歴史
無事天孫降臨を成し遂げたニニギの孫が
火折尊(ホオリ)海幸彦・山幸彦の神話に登場する
山幸彦で弟の方です。
イワレビコは、更に孫にあたり、兄に五瀬命(イツセ)がいます。

九州を離れて東の土地(近畿)に移動しよう神武東征のお話です。
古事記の上巻の中でも最も長いお話です。
簡単にストーリーの流れを紹介します。
事の始まりは
天祖の降跡より以逮このかた
今一百七十九万二千四百七十余歳。而るを遼邈なる地、猶未だ王沢に霑うるおわず。遂に邑
むらに君有り、村ふれに長有り、各自疆さかいを分かちて用て相凌躒せしめつ。
抑又はたまた塩土老翁に聞きしに曰く、「東に美地有り、青山四よもに周めぐれり。
其の中に亦天磐船に乗りて飛び降れる者有り。」といいき。
余謂おもうに、彼地は必ず当まさに以て大業を恢弘し天の下に光宅するに足りぬべし。
蓋けだし六合の中心か。
厥その飛び降れる者は、謂うに是饒速日か。何ぞ就きて都なさざらむや。

「ニニギが天孫降臨して179万年もたった!!
 この土地を離れて東へ行こう」兄イツセと共に船軍を建てて出航します。
出発地は、日向で、航路は
・豊国(ふこく)の宇佐で食事を振舞われる。
・筑紫の岡田宮(おかだぐう)で1年過ごす。
・阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年間過ごす。
・吉備国の高島宮(たかしまぐう)で8年過ごす。
・浪速(なにわ)の渡(現在の大阪湾)を過ぎ、白肩津(しらかたのつ)に停泊
下の様なルートで間違いないです。


ここまでは順風満帆、食料も武器も兵も十分だったでしょう。
しかし
浪速国の白肩津に停泊すると、登美能那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢が待ち構えていた。
その軍勢との戦いの中で、五瀬命は那賀須泥毘古が放った矢に当たってしまった。
五瀬命は
「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。
 廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言った。
敗戦ですね。一行は和歌山方面へ迂回しますが、途中で台風に合い
イツセらが海へ身を投げる事を無事、紀国の男之水門へ上陸
船は壊滅的な状態ではなかったのでしょうか。
日を背にして進軍するなら伊勢に上陸した方が良いと思うのですが。
瀕死の状態のイワレビコ一団
熊野の高倉下(タカクラジ)らを征伐して大和の宇陀を攻撃、国を立ち上げます。
目的地である磐余の弟師木(オトシキ)を帰順させて兄師木(エシキ)と戦った。
最後に、登美毘古(ナガスネビコ)と戦う。
そこに邇藝速日命(ニギハヤヒ)が参上し、天津神の御子としての印の品物を差し上げて仕えた。
白檮原宮で神武天皇として即位
※「ニニギおじさん、そんなに簡単に来れるのであれば、その方法教えてよ!!」って感じですね。
まあ、それはおいといて
お話の流れは
・出荷地は九州の日向(ニニギの天孫降臨も九州の高千穂で間違いないです)
・九州北部~瀬戸内海の国々は、イワレビコ一団を快く迎えてくれた。
・近畿の一族とは、全て戦争になり、苦境の状態まで陥る。
・和歌山の地方より徐々に進行し、武力で制覇
・兄イツセの仇ナガスネビコを倒して即位した。
こんな流れです。
ここまでが「古事記」の上巻に紹介されている内容です。

元々、天皇の正当性を主張する為に作成された「古事記」
ご先祖様が九州出身で武力で近畿を制圧したお話「神武東征」は必要なの??
ニニギの天孫降臨の地を近畿の山奥に設定して
徐々に周囲の国々が従ってくるお話にした方が良くない??
私が思う最大の不思議は
「神武東征」のお話が
なぜ必要だったのか??と云う所です。


以上で、「日本神話」のお話は終わりです。
大分、省略していますので詳しくはネットで検索してみて下さい。
次に、まとめという事で「目次」を準備しておきますね。

天孫降臨~瓊瓊杵尊(ニニギ)

2020-06-13 11:54:24 | 歴史
再び、高天原の出来事のお話になります。
※出雲の清湾も沢山あるのですが、かなり割愛しています。

天照大神と素戔嗚との誓約で産まれた 天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)も結婚して
瓊瓊杵尊(ニニギ)が産まれていました。
地上(葦原中国)はかなり乱れていたようで
高天原の誰かが地上へ降りる(天孫降臨)が議論されました。
人選には色々とありました。
※天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)の名前もありましたが
 以前に出雲の国譲りの際(すみません割愛しています)に失敗している事、没
結局、ニニギがお供を連れて天孫降臨する事に決まります。

お供には
<五部神>
・天児屋根命(アメノコヤネ):天岩戸伝承で祝詞を奏上した祝詞の神
・布刀玉命(フトダマ):天岩戸伝承で鏡を掲げた祭祀の神
・天宇受賣命(アメノウズメ):天岩戸伝承で踊りを披露した芸能の女神
・伊斯許理度売命(イシコリドメ):天岩戸伝承で八咫鏡を製作した神
・玉祖命(タマノオヤ):天岩戸伝承で八尺瓊勾玉を製作した神

<三種の神器の警備役的副神>
・天手力男神(アメノタヂカラオ):天岩戸伝承で岩戸を蹴散らし、アマテラスを救出した腕力の神
・思金神(オモイカネ):天岩戸伝承他、あらゆる軍議で助言を呈してきた智恵の神
・天石門別神(アマノイハトワケ):天岩戸の管理をしていた門番を司る神
前のお話 天照の天岩戸隠れの神話で活躍された神様達です。
天照からみればニニギは孫、2世代違いますが???
その時に、現在の天皇の三種の神器
八尺の勾玉(やさかのまがたま)
八咫鏡(やたのかがみ)
草薙剣(くさなぎのつるぎ) を渡されます。

※は草薙剣は素戔嗚が八岐大蛇の退治の際に尻尾から出てきた神剣
 ここも割愛してしまいましたが、天照の元へ譲られています。

途中で猿田彦が道案内を申し出てきて加わります。
現在で云えば 道祖神です。その容姿は
鼻の長さだけでも七咫(ななあた:約120センチ)
背丈が七尺(約210センチ)、口と尻からは明るく光り
目は八咫鏡の如く丸く赤く輝く、結構醜いですね。
手塚治虫先生の「火の鳥」では

な感じです。
この後、アメノウズメと結婚、ハッピーエンド??

ニニギら一行が降り立った土地は「筑紫の日向の高千穂のクシフルタケ」
現在の私たちはすぐに九州の高千穂峡をイメージしますが
当時(平安時代)の方々は如何でしょう?
高地にある沢山の稲穂が生えている土地?
地上のあり、高天原に近い土地ですので
山中の高い場所と云うイメージを伝えたかったのでしょう。

次のお話を読んでみると 九州の高千穂峡で間違いないようです。