昨日はひどかった。たったあれだけでなんで2時間かかったのかといえば1時間半はブラウザかgooのシステムの何か。落っこちて再起動とかを散々した結果だ。
続きといっても相変わらずのヨタだ。ナイジェリアのイスラム過激派というのもおかしいポゴ・ハラムの兵士が飢えて投降したという。カメルーン・チャド・ニジェールに広がっていたポゴ・ハラム、その人身売買やら虐殺やら一時はISISをはるかに上回る残虐さで知られていた。殺された民間人は2万人、難民化した人は200万と言われている。
信仰では腹は膨れ無い。その現実に気がついたのだろうか。取り合えず神は腹までは救え無い。
白鳥が飛んで行きます。どうも昨年からのようですが温暖化で渡りの時期が分散化しているのではないのかと思われます。ピークレベルで3000機がトランジットする高松の池空港ですが、今年は2月中旬の1000機程度がピークレベルで、すでに減少傾向にあるようです。分散化の影響でピークがはっきりと現れずにあると考えています。
ただまだチャンスがあるとすれば、3月7・8・9日でしょうか。ここの予想最高気温がとても高い。それでも夕方の日のあるうちからドンドコやってくるというのは期待できそうにもありません。どうも17時以降に飛来する数が多いようで、その傾向は変わっていません。
なおこの群れは近くの四十下空港に向かったようです。
ハジロ類もめっきり数を減らしてきています。
ホシハジロもこうやって撮ればカッコいいのかと気がつきました。
オオバンは今日も走っています。
ニューズウイークで最近えらい出稿量の遠藤誉氏ですが、細かなネタが出てくるのがとても好感が持てます。
「四つの全面」とは、「小康(ややゆとりのある)社会の全面的建設」「改革の全面的深化」「全面的な法による国家統治」「全面的な厳しい党内統治」のことで、2015年2月に正式に発表された。中共はこの四つを「鳥の両翼、車の両輪」として位置付けている。
空々しいスローガンが多すぎて、党幹部にオベンチャラを言って出世しようと思っている人くらいしか関心を示さないため、「ラップ」と「ベートーベン」という、若者の耳目を引く方法を考え付いたわけだ。
ということで、その4つの全面を歌にして、しかもラップと第九に乗せたという話です。ここの記事のタイトルにある神曲というのは、日本人のネットスラングと大体同じ意味だと思いますが、中国人はもう少し深い意味を与えていてるようです。
中国の若者に聞いてみると、中国では最初のころは「神曲」とは「人の魂を洗脳してしまうほどの効果がある歌曲」という感じで、爆発的に流行し感動を与えた曲を指していたが、そのうちネットスラングとして使われるようになり、爆発的に流行するだけでなく、「奇妙奇天烈(きてれつ)な要素が強い曲」を指すようになったという。また「神のごとき力でも持っていない限り、とてもうまくは歌えない」という意味から、「党は神のごとき存在なり」「だから洗脳できる」というニュアンスにも転用され、「いかに中国共産党が偉大で、神のごとき存在か。なぜなら、どんな嘘っぱちを言っても、人民を洗脳できるんだから」という揶揄(やゆ)も込めるようになったとのこと。
神曲といったのはニューヨークタイムス中文版なので、そういった皮肉が効いている。中国共産党がいっているわけではない。個人的にこの多分原始的CGアニメーションといい、合唱団に同じ人がいたりしてその雑さ加減がニャカニャカに面白い。音楽は以外と作り込んであって面白いものだ。とは言ってもこれで中国の今の若者を納得させられるのか無理だろう。
まあそれでも中国13億人をどうしようかという共産党の努力はよく分かる。翻ってその10分の一の日本では、「ややゆとりのある社会の全面的建設」「(政治・経済の)改革の全面的深化」「現実的な法による国家の建設」「全面的な厳しい党内統治」と書き直すと、日本にも当てはまりそう。
全面的な厳しい党内統治だけが、もしかすると問題かもしれない。
現代ビジネスで田原総一郎氏が「戦後レジームの正体」という連載を書いている。その9回目の中で日本型小選挙区制の問題が出ている。自民党はかなり初期から派閥政治の問題から小選挙区制を考えていたというのだ。だが自民党内ではまったく違う報告書があったという。
「自由民主党基本問題懇談会によって、まとめられていたのである。「21世紀を準備する新しい型の政党へ――自由民主党組織活動のビジョン」で、田中角栄が首相に就任する半年前の1972年1月のことである。」
「わが国の諸政党のなかで、自民党ほど自由と多様性を尊重する組織原理を持っている政党はない。党内に多様な立場や意見が存在し、それらが自由に自己を主張し合い、競争し合っているという状態、その柔構造、多重構造の組織性格こそが自民党の生命力の根源である。この組織上の特質は、画一的な思想統制、同質性、一元性などを基本的な組織原理とする政党とは根本的に異なっている」
小選挙区制の問題点はこの一点に尽きるだろう。なぜ海外ではうまくいって日本ではうまくいかないのかは、日本の多様性をわかっていないとうまくいかないということだ。その上で政治家育成システムがない。正確にはかつてはあった。派閥だった。そこでの序列での育成システムは確かに多様な人材を生み出せないというkとはあったが、エキスパートは育成できた。その中でのグジャグジャとした意思決定が問題になったのだが、今のように党が全て賄うからお飾りで頑張ってという議員が増えているのはどうなのかと思う。
イギリス型の小選挙区制を、小沢一郎は考えていたと言われている。地方議会から始まって市長、県議会、県知事、そして衆議院や参議院へと育てるというものだ。ただイギリス型は党が育てた人物を、村議会から始めたとしても次の市長選はまったく地盤のないところで立候補させるという過酷なものだ。どんどん地盤を変えながら最後の首相選に上り詰めるわけで、日本のように土地とゆかりのあるというだけでは済まされない。
日本では、その落下傘形式だけを真似たわけだ。そして日本では演説というのは意味がない。利害関係がない限り演説というものは、決して聞かれないものだからだ。空論ばかりが並ぶのは、かつて威勢のいい言葉を言った人たちが最悪の結果を生んだからだ。
カラスがいつもと違うところへ飛んで行く。新しいねぐらはどこなのだろうか。
あいつらとは違う、と言い張る中国と韓国と北朝鮮と、そして日本は結構似ていると思う。ただ強烈な生存競争の中国と、この近年だけで、昔は中国なしには生き残れなかった韓国と、今一生懸命人民が飢えても虚勢をはっている北朝鮮と、地政学的にのほほんとできているだけの日本は、以外と似ている。
まあ違うというだろう。だがね、日本におけるフツーの人、年収300万あたりを見ていると、そうなんだけど誰も見ていないからいいのかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます