どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ようやく青がいた

2014-06-21 22:02:51 | インポート
Dsc_7643




隣の大学を観察している。ワールドカップの年にはサッカー日本代表のユニホームを着て歩くお調子者が必ずいるのだが、今年は全くいなかった。


ようやく11時に発見した。だがよく見るとKIRIN FIREと書かれている。つまりはキリンのノベルティグッズを着ているだけであって、積極的に購入したものではないようだ。町中でも青のサッカージャージを着て歩いている子が数人いたが、サムスンジャージだった。もちろん時間が午後と遅かったせいもあるかもしれない。


今の所、公式レプリカジャージもTシャツも着て歩いている人は見ない。もちろん街に行けばいるようだ。コートボジワール戦の時には、駅前にかなりいたらしい。だが、なぜか隣の大学にはいない。もしかすると応援する時だけ、サムライブルーを着て、試合が終わるとすぐに着替えたのかもしれない。特に今回は午前中の試合だったので、家で見て試合結果で着替えて大学に来ていたのかもしれない。





Dsc_7551




ヤマザキのハンバーガーだが、この期間限定で包装がこうなっていた。それこそJFL公認の食品とかもあるが、そんなに売れていないように見える。公認のあるパンは、毎日売れ残っている。


もちろん売れているものもある。それは元々コストパフォーマンスが高かったり売れていたりするもので、この期間の限定発売品なんかは、売れていないようだ。


これはどういった事なのだろうか。



Dsc_7636




今回一番特徴的だったのは、やはり渋谷アルタ前だった。ギリシャにドローでも、ハイタッチしてはしゃぐ人たちで溢れたわけだ。これをテレビで見てドン引きした人たちはかなりいるだろう。


まあ確かにあの場での流儀であるのだろう。だがやはり応援することが主な目的であって、応援する対象は何でもいい、と言うのが見えてしまったわけだ。自分たちが盛り上がった事に対して、一体感を示すためにあのハイタッチがあったのだろう。


そう考えると、雨の中コートボジワール戦の会場でゴミ拾いをする日本人達と言うのは、異様なものに見えてくる。本来だったら負けてがっかりして、何も手がつかない状態で帰るのが普通だ。しかし立つ鳥後を濁さずではないが、そう言った美意識があるのだろう。だが夢中で応援しているのに、その美意識を捨てられないと言うこのとなのか。
「熱く」て「醒めている」不思議な集団だったと言う事になるだろう。


それではなぜ「熱く」て「醒めている」のかだ。もしかするとJリーグの応援スタイルに問題があるのかもしれないが、統制がとれていないとなにか嫌がる日本人気質がある。皆で心一体に応援をしようとすると、ある様式に辿り着いてしまう。そこに反撥したくとも出来ない人たちがいるわけで、応援中も実は醒めている人たちがいっぱいいるのかもしれない。



この日本人のゴミ拾いなのだが、海外では日本人には考えられない批判があるようだ。「人の仕事を奪っている」。



これに対する日本人からの答えをまだ聞いていない。この話題は1998年のフランス大会からあるようだが、この時は偶然だったのかもしれない。だがそれが海外で話題になって、先例主義的に受け継がれているものだけかもしれない。


私見だが、日本のスタジアムでは清掃と言う概念が、希薄な所がある。いや体育館とか屋内ではきっちりやっているが、屋外になるとどうもぬるい所がある。それは野ざらしになっているからだ。あらがえない自然に対して出来る事はそうそうない。やっても無駄だ、そう言った所があると思う。大きな大会の時にはそれなりに清掃するが、スタジアム全部の面積に対して、常に清掃の人がいるわけではない。


ここが海外との最大の違いなのかもしれない。要はそんな予算なぞ無いのだ。だから人が集まりやすくなれば汚れる。でも清掃する人がいない。だから清掃する人と言う概念が無い。


なのでJリーグのスタジアム当たり、特にホームグランド当たりから、サポーターが初めたのではないのか。屋外だがホームグランドだ、だからきれいにしよう、それはサポーターも協力しよう。と言った流れではなかったのか。


クラブ運営が厳しいからそうなるのだろう。



それが当たり前になっていると言う事が、問題なような気がする。