へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

ネット「世論操作」 請け負う会社の正体!!

2009-09-29 09:50:41 | Weblog

ふぐり玉蔵さんも、こうした手合いに、
悩まされているのだろうか?!
工作員御用達のネット荒らしツールが、
在るらしい!!



 このところ、『ふぐり玉蔵さん』ちに、お出ましのご様子。こういう手合いがお出ましになると言うことは、相当その情報が不都合であるとの、逆証明になる。大局的に観て、逆効果だと思うが、いかがなものであろう。


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<二階堂どっとコムより拝借>

 それぞれに批判というものがあっても良い。考え方、捉え方、見方は千差万別だからだ。それは信条の自由というものである。操作はいけない。卑怯なやり方だ。


 昨今、あるコメント氏からふぐり玉蔵さんの隠れブログがある、との情報を得た。指摘したらすぐに消去したという。魚拓が在るというので行ってみたら、確かにあった。


 隠れブログがあっても、一向に構わない話であるが、直ちに消去するとは穏やかな話ではないと、一瞬、いぶかった。その魚拓はご覧になられたら判るとおり、まるで『ふぐり玉蔵さん』の生き写しである。つまり、模倣そのものではないか。これが隠れブログにしては、ちょっと変だな、と思った。全然、隠れにならない。


 後で、調べたら、その情報の出どこは2チャンネルだ。

《23 :M7.74(福岡県):2009/09/22(火) 18:58:24.11 ID:4FckUgM+

玉蔵は 
『とこやの瞑想で株GO--!!(笑)』 
ってブログをやってた 

それを金玉ブログで質問したら、上記ブログはすぐ消された 

一応魚拓 
ttp://s02.megalodon.jp/2009-0711-1130-14/ichikun123.blog45.fc2.com/ 

ブログのアドレスと金玉ブログのアフィリIDが、両方ichikun123》


 コメント氏は、ここでの情報を元にご丁寧に情報を寄せられたものと思う。それはそれでご親切な限りであるので、感謝以外何者でもないが、すぐにピンと来た。


 あっ、情報操作だ。2チャンネルに出没する工作員の作戦に違いない。隠れブログは奴らの作品だ。『ふぐり玉蔵品格貶め作戦』が行われている模様、と、合点がいく。


 そういえば、こういう記事があった。そしてそのツールも歴然としてあるらしい。2ちゃんねるの世論操作はこうして行われている。


 それぞれの批判は結構である。世論操作を見破れなくては、真相解明は出来ない。心すべきである。投稿者も、数秒間引っかかりそうになった。


【転載開始】ネット「世論操作」 請け負う会社の正体

2006/8/10

   ネット上の世論を操作するために「工作員」が暗躍してカキコミをする。こうした仕事を企業から請け負っている会社があるのは間違いないようだ。「ネット風評監視サービス」を売り物にするある会社はJ-CASTニュースの取材に、情報操作のカキコミまで業務としてやっていることを認めた。


   「ネット世論操作」の問題は、ボクシングの亀田興毅選手の試合判定を巡ってクローズアップされた。試合を放送したTBS
亀 田選手に対するバッシングカキコミが渦巻く中、TBSや亀田選手を擁護するコメントが不自然に並び、「TBSが監視サービス会社A社を使って工作させたの ではないか」という疑惑を生んだのだ。もっとも、TBSもA社も関与は認めておらず、真相は藪の中だが、こうした工作をしている会社は間違いなく存在して いる。

特殊な技術でカキコミを隠すこともできる?


    「工作活動」を監視するサイトも登場
「工作活動」を監視するサイトも登場
 

   「ネット風評監視サービス会社」とは何なのか。ある大手新聞はA社を


「250人が24時間態勢でネットを巡回し、依頼企業の風評や流出情報を監視。掲示板の中傷が過熱した場合には、書き込みで誘導し、悪意を緩和させる措置も取る。企業は情報漏れやうわさを早期に発見し、風評被害を最小限に抑えることができる」

   と紹介している。

   こうしたサービスは00年頃から増え始め、ネット上の掲示板に誹謗中傷や事実無根の情報を書き込まれた際に、企業イメージの低下を最小限に抑えるため、サービス会社がカキコミを監視し、問題があるカキコミをクライアント企業に通報する、というのが始まりだった。

   それが、通報に加え、問題投稿のブロック、サイト管理者への削除依頼、さらには特殊な技術でカキコミを隠したり、過熱した議論を沈静化させるための「火 消し」のカキコミまでするようになった。風評被害を感じている企業にとっては有難い存在だが、カキコミは匿名が殆どのため、知らないうちに「情報操作」さ れていることになる。ユーザーにとっては心底腹の立つ話というわけだ。

一般企業なら、法的に追及するのは難しい

   J-CASTニュースでは、こうした情報操作をしているというサービス会社に取材した。どのような手順でやるのかを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「まず、問題のサイトを教えていただきまして、困ったカキコミ(Q)に対し、どんな意見(A)をぶつけるかを提示していただければ対応が可能です」

   いとも簡単な作業であるかのような話しぶりだった。


   法的に問題は無いのか。

   法律事務所オーセンスのインターネット犯罪に詳しい酒井将弁護士は、非常に難しい問題だとしながら、こう話す。


「仮に本当の事だとしたら、カキコミが匿名なだけに非常に不当に感じます。しかし、法律的にはどうなのかとなると、カキコミの内容が擁護であるため、誰かを貶めようとか権利侵害しようという意図ではない。一般企業ならば法的に問うのは難しいんです」

   カネを使い組織的に動くのは圧力的でイヤラシイ感じだが、ネット上での議論や反論は、企業の情報防衛で、当然の責務、ということだ。ただ、問題なのは報 道機関の場合。自分の番組の利益のために世論を懐柔しようとしたとなれば、中立を保たなければならない報道機関として、放送倫理や民放連の規約に引っかかる恐れがあるからだ。【転載終了】

 

二天一流の兵法から観た朝青龍の優勝!!

2009-09-29 07:11:29 | Weblog

朝青龍が優勝した!!
迫力のある優勝決定戦であった。
白鵬もあっぱれ! 朝青龍もあっぱれ!
現代の巌流島の戦いは、終わった........。



 別に朝青龍の熱烈なファンというわけではない。白鵬も好きだ。相撲は愛すべき競技である。魁皇は薄氷の勝ち越し。祝着至極というのは、このことだ。


 さて、スポーツごときで兵法を語るなど、戯れ言と言われるかも知れないが、それも閑暇休題と言うことでお読み頂けると嬉しい。


 相撲道も兵法の一つである。兵法は戦いの道理を説いている。戦いである以上、その目指す道は、如何に勝つかと言うことであって、その間の作法・礼
儀はその本筋ではないことは明らかである。真剣道であれば、負けた方が死ぬ。剣道では死ぬことはないが、戦いとは死ぬか生きるかの局面であることにその本質がある。


 スポーツであってもその本質は変わらない。そこに兵法の極意がある。『武士道とは死ぬことを見つけたり』という言葉があるが、その本質を言い表している。武士とは戦士のことであり、戦いに於いては生死を外しては、考えられないからである。


 相撲道と言っても、戦いであることには変わらない。本当に死ぬことはない道ではあるが、勝つか負けるかが、その本質的な問題であるから、それを生死と言い換えることが出来る。


 ならばである。礼儀作法も平時に於いては重要なことであろうが、一旦、戦時に於いてはどうでも良いことである。所詮は、勝つか負けるかという本質に集約される。礼儀作法が重要視されるのは、平常心に於いて、心の鍛錬にそれが生きるという意味では、意味のない話ではない。それだけの話である。


 昔、宮本武蔵(新免 武蔵)は、二天一流の兵法の書(五輪書ごりんのしょ)に於いて、兵法とは勝つことを見つけたり、と言うような意味のことを言っている。それは当然の事であると思われる。


 戦いに於いては、常に勝つことを目指すべきである。その余のことは、一切関係がないと思えてこそ、勝つことが出来る。朝青龍は、千秋楽本割で、圧倒的な白鵬の立ち会いに完敗した。その寸刻前、時間いっぱいの仕切りで、集中力のとぎれた瞬間を投稿者は、見逃さなかった。仕切りの途中、ふと目をそらしたのである。


 瞬間、これは負けると感じた。心の裡は、見えないから単なる勘と言えば勘である。案の定、2.4秒の速攻、白鵬の圧倒的完全勝利であった。朝青龍は茫然自失、為す術もなかった。これが勝負である。『しまった!』 そう、朝青龍の心の声を聴いた。


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 優勝決定戦は違った。


 両者気合い充分、集中力全開、互いに引けは取らない構え。しかし、今度は、白鵬のにらみ合いの一瞬にたじろきを見逃さない。立ち会い2度手前仕切り、両者にらみ合い長丁場、先に目を逸らしたのは白鵬であった。嫌ったのである。 


  朝青龍の気迫は、それだけ凄みがあった。表情は能面のごとく、目は半眼にして感情を殺している。勝ちの欲も執念も捨て去った忘我の形相であった。それに比 して、白鵬は一瞬にせよ優勝への希望が、脳裏をよぎったに違いない。結果への願望が一瞬でも生じると、その反対に失う事への不安が生じる。それが嫌いを生む。隙である。


  おそらく、白鵬も無意識にそれを感じ、修正したであろう仕切りいっぱいの鋭い立ち会い。しかし、時は既に遅し、先手を取ったのは間違いなく朝青龍。頭をつ け前みつをとり、素早い揺さぶり、終始先手攻撃は朝青龍。白鵬の終始後手、守り。一度も白鵬に攻撃の機会を与えることなく、強引な下手ひねりで
土俵に転がす結果と相成った。朝青龍の下手投げ勝利であった。


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 ガッツポーズ。またやっちゃった。ちょっと心配したが、そんなことはどうでも良い。勝負に完勝したのである。一度は完敗し、そして決定戦で完勝した。無欲の勝利である。これが兵法というものである。その思いがして、思わず膝を打ち、堪能した。


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 兵法とは、勝つことを見つけたり。今も昔も変わらない。


 勝負事は、その一点に尽きる。それを現代はスポーツを通じて堪能している。それでいいのであって、その間の様々な事柄は、末節に尽きる。勝負の真実は其処にこそ在る。それが生きている間、大相撲であれ、何であれ人気を博すると思う。


 その意味で、朝青龍は大相撲の救世主である。大切な存在である。行儀その他は、いろいろと批判も在ろう。それを言う評論家は、『角を撓(たわ)め
て、牛を殺す』を地で行っている。朝青龍を殺してはならない。モンゴル人であろうが、日本人であろうがそんなことは関係がない。道は万国共通のものであ
る。人間に国境はない。


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 たまたま、日本で花開いた相撲道であるなら、万国に開きそれを高める事が肝要だ。ベースボールがそうであるように、米国の誇りなら、相撲は日本の誇りとなる。


 宮本武蔵は、60余度の真剣勝負に於いて、一度足りとて不覚を取らなかった。それは兵法に忠実だったからである。武芸の術に於いては、武蔵以上に勝れた者もいたはずである。しかし、武蔵は負けなかった。それは勝つことを、見つけたりの一念である。


 『勝つと思うな、思えば負けよ』との柔の歌は、禅で言えば、一転語であって、欲が隙を生むとの戒めである。勝負に於いては、終始一貫、勝つことを見つけ続けねばならない。それが兵法というものである。二天一流の『五輪書』には、いろいろ表現はあるが、その事だけが書かれてある。


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  勝つと言うことは、必ずしも、強いから勝つというものではない。強い者にも隙がある。隙を衝けば、必ず勝てる。勝とうと思う者は、いかなる場合も負けない 一念で戦い、間合いを取り、攻撃を避ける、一瞬の隙を見逃さず、全身全霊を持って一撃で倒す一念を持って打てば、必ず勝てる。これを本当の先手必
勝という。


 先手必勝というのは、最初の先手を言っているのではなく、常の局面に先手を見いだし、攻撃を仕掛けることを言う。後手は常に守りであり、先手とは常に攻撃を言う。故に勝利者は常に先手である訳である。


 以上、二天一流の兵法の極意である。朝青龍の優勝にちなみ、解説を試みた。