へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

不思議な少年!! その52の1

2009-09-04 13:19:48 | Weblog

イエス、 第四の称号『博愛』を授けられる!!



 総選挙など、あわただしい世相に転載を中断余儀なくされていた。突然にこの物語に接せられた方は、何に話か分からない方も多いであろう。カテゴリー『物語』に集約されてあるので、ご高覧頂けると思う。座右の書を、絶版に伴いご披露申し上げている。


  聖書はすばらしいが、難解な部分が多い。というより、随所に欠落もある。それに改変も確かにある。流れが必ずしも掴みにくい。従って、クリスチャンなら牧 師の説教を伴い理解が進むかも知れないが、素人向きではない。説教を好まない投稿者ごときは、こういった物語が素直にイエスを受け入れられる。そういう次 第であるから連載させて頂いている。

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<楠:記事に無関係


 今回は、真の博愛とはいかなるものか、端的に語られる。民主党の『友愛』もそれに準じたものであれば喜ばしいが、それはさておいて、刹那の人生を刹那として生きるか否かは、愛の存在を認識するか否かに掛かっている。


 神は存在するかどうかの証明は、はなはだ困難である。しかし、愛は存在するか否かは、万人、そこはかとは感じ得るものであろう。まず、自己愛は誰にでもある。肉親や子供に対しても疑いようもない。異性への愛もある。それぞれに各自各様の愛は無辺に存在する。


 しかし、博愛となると言うのと自覚するのとは大いなる隔たりがある。


 そこに愛の難しさがある。人生とは愛の鍛錬に生きていると言っても過言ではある まい。真の博愛をそのままに生きると言うことは、まさしく神の心をそのままに生きると言うことである。それはすべては神の創造によって作られているからで ある。もし、神の立場に身を置き換えて考えてみたら、我々の子供に対する愛情は、神のすべての被造物に対する愛情と何ら変わらないものと思われる。


 しかし、分け隔てられた個々の人生で、それを悟ることははなはだ困難となる。我が身可愛さ、我が身の喜びが優先される。すべてを同胞と観ることは仲々難しい。博愛とは困難な悟りである。


 いわゆる隣人愛とは、博愛をいう。そして、それは創造主の愛であり、人間も究極はそれに限りなく近づくことを人生の目的としている。それなくして真のやすらぎは得られないものだと言うことを表している。



イエス兄弟団の第四テストに合格し、第四の称号博愛を授けられる。

 また数日の後、案内者はイエスを「歓楽の間」に案内した。室内の調度はすばらしく善美を尽くし、世俗的なものを望む者には、何もかもほしいものばかりであった。


 美味佳肴が食卓にならび、美装した娘たちはしとやかに花やかに振舞っていた。


 美わしく着飾った男女が席についていた。いかにもうれしそうに心は空に、歓楽の盃を心ゆくばかり手にしていた。


  イエスはしばし静かにこの歓楽のつどいをながめていたが、やがて聖者のよそおいをした人が現われて来て言った。「.蜜蜂のように、すべての花から蜜を集め 得る者は、一番幸福だ。快楽をさがし、どこにでもこれを見出し得る者は賢人だ。要するに、この世では、人間の生命は短く、やがて死ぬが、行方は分からない。それであるから、たべて飲んで歌って踊って、人生を楽しもう。死はいまに来るから。


 他人のために一生をすごすことなんて、おろかなことよ。ご覧!人間はみな死んで共に墓に葬られる。墓に入ればどこに誰が居るか分からない。誰も感謝の心を示すこともできない。」


 しかし、イエスはこれに答えず、歓楽の極みを尽している美わしく着飾った客人たちをながめながら、静かに瞑想に耽っていた。


 その時、客のなかに粗服をつけたひとりの人を見た。顔も手も苦労窮乏(きゅうぼう)の皺(しわ)だらけであった。うわついている客たちちは、これに悪口をあびせかけるのに興を添え、彼を壁に押しつけてその狼狽(ろうばい)ぶりを見ておもしろがっていた。


 次にいかにも貧弱そうな女が現われ、顔や姿に罪と恥のあとかたが見えた。彼女は可哀想にも唾(つば)を吐きかけられ、からかわれて室外に追い出された。


 今度は小さな小供が、おずおずしてひもじそうな姿で入って来て、人々に一口の食べものを乞い求めた。この少女は気にもとめられず、可愛がられもせずに追い払われた。そして愉快な踊りは依然として続けられた。


 歓楽に耽っている連中は、しつこくイエスに自分たちの宴楽に加われとすすめるので、イエスは言った。


 「ほかの人々が困窮しているのに、どうして自分だけが楽しめよう。子供たちがパンを求めて叫び、罪の巣窟、同情と愛をさがしている時に、自分だけがぜいたくざんまいに身をまかされようか。


 わたしは皆さんに言う。それはまっぴらだ。わわわれは同じ血族関係だ。めいめい大きな人間同胞の心の一部だ。


 わたしは君たちがけいべつして、壁に押しつけた人から、同情と愛を求めて、罪の巣窟から出て来たものの、つれなくも再び元の魔窟に戻らなければならない人から、また、君たちから追い出されて、寒風ふきさぶ夜空になげくあの小さな子供から、離れることが出来ない。


 君たち、わたしの血疾であるこのような人々になしたことは、わたしになしたことだ。君たちは自分の家で、わたしを恥かしめた。もうここに留まれない。わたしは出て行って、あの子、あの女、あの男をさがし出し、わたしの血潮が引いてしまうまで、彼らを助けてやる。


 わたしは弱き者を助け、飢えた者に食わせ、裸の者に着せ、病人をいやし、愛されずに失望している弱き者に元気を出せと言う時こそ、寧ろ楽しいのだ。君たちの歓楽と言うものは一夜の幻影に過ぎない。情灸のゆらめきで、時の壁に映る絵姿に過ぎない。」


 かくロゴスが語っている間に、白衣の僧侶が出て来て言った、「会員一同はあなたを待っております。」


 それからイエスは再び審判廷の前に立った。再び聖師は一語もなく博(PHILANTHROPY)と記した巻物を彼の両手に渡した。


 イエスは利己的な自我を克服した勝利者であった。



【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】

             

  第十二部 エジプトでのイエスの生活と行動 


第五十一章 イエス兄弟団の第四テストに合格し、第四の称号博愛を授けられる。


1)また数日の後、案内者はイエスを「歓楽の間」に案内した。室内の調度はすばらしく善美を尽くし、世俗的なものを望む者には、何もかもほしいものばかりであった。


2)美味佳肴が食卓にならび、美装した娘たちはしとやかに花やかに振舞っていた。

→52の2に続く


不思議な少年!! その52の2

2009-09-04 13:19:26 | Weblog
→52の1より続き

3)美わしく着飾った男女が席についていた。いかにもうれしそうに心は空に、歓楽の盃を心ゆくばかり手にしていた。


4)イエスはしばし静かにこの歓楽のつどいをながめていたが、やがて聖者のよそおいをした人が現われて来て言った。「.蜜蜂のように、すべての花から蜜を集め得る者は、一番幸福だ。


5)快楽をさがし、どこにでもこれを見出し得る者は賢人だ。


6)要するに、この世では、人間の生命は短く、やがて死ぬが、行方は分からない。


7)それであるから、たべて飲んで歌って踊って、人生を楽しもう。死はいまに来るから。


8)他人のために一生をすごすことなんて、おろかなことよ。ご覧!人間はみな死んで共に墓に葬られる。墓に入ればどこに誰が居るか分からない。誰も感謝の心を示すこともできない。」


9)しかし、イエスはこれに答えず、歓楽の極みを尽している美わしく着飾った客人たちをながめながら、静かに瞑想に耽っていた。


10)その時、客のなかに粗服をつけたひとりの人を見た。顔も手も苦労窮乏(きゅうぼう)の皺(しわ)だらけであった。


11)うわついている客たちちは、これに悪口をあびせかけるのに興を添え、彼を壁に押しつけてその狼狽(ろうばい)ぶりを見ておもしろがっていた。


12)次にいかにも貧弱そうな女が現われ、顔や姿に罪と恥のあとかたが見えた。彼女は可哀想にも唾(つば)を吐きかけられ、からかわれて室外に追い出された。


13)今度は小さな小供が、おずおずしてひもじそうな姿で入って来て、人々に一口の食べものを乞い求めた。


14)この少女は気にもとめられず、可愛がられもせずに追い払われた。そして愉快な踊りは依然として続けられた。


15)歓楽に耽っている連中は、しつこくイエスに自分たちの宴楽に加われとすすめるので、イエスは言った。


16)「ほかの人々が困窮しているのに、どうして自分だけが楽しめよう。子供たちがパンを求めて叫び、罪の巣窟、同情と愛をさがしている時に、自分だけがぜいたくざんまいに身をまかされようか。


17)わたしは皆さんに言う。それはまっぴらだ。わわわれは同じ血族関係だ。めいめい大きな人間同胞の心の一部だ。


18)わたしは君たちがけいべつして、壁に押しつけた人から、


19)同情と愛を求めて、罪の巣窟から出て来たものの、つれなくも再び元の魔窟に戻らなければ、ならない人から、


20)また、君たちから追い出されて、寒風ふきさぶ夜空になげくあの小さな子供から、離れることが出来ない。


21)君たち、わたしの血疾であるこのような人々になしたことは、わたしになしたことだ。


22)君たちは自分の家で、わたしを恥かしめた。もうここに留まれない。わたしは出て行って、あの子、あの女、あの男をさがし出し、わたしの血潮が引いてしまうまで、彼らを助けてやる。


23)わたしは弱き者を助け、飢えた者に食わせ、裸の者に着せ、病人をいやし、愛されずに失望している弱き者に元気を出せと言う時こそ、寧ろ楽しいのだ。


24)君たちの歓楽と言うものは一夜の幻影に過ぎない。情灸のゆらめきで、時の壁に映る絵姿に過ぎない。」


25)かくロゴスが語っている間に、白衣の僧侶が出て来て言った、「会員一同はあなたを待っております。」


26)それからイエスは再び審判廷の前に立った。再び聖師は一語もなく博愛(PHILANTHROPY)と記した巻物を彼の両手に渡した。


27)イエスは利己的な自我を克服した勝利者であった。



【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XI


CAPH


Life and Works of Jesus in Egypt


CHAPTER 51

Jesus passes the fourth brotherhood
test, and receives the fourth degree, PHILANTHROPHY.


WHEN other certain days had passed, the guide led Jesus to the Hall of Mirth, a hall most richly furnished, and replete with everything a carnal heart could wish.

2) The choicest viands and the most delicious wines were on the boards; and maids, in gay attire, served all with grace and cheerfulness.

3) And men and women, richly clad, were there; and they were wild with joy; they sipped from every cup of mirth.

4) And Jesus watched the happy throng in silence for a time, and then a man in garb of sage came up and said, Most happy is the man who, like the bee, can gather sweets from every flower.

5) The wise man is the one who seeks for pleasure, and can find it everywhere.

6) At best, man's span of life on earth is short, and then he dies and goes, he knows not where.

7) Then let us eat, and drink, and dance, and sing, and get the joys of life, for death comes on apace.

8) It is but foolishness to spend a life for other men. Behold, all die and lie together in the grave, where none can know and none can show forth gratitude.

9) But Jesus answered not; upon the tinseled guests in all their rounds of mirth he gazed in silent thought.

10) And then among the guests he saw a man whose clothes were coarse; who showed in face and hands the lines of toil and want.

11) The giddy throng found pleasure in abusing him; they jostled him against the wall, and laughed at his discomfiture.

12) And then a poor, frail woman came, who carried in her face and form the marks of sin and shame; and without mercy she was spit upon, and jeered, and driven from the hall.

13) And then a little child, with timid ways and hungry mien, came in and asked for just a morsel of their food.

14) But she was driven out uncared for and unloved; and still the merry dance went on.

15) And when the pleasure seekers urged that Jesus join them in their mirth, he said,

16) How could I seek for pleasure for myself while others are in want? How can you think that while the children cry for bread, while those in haunts of sin call out for sympathy and love, that I can fill myself to full with the good things of life?

17) I tell you, nay; we all are kin, each one a part of the great human heart.

18) I cannot see myself apart from that poor man that you so scorned, and crowded to the wall;

19) Nor from the one in female garb who came up from the haunts of vice to ask for sympathy and love, who was by you so ruthlessly pushed back into her den of sin;

20) Nor from that little child that you drove from your midst to suffer in the cold, bleak winds of night.

21) I tell you, men, what you have done to these, my kindred, you have done to me.

22) You have insulted me in your own home; I cannot stay. I will go forth and find that child, that woman and that man, and give them help until my life's blood all has ebbed away.

23) I call it pleasure when I help the helpless, feed the hungry, clothe the naked, heal the sick, and speak good words of cheer to those unloved, discouraged and depressed.

24) And this that you call mirth is but a phantom of the night; but flashes of the fire of passion, painting pictures on the walls of time.

25) And while the Logos spoke the white-robed priest came in and said to him, The council waits for you.

26) Then Jesus stood again before the bar; again no word was said; the hierophant placed in his hands a scroll, on which was writ, PHILANTHROPY.

27) And Jesus was a victor over selfish self.
 

.【続く】