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風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 放射能汚染に対する反対運動を、“エセ科学”ということに疑問を持つ。

2011年09月01日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
昨夜、書いていた記事の続きです。

オウム真理教事件で有名なジャーナリストの江川紹子さん。

愛読する雑誌、文藝春秋の2010年10月号では、厚生労働省の女性官僚の取材・構成して手記を載せています。

文藝春秋 2010年 10月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
文藝春秋


私のブログでも『☆ 「私は泣かない、屈さない」 がドラマになった! 独占手記:村木 厚子(むらき あつこ)さん』として紹介しました。

その江川さんが、熊日朝刊の2011年08月29日記事:「江川紹子の視界良好」に放射能問題で「エセ科学」もという題で投稿されています。その記事を熊本在のブログ:「院長の独り言」では取り上げて批判されています。

内容を読んでみると、やはり少し文章が変でした。誤解を受ける文書なのか、そのままの気持ちなのか数回よんでも不明です。




 
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☆ 「放射能をただしく怖がる」は、原発推進派の洗脳-マインドコントロール-の言葉です。

2011年08月31日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
今日のツイッターを読んでいたら、三重県の中川 均さん @naka8952 という方のつぶやきが目についた。

「福島の桃1箱100円の捨て値で売られている。つまり生産者は破産を予感せねばならない立場。それなのにどんどん売れていくという。つまり加工食品としてか、産地隠蔽桃としてか、とにかく市場に出てしまう。知らずに食べる人が続出。消費者は破滅」

とても消費者が求めているとは思えない。誰かが桃のジュース(加工食品)になるのではと、つぶやいていたが、ひょっとして豚などの家畜の餌になるのではないだろうか?

仕入れ値の安さだけで物事を考える人間や、原価を抑えるために血眼になっている生産者ばかりではなかろうが、多勢を占めるような気もする。

ただでさえ、福島の知事は風評被害のことだけを宣伝していて、ニュースでさえ美談仕立てでのようなニュースを流しています。

NHK【ニュース】
 修学旅行で横浜を訪れている福島市の中学生が、原発事故の影響で売り上げが落ち込んでいる地元特産の桃を無料で配って、安全性をPRしました。
福島市立平野中学校の生徒たちが企画したもので、30日は、3年生60人あまりが、地元の農家で収穫されたばかりの桃を持ち込みました。 


こうした子供を使った教師の行動にたいしては、ツイッターの話題になり、怒りの声も上がっています。(風評被害の打ち消しのためとは言え・・・・。)



さらに追い打ちをかけたのが、ブログ:「院長の独り言」の2011年08月29日の記事です。

『放射能を必要以上に怖がることは「エセ科学」=カルト宗教-新聞論説から』を御紹介します。

熊本の内科医の先生が、ジャーナリストとして有名な江川紹子さんの思想たいして危惧をだかれて反論されています。

詳しいことはまた書きますね。

「院長の独り言」より抜粋。 
 
 私から言わせると当たり前です。内部被曝の危険性を全く無視して、汚染された土地に人を平気で住まわせ、汚染された野菜を平気で食べさせれば、日本全国で放射能被害が起き、信じられない数の被ばくが起きるのは火を見るより明らかです。日本にもはや安全な土地はないと言っていいでしょう。当然の帰結として放射能汚染に対する反対運動は、全国に広がります。その運動をエセ科学とステレオタイプ化させようとしています。読者にはこういったエセ科学には与しないようにと言うわけです。





 
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☆ 予約の本が受けとれました。「三陸海岸大津波」著者:吉村 昭 

2011年08月28日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
高槻市立図書館からメールが届いていた。4月25日にネットで予約していた本が【受取可能】ですので、受取先として指定していた駅前図書コーナーで受け取ってください。というメールである。

ハア~。予約から受取まで4か月もかかったか。

書名:「三陸海岸大津波」である。著者、吉村 昭さん。

三陸海岸大津波 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋


予約の時点で、待ってる人が5番目であった。一人が3週間借りたら、なるほど今じぶんになるのかあ。

分館の阿武山図書館から廻ってきたもので、文春文庫である。これは2004年版であるのでマダ清潔な感じであった。この先、まだ予約者がかなり多い。

さっそく読みはじめてみると、驚くべきことばかりの内容である。今回の津波の有り様と全く一致する。そして明治29年の津波について吉村氏が足を使って取材し、土地の古老から聞いた証言を載せているのに驚かされる。もし、これが書かれなかったら記録されなかった貴重な体験談である。

記録文学の凄さを感じた。

そして津波の被害が、実に、今回の東日本大震災の広範囲な海岸線を襲っていた地域とすっぽり重なっているのにも驚く、さらに津波で亡くなった方がどういう亡くなり方をしたのかに驚かされる。まったく一緒であった。溺れて死ぬのだけでなく、色々な物にぶつかって亡くなっているのである。

さらに、この明治29年の地震は6月であったが、食糧が不足して困窮したことや衣服がなくて冷えて困った等まで同じである。

どうして、こういう事を検証しておかなかったのか不思議なくらいである。明治の困窮も平成の困窮も同じとは腹立たしい限りである。

これから、昭和の津波について読むところです。




 
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☆ 東京、銀座で大規模な震災訓練 5000人以上が参加。 by ANNニュース

2011年08月26日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
3月11日の地震発生当時、都内にいた人は約1千万人と推定されて、自宅へ帰宅できたのは700万人ということですが、残り300万人は帰宅難民となり大変な夜となりました。

ANNニュースによると、銀座では今後の地震に備えて大規模な訓練をおこなったようです。

 東京・銀座で、大規模な震災訓練が行われました。  ←リンクあり。 
 訓練は、都内で震度6強の地震が発生したという想定で行われ、例年より多い、5000人以上が参加しました。警視庁のレスキュー隊や消防のはしご車を使い、デパートに取り残された客を救助する訓練も行われました。東日本大震災では電車などが止まったため、都内で一時、約300万人が帰宅できなくなりました。銀座の町会では今後、もしもの時には、家に帰れなくなった客らを受け入れる準備を進めています。 


 東京新聞によると、「中央通り沿いは、建物の耐震化が進んでおり、倒壊や火災延焼の危険性が少ないため、大災害時の「地区内残留地区」に指定されており、大勢が集まると予想される。主催者は「ハード面では安全性が高い街だが、働く人たちが防災リーダーとしてお客さんの安全を確保できるようにしたい」と話した。」とあります。

 全銀座会防災対策委員長の森 連さん(79)は、「会社が、ひとまず自分の会社に泊めていただければ、こんなに帰宅困難者が道路にあふれるようなことはないんじゃないか。」と話し、今後の課題として提供されていました。

 私も、3月の地震発生のTVを見ていて、なぜ会社で夜を過ごさないのかと疑問に思ったものです。結果的には7割近い人が帰宅できたようですが、夜道を何時間も掛けて家路をめざすこともないのではないかと・・・。企業は早めの帰宅を勧めたところもあったようですが、事前に社員がどうしたいか希望を聞いておいて対応を図るべきです。

 といっても家族の安否を知りたいと思うのは当然ですし、自宅では心配しているのではないかと早々に帰宅態勢に入りたいと、気が逸るのも分かるのですが。会社と家族の双方に事前に話し合いをしておいて、無理に帰宅するということをなくしたらどうでしょうか。あまりにも危険が多いと思われます。

 ただ火災の発生ということも考えられ、表通りのビル街いがいの場所では建築物の倒壊が起こるかもしれず、ケースバイケースではあります。自分の位置がどのあたりにあるかということは考えて検討しておくべきでしょう。

 風信子の働いていた処は、大阪市中央区の大阪ビジネスパークに所在する超高層ビル、クリスタルタワー(37階建)でした。会社では机の下にヘルメットが吊ってあり、いざという時は心強く感じました。(でも驚いたことに景気が悪くなったかして、ヘルメットのリースを止めてしまったのですよ!何考えているのだろうと思いました。この時は心細かったです。)

 このビルが地震の液状化により傾いていくのではないかとか、いつも乗っている電車は環状線だけど、乗り継ぎ駅の大阪駅は土地が低いので水没するだろうから京阪で枚方を廻って帰ろうかと考えたり、電車が止まったらどうすればよいだろうかと思ったり、冗談で大阪城まで逃げようと話したり色々でした。

 電車といえば、当時のTV画面をみてて、JRが早々にシャッターを降ろしていっているのをみて呆れました。ホームを閉鎖するのは危険だから分かりますが、なぜ駅の構内まで封鎖したのでしょうか。多くの人を吸収して守ることができたはずです。銀座の人の心意気と比較してみると、とても考えられない対応でしたね。

参考資料:東海・東南海・南海地震、それぞれの被害想定    大阪の死者は50人 あまりにも少ない予測ですね。

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☆ ツイッターでの8月25日のつぶやき。

2011年08月25日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
今夜は、高槻市民合唱団の練習日です。

いまから出かけてきますね。



 他の風信子のツイッターまとめ。(ツイログ)http://twilog.org/hyacinth_haru




 
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☆ 土地にまつわる怖い話。(高槻編)

2011年08月20日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
高槻は、大阪の鬼門、京都の裏鬼門にあたるというので万博まではなかなか開発されなかったという処らしいです。

その大阪と京都に挟まれた地域が影響してか、街の人の気質も大阪人の開放的な面と京都人の偏狭(へんきょう)な処と、城下町の保守的な面が入り混じったところがありましたが、最近では都会とも田舎ともいえないという高槻のことを“とかいなか”というそうです。

結婚を機に高槻に住み始めましたが、私が結婚前に知っていた高槻という街の知識は、高山右近だけでした。

それでも西国街道筋の芥川宿の通りが、祖父母の住んでいた日向市美々津の街筋に似通っていて懐かしく、社宅暮らしの安心さからホームシックになることもありませんでした。

4階建の社宅では、同じ階段の4件が入居時期がほぼ同じの新婚さんでしたから気安く交流できました。夫の友人の奥さんも仲良くしてくれたので至って交際するのが大変な有様。寂しくなる時間もないのでした。

ただ、冬になって暗い雲が一日中流れるようになると、ああ~これが冬の雲なんだと暗欝なきもちになりました。宮崎の冬は真っ青な晴天が続きましたので。それで、福井の男性が、「高槻は冬も明るくていいね。もう裏日本には住む気がしません。」というのを聞き、不思議な気持ちでした。私には暗い陰気な高槻の冬は、雪に降りこめられる裏日本の人には明るく感じられるのですね。冬の季節を不快に思う気持は随分ながい間、続きました。

社宅では毎日、騒々しいほどの交流で人疲れするほどでしたが、同じ階段で赤ちゃんが次々に産まれては育っていく、その面倒を見る。夫の友人の奥さんとも友達になって子供を預かるという塩梅ですから疑似子育てです。

一番親しい友達の最初の赤ちゃんが、「お母さん。」と呼びかけたのがママではなく私だったりしてドギマギしたり、ちょっとした託児所みたいな感じです。そんな明るい生活なのですが、なぜか一人でうたたねしていたりすると金縛りにあう事が多かったのです。

金縛りじたいは結婚前から経験していたので別に気にしていなかったのですが、突然、寝ていたら男性の足の指が顔めがけてグッと突き出されてきた時はビックリしました。これは夢なんだ。夢なら思い切り噛んでやろうと噛んだら痛くない。親指を噛んで塩辛い味がしたときは恐怖心がつのりました。(凄いでしょ!)

あと、金縛りで男に首を絞められたこともありました。指の大きな太い5本指でグイグイ首を絞めてくるのです。1本ずつ指をなんとかしてふり解こうとして一生懸命でしたが、相手はじらすような締め方で、なかなか息が詰まるという感覚ではなく、あざ笑っていたぶってくるという感じでした。

金縛りは夫も一人でいるときに何度もあったそうです。(目が開かなかったと言っておりました。)

それと不思議でした。2DKの社宅のどこかしらに男性の気配を感じてしまうのです。あれ、幽霊とか女性なのになと思いましたがさりげなく男性がいるような・・・。

もっと恐かったのは、夢の中で物凄い形相をした女の首をみたときでした。

夜でした。掃わき出し窓の外に髪の毛を振り乱した女が、凄みをきかせ、こちらを凝視していました。あれほどの恨みと憎しみの籠もった怨念の形相は見たことがありません。

さらに恐かったのは、私が悪夢で目が覚めて胸をドキドキさせていたときに、夫が大きな悲鳴をあげて起きて、

「鍵しめてるか。窓の外に女の顔が!凄い形相で睨んでいた。」と叫んだことでした。

そうです。女は、中に入りたいのに入れず怒り狂っているような様子でした。

でも、同じ悪夢を同じ時にみて目が覚めたということがマタ恐ろしいと思いました。

翌日に社宅の友人にこのことを話すと、

「ア、ここは昔、女性の刑場が近くにあったらしいよ。極悪犯は斬首されていたらしい。」

というではないですか。さらに社宅の敷地の中まで昔は大きな寺院であったということも聞きました。



他の方のブログ「高槻の都市伝説、市民会館付近にある黄色い石の謎を探る」




 
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☆ 土地にまつわる怖い話。(宮崎編)

2011年08月19日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
中学3年の1学期に6度目の転校をした。5度目の中学には3ヶ月しかいなかった。つくづく悲しいと思った。最後の中学校は宮崎市内にあり、1組から10組まである大規模校であった。住んでいたのは新規開発の住宅地であり学校へは天神山という丘を巡って歩いていかなければならない。

昔は迫合戦原という呼び名であったそうな。歴史好きな私にはロマン的に響いた。誰と誰が戦ったのかな。西郷さんここまで落ちてきたの?

ここの中学ではクラスの殆んどが塾に通っていて、7月には教科書の全部を終えてしまい、今は学校の授業は復習だから楽だというクラスメートの話を聞いて、ヤレヤレまた成績順が落ちるのかと内心、辛かった。母が塾に行くかと聞いてくれたが、あの山を越えなければ塾にもたどりつけないから帰りが夜になるから恐いと思い、「イイ。」と断った。

おまけに受験に備えて既に修学旅行は終わってしまったとのこと。前校では秋に修学旅行というので楽しみにしていたのにチャンスを失くしてしまってがっくりだ。

幸い同じ住宅地の近くに同窓生がいてスグ友達になり通学も良く一緒になり楽しく過ごせたから嬉しかった。この子は好奇心が強くバレーボールをしているような明るい子で、転校生が来たときいて1組から私のいる10組まで覗きにいったという面白い子であった。

高校へは別々に進学したが、家が近いので毎日のように夕方、彼女が私の家にやってきて、玄関先で小一時間程おしゃべりをしていた。あきずに話続けるので大人達は、「何をそんなに話す事があるのか。」と呆れていた。いくらでも話すことはあるという年頃であるから仕方がない。

「ひやしんすちゃん、金縛りになる?」

「ときどきね。動けなくなって恐いけどしばらくすると取れる。」

「私ね、凄いのよ。毎晩のようになって、しかも空中に浮いたり横に移動したりするの。誰かが運ぶのよ。」

「へえ~。」

それは大げさ(眉唾もん)だと思ったけど言わなかった。ちょっとあまりにも想像もつかない金縛りであったから。

その頃、父が夜うなされることが多くて、金縛りにあっていると母に告げているのを知らなかった。

金縛りにあって身体が重いなと感じて目が覚めると、お腹の上に、鎧かぶとの武士がのっかかっていたそうである。

その話は別の場所に引っ越して大分だってから、母から聞いた。

「あんたが恐がるから言わない方が良いと言っていたのよ。」

迫合戦原、昔は沼地のようなところだったらしい。こんなところを開発するなんて思いもしなかったと知っているいる人は思ったそうである。



おなじ迫合戦原での話。

夏の夜に電気を消して居間で家族でテレビを見ていた。私は母の後ろに座っていた。電気を消した方が怪談話に風情が出るからそうしたものか。

落語家の怪談話かなんかをやっていた。居間は6畳で続き間の4畳半に母の鏡台が置いてあった。

なんとなく鏡台へ目をやって、女の人が座って鏡台を覗きこんでいるというような事を想像してしまった。

テレビが終わって電気を点けて明るくなると、母が私をみてビックリしたように言った。

「あれ、鏡台の前に座っていたとじゃないとね。」

「ううん。ずっとここにいたよ。」

「なんとなく隣の部屋をみたら、白い服の女の人が鏡台の前に座っていたから、ひやしんすが座っていると思ったとに。」

凄く恐かった。私は隣の部屋の鏡台を見ていただけなのに、母は私が鏡台の前に座っているのを見ていたというのだから・・・。

続きはマタ。こんどは高槻でのことを・・・。




 
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☆ 恐い話。その3

2011年08月18日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
祖母がなくなった頃、母は気力を失くして昼間も横になってばかりいた。

母が横になって寝ると、亡くなった祖母もやってきて静かに一緒に横になるのがわかる。と母は良く言っていた。

でもその母は一昨年なくなると、あっさりと別の世界に行ってしまい、なかなか夢に出て来てはくれないのであった。

妹にきくと、母は夫である父のところには出たそうである。

その時、父は入院していて夜、寝ていると顔だけ現れたそうである。迎えに来たかも知れないと父は妹に話してきかせたという。

母は父に執着していたと思う。無情にも妹だけ残されるのに父を連れ去ってしまったようだ。

子供よりも父のことを大事にし、頼りにもしていた。父が寝込むと一日中、布団の枕元にジッと座り込んでいて、父の傍を離れないような人であったから、父を迎えに来たと思ってしまうのだ。

そして、両親が亡くなる前に夢にでてくることはなかったと思う。何故なのだろうかとも思う。

ところが、父は死ぬ前から頻繁に訪れてきていたようだ。

リビングのシーリングライトが急に点滅しだしたのは一年前の春のことであった。それをみて電灯も替えどきだなあと思った。引っ越して9年にもなり一度も蛍光灯を交換したことがなかったから当然だろうと思った。マ、切れてから交換しようかと思ってそのままにしていた。

父が突然に危篤だと聞いたのは3月17日であった。職場から宮崎へ急きょ帰ったが無情にも死に目には会えなかった。

父は午後2時に危篤だと聞いたのに、病院の連絡があってからスグの3時半には亡くなってしまったのだ。私が夕方の飛行機で戻った時には、もう家族葬を請け負う葬儀社の手配で仮通夜の準備がすっかり整っていた。母の時も入院中に病院からの連絡が父にきたのは死後(夜11時頃。)であったし、父の時も末後の水もあげられなかった。現代ではそういうものなのだろうか。考えていた親の死とは違ってしまった。

父の葬式が終わってみると、宮崎の家でも私たちがいる部屋の灯りが点滅するのであった。疲れて仏前で夕食をどうするかと話していると、蛍光灯が点滅した。皆で笑って、「ホラ、お父さんが早く食事に行きなさいと言っているよ。」と立ち上がって近所のファミレスに食事にいった。

そこで食事をしていると、突然、ファミレスの電灯が全部消えた。しばらくして電灯はついた。

「マタ、お父さん来てる。」と笑った。

大阪の家に戻っても、リビングのシーリングは時々、点滅していた。

私は、カレンダーに点滅した日を思い出して書き込んでみた。それから電話して妹にきくと点滅しだしたのは、父が最後の入院をした時からだった。

私はシフト勤務の仕事の休みを利用して宮崎へ戻ろうと思っていたのだが、父はその日より早く亡くなってしまったのだった。

それからしばらくして夫が言った。

「最近、リビングの灯り、点いたり消えたりしないね。」

「ホントだ。不思議だね。もう蛍光灯が完全に切れるのは時間の問題と思っていたのにね。」

ということで現在もシーリングは新しい蛍光灯に交換していない。稀に点滅する。

「ア、お父さんたら、また来てるのね。」と思う。



この夏は8月12日位には宮崎へ帰省しようと思っていた。色々あって果たせなかった。お墓参りも出来ないので、気持ちだけでもと考えて京都の西本願寺にお参りした。それも14日の事ではあったが、ご先祖様にも両家の親達にも挨拶したような気持ちになった。

と、15日に一人でお昼寝してたら父と母が夢に出て来てくれた。めったにないのにネ。

明日は、土地にまつわる怖い話をしますね。住んでる処によっては不思議な事が起こります。では、おやすみなさい。




 
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☆ 恐い話。その2

2011年08月17日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
美々津に住む母方の祖父の喜寿の祝いをしたのは、昭和55年の元旦であった。

前年の元旦は父方の祖母が亡くなっており、それが、ちょっと気になっていた。そちらを訪問せずに美々津にきて、なんだか心が騒ぐというか・・・。

喜寿の祝いを兼ねていた御正月の膳はにぎやかであった。長女の母が段取りをして東京や新潟で暮していた叔父叔母がそろっており従姉妹たちもいたからだ。

が、祝いの席の中心にいた祖父は胃をこわしていたか、顔が蒼白にみえて不安の材料だった。

写真をとるとき、席の中心になっていたのが祖母であるのに気が付いて、どうしてか、そんなことも気がかりな事であった。

その後、祖父は入院することになり父母の通いやすい宮崎市内の病院へ入院した。祖母も高血圧が見つかり一緒の部屋へ入院することになった。

秋になって夢をみた。

美々津の家の薄暗い客間にいる数人の親戚達、やかましく話しているのだが内容が聞こえない。祖父の弟とかそういう人たち。と、その人たちの後ろに無言で座っている祖母の姿が見えた。その光景を私が部屋の空間から見ているという夢である。

不吉な夢に思えた。じっと無言で座っている祖母の姿には儚(はかな)さがあった。影が薄いというか・・・。

夢の話を友人にした。「祖父が入院しているけど、なぜか祖母が亡くなるような気がして不安なのよ。」

そして12月になり祖母は急に亡くなった。



まだ72歳位の祖母であったから、母達は早すぎると泣いた。また女として少しも自由な時間を持てなかったことを嘆いた。女達は当然、祖父が先に逝ってしまうだろうと思いこんでいた。その後の自由な時間を祖母が持つことができると確信的に思い込んでいた。「可哀そうだ。あんまり可哀そうだ。」と嘆いたのは、明治35年の男に仕える祖母への同情であっただろうか。

私も非常に祖母が恋しくて悲しかったけど、母は葬儀の時から悲嘆にくれていた。立ち上がれなくて両脇を叔母達だかれて歩いたくらいである。ちょっと心配であった。

お棺のなかには一番おきにいりの着物を入れてあげた。だが、母はゾウリを入れ忘れた。

すると夢にでてきたそうである。ゾウリを捜していたそうである。

つづきはまた。




 
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☆ 怖い話。

2011年08月16日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
九州ではお盆の送り火は15日にするのですが、子供の頃は夏休みを日向市美々津にある祖父母の家で過ごすことが多くて、お盆の前後は叔母たちから怖い話を聞かされたり、もどかされたものです。(もどかす→こわがらせる)

この美々津の家というのが、昭和61年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された京町屋造りの建物の一つでしたから、100年以上も経た古い家屋でした。

 日向市ホームページより 
 伝統の文化と街並みが残る美々津/strong>
 美々津の町並は、虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるように、京都や大阪の町家造りを取り入れたものとして注目され、上町、中町、新町の通りは、今なお当時の面影を残しており、道行く人々の足をとめています。 とくに、昭和55年日向市に寄贈された市指定文化財(伝統的建造物)「旧廻船問屋、元河内屋」は、昭和57年、国県の補助を受け、総工費約6,000万円をかけて安政2年(1855年)の商家「河内屋」に復元されたもの

その「旧廻船問屋、元河内屋」は祖父母の家の斜め前にあるのでした。

私が3歳のときに祖父がソノ着物屋を買って住み始めたのですが、玄関を入ると土間の右が客あしらいをした部屋で左が倉庫(納戸)になっていたそうです。奥にすすむと左側は土間の台所。台所の先は中庭でバナナの木やソテツ、イチジクの木が植えてあり、庭の端は隣家の蔵となっていました。

冬は寒く夏は西日が入る暑い作りで、台所にはオクドサンまでありました。

台所を上がると板間で2階へあがる階段がついています。階段をあがると二間しかないのですが、海へ向いた部屋は割とゆとりがあって叔母達が使っていました。反対側の部屋は四畳半位で狭く夏は私の勉強部屋でしたが、10時位までに勉強をしてしまわないと暑くてしようがない部屋でした。

なぜか、この部屋には床の間に常置きの盆提灯が置いてあって、絵柄が海を漕ぐ船数隻が描かれており、船の廻りには火の玉が幾つも飛び回っているという気味が悪いものでした。

ここの2階の部屋ふたつとも内側にも障子窓があり、下の客間の声は筒抜けになるという造りです。つまり、1階の客間は吹き抜けになっており、一階の客の声を2階で聞いていたということですね。叔母がいうには密貿易をしていたという家もあったから、ここでも1階の話し声を聞けるようにしていたのかもということでした。

おかげで2階で寝ていて、祖父に碁客があったときなどは寝られたものではありませんでした。

さて、祖母は息子と娘を一人ずつ失くしまして、小さな男の子は疫痢でなくしたそうです。女の子は娘盛りに失くして悲嘆にくれたそうです。それで2階の海向きの部屋で御経を唱えておりますと、亡くなった娘が斜め後ろにそっと座ったのが分かったそうです。

この祖母は信心深く優しい質でした。お墓参りをして去る時に何かザワザワと声がするので振り向くと、肩掛け(ショール)を忘れていたそうです。教えてくれたのだと思うと言っておりました。

その祖母が私が25歳のときに亡くなりまして、1年間程は辛くてたまらなかったのですが、よく夢にでてきてくれました。ほぼ毎日のように夢にでてきてくれるのですが、なにせ恐がりな私なものですから、夢をみていてアッ! 祖母はもう死んでいるのだと思うと、ハツとして目覚め恐ろしくなります。あるとき、夢のなかでテレビを観ていたらお坊さん達が花を撒いて歩いています。そのTVの画面の傍らに祖母の顔が映りました。またアッと思って目が覚め、こころのなかで「おばあちゃん。もう夢に出てこないで!」と言ったら、ピタリと出てこなくなりました。

そして私は、祖母の死期とその数年後の祖父の死期を夢で教えられるという経験をしました。夢に出てきた人が無言でいると半年以上たって亡くなるということが起こって大変こわい思いをしました。

その話の続きはまた明日にしますね・・・。




 
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2011年08月11日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪


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2011年08月04日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪


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☆ 「コメは日本の主食だから、消費者は当然安全を求めている」~鹿野道彦農林水産相、8月2日。

2011年08月03日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
引き続き食の安全についての報告です。

現代ビジネス磯山友幸「経済ニュースの裏側」の8月2日記事:「牛肉の失敗をコメで繰り返すな。徹底的な検査と流通監視でデータを示し消費者を守ることこそ、生産者の利益につながる。」をご覧ください。

 牛肉の失敗をコメで繰り返すな。徹底的な検査と流通監視でデータを示し消費者を守ることこそ、生産者の利益につながる。 
 コメの収穫期を迎えて、主食であるコメの放射能汚染問題が急速にクローズアップされている。東京電力福島第一原子力発電所の事故で飛散した放射性物質は、当初想定されていた以上の広い地域で農作物や土壌の汚染を引き起こしている。果たしてこの秋収穫するコメは安全なのか。消費者の関心が急速に高まっている中で、今度こそ、消費者を第一に考えた検査、情報開示、流通管理が求められている。

 コメでは牛肉の失敗を繰り返してはならない。稲ワラを食べさせた牛肉から国の基準値を大幅に超える放射性物質が検出されたのも、食物連鎖を考えれば当然の帰結だった。事故直後から想定できた事態だが、対応が遅れ、汚染された牛肉が全国へ出荷され消費されるという事態に発展した。生産地の牛肉は出荷が停止されたが、消費者の牛肉買い控えは一気に広がり、畜産農家は大打撃を被っている。長年かけて培った肉牛のブランドが一気に揺らぐ事態に直面しているのだ。

 原発事故後にお茶の葉から放射能が検出され、乾燥させた荒茶からはさらに高濃度のものが検出された。屋外にあった稲ワラの放射能汚染が問題になることは十分に想定できることだった。だが、誰もそれを公に口にできなかった。なぜか。
「風評被害打破」というムードが実態把握を遅らせた

 「風評被害を恐れる余り、予見的なことは一切言えなくなってしまった」と農水省の官僚は言う。

 農水省は戸外の稲ワラを食べさせないように通達を出したが、メディアなどに大きく取り上げられるのを避けたため、結果的に畜産農家に周知徹底できなかったという。

「牛肉からも放射性物質が検出される恐れがある」と言えば「風評被害だ」となり、生産者から大きな批判を浴びることを恐れた、という。農水省という役所が消費者ではなく、農協や農家を向いて仕事をしているのは今に始まったことではない。多分に言い訳の面もあるが、風評被害打破という一時のムードが冷静な実態把握を遅らせた事は否定できないだろう。

 稲ワラから高濃度の放射性物質が検出されたことから連想すれば、人間が食べる今年の新米は大丈夫か、という話になるのは当然だ。役所の中でもそれを心配する声は早い段階からあったが、結局、世の中が騒ぎ始めるまで動くことはできなかった。これも風評被害批判を過度に恐れたためだ。

 農水省は8月1日になって、東日本の都道府県に対して、具体的な放射性物質の検査方法を指示することを表明。鹿野道彦農林水産相は2日の閣議後の記者会見で、「コメは日本の主食だから、消費者は当然安全を求めている」と述べた。関東近県では早場米の収穫が迫っており、まさにギリギリのタイミングだ。

続きはココから読めます。 


 いつもは強気な官僚にしては気の弱い説明である。そうか、いつも生産者に顔を向けて仕事をしているのか・・・。




 
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☆ 牛肉だけじゃない 「いま福島県で起きていること」 新聞・テレビがパニックを恐れて 報道を自粛する。

2011年08月01日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
現代ビジネス【経済の死角】より。
 「福島の食い物なんて誰も買わんよ。俺だって、自分の子には食わせないもん」福島県内のある農家の男性が、ふと漏らした言葉だ。表立っては語れない、生産者だからこそ知っている真実に迫った。 
 市民が作った放射能測定所

「こっちだって、危ない牛の肉は誰にも食べてほしくないし、出荷したくない。県のほうで検査して、大丈夫だって言うから売ったんだ。でも、一頭でも放射能にやられた牛が出たら終わり。この前、県の職員たちがうちで飼料に使っている稲わらを調べに来て、『基準値以下だから大丈夫です』って言ってたけど、結局、出荷できねぇんだろ。福島牛はこれで全滅かもな」

 福島県相馬市の肥育牛農家の男性は、あきらめた表情でそう呟いた。

 国が定めた放射能汚染の基準値を超える稲わらを食べた、いわゆる「セシウム汚染牛」問題は、あっという間に全国に広がった。7月8日に東京・芝浦と場で第1例が見つかって以降、10日余で、汚染牛の流通が確認されていないのは全国でわずか2県のみになってしまった(鳥取、沖縄。7月21日現在)。

続きはこちらから~ 


また地震がありました。ブログ書くために椅子に座っていたときです。ちょっと長く感じたので怖いなと思いました。

でも、大阪、高槻あたりは震度1から2位なのでしょけど敏感になっています。

ニュース見ると、静岡や伊豆あたりで震度5です。浜岡原発が止まっていて良かったです。




 
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☆ 子供を放射能から守る食事の工夫。

2011年07月31日 | ☆ひやしんすの☆今日の出来事♪
今晩は。風評被害といいながら福島の農家は出荷分の野菜の他にいつも作る自家消費分の植え付けはしないということが別冊:宝島に載っていました。あまり表には出てきませんが、福島の農家の方は地元産の野菜を敬遠して県外のものを買うのだそうです。つまり地元でも食べたくないのです。当然、一般の福島の方も県外産の野菜を求めるのはあたりまえのことです。

それなのに、福島県の生産者が風評被害といって全国の消費者に敬遠しないでというのは酷すぎます。

原発の深い闇 (別冊宝島) (別冊宝島 1796 ノンフィクション)
クリエーター情報なし
宝島社



今、心ある主婦達は子供のために安全な食べ物を求めて、一生懸命に情報発信をしています。今夜はそのなかから向井奈美さんをご紹介します。

ツイッターの名前は、@namiheichan0115 で埼玉県の方です。

子供を放射能から守る食事の工夫。のツイッターまとめ。

Ani2525さんの世界一わかりやすい授業 味噌やリンゴがなぜいいか?のツイッターまとめ。

ミネラル摂取でできる健康づくりと放射能対策のツイッターまとめ。





 
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