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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
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 「とにかくライブドアの問題を徹底的に洗い出せ。あの会社を叩くんだ」

 大手町にある産経新聞東京本社では、幹部がそう憤然と指示し、編集局に所属する記者全員に大号令がくだされたという。同社の記者に聞いてみたところ、すでに取材チームが編成され、今回のニッポン放送株買収問題のみならず、ライブドア本体の不祥事を暴くべく取材が開始されているともいう。

 産経新聞が激怒した発端は、週刊誌「AERA」2月21日号で、ライブドアの堀江社長がインタビューに答えてこんな風に語ったことだった。

 「個人的な考えですが、あのグループにオピニオンは異色でしょ。芸能やスポーツに強いイメージがあるので、もっと芸能エンタメ系を強化した方がいいですよ」
 「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」

 産経新聞の編集方針は「正論」路線と呼ばれ、共産主義や日本の新左翼的言論に対する批判を展開してきた。たとえば北朝鮮拉致問題を他社に先駆け、早くから報道してきたのはこうした「正論」路線の結実のひとつとも言える。

 だから産経新聞が怒ったのも無理はない。同紙は2月18日の朝刊社説「主張」で「産経を支配するって? 少し考えて言ったらどうか」という扇情的な見出しを掲げ、堀江社長に対して次のように反論した。

 「経済合理性の観点からメディア戦略を構築しようとしているだけで、言論・報道機関を言論性でなく、むしろそうした色合いをできるだけ薄めた情報娯楽産業としかみていないのは驚くべきことといわなければならない」
 「マスメディアは国民の『知る権利』の担い手である。民主主義を支える役割があり、国のあり方にも大きな影響を及ぼす。だからこそ、報道・論評の自由を有している」
 「堀江氏の発言からメディア集団に深く関わることへの気概や、責任の重さに対する、ある種の畏れが感じられなかったのは残念である」

 堀江社長には、決して「メディアに関わることへの気概」がないわけではない。だが彼がその「気概」やビジョンを、どの程度明確に持っているかと言えば、かなり心許ないようにも見える。彼はその論理を、世間に対してきちんと説明し切れていないし、ビジョンが明確になってこないことが、多くの人の苛立ちをかっている面もあるように思える。

 堀江社長は、強烈な「動物的カン」を持っている経営者だ。彼はその動物的カンを駆使してネットバブル崩壊後の荒海を渡ってきたし、近鉄バファローズ買収提案で名を上げることもした。その意味では、ある種の卓越した経営センスの持ち主である。

 「経営者に必要なのは、売れそうな技術やビジネスに対する『目利き』の能力だと思う。僕は技術もわかるし、ビジネスもわかる。その能力があれば、怖いものはない」

 堀江社長は以前、私の取材にそんな風に話したことがある。この時代の経営者には実務能力は不要で、あるいはひょっとしたらカリスマ性もはあまり必要はない。そしてこうした『目利き』能力があればいくらでも道は切りひらけるというのは、たしかに正しいように思える。

 だが堀江社長は、その『目利き』について明確な言葉を持っていない。なぜそのビジネスや技術を選んだのかを、論理だってしゃべるのはあまり得意ではないのだ。そういうキャラクターの人なのである。

 だから今回も、動物的カンでニッポン放送に突っ走ったのはわかるけれども、なぜラジオやテレビ、新聞をいまこの時点でターゲットにする必要があるのかというビジョンについては、明確に語ることができていない。

 そのあたりの言葉足らずが、ある種の堀江バッシングにもつながっているような気がする。

 でもひょっとしたら「話すことができない」「言葉が存在しない」のではなく、ネットと放送・新聞のメディア融合については、まだ語るべきビジョンが存在していないからなのかも知れない。一連の報道を読み、また自分でも何人かの関係者に取材し、そんな風に感じるようになった。

 ネットと放送の融合というのは、もうずいぶん以前からインターネットの未来像として語られてきたことだ。だがネットバブルのころに行われたAOLとタイムワーナーの合併は「歴史的失敗」などと呼ばれたし、その後はアメリカでもネットとオールドメディアが融合して大成功したという事例はあまり出てきていない。その論理が間違っていたためなのか、あるいは堀江社長の指摘するように当時は時期尚早だったのかは、まだわからない。

 とはいえ、堀江社長の言う「フジテレビとライブドアのシナジー効果」は、現時点ではかなり論拠としては弱いことは否めない。

 テレビ局というのはマスメディアの中でも圧倒的な市場規模を持っており、年間の広告額は2兆円を超える。しかしインターネットの広告市場は拡大しつつあるとはいえ、まだ1800億円程度しかない。その状態で「テレビのコンテンツをインターネットで利用して」というのは、放送業界から見てもあまり現実味を感じさせないのは事実だろう。おまけに現状のライブドアポータルは、しょせんはヤフーのエピゴーネンでしかなく、フジテレビと互角に渡り合うには、力不足は否めない。

 ライブドアは決して虚業ではない。逆に、ネットバブル以降、あれほど堅実なビジネスを続けてきたネット企業は少ないと思う。同社のこれまでの本業はあくまでウェブ制作や企業のネットワーク構築、ソフト販売などで、かなり地道な仕事をしてきた。現在はこれに加えて買収したライブドア証券(旧日本グローバル証券)、電子マネーのビットキャッシュなどが売上の半分近くを出している。

 だが昨年初めごろから、ライブドアはポータルビジネスへと大きく舵を切った。「ヤフーに追いつけ追い越せ」路線である。昨年夏ごろ、ライブドアのポータル担当者は私に、

 「ようやくポータルのラインアップがそろったところで、これから内容をもっと充実させていかなければいけない」

 と語っていた。アスキーの名物編集者が自宅で運営していたサイト「東京グルメ」を買収するなど、同社では地道な努力を続けてポータルの整備を進めるようになったのである。そしてその路線の一環として、知名度を上げるために数多くの自著を出版したり、大阪近鉄バファローズ買収に名乗りを上げるといった戦術もあったわけだ。

 この結果、たしかにライブドアの知名度は上がった。だがいま振り返れば、ポータルを打ち出したライブドアの知名度が上がった分、そのポータルの内容の貧弱さが逆に前面に出てしまうという逆効果もあったように思える。

「あんな安っぽいポータルを作っておいて、あの会社は虚業なのでは?」

 と思われるようになってしまったわけだ。

 ライブドアは、ひたすら先を急いでいる。

 ポータルサイトの整備が進まないまま知名度アップ作戦へと突っ走り、そしてネットと放送のシナジーについての明確なビジョンもないまま、ニッポン放送買収へと突き進んだ。それがドッグイヤーのネットビジネスであり、先行者メリットであると言われれば、たしかにそうかも知れない。

 だがその疾走が、人々に不安感を抱かせているのも事実である。
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 ニッポン放送買収問題がますますホットになり、マスコミ報道も過熱しつつある。私のところにも、いくつかの雑誌編集部や新聞社から連絡があった。

 昨夜、ある新聞社の記者と電話で話した。彼は言った。

 「財界やマスコミ、政治家の中にはライブドア、とりわけ堀江貴文社長に対する恐ろしいほどの拒否反応があるようです。でもその反発は、一般の人たちの感じる堀江社長への気持ちとはどうも乖離しているようにも見える」

 その記者氏は一昨日、都心の街頭で通行人にインタビューを試みたのだという。

 「聞いたのはわずか数十人だったんですけどね、見事に感想が二分されたので驚きました」

 立派なスーツに身を包んだ中年ビジネスマンたちの多くは、「ああいうルール違反なやり方で株を買うのはけしからんね」「ああいう無責任な男にマスコミを任せて、本当に大丈夫なの?」という回答だった。

 ところが、インタビューに応じてくれた若者のほぼ全員は「もっとホリエモンには頑張ってほしい」「変な圧力には負けないでほしい」という回答だったという。

 中にただひとりだけ、堀江社長に対して批判的な意見を述べた若者がいたという。記者氏は、「あなたの職業を教えてもらえますか?」と試みに聞いてみた。

 すると若者は「いまは大学生ですが、もうすぐ就職です」と答え、某超優良大手企業の名前を挙げた。

 一方で中年男性の中にも、数は少ないが「ホリエモンがんばれ」と答える人たちもいた。全員ではないが、そうした人たちに職業を聞いてみると、「リストラされて無職で求職中」「子会社に転籍されて苦労してる」なんて返事を返す人が多かった。

 インタビューは決して無作為抽出だったわけではないし、客観性が担保されているわけではない。だが記者氏が行った取材結果を聞くと、そこにはなにがしかのデバイドも生じてきているように思える。

 ライブドアがニッポン放送株取得を明らかにした際、フジテレビの日枝久会長は報道陣に聞かれて「(堀江社長は)会ったこともない。いきなり株主になられても……」と答えた。

 また、十九日の日経新聞朝刊コラム。こう書いてあった。「(ライブドアには)メディア支配への野心を懸念する声もある。冒険に危うさはつきものだが、ゲーム感覚の経営で社会の共感は維持できるのか」

 株主になるのに、事前に「会わなければならない」と考えるフジテレビ会長。いまだに「ゲーム感覚」などという言葉を使い、ライブドアの手法を揶揄している気になっている日経新聞。こうした古臭い感覚と、ネット業界の間に横たわっている深い溝が埋まるとは私にはとうてい思えない。
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 「むかしから日本テレコムにいた仲のいい人たちは、もうみんな決定権がなくなっちゃったんです。ソフトバンクから来た人がすべて決めてしまって、テレコムで昔からやってきた人たちは、その指示に従うだけみたいですね」

 NTT幹部はそう言って、「ちょっと寂しいですね」と感想を述べた。日本テレコムの新サービス「おとくライン」について取材したときのことである。

 2月1日からKDDIの直収型電話サービス「メタルプラス」がサービスインし、日本テレコムの「おとくライン」と並び、NTTも巻き込んだ“固定電話戦争”がいよいよ始まった。

 ご存じのように日本テレコムは昨年、ソフトバンクに買収された。そしてソフトバンクは通信事業戦略の一環として、これまでNTT東西が独占していた固定電話事業に進出したのである。昨年8月30日に開いた記者会見で、孫正義会長はこう宣言した。

 「NTTが独占してきた基本料の市場に参入する。日本テレコムを買収した答がこういうことだ」

 この日本テレコムという会社は、旧国鉄を母体にして1984年に設立された。NTTの分割民営化と通信自由化に伴う新電電のひとつとして、DDIや日本高速通信などとともに設立された企業である。国鉄は鉄道の線路に沿うかたちで総延長12000キロメートルにも及ぶ自前の長距離中継回線を持っており、この回線をベースにして通信事業に打って出たのである。

 以来、日本テレコムはNTTやKDDIと仲良く通信市場を分け合い、共存共栄を続けてきた。そもそも個人宅から電話局までの「ラストワンマイル」と呼ばれる加入者線はNTTが握っており、本来の自由な競争などは鼻からあり得なかったのである。通信の自由化といっても、画に描いた餅でしかなかった。そんな状況の仲で通信市場は相変わらずのぬるま湯が続き、マイライン制度ができたときも、結局は大きな変動は起きなかったのである。だが日本の通信市場から一歩外を見れば、世界にはIP化の大きな流れがあり、アメリカでは巨大企業AT&Tが解体された挙げ句にどんどん悲惨な状況へと陥っていく。大激動は音もなく近づき、日本の通信業界も間もなくその激動の中へと放り込まれることになった。NTTは大規模なリストラを余儀なくされ、デジタル交換機網の更新を停止して、IP化へと大きく舵を取らざるを得なくなった。独占企業から、単なる通信市場の一プレーヤーへと転落したのである。

 日本テレコムも同様だった。同社は1990年代末には英BTや米AT&Tと資本提携し、対NTTの対抗馬として急浮上したが、インターネットの普及とともに電話会社の存在価値はどんどん下がり、BTやAT&Tの経営も急速に悪化。2000年にはイギリスの携帯電話会社ボーダフォンが両社の株を引き受け、さらに株主であるJR各社も同調してボーダフォンに持ち株を売却し、2001年秋には完全にボーダフォン傘下になってしまった。この時すでに日本テレコムの旧国鉄出身経営陣は、一連の交渉から完全に蚊帳の外に置かれていたという。そしてボーダフォンは携帯電話部門を分離したうえで日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスに売り飛ばし、そしてリップルウッドはソフトバンクに売り渡したのである。ソフトバンクはこの日本テレコムという会社を、通信業界再編の切り札として生まれ変わらせようとしている。

 古い楽しい時代は終わりを告げて、荒々しい時代がやってくる。内向きの論理で仲良く遊んでいた仲間達は離散し、新たな厳しい競争に取って代わられる。そして通信業界のインナーサークルは崩壊し、ソフトバンクがやってきた。冒頭に紹介したNTT幹部が嘆き、昔を懐かしんでも、もうもとには戻らないのである。

 「昔の日本テレコムは国鉄の人が多かったから、きちんと詰めて事業を進めるという文化があったんですよ。でもソフトバンクはね……。昔のテレコムさんだったらもうちょっとちゃんと詰めてやられたと思うんだけど、いまは全部ソフトバンクのトップダウンですからね。いつまでに全部準備しろ、それも何十万単位でとこっちに詰め寄られても、そんな簡単に接続工事なんてできませんよ。でも向こうは、これだけの顧客があるのだから、とにかく間に合わせろと言ってくる。無茶ですよ」

 NTTの持っている物理的な加入者線は付加価値なしに、安価に他の通信会社に貸し出すことが義務づけられている。これをドライカッパーというが、日本テレコムが「おとくライン」を始めるためには、NTTのドライカッパーと日本テレコムの中継系回線を電話局で接続しなければならない。この工事をめぐって、昨年末からNTTと日本テレコムはずっともめ続けている。

 「いままではそうした工事は1日数千件規模しかなかったから、それにあわせてNTTは人員配置しているし、端末も調達してるんです。それを急に何万件にも増やせと言われても、『はあ?』という感じですよ。テレコムが全部やってくれるんだったらいいけど、最後になるとNTTに全部やってくれとか言ってくるんだから。NTTがからむと、顧客にクレームが出た場合には全部こっちに来ますしね」

 NTT幹部はそうこぼした。

 文化の違いとしか言いようがない。NTTは旧電電公社時代から、国策そしてユニバーサルサービスとして通信事業を展開し、計画に基づいて粛々とさまざまな計画を進めてきた。それに対してIT企業のDNAを持つソフトバンクは、圧倒的に顧客オリエンテッドである。顧客のニーズに合わせて人員や設備を動かし、戦略を立てていく。

 どちらが正義なのかどうかはともかくも、今や時代の趨勢がどちらの側にあるのかは明らかだ。NTT的な発想は、退場を迫られつつあるように見える。
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 光通信が昨年来、急激に復活してきている。ネットバブル時代にその名を轟かせた、あの重田康光氏が率いる光通信である。

 光通信は1990年代、携帯電話販売店「HIT SHOP」の全国展開で一躍有名になり、96年には史上最年少の31歳で株式を店頭公開した。急成長を続けて最盛期の2000年初頭には株価が24万1000円にまで達し、時価総額は7兆4445億円。その前年には米経済誌「フォーブス」に、250億ドル(約2兆6000億円)の個人資産を持つ世界第5位の富豪として紹介されるまでになった。マイクロソフトのビル・ゲイツ会長と同じランキングだったというから、驚かされる。

 この時代には経済誌や起業家向けの雑誌に重田氏の名前が出ない月はないというほどで、「情報通信ベンチャーの雄」「変化対応型スピード経営を実践する若き経営者」「史上最年少で株式を店頭公開」「世界最速で稼ぐ男」と、ありとあらゆる賞賛が集中した。ソフトバンクの孫正義社長にならってベンチャーキャピタルも設立し、膨大なカネをネットベンチャー業界へと流し込んだ。光通信から出資を受けた会社は「ヒカリモノ」などと呼ばれた。今をときめくライブドア(当時のオン・ザ・エッヂ)やサイバーエージェント、インテリジェンスなどはみんなヒカリモノだったのだ。

 ところが株価が最高値を更新した直後の2000年3月、月刊文藝春秋の報道によって携帯電話の「寝かせ」疑惑が発覚してしまう。携帯キャリアから支払われるインセンティブを受け取るため、大量の携帯電話架空契約を代理店が行っていたというものだ。

 いったん批判が始まると、袋だたきになってしまうのは日本のマスコミの常。情報紙や怪文書などで「すでに死亡した」「国税が重田を追っている」「東京地検が捜査を開始した」といった噂が広まり、ある夕刊紙は「重田が都内のホテルで証券取引等監視委員会(SEC)の事情聴取を受けた」とまで報じた。もちろん、とんでもない誤報である。

 おまけにこの疑惑を釈明するために開いた会見で、重田氏は「業績は順調で、決算は予定通りに達成できる」と胸を張ってしまった。実はこのコメントは真っ赤な嘘で、二週間後には同社の中間決算が発表され、従来予想の60億円黒字から130億円赤字に転落していたことが明らかになってしまうのである。

 ますます袋だたきはひどくなり、光通信の株価は暴落の一途をたどった。わずか3か月後には株価は3600円にまで落ち、最高値の67分の1になってしまった。

 すでにネットバブルは過熱気味で、いずれにせよいつかは崩壊するしかなかった。だが光通信のこの騒動が、バブル崩壊の引き金になったのは間違いない。そうして重田氏は袋だたきに遭い、表舞台から姿を消していったのである。本社も豪華な大手町野村ビルから撤退し、南池袋線路際の築47年のオンボロビルに引っ込んだ。いつしか光通信が、人々の話題に上ることもなくなった。

 ところがここに来て、光通信が急成長を遂げている。事業のメインは、HIT SHOPでもベンチャーキャピタルでもない。HIT SHOPは全盛期の2000店舗から、460店舗にまで縮小している。ベンチャーキャピタルもネットバブル時は1000億円以上を投資していたのが、すでにほとんどの株を売却し、カネを引き上げてしまっている。

 では光通信の今のビジネスがなんなのかと言えば、シャープのコピー機代理店と、保険の販売なのである。

 シャープのコピー機はHIT SHOPを始める以前から代理店業を務めていてトップディーラーになっていたのだが、市場に成長が望めず、あまり力を注いでいなかった。そしてネットバブル崩壊後、この分野を立て直すことにし、法人事業本部という部署を新たに作り、携帯電話ビジネスの責任者だった玉村剛史氏をトップに据えたのである。この方策が当たり、コピー機のリース販売は年間1000台から4000台にまで増えた。

 2002年からは、保険にも乗り出した。生命保険、傷害保険に次ぐ第三分野保険と言われる医療保険、ガン保険などの販売である。これまで保険のオバチャンの対面営業がメインだった保険の世界に、光通信は創業のころから得意としていたテレアポ営業で参入し、売上を倍々で増やしている。

 光通信の広報担当者は、こんな風に解説する。

 「本来の光通信の強みはプッシュ型の手法で、つまりどんどん勝負に出て行く攻めの営業だった。ところが携帯電話のHIT SHOPはとにかく店をたくさん出すことだけが優先された。店ごとの販売力よりも、面としての展開を重視したからだ。営業そのものはただ店の中で客を待ち受けるというネガティブな手法に終始した。いったん店舗を開いてしまったら同業他社とは差別化しづらく、長い期間にわたって優位を持続させるすべを持っていなかった」

 そのことにようやく気づいた光通信は、もともとの本業に回帰し、積極的な攻めの営業ができるコピー機や保険へと主力を移していったということなのだろう。

 重田氏が、どう考えても得意とは思えない投資ビジネスに傾斜していったのは、1999年にソフトバンクの社外取締役に就任してからである。このころから彼は孫社長の「時価総額極大化経営」に影響を受け、「株主価値の極大化を目指す」と盛んに言うようになる。孫社長は時代を切りひらいていく人物であるのは確かだが、同時に稀代のアジテーターでもある。孫社長のビジョンに呑み込まれてしまい、重田氏はみずからを見失ってしまっていたのではないだろうか。

 ネットバブル崩壊からのこの4年間は、重田氏にとっては自分を取り戻すための4年間でもあったのかもしれない。

 光通信社内ではネットバブル後のリストラの最中、こんな替え歌が宴会でよく歌われていたという。KANの「愛は勝つ」の替え歌である。

 <どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず法人グループ勝つ 信じることさ 必ず最後に『光』勝つ>
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