心膜嚢腫の手術でしばらく入院していて、更新が遅れてしまった。この間にニッポン放送株をめぐる問題は次々に展開し、あっと驚くような展開を迎えている。まさかソフトバンクインベストメント(SBI)の北尾吉孝社長が登場してくるとは、想像もしていなかった。
北尾氏は、光通信の重田康光会長と並ぶ日本のネットバブルの張本人である。
野村證券出身の北尾氏はかつて「北尾天皇」「将来の社長候補」とも言われ、同社のメインストリームを歩んでいた人物である。1994年、ソフトバンクが新規株式公開(IPO)を行った際、主幹事証券である野村證券のソフトバンク担当者だったのが北尾氏だった。その手腕に惚れ込んでソフトバンクの孫正義社長がスカウトし、北尾氏は翌年野村證券を退社し、ソフトバンクに常務として入社する。
孫社長はIPOで2000億円近い資金を市場から調達し、この資金を元手に90年代後半にかけ、憑かれたように投資ビジネスへとのめり込んでいく。「時価総額極大化経営」と呼ばれる戦略である。記者発表会をひんぱんにひらいては新事業のプランをぶちあげて株価を高騰させ、その高い株価をバックに資金を調達して企業買収を進めていくというその経営手法は、「発表会経営」と揶揄されたりもした。
孫社長は卓越したビジョナリーだが、決して実務の人ではない。そしてこの時代、孫社長の「時価総額極大化経営」というビジョンを実現するため、ありとあらゆる戦術や手法を駆使して辣腕をふるったのが、北尾氏だったのである。
ネットバブルの絵を描いたのは孫社長だったが、実際にネットバブルを隅から隅まで演出したのは、北尾氏だったといえる。途方もなく大きな時価総額をバックにソフトバンクがカネをかき集め、そのカネを北尾氏の率いるSBIがネットベンチャーにばらまいたのだ。
だがネットバブルは2000年春にあえなく崩壊した。
ソフトバンク、SBIともども苦境に陥った。バブル崩壊によってどのネットベンチャーも伸び悩み、投資の回収が止まってしまったからである。
そしてソフトバンク本丸はこの状況を打開するため、乾坤一擲の大勝負に出た。投資ビジネスから離れ、Yahoo!BBを中心とする通信ビジネスという実業へと転向したのである。そしてその「通信ビジネス」という孫社長のビジョンを実現するため、北尾氏に代わって登場したのが、めたりっくグループ出身の宮川潤一・フトバンクBB常務だった。「ビジョナリー-実務家」のカップルが、組み替わったのである。
以降、ソフトバンクは宮川氏を中心にして通信ビジネスへと突き進んでいくことになる。当初は1700億円という膨大な社債の償還の不安に駆られ、しかもYahoo!BBのパラソル部隊の営業コストがかさみにかさんで相当に厳しい状況にあったが、しかしNTT東日本を越える圧倒的な普及率をバックに、ソフトバンクの通信ビジネスは投資家からも評価を得られるようになる。資金的なメドもたつようになり、一時の危機は完全に脱した。そして同社は現在では、日本テレコム買収、携帯電話への参入へとすすみ、NTTと互角の通信総合企業へと脱皮しつつある。
実業へと向かったソフトバンクが、北尾氏の率いるSBIとは一定の距離を置くようになったのは当然の帰結である。両者の路線が分かれたころから、孫社長と北尾氏の間には「不仲説」がささやかれるようにもなった。だが不仲なのではなく、それは単純に経営路線の決別だったのではないか。徐々に別の経営戦略、別の企業風土を持ったまったく異なる企業グループへと分かれていったということなのだろう。
一時は苦境に陥っていたSBIだが、2003年ごろから急激に復調するようになった。ブロードバンドの普及を背景にネット業界が息を吹き返し、投資先から資金を回収できるようになったからである。そして北尾氏は「これからはネットビジネスの第二ステージがくる」と宣言し、2004年ごろから新たなファンドの設立を積極的に手がけるようになってきている。
その戦略の一環として、今回のフジテレビとの協業は非常に納得できるものだ。フジテレビから200億円を引っ張り出してブロードバンドコンテンツ関連ベンチャーに対する投資を行い、しかもフジテレビの「目利き」を出資にうまく利用するという手法は、SBIの経営戦略にすっぽりとはまっているように見える。
一方で、ソフトバンク本体の狙いは明確ではない。同社はかつてBBケーブルやイーズ・ミュージックなどでブロードバンドコンテンツビジネスに参戦したことがあるが、いずれも不調に終わっている。しかも同社は今や立派な通信総合企業であり、通信業界において地歩を固めることが最優先課題となっている。今の時点で「昔の夢をもう一度」作戦に打って出るのは、同社にとっては得策ではないように見える。
今回のSBIの行動について、孫社長がどのように関与したのかは明らかになっていない。北尾氏は「孫さんは関係ない」と否定している。そのコメントが正しいのかどうかはわからないが、両社をとりまく現在の状況を見る限りでは、今回のニッポン放送の件は北尾氏の単独行動ではないかという気もする。
北尾氏は、光通信の重田康光会長と並ぶ日本のネットバブルの張本人である。
野村證券出身の北尾氏はかつて「北尾天皇」「将来の社長候補」とも言われ、同社のメインストリームを歩んでいた人物である。1994年、ソフトバンクが新規株式公開(IPO)を行った際、主幹事証券である野村證券のソフトバンク担当者だったのが北尾氏だった。その手腕に惚れ込んでソフトバンクの孫正義社長がスカウトし、北尾氏は翌年野村證券を退社し、ソフトバンクに常務として入社する。
孫社長はIPOで2000億円近い資金を市場から調達し、この資金を元手に90年代後半にかけ、憑かれたように投資ビジネスへとのめり込んでいく。「時価総額極大化経営」と呼ばれる戦略である。記者発表会をひんぱんにひらいては新事業のプランをぶちあげて株価を高騰させ、その高い株価をバックに資金を調達して企業買収を進めていくというその経営手法は、「発表会経営」と揶揄されたりもした。
孫社長は卓越したビジョナリーだが、決して実務の人ではない。そしてこの時代、孫社長の「時価総額極大化経営」というビジョンを実現するため、ありとあらゆる戦術や手法を駆使して辣腕をふるったのが、北尾氏だったのである。
ネットバブルの絵を描いたのは孫社長だったが、実際にネットバブルを隅から隅まで演出したのは、北尾氏だったといえる。途方もなく大きな時価総額をバックにソフトバンクがカネをかき集め、そのカネを北尾氏の率いるSBIがネットベンチャーにばらまいたのだ。
だがネットバブルは2000年春にあえなく崩壊した。
ソフトバンク、SBIともども苦境に陥った。バブル崩壊によってどのネットベンチャーも伸び悩み、投資の回収が止まってしまったからである。
そしてソフトバンク本丸はこの状況を打開するため、乾坤一擲の大勝負に出た。投資ビジネスから離れ、Yahoo!BBを中心とする通信ビジネスという実業へと転向したのである。そしてその「通信ビジネス」という孫社長のビジョンを実現するため、北尾氏に代わって登場したのが、めたりっくグループ出身の宮川潤一・フトバンクBB常務だった。「ビジョナリー-実務家」のカップルが、組み替わったのである。
以降、ソフトバンクは宮川氏を中心にして通信ビジネスへと突き進んでいくことになる。当初は1700億円という膨大な社債の償還の不安に駆られ、しかもYahoo!BBのパラソル部隊の営業コストがかさみにかさんで相当に厳しい状況にあったが、しかしNTT東日本を越える圧倒的な普及率をバックに、ソフトバンクの通信ビジネスは投資家からも評価を得られるようになる。資金的なメドもたつようになり、一時の危機は完全に脱した。そして同社は現在では、日本テレコム買収、携帯電話への参入へとすすみ、NTTと互角の通信総合企業へと脱皮しつつある。
実業へと向かったソフトバンクが、北尾氏の率いるSBIとは一定の距離を置くようになったのは当然の帰結である。両者の路線が分かれたころから、孫社長と北尾氏の間には「不仲説」がささやかれるようにもなった。だが不仲なのではなく、それは単純に経営路線の決別だったのではないか。徐々に別の経営戦略、別の企業風土を持ったまったく異なる企業グループへと分かれていったということなのだろう。
一時は苦境に陥っていたSBIだが、2003年ごろから急激に復調するようになった。ブロードバンドの普及を背景にネット業界が息を吹き返し、投資先から資金を回収できるようになったからである。そして北尾氏は「これからはネットビジネスの第二ステージがくる」と宣言し、2004年ごろから新たなファンドの設立を積極的に手がけるようになってきている。
その戦略の一環として、今回のフジテレビとの協業は非常に納得できるものだ。フジテレビから200億円を引っ張り出してブロードバンドコンテンツ関連ベンチャーに対する投資を行い、しかもフジテレビの「目利き」を出資にうまく利用するという手法は、SBIの経営戦略にすっぽりとはまっているように見える。
一方で、ソフトバンク本体の狙いは明確ではない。同社はかつてBBケーブルやイーズ・ミュージックなどでブロードバンドコンテンツビジネスに参戦したことがあるが、いずれも不調に終わっている。しかも同社は今や立派な通信総合企業であり、通信業界において地歩を固めることが最優先課題となっている。今の時点で「昔の夢をもう一度」作戦に打って出るのは、同社にとっては得策ではないように見える。
今回のSBIの行動について、孫社長がどのように関与したのかは明らかになっていない。北尾氏は「孫さんは関係ない」と否定している。そのコメントが正しいのかどうかはわからないが、両社をとりまく現在の状況を見る限りでは、今回のニッポン放送の件は北尾氏の単独行動ではないかという気もする。