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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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インターネットの理想と実態
顧客のコアデータに連動させるビジネス
モラル社会を取り戻せ?
国産検索エンジン「マーズフラッグ」にインタビューした
ライブドアへの強制捜査にからんでのうわさ話
『911 ボーイングを捜せ』から見えるもの
ヤフーの社風とweb2.0
ワイヤレスP2Pの行方
進化を模索するラジオ局
世の中の事象をコンピュータ上で可視化する手作業
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MATRIX

Vol.33 Web2.0的信頼の構築

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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
Hotwired / Blog / 佐々木俊尚の「ITジャーナル」
 2月6日に開かれたWinny開発者、金子勇被告の公判で村井純慶応大教授の証人尋問が行われ、村井教授は次のように語っていた。

 「インターネットの共有メカニズムでは、規模が大きくなって情報量が増えるとネットが負荷に耐えられなくなり、新しい技術が必要になってきます。そうした中でP2Pはきわめて注目されており、その中でもWinnyは性能を高める洗練された機能を持ったソフトでした」

 P2PソフトウェアとしてWinnyは非常に高性能で、インターネットの技術としては最先端を走っている。そしてその技術は、ネットのテクノロジそのものをドライブさせる役割を担っている――村井教授の証言は、おおむねそのようなトーンに貫かれていた。私は技術者ではないので、Winnyの技術がどの程度なのかを明確に語る言葉は持っていないけれども、しかし金子被告が卓越した技術者であり、Winnyの持っている技術が素晴らしいものであることは、多くの業界人から取材した結論としておおむね理解できていると思う。

 しかし問題は、その素晴らしい技術の結晶であるWinnyが、結果的には音楽や映画など違法な著作権侵害コンテンツの流通に使われてしまっているという実態だ。後半では検察官が、「あなたはWinnyがどのような目的で実際に利用されているのかを知っているのか?」と村井教授に問うた。この質問に対して、彼は次のように突っぱねている。

 「利用は様々です。利用の仕方はいろいろあるが、それは電話をどのように使うのかということと同じです。要するに、さまざまな目的で使われるようにすることがインフラの目的なのです。私はWinnyの利用者から、その利用目的について聞いたことはないのでわかりません」

 古き良きインターネット文化の文脈で言えば、村井教授の言っていることはまったくの正論である。インターネットはエンド・トゥー・エンドであって、どのように利用するかは、エンドである利用者の判断に任されている。インターネットの役割はあくまでもインフラとしてパケットをスムーズに通すことであって、エンドの利用内容については関知しない。それはアプリケーションレイヤーでも同じことが言える、ということなのだろう。

 だが実態は、インターネットの理想からはかけ離れてきている。

 もうひとつ、インターネットの理想を象徴する言葉として「自立・分散・協調」がある。村井教授は同じ慶応大学の徳田英幸教授とともにWIDE大学で『自律分散協調論』という科目を教えている。そのウェブには、自律・分散・協調の説明としてこうある。

・システム内にシステム全体を制御/統治するスパーバイザは存在しない。
・各サブシステムは、自律、分散した構成要素からなる。
・全体のシステムの機能は、サブシステム間の協調作業によって遂行される。

 最近は情報システムの範囲に限らず、社会をポジティブに成長させるキーワードとしてこの「自立・分散・協調」が使われるようになってきている。たとえば小宮山宏・東大総長の挨拶にもこうある。

「自律分散協調系という、生命体を表現する概念があります。例えば人の場合、心臓や肝臓といった臓器は体内に分散してそれぞれ自律的に動いているが、それらが総体としては協調的に機能し、生命の営みがなされているということです。この概念は、まさに大学のあるべき姿を象徴するものではないでしょうか。自律分散協調の実現に成功した大学こそが、21世紀の新しい大学のモデルを提供することになり、世界のリーディングユニバーシティとしての評価を獲得することになるでしょう」

 これは美しいインターネットの理想そのものの姿であり、ネット文化の最良の部分を担ってきた村井教授のような人たちは、こうした自律分散協調モデルが、情報システムとしてだけでなく、社会・経済・政治にも適用されることを願ってきた。

 だが実態としてはどうなのだろう? たとえば最近起きた経済産業省の現役部長のブログが炎上した事件や、泉あいさんのGripBlogで起きた事件などを見ていると、ネットの理想というものに対して何か暗然とした気持ちを抱いてしまう。もちろん批判する側にもなにがしかの正当性はあるというのは否定できないのだけれども、それにしてもわれわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか――そんな思いに囚われてしまう。

 それは単なる通過点に過ぎないのか、それとも最終的な帰結であるのかということについては議論が分かれるのかもしれない。だがいずれにせよ、この混沌に対しては何らかの決着を付けなければならない。

 さて。
 一年半にわたって続けてきたこの「ITジャーナル」だが、諸般の事情があっていったん終了しなければならなくなった。このような場を提供していただいたHotWiredの江坂編集長には感謝の言葉もなく、本当に嬉しく思っている。今後もHotWiredではさまざまな形で情報発信していけるよう、江坂さんにもお願いしていきたい。

 みなさん、ありがとうございました。
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 先ごろ上場したドリコムの内藤裕紀社長は、昨年秋に宮崎シーガイアで開かれたNILS(New Industry Leaders Summit 2005 Autumn)で、Web2.0について次のように発言している。CNETの記事からの引用

 「僕たちが考えた本質は3つあります。1つはデータベースという部分が一番大きなポイントだと考えています。何のデータを企業がどういうかたちで保有しているのかということです」

 データベースの重要性については、もちろんティム・オライリーも言及している。オライリーは、伝説的なあの記事『Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル』で、こう書いている。

 「コアデータをめぐる争いはすでに始まっている。こうしたデータの例としては、位置情報、アイデンティティ(個人識別)情報、公共行事の日程、製品の識別番号、名前空間などがある。作成に多額の資金が必要となるデータを所有している企業は、そのデータの唯一の供給元として、インテル・インサイド型のビジネスを行うことができるだろう。そうでない場合は、最初にクリティカルマスのユーザーを確保し、そのデータをシステムサービスに転換することのできた企業が市場を制する」

 おそらく今後、ネット業界で最も注目されていくポイントは、Web2.0の実ビジネス化だ。Web2.0という若干ひとり歩きしつつある言葉を、具体的にどのようにして実際のビジネスに取り込んでいくのかということである。その意味で、コアデータに眼目をおくというのはもっとも取っつきやすく、日本のネットビジネスにほどよく近い接点となっているように思える。

 コアデータの中でも、特に注目されているのは利用者のパーソナルデータ(個人情報)だ。テレビCMや雑誌広告などのマスマーケティングは今や崩壊し始めていて、消費者個人ひとりひとりに広告を投げ込む手法にどんどん傾斜していっている。マスマーケティングから『ナノマーケティング』(日経ビジネスが以前に特集で使った用語)へと変わってきているのだ。

 しかしパーソナルデータの効率的な収集には、さまざまな問題があった。個人情報保護法が施行され、他社から軽々しくパーソナルデータを買い集める行為には一定の歯止めがかけられるようになったし、自社のサービスで顧客や一過性の消費者から情報を入手するのも容易ではない。メールマガジンに登録してくれる人も少なく、気軽に個人情報を差し出してくれるような奇特な人は少ない。

 そこで各社はあれこれと知恵を絞っているのだが、スタートアップ間もないベンチャー企業の中から、秀逸なしくみによってパーソナルデータを収集するビジネスモデルが、いくつも登場してきている。

 たとえば『アドバプラス』というツールバーを提供している、株式会社シーエス。同社は建物の構造解析プラグインソフト「CS-FEM」で有名なソフトハウスで、構造計算偽造問題ではウェブを使って設計者からのアンケート調査を行い、マスコミにも紹介されている。

 アドバプラスというのは、ごく簡単に言ってしまえば「懸賞が行えるツールバー」である。アドバプラスのサイトからプログラムをダウンロードし、インストールを行うと、Internet Explorerに「adv plusツールバー」が現れる。性別や年齢、郵便番号などの個人属性をオンライン登録すれば、自動的に懸賞に参加できる仕組みになっている。

 導入して画面を見てもらえればわかるが、ツールバーの中央には各社のバナー広告が表示されている。懸賞は2通りある。

(1)福引き抽選型 ツールバーのバナー広告を表示し続けると、全アドバプラスユーザーのバナー広告表示総数に応じて懸賞ポイントが貯まっていき、週に一回抽選が行われ、当選した1人のユーザーがその懸賞ポイントを総取り。

(2)クリック抽選型 ツールバーのバナーをクリックして広告主のサイトを訪問すると、ツールバー上でゴルフゲームのような動画が現れ、その場一回限りの抽選が行われる。

 シーエスの水野稔社長によれば、 懸賞が2通りに分けられているのは、「クリック抽選型懸賞だけに限ってしまうと、懸賞狙いで複数回クリックするといった悪用が行われる可能性がある。それを避け、さらにバナーを見ているだけでも懸賞に加われるよう、福引き抽選型を加えた」という。

 興味深いのは、ツールバーに表示されるバナー広告に、Web 2.0的なパーソナライゼーションが取り入れられていることだ。Internet Explorerのタイトルタグを利用し、このタイトルタグに表示されたワードに対応するバナー広告が表示されるのである。たとえばトヨタ自動車のサイトをIEで開くと、タイトルタグには「トヨタ自動車株式会社 グローバルサイト」と表示される。この「自動車」というワードに反応し、バナー広告には自動車関連の広告が表示される。

 これはGoogleやYahoo!でキーワード検索した際にも応用でき、たとえばGoogleで「自動車」というキーワードで検索すると、検索結果のタイトルタグは「自動車 - Google検索」となる。すると同じように、この「自動車」という単語に応じた広告が表示される。いわば「疑似キーワード広告」のような仕組みを持っているわけで、しかもGoogleやYahoo!、MSNなどのメディアにかかわらず同一のチャネルでキーワード広告をユーザーのもとに送り届けることができるというメリットがある。

 アドバプラスの広告のようなパーソナライゼーションはここ数年、マーケティングの世界で最も注目を集めている分野である。たとえば先日、ライブドアとの電撃的業務提携で話題を呼んだUSENの無料動画サービス「Gyao」は、年齢層や性別に絞ってテレビCMを流すターゲッティング広告をスタートさせている。先ほども書いたように、マスマーケティングが崩壊に瀕している中で、どのようにしてセグメントに分かれた利用者層に広告を送り込むのかという競争になってきているのだ。

 シーエスの水野社長によれば、アドバプラスもこの部分で広告主企業から非常な注目を集めているという。たとえば特定の地域に店舗展開している飲食店が、その地域に限ってバナー広告を出すことを求めるような引き合いがすでに来ている。アドバプラスは登録時に郵便番号の入力が求められるため、住んでいる町レベルにまでユーザーを絞り込むことが可能なのだ。

 さらにこうしたユーザー個人の属性を使ってうまくマッシュアップさせることができれば、アドバプラスをコミュニティ化していくことも可能になる。アドバプラスには利用者がさまざまな設定を行える「マイページ」が用意されており、このマイページをSNS化していけば、興味深いWeb 2.0ビジネスに展開していくことも可能になるだろう。

 アドバプラスのような顧客のコアデータに連動させるビジネスは、ネット業界のあちこちで生まれはじめている。おそらく今後数年間、大きな潮流になっていくのは間違いないように思われる。
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 心理学者の山岸俊男氏が書いた「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)という本があり、このなかで山岸氏はある実験を行い、日本人の行動パターンについて従来と反する驚くべき結果が出たことを報告している。

 この実験では参加者は4人一組になり、はじめに自分に与えられた100円のうちどれだけを他の3人に分け与えるかを決める。分け与えられた金額は2倍して、その3分の1ずつが他の3人に与えられる。たとえばひとりが100円のうち40円を寄付することにすれば、倍の80円を3人で分けて、ひとり26円ずつがもらえることになる。

 もし自分がいっさい分け与えずに100円をキープし、他の3人がそれぞれの100円をすべて分け与えてくれれば、自分だけが200円得できる。逆に自分が分け与えたのに、他の3人が分け与えてくれなければ、一方的に損をして持ち金はゼロになるる。4人全員が100円全額を分け与えれば、みんなが200円をもらえるし、全員が分け与えなければ全員の取り分は100円で終わる。つまるところ、この実験によって人は他人をどれだけ信用するのかということを調べることができるわけだ。

 その理由について山岸氏は、こう書いている。

 <日本社会で人々が集団のために自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質をもっているからというよりは、人々が集団の利益に反するような行動を妨げるような社会のしくみ、とくに相互監視と相互規制のしくみが存在しているからという観点です>

 ライブドア事件をきっかけに、やたらと「日本人はモラルを失った」「汗を流して仕事をするという規範が失われている」という言説が流行している。たしかに昔のようにモラルを重視しなくなっているのは事実だろう。その背景には、1990年代の橋本内閣以降、日本資本主義がグローバリゼーションへと呑み込まれる中で、アメリカ型のルール至上主義へと歩調を合わせざるを得なかったという事情があるのを忘れてはならない。いわば日本はモラル至上主義からルール至上主義へと、大きな舵を切ったのだ。

 ライブドア事件の本質というのは、単なる極端な私見であることを承知で言わせてもらえれば、モラルからルールへと社会の基本概念が移り変わっていくうえでの「軋み」のようなものだったのではないかと思う。モラルからルールへと舵を切ったのは良いが、そのルールがあまりにも未整備だった。つまり金融庁の証券市場に対するルール作りが後手後手にまわり、結果としてグレーな部分を突きまくるライブドアの先鋭的ファイナンス集団にもてあそばれてしまったのである。そしてその状況に業を煮やした“不公正はけしからん”大鶴特捜部長率いる東京地検特捜部が、強制捜査で切り込んだという構図である。

 しかしライブドアがあのような事件を起こしたからといって、「モラル社会を取り戻せ」と主張するのは本当に正しいのかどうか。

 山岸氏の実験は、日本人がもともと古来から持っていた素晴らしい「モラル」なるものは、実のところ単なる「相互監視と相互規制のしくみ」によって成り立っていた空虚なものでしかなかったことを、鮮やかに浮き彫りにしている。そんな社会のモラルなんていうものはしょせんは泡沫のようなものだ。いったんお天道様から見えなくなると、とたんに悪事に走る。利益誘導を行う。モラルの名のもとに本当のモラルをねじ曲げ、いびつな道徳観を人に押しつける。そうした社会の有様はこれまでの日本をずっと覆い続けていて、ある種の社会的不平等を作り上げていた。

 「そうした社会から日本は脱却しなければいけない。ルールをきちんと作らなければならない」と戦後一貫して、日本の有識者たちは言い続けてきたのではなかっただろうか?

 ところがいざルール型社会に移行してしまうと、今度は手のひらを返したように「やっぱりモラル型社会が良かった」と懐かしむ。懐古趣味以上のなにものでもない。

 もちろんルール型社会には、さまざまな問題がある。エンロンしかり、ワールドコムしかり、ライブドアしかり。ルールがあれば必ず抜け穴があり、モラルなき社会においては、必ずグレーの部分を突く者が出てくる。そのグレーを防止するためにルールを強化しなければならないが、ある種のイタチごっこになってしまうことは否めない。

 結局のところモラル型社会にしろルール型社会にしろ「どっちもどっち」と言えなくもない。しかしだからといって、ルール型社会を完全否定して、モラル型社会を懐かしんだからと言って問題は解決するわけではないのだ。
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 検索エンジンの世界は、劇的に変貌しつつある。Web2.0やCGM(Consumer Generated Media)、ロングテールなど旧来の概念では言い表すことのできないさまざまな枠組みがインターネットの中に登場してきているが、その中核とでもいえる場所に検索エンジンは位置しているからだ。

 おそらくこの状況は、今後数年間は変わらない。いや、というよりも、現在はまだそうした大変動の入り口にある段階で、今後ますます大きな動きが出てくるようにも思える。そう考えると、検索エンジンにはまだ大きな可能性を秘めているともいえる。

 だったら、依然としてプレーヤーがいないままの日本の検索エンジン業界も、まだ可能性があるのではないだろうか――そんなふうに思いを巡らしていたところに、突如として思いもよらない動きが現れた。マーズフラッグという設立間もないベンチャーが、本格的な国産検索エンジンを開発しているというのである。

 検索エンジンの開発には、膨大な人員と技術力、投資が必要とされる世界である。マーズフラッグはいったいどのようなねらいで、無謀ともいえる検索エンジン開発を推し進め、Googleに対抗しようとしているのだろうか。そんなことが知りたくて、同社に取材を申し込み、同社社長にインタビューを行った。
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 ライブドアへの強制捜査にからんで、「フジサンケイグループが東京地検にネタを持ち込んだのではないか」という噂が、マスコミの中を駆けめぐっている。

 ある全国紙記者の話。「フジテレビと産経新聞は昨年春にニッポン放送問題が和解で決着してからも取材班を解散せず、ライブドアの不正を追い続けていた。その中で今回のライブドアマーケティングをめぐる疑惑をつかみ、司法クラブ記者を通じて東京地検にネタを持っていったという話が出ている」

 その噂話の出所は明らかではないが、地検がらみのこうした大事件が起きると、必ず「地検はどこからネタを引っ張ったのか?」という話題になる。地検や警視庁捜査二課が手がける経済犯罪捜査では、新聞やテレビが当局にネタを持ち込むのは決して珍しいケースではない。

 テレビ業界関係者の証言として、以下のような話もある。「年末のパーティーでフジテレビの役員に会い、『ライブドアとの提携を進めるのはたいへんなんじゃないですか』と水を向けたところ、フジテレビの役員は『われわれはライブドアへの監視の目はゆるめていないですからね』と話した。何か含みのある発言に聞こえた」

 今回の強制捜査報道に関しては、日経と産経新聞が先行したとみられている。「朝日、毎日、読売が1月中旬になってようやく、地検からライブドアへの強制捜査の意向をつかみ、取材を開始したのに対し、日経と産経は少なくとも昨年末には情報をつかんでいたらしい」(前出の全国紙記者)

 確かに日経は、強制捜査が入った翌日17日の朝刊で、<「不正取引は明らか」 傘下企業元幹部 買収策への疑問語る>という記事を掲載。リードには<株式交換による買収でライブドア傘下に入ったあるIT(情報技術)関連企業の元幹部は昨年十月から今年一月上旬まで数回にわたり、日本経済新聞の取材に応じ、同社側の買収策への疑問を語っていた>とあり、詳細な一問一答を掲載している。かなり以前からの準備がなければ、こうした記事は書けない。

 また同じ日、一面には前田昌孝編集委員の的確な論説も掲載されている。

 <不正行為の詳細は捜査中だが、風説の流布や偽計取引だけが問題になっているのではないという指摘もある。今回、特捜部が複数の関係先に突如、家宅捜索に入ったのは、「ライブドアの錬金術全体を調べたいという当局の強い意志を感じる」(証券関係者)>

 また産経新聞は同じ17日朝刊の一面で「錬金術師の虚実」という連載をいきなりスタートさせた。内容は目新しいものではないが、強制捜査が前夜16日の午後6時過ぎにスタートしたことを考えれば、かなり用意周到といえる。

 ライブドアの犯した法違反や今後の捜査の動向には何の影響もないが、しかし地検がどのようにして今回の捜査をスタートさせたのかは、かなり気になるところなのである。真相はどうなのだろう。
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 『911 ボーイングを捜せ』というドキュメンタリービデオが、一部で注目を集めている。すでに日本語版DVDやガイドブックまで発売されており、盛り上がりぶりはかなりのものだ。公式サイトはここにある。

 このビデオの主張は、ひとことでいえばこうだ。「セプテンバー・イレブンの同時多発テロではハイジャックされた民間航空機が世界貿易センタービルや国防総省に激突したとされているが、あれは真っ赤な嘘。ミサイルか爆発物が使われている」

 いやはや、なんとも??。しかし著名な平和運動家がこのビデオの日本語版翻訳とプロデュースに関わり、さかんにPRを行っているものだから、大きな注目を集めるようになった。市民運動系情報のハブとなっているオルタナティブ運動メーリングリスト(AML)では、このビデオの真偽をめぐって大論争が起きる騒ぎとなった。

 さらに年が明けると、今度は著書『ヤクザ・リセッション』で有名な元フォーブス記者のベンジャミン・フルフォード氏が、週刊ポストで『「9.11自爆テロは民間航空機ではなかった」アメリカで封印された衝撃映像をスクープ公開』という扇情的な見出しのトップ記事を寄稿。なんともすさまじい盛り上がりになってしまったのである。

 私もこのビデオを発売元のグローバルピースキャンペーン(先ほどの平和運動家が発起人を務めている)から購入して観た。次のような内容である。

 語り手は、米ミズーリ州にあるラジオ局『The Power Hour』のパーソナリティーであるデイヴ・ヴォンクライスト氏。のっけから、ヴォンクライスト氏のこんなコメントが出てくる。<911の事件の真実についてもみ消そうとする人物、組織を見つけたら、犯人である可能性を示すといってもいいのではないか。このことを念頭に置いて証拠映像を見てください>

 そうして911当時のニュース映像が紹介される。国防総省(ペンタゴン)への衝突の瞬間を見た通行人が、テレビカメラに「翼のついた巡航ミサイルのようだったよ」と興奮して話している。

 ヴォンクライスト氏は、事件翌年の2002年9月、あるフランス人が開設したに『Hunt the Boeing! And test your perceptions!』というサイトを見つける。当初は信じなかったが、実際に検証してみようと、スーパーのレジに並べられている雑誌を購入してきて写真をチェックしたという。

 しかしそうした写真を調べてみると、ボーイング757の残骸はいっさい写っていなかった。おまけにボーイング757の幅は38メートルもあるのに、ペンタゴンの外壁に空いた穴は幅19.5メートルしかなかったという。

 おまけに機体には3万2700リットルの燃料が積み込まれていて、それらが爆発的に燃えた熱によって鉄骨さえも融解したとされているのに、写真には外壁の穴のそばに木製の机や開いたままの書物などがそのまま残っている。これはあまりにも不自然ではないか??というのである。

 そしてヴォンクライスト氏は「ボーイングが衝突したというのなら、その機体はどこにあるのですか? 中にはバンカーバスター(強力な誘導爆弾)かミサイルだという人もいます。では飛行機はどこに行ったのか。大西洋の水中に沈んでいるのかもしれません」と締めくくるのである。

 世界貿易センタービルへの航空機衝突は、多くのニュース映像に残っている。特に2回目の衝突に関しては、さまざまなアングルから撮影されていて、事実に曇りはないように思える。だがヴォンクライスト氏は、当時のニュース映像の中から次のような映像をクリップし、次々と見せるのだ。

「飛行機の前の方に青い色の丸いロゴがあって、民間の飛行機には見えませんでした。側面にはまったく窓がなかったし」(事件当時に現場にいたテレビ記者)
「あれはアメリカン航空じゃなかったわ」(事件を目撃した観光客の中年女性)
「まるで誰かがこのビルを計画的に解体したかのように、各階が次々にボン、ボンと爆発していった」(世界貿易センターで救出活動を行った消防士)

 さらには航空機がビルにぶつかる瞬間、機体の下部に影のようなものが見え、さらにぶつかる直前に機体の先端に閃光が走るのが見えるCNNのニュース映像を紹介。「これで、カッターナイフを持ったテロリストの仕業ではないということがわかったのです」と結論づけるのである。

 私は航空機の専門家ではないし、軍事のこともよくわからないので、きちんと否定できる根拠はない。この分解『911 ボーイングを捜せ』というサイトには、このビデオがいかにとんでもないものであるのかということが、明解なロジックとともに書かれているから、一読してみてほしい。

 それにしても、この事件ではハイジャックされた航空機の中から、何人もの乗客が携帯電話で家族や知人に電話し、ハイジャッカーたちの様子などを報告してきている。また当然、事件現場からは乗客や乗務員の遺体も発見されている。そうした事実をすべてやり過ごし、「スーパーのレジで買った雑誌の写真」だけを根拠に航空機衝突を否定するというのは、あまりにも凄すぎる。

 それにしても??。謀略史観というのは昔から、日本の平和運動の「ガン」のようなものだ。自分たちの主張がマスメディアに取り上げられないと、「マスコミは政府や大企業から圧力をかけている」と言い、自分の主張と相反する論説が大学教授などによって発表されると、「あれは御用学者だ、カネをもらって書いてるんだ」と言いつのる。「世の中は政治家と官僚、大企業、それにヤクザの四角関係によって成り立っている」と決めつける人も多い。

 こういう考え方が結果として日本の運動を曇らせてしまい、一般世論の離反を招く結果にもなっていると思うのだが、どうだろうか。

 インターネット時代になり、Googleも登場し、以前よりずっと情報収集がしやすくなった。同時多発テロのことにしても、まともなメディアリテラシーと若干の英語力があれば、アメリカ国内のオフィシャルなサイトからいくらでも正しい情報を入手することができる。『ボーイングを捜せ』を論破しているサイトやブログもある。それにも関わらず、目の前に投げ与えられた素材だけを見てしまい、いっさい他の情報との比較検証もしないで信じ込んでしまう人が相変わらず多いのは、いったいどうしたものだろうか。
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 「打ち合わせやミーティングに出ても、新しいことをやろうという気概をまったく感じない。新しいビジネス、サービスを生み出せる組織体制がきちんとできあがっていないように見えるし、社内全体に大企業病的な雰囲気が蔓延してしまっているように思えますね」

 ある業界関係者は、そう言い放った。どこの会社の話かといえば、ヤフー日本法人のことである。日本最大のポータルであり、収益力もネット業界の中で群を抜いているヤフーは、いったいどこへ向かおうとしているのか。

 ネット業界はここのところウケに入ってきていて、ものすごい勢いで新語や新テクノロジ、新サービスなどが飛び交っている。Web2.0だマッシュアップだと、なんだかわけのわからない状況になっている。

 つまるところWeb2.0といわれているのは、1990年代的なネットのビジネス/サービスとは異なる要素をもったビジネスがあちこちに出現してきて、「どうも何かパラダイムの転換が起きているようだ」という人々のもやもやした気持ちを、うまく表現するために作られた言葉のように思える。「これがWeb2.0だ」という明確な定義があるわけではなく、90年代的な片方向的ネットビジネスへのアンチテーゼとして語られているように見える。

 とはいえ、方向性は明らかだ。キーワードはコミュニティとパーソナライゼーションであり、要するに個人が持ち寄った情報の蓄積と、それにともなって個人と個人がつながっていくようなサービスへと、インターネットの世界は推し進められつつある。その副効用としてセグメントがさらに細分化していき、ロングテール的なマーケティングが主流になっていくという現象も起きている。

 アメリカではそうしたWeb2.0的な動きと、Google、Yahoo!、MSNという検索エンジン3強の競争構図がうまくマッチして、テクノロジ的なブレイクスルーを起こしているように見える。

 となると気になるのは、日本の大手ポータルの動向だ。Yahoo!や楽天、ライブドアなどのポータルサイトは、こうした動きをきちんとキャッチアップできているのだろうか?

 そこで冒頭のヤフーの社風の話となる。別の同社関係者も、私と雑談したときにこう漏らしたことがあった。

 「現状に甘んじているかと言われれば、たしかにそういう面もあるかもしれまえん。わが社は収益力が高いですからね」

 同社の決算資料を見ると、ナショナルクライアントからだけでも広告出稿額は四半期で37億円あまり。500万人以上のプレミアム会員を抱え、会員が毎月300円近い会費を支払っているから、これだけで毎月15億円ばかりが懐に入ってくることになる。ビジネスとしては安泰なのだ。

 「最近はわが社を大企業だと思って入社してくる人が非常に多いですね。困ったもんです」(前出の同社関係者)

 ヤフー日本法人の最近の動きを見ても、Web2.0的なサービス/テクノロジへのキャッチアップにはあまり積極的ではないように思える。そもそも同社はアメリカのYahoo!よりも、ソフトバンクとの関係の方が大きい。ヤフーの井上雅博社長はソフトバンクの出身で、もともとは孫正義ソフトバンク社長のもとで社長室長を務めていた人物である。そしてソフトバンクは現在、携帯電話参入という通信ビジネスに全力を注いでおり、日本テレコム買収の失敗を拭おうと必死になっているところだ。Web2.0的な展開にはあまり興味がないようにも見える。

 こうした背景事情が、何らかの影響をヤフーに与えているようにも思えるのだが、どうだろうか。
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 ワイヤレスP2Pのパイオニア的存在であるスカイリー・ネットワークスが先日、都内で「Wireless P2P DAY」と題したセミナーを開いた。

 同社は無線LANやBluetoothなどを搭載した無線機器をダイレクトに相互通信させ、P2Pのネットワークを生成するツール「DECENTRA」シリーズを開発、販売している企業である。設立は2001年7月。当時、たいへんな盛り上がりを見せていたキーワードであるP2Pとワイヤレスの双方を融合させたベンチャーとして、非常に注目されていた企業でもあった。

 スカイリーの技術は非常に巧みで、アドホックにつながっていくP2Pのネットワークを保つため、たとえば最初にブロードキャストを行ってネットワークの全体像をつかみ、このキャッシュを使って随時ネットワークを再構成するといったことが行われている。DECENTRAは無線LANカードやBlutooth端末を順にホップさせて中継していき、最高500~700メートルの範囲までP2Pのネットワークを届かせることができる。

 同社は当初、DECENTRAの機能を使った通信技術をさまざまな企業に販売し、収益を得ようと考えた。携帯電話キャリアや玩具メーカーへの販売を収益事業にしようとしたのである。当時は通信業界の中で、Bluetoothモジュールが携帯電話に搭載されていくのではないかと予測もされていた。遠距離は携帯電話で通話し、近距離はBluetoothの上に乗ったDECENTRAのIP電話機能で無料通話を行うというビジネスモデルが現実的だと思われていたのである。しかし無料通話が増えることを携帯キャリアが喜ぶはずはなく、この事業は結局は実現しなかった。Bluetoothが思ったよりも普及しなかったことも誤算のひとつだったといえる。

 このため同社はその後、法人向けのビジネスに活路を見いだした。たとえば携帯電話の使えない被災地で、救急隊員が無線LANのデバイスを持ち、DECENTRAを使って音声通話をリレー式に中継していくような製品を開発している。

 またセンサネットワークにも進出している。DECENTRAのサブセットである「MicroDECENTRA」を搭載した電池駆動の小型端末を電機メーカーと共同開発し、これを工場のセンサネットワークに使うというものだ。工場内の各機械にこの端末を取りつけ、温度や湿度、機械の駆動状況などのデータを収集し、微弱無線を使って次々にホップさせながら各機械に中継させていき、データを集めていく。これによって有線よりもはるかに安価に工場内のセンサネットワークをできるようになったのである。

 スカイリーはこのモデルを、ウェブサービスを使ったシステムへとさらに進化させようと考えているようだ。同社の梅田英和社長はWireless P2P Dayで、次のように説明した。

 「今後無線センサネットワークが発展していくと、たとえば住宅の中やビルの壁面、街路などにセンシングデバイスを張り巡らせ、それらのセンサによって計測された湿度や温度が自動的にデータベース化され、インターネット上のサーバに蓄積されていくようになる。検索エンジンのウェブAPIを使ってそれらのデータを検索し、自動的に解析するようなプログラムを作れば、ピンポイントの天候予測がリアルタイムに行えるようになっていくかもしれない。センサネットワークもいっさい人の手が触れることなくデバイスが書き込み、デバイスが検索するという時代になっていく」

 携帯電話の新規参入が10年ぶりに実現し、WiMAXなどの新しい技術も次々と出現し始めている。ワイヤレスの世界は今後かなりホットになっていきそうな勢いで、これらがウェブサービスだとかマッシュアップだとか言われているような枠組みと結びついていけば、いままでだれも想像もしていなかったような新しいビジネスが生まれてくるかもしれない。なかなか刺激的な話ではないか。
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 ラジオはかなり危機的状況に陥っているようだ。

 先日、とあるセミナーで文化放送デジタル事業局の南理子さんと同席する機会があった。彼女によると、文化放送は週間500万~800万のリスナーにリーチし、かろうじてマスメディアとしての規模を維持してはいるものの、市場は縮小し続けている。ハードウェアのラジオ受信機は出荷台数が毎年10パーセントずつ減っているし、広告市場も2004年にインターネットに抜かれた。長期低落傾向が続き、毎年のように前年割れしているという。

 そんな中で文化放送は生き残りを賭け、さまざまな戦略を打ち出している。その最大のものが、アニメ・ゲーム系の番組コンテンツだ。文化放送ではこれらの萌え系コンテンツを総称して「A&G(アニメ&ゲーム)」と呼んでいるようだが、A&G番組は週になんと33本。聴取者数は100万人近くに達しているという。それ以外に衛星放送や携帯コンテンツ、イベントなどのサブコンテンツも展開し、さらにそれらをDVD化することなどで、一大マーケットに育て上げているのだという。南さんは「いまや文化放送は世界最大のアニメ・ゲーム放送局になっているといってもいいと思います」と話した。

 そして文化放送がまた別の展開を狙ってスタートさせたのが、ポッドキャスティングである。南さんは「ポッドキャストはラジオと全く異なるユーザー層を持っており、聴き方も自由に選択できる。これまでのラジオの枠から外に出る試みとして、ポッドキャスティングは文化放送にとってはやってみるに値する選択だった」と話す。コストは1円もかけず、ラジオで流している番組コンテンツをそのまま活用しているかたちで、文化放送のポッドキャスティングサイト「Podcast QR」は今年9月にスタートした。

 興味深いのは、文化放送がアンケート調査をしてみたところ、Podcast QRを聴こうと考えたリスナーは従来のラジオ視聴者層とはあまり重なっていなかったことだ。多くのポッドキャスティング利用者は必ずしもメジャー指向ではなく、「自分だけの情報を持ちたい」「話の切り口のおもしろさに惹かれる」「新しいものや考え方に敏感」というビジネスパーソンが中心だったという。年齢としては三十代から五十代。年齢層では既存のラジオ視聴者層と同じなのだが、しかし現実にはAMラジオをまったく聴いていなかった層が、Podcast QRに集まってきていたのである。特に人気の出ている「大竹まこと 少年ラジオ」という番組コンテンツは、平均して週に2万から3万のダウンロードがあるという。

 極論を承知で言えば、コンテナーとしてのAMラジオにはすでに魅力はなくなっているのかもしれない。しかしポッドキャスティングがビジネスマンに訴求しているという現実を見れば、文化放送という局の持っている番組コンテンツ制作能力はきわめて高く、コンテンツとしてはネット時代においても十分に売っていける価値を持っている。

 となるとアナログのAM放送というコンテナーから徐々に拡大し、文化放送がポッドキャスティングやあるいはデジタルラジオなどにコンテナーを多様化していくというのは、自然の流れなのだろう。

 さらにいえば、マスマーケティングに頼らざるを得ないAMラジオと異なり、ポッドキャスティングはコンテンツ的にはAMラジオを踏襲しながらも、さらに一歩進んでナノマーケティング(パーソナルマーケティング)へと踏み込んでいける可能性を秘めている。ポッドキャスティングやiTMSの仕組みをうまく利用し、パーソナルな広告をラジオ番組に挿入していくことができれば、こうした音声コンテンツにはまだまだ無限の可能性を秘めていると思うのだ。

 ネットはテキスト文化からスタートし、ブロードバンドの普及によってようやく音声、映像へと表現方法を拡大しつつある。それはかつての「マルチメディアブーム」とは異なり、もう少し本質的な進化になりうるだろう。そのパラダイム転換期においてポッドキャスティングは重要な役割を果たしていきそうな勢いだし、ポッドキャスティング世界においてはラジオ局の役割は非常に大きいと思う。

 ただ、ラジオ局がそうやって進化していくためには、越えなければいけないハードルもたくさんある。最大の問題は、ラジオ局側の姿勢かもしれない。南さんは「ラジオ局の営業に、ラジオ以外のスキルが乏しく、新しいメディアへの知識が足らないのが問題」と話した。また広告主の側も、ネット広告の担当者はマスメディアのことが理解できず、逆にマス広告の担当者は放送枠の確保だけに頭がいっぱいで、ナノマーケティングのことがよくわかっていない。ナノマーケティングの場合は広告宣伝というよりは、セールスプロモーション的な意味合いが大きく、企業側の宣伝部とSP部の垣根の問題も浮上してくるだろう。今後は、クロスメディア的な広告をどう展開していくのかという発想が、広告主の企業の側にも求められているのである。
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 前回の続きをもう少し。

 世の中にある事象は、デジタル化しただけでは使えない場合も多い。美崎さんの例で言えば、本をスキャンしてデジタル化し、画像として保存しても、そのままでは再利用は難しい。検索ができないからだ。検索ができるようにする――つまり可視化するためには、テキスト化するか、もしくはアノテーションやタグを付加する必要がある。

 これは考えてみると、実のところの私の取材にも同じことが起きている。

 取材にはいつも、ノートブックパソコンとICレコーダー2台を持って行く。インタビュー中はICレコーダーで録音しながら、ノートブックパソコンで相手のしゃべっていることばを同時タイプしていく。このタイプがうまくいけば、デジタル化と可視化が一気に行われることになって、その後原稿にするのにとても便利だ。

 だが相手のしゃべり方が非常に速かったりすればタイプが追いつかないときがある。また、非常に微妙な取材(たとえば対決的な取材だったり、相手が話したくないことを無理矢理引き出したりするようなとき)の場合には、パソコンに向かってタイプすることをはばかられる場合もある。

 そんなときはICレコーダーの録音が役に立つ。

 新聞記者時代には、テープでの録音は特別な場合を除けば、基本的には行っていなかった。会社から支給されている小型のメモ帳にひたすら書きまくるか、あるいはそれさえ許されない場合は、必死で頭の中に記憶した。それさえ許されないというのはどういうときかといえば、刑事などへの夜回り取材の場合だ。お互いの信義があるから、録音どころかメモ取りさえいっさい行わない。相手が重要かつ長い話をしてくれたときには、勧められる酒も上の空で必死で頭の中に焼き付け、トイレに立った時などに便器に座ったままで必死でメモ帳に書き起こしたりした。

 まあでもこれはある種の文化、風習のようなものである。日刊のメディアである新聞には「その日暮らし」的風土があり、あまりまどろっこしいことは好まれないのだ。

 月刊誌や書籍などの取材の場合には、当然のように録音が行われる。かつてはカセットテープが主流だったが、あとから管理がたいへんだった。九〇年代後半からはMDも登場して音質は向上したが、メディアの管理が面倒なことはかわりがなかった。

 しかし2000年ごろからICレコーダーが急激に普及し、多くのライターが使うようになった。かつてはメモ帳が主流だった新聞の世界でさえそうで、自民党本部前のぶら下がり取材などでは、政治家の前にたくさんのICレコーダーがマイクのように突きつけられるようになっている。ICレコーダーの場合、データはパソコンのハードディスクに転送できるから、日にちと取材対象をファイル名につけておけば、管理も容易このうえない。

 だがテープがデジタル化されてファイルになっただけでは、当たり前だけれど使いにくい。やっぱり録音の内容をテキストに起こす作業が必要になり、この作業にかかる時間はテープのころとあまり変わらない。パソコンの場合は書き起こしキーなどが使えるから若干は楽になったとはいえ、それでも1時間の録音をテキストに起こそうとすると、2時間から3時間はかかってしまう。書籍の取材などで6時間ぐらい話を聞いていたりすると、テキスト化の手間を考えただけで絶望的な気分になる。

 そこで最近は、量の多いものに限っては、テキスト興しを外注に出している。1分20円から30円程度。1時間の録音だと、1万2000円から2万円程度かかる。高いか安いかは費用対効果の問題があるから一概には言えないけれど、美崎さんは書籍のスキャニング費用として「1ページ10円で外注に出している」と言っていた。ほぼ同じスケールの金額といえるかもしれない。

 テキスト化ではなく、タグやアノテーションを付加するのにもやはり人力が必要だ。フォークソノミーなどはそれをひとりの力でなく、多くの人の助けをやってしまえば楽になるという考え方による試みだけれども、やっぱり人手がかかることには代わりはない。

 結局のところ、世の中の事象をコンピュータ上で可視化するためには、どこかで必ず人手を加えることが必要になってしまっている。Google Newsがアルゴリズムによる完全自動化で編集者をなくしたのと同じように、この部分の手作業を自動化するすべはないのだろうか。
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 竹田茂さんのスタイル株式会社が運営している「携帯大学」の会合で、未来生活デザイナー、美崎薫さんのレクチャーを聴いた。

 美崎さんは自宅で「記憶する住宅」というプロジェクトを実施している。これまでの人生で出会った人や読んだ本、観たビデオ、見た風景などありとあらゆる体験をデジタルコンテンツ化し、ハードディスクに蓄積するというものだ。そしてこの蓄積したデータは、Smart Calenderなどのアプリケーションソフトを使って閲覧することができる。このソフトは2004年度のIPA未踏ソフトウェア事業にも採択されているが、非常にすぐれたインターフェイスを持っている。このソフトを使って過去の写真を見る体験は、不思議な感動を伴っている。

 美崎さんの試みは、マイクロソフトのゴードン・ベル博士が行っているMyLifeBits(私の人生の断片)プロジェクトと同等のものといえる。

 これらのプロジェクトを総称して、「ライフログ」と呼ぶ人もいる。自分の人生が、どれだけデジタルに転写できるのか? デジタルに転写された人生は、イコール自分となるのか? もしデジタルコピーの技術がどんどん進化していって、人間が外界から取り入れた五感すべてをデジタル化できるようになったとしたら、そのデータは自分をそのまま表現したものになるのか? そうだったらそのデータに転写されない「自分」には何が残っているのか?

 考え出すときりがないが、非常に興味深い思考実験だと思う。

 ところでその日の美崎さんのレクチャーでは、読んだ本をどうデジタル化するのかという話があった。世の中のたいていのものはアナログで、それをすべてデジタル化していくのは非常な困難が伴う。写真はデジカメで撮れるからまあいいとしても、たとえば配布される紙の資料、映画館で観る映画、コンサートで聞く音楽はみんなアナログだ。

 私が美崎さんに初めて会った時、名刺を渡すと彼はその名刺を首からぶら下げていたデジカメでパチリと撮影し、名刺を返してくれた。彼はそうやって何でもデジタル化しているのである。しかし本はそう簡単にはいかない。読んでいくはじから一枚一枚スキャンしていくのはたいへんだし、本に集中できない。

 そこで彼は、SOHOビジネスの人に依頼して、本を丸ごと一冊渡してスキャンを頼んでいるのだという。料金は1枚10円。250ページの本なら2500円になる。買う値段よりも高くなるが、その金額ですべてデジタル化されるということを考えれば、安いともいえるかもしれない。

 しかしデジタル化されていても、あくまでそれはスキャンデータであってテキストになっているわけではない。だから検索はそのままの状態では不可能で、もう一段仕掛けが必要になる。理想的にはOCRだが、いまの技術レベルでは現実的ではない。現実的な解としては、ページごと、章ごとなどにタグをつけていくということになる。

 しかしこの手間もそうとうに面倒で、ひとりの力では難しい。だから美崎さんは「本は人々の共有物なんだから、みんなでタグを付けていくようなことができればいいのに」という。最近、Flickrなどで話題となっているフォークソノミーの考え方である。だが現実には、著作権の問題があるから書籍をデジタル化し、そこにみんなでタグ付けをしていくというプロジェクトは日本ではなかなか実現しそうにない。
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 はてな、イー・マーキュリー、グリーという今をときめくネットベンチャー3社を取材した。
 いずれもC2C(消費者間取引)やCGM(Consumer Generated Media)、あるいはソーシャルメディアなどと呼ばれているようなコミュニティベースのビジネスを展開している。流行の言葉で言えば、Web2.0企業である。

 ……余談になるが、デジタルガレージが「Web2.0」という名前の会社を設立したという。何ともデジタルガレージらしいというか、あるいは機を見るに敏な伊藤穣一氏らしいというべきか、あざといまでに単刀直入なネーミングには思わず笑ってしまった。ブログブーム初期の2002年にJBA(Japan Blogging Association)という団体を立ち上げて、日本の先駆的ブロガーたちから批判を浴びたのを思い出してしまう。

 余談はさておいて、上記の3社にはいずれも共通点がある。広告に依存した収益モデルを持っているということだ。はてなとグリーはGoogle AdSenseやアフィリエイトが収益の柱になっている。またイー・マーキュリーのmixiは、バナー広告だ。バナー広告依存というとなんだか古い印象を受けるが、同社の笠原社長の話を聞いていたく納得した。

 mixiはユーザーの7割が3日に一度は必ずログインしているという。驚くべき利用率で、コミュニティサービスというのはそれだけ麻薬的ということなのだろう。ユーザーが1日に閲覧するページの数も平均50に達しており、みんなものすごい勢いで没入している。そこまでの利用率となるとポータルサイトよりもバナー広告の認知度も当然高くなる。笠原社長は「大規模ポータルサイトではバナー広告を1000万人の利用者が一度見るだけかもしれないが、mixiでは170万人のユーザーが繰り返し同じバナー広告を見ることになり、認知度が高い。しかもそうやってきちんと認知してから広告をクリックするため、コンバージョン率が一般的なバナー広告の3倍にも達している」と話した。

 さらにイー・マーキュリーでは、ユーザーのパーソナルデータの蓄積を生かして、性別や住所などにセグメント分けしたターゲッティング広告を配信していくことも考えているという。このあたりになると、AmazonのパーソナライゼーションやGoogle Baseのコンセプトにも近づいていく。

 話を戻すと、3社とも広告収入を収益源として、その上で無料サービスを提供するというモデルである。もちろんはてなやmixiは有料サービスも提供しているけれども、決して収益の中心ではない。そしてこうした枠組みが実現するようになったのは、GoogleやOvertureなどの偉大な先行者が新たな時代の広告依存型モデル――すなわちターゲッティング広告というきわめて効率の良い広告モデルを打ち立てたからだ。このターゲッティング広告の登場によって、Web2.0的なビジネスを志向する企業は、コンテンツの有料化に頭を悩ませなくても良くなったのである。

 そうやって収益源を確保しておいて、あとは楽しく技術開発を行い、人々が気持ちよく情報やコンテンツ、物品を交換できるようなC2Cのプラットフォームを提供していく。そうしたGoogleの戦略というかライフスタイルは、「日本版Googleを目指す」と話している近藤社長の率いるはてなやGREE、イー・マーキュリーなどの企業に共通したものだ。

 そういう意味ではてなやGREE、イー・マーキュリーのような企業は、「グーグルチルドレン」とでも呼ぶべきかもしれない。マイクロソフト的な古い時代のネットビジネス(=守旧勢力)を破壊しようとしているGoogle(=小泉首相)が生み出した、新たなタイプの企業群(=小泉チルドレン)であるからだ。まあそのアナロジーが適切であるかどうかは別にして。
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 前回に引き続き、「通信と放送融合モデル」の話をしたい。

 通信と放送の融合とは、すなわち放送コンテンツを運ぶコンテナー(メディア)が多様化し、最終的に通信と融合する形であらたな進化を遂げることだと、私は思っている。

 その視点から現在のネット業界を見渡してみると、コンテナーの進化を象徴するふたつのできごとが起きている。

 ひとつはTivoの出現であり、もうひとつはiPodへのビデオ機能の実装である。

 Tivoは会社名/サービス名で、一般的にはPVR(パーソナルビデオレコーダー)という用語の方が的確かもしれない。日本で販売されているハードディスクレコーダーと似たようなものだが、日本のハードディスクレコーダーがハードウェア製品として電気店で販売されているのに対し、PVRは月額料金制のサービスであるという違いがある。加入者はハードディスクレコーダーをTivoなどのPVRサービス会社を経由して購入し(DVDなしの最安値モデルで100ドル程度)、月額12.95ドルの料金を支払う。

 Tivoからは、地上波や衛星放送、ケーブルテレビなどの番組が掲載されたEPG(電子番組表)が配信されてくるので、加入者は好きな番組をクリックしてハードディスクに蓄積しておき、あとから好きな時間に見ることができる。Tivoはすでに全米で300万世帯にまで普及し、しかも解約率が非常に低いことでも有名になっている。解約率が低いというのはつまり「Tivoがなければ生活できない」という加入者が激増しているということだ。

 Tivoがすぐれているのは、加入者から見て自分の視聴しようとしているコンテンツが地上波経由なのか、衛星放送経由なのか、あるいはブロードバンド配信なのかをまったく気にせずに、シームレスにさまざまな番組を見ることができるという点だ。視聴者からすれば、重要なのは自分のみたい番組がそこにあるかどうかであって、その番組がテレビなのかネット配信なのかは重要な問題ではない。通信vs放送というのは、企業側が勝手に起こした戦争なのであって、視聴者にとってはその戦争はとっくに解決ずみのどうでもいい戦いなのである。

 その心理をうまく活用して、Tivoは完全に放送と通信を融合してしまっている。そしてTivoというサービスは単なるサービスではなく、ひとつのメディアとなりつつある。つまりはこれまでの「地上波」「衛星放送」「ケーブルテレビ」「ブロードバンド」というコンテナーに加え、あらたにTivoというコンテナーが加わったのである。

 Tivoは案外と歴史が古く、1997年からアメリカではサービスインしている。実は過去、2000年ごろにいったん日本市場に参入を計画した経緯がある。だがこの計画は途中で宙ぶらりんとなり、その後忘れ去られた。しかし関係者によれば、Tivoは来年か再来年――ごく近い将来に、再び日本市場に参入する計画を進めているという。日本の大手ケーブルテレビ企業との提携もささやかれており、非常に気になるところだ。

 そしてiPodも、Tivoと同じような可能性をはらんでいる。

 iPodはつい先日発売された新製品で、ついにビデオに対応した。現在のところ新しいiPodでできることと言えば、iTunes Music Store(iTMS)でビデオコンテンツを購入し、iPodの2.5インチの画面で視聴するだけだ。だがオプションのiPod Universal DockやiPod AVケーブルなどを接続すれば、大画面テレビでiPodのハードディスクに保存してあるビデオコンテンツを観ることもできる。そしてアップルコンピュータは、アメリカ国内ではABCテレビで前日放映した人気ドラマの一部をiTunes Music Storeで購入できるサービスを開始している。つまりiTMS―iPod経由で、テレビドラマを視聴することができるようになったわけである。

 コンテンツ配信というと必ず課金モデルをどうするのかというのが問題になり、「無料で放送している地上波の番組をわざわざカネを払って見る人はいない」「少額決済のモデルがない」といった課題が指摘される。だがiTMSはすでに音楽有料配信のプラットフォームとして定着しつつあり、このスキームの中でコンテンツに対して料金を支払うことに抵抗を感じる人は少ない。いわばNTTドコモがiモードで確立した通信料金とコンテンツ料金のウィンウィン関係と同じような関係(実際には音楽課金―ビデオ課金という関係だが)が、iTMSを活用することで可能になってしまうわけだ。

 さらには今後、ビデオポッドキャスティングを使って、iPodを経由した広告モデルが登場してくる可能性もある。アップルは今のところはポッドキャスティングに広告を導入することは認めていないが、今後この規制がゆるめられる可能性は大いにあると思う。

 かつてはネット業界では「広告依存」というのは良くないことだと考えられ、広告依存からいかに脱して、有料課金へと向かうのかが大きな課題とされていた。しかし最近、グーグルがAdWordsとAdSenseで大成功を収めたことによって、広告依存モデルが再び脚光を集めるようになってきている。コンテンツを有料化しなくとも、リスティング広告(キーワード広告)やコンテンツターゲット広告のような秀逸な広告モデルがあれば、広告に依存して収益を上げることは決して間違いではない――そんな共通認識が広まりつつある。

 その枠組みでは、今回楽天が提示した事業計画案のなかのひとつである「テレビのトラフィックをウェブに誘導し、そこで広告収入を得る」というプランは、決して間違いではない。

 <インターネットで番組配信―パソコンで視聴―コンテンツ課金>

 というモデルだけが、通信と放送の融合ではない。コンテンツとコンテナーの関係は今後も進化していくはずで、さまざまな可能性が広がっている。
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 楽天はTBSに対して、「共同持株会社を通じた統合に関する提案およびその要旨」という100ページあまりの文書を提出していた。この文書には、楽天がどのような「テレビとネットの融合モデル」を考えているかが具体的に書かれているらしい。そこで新聞や雑誌などのメディアはどこも必死で入手を図っていたのだが、とうとう読売が入手したようだ。20日の読売新聞東京本社版朝刊は「TBSへの統合提案全文判明、番組視聴に楽天ポイント」と題した記事を掲載した。

 <放送と通信を融合させた具体的な事業としては、(1)楽天グループ3000万会員の基盤を活用して「見たい番組」情報を提供(2)TBS番組や広告を視聴することで、買い物に利用できる楽天ポイントを付与(3)ブログを活用した視聴者同士のコミュニケーションの拡大――などを挙げ、「視聴者個人の好みに合わせ、番組と広告を統合的に組み合わせる」ことによって、相乗効果を図るモデルを打ち出した。これらの展開には、大手広告会社の電通の協力が不可欠であることも明記した>

 なんだかなあ、という感じである。読売の記事から読み取れるのは、楽天はまじめに通信と放送の融合を考えているのではなく、あくまでも自社ポータルの楽天市場の集客のために、いかにTBSを利用するかということでしかないのではないか。ライブドアから楽天へと続く一連のテレビ業界攻略を見てきて、最近そんな気持ちになってきた。ライブドアにしろ楽天にしろ、しょせんはポータルでしかない。要するにぶっちゃけて言ってしまえば、ポータルなんていうのはもはや古いビジネスモデルなのだ。

 ポータルサイトというビジネスモデルは、客をできるだけたくさん集め、それらの客にいかにたくさんのサービスを提供できるかが肝となる。前者の集客力に関して言えば、王者ヤフージャパンが圧倒的だ。そのヤフーを越えるためには、ヤフーを凌駕するリーチ率を持つメディア――すなわちテレビやラジオなどのマスメディアから客を呼び込むしかない。だからライブドアにしても楽天にしても、テレビ業界にさかんに触手を伸ばしている。

 しかしポータルビジネスの価値の極大化と、通信と放送の融合は、当たり前だが決して同じものではない。ポータル企業がテレビ業界に触手を伸ばしたからといって、それを「通信と放送の融合を目指している」と言ってしまうのは間違いだ。

 ネットとテレビの融合に関して言えば、楽天やライブドアが言っているのとはまったく別の方向性で、現時点でもかなりの部分まで道筋が見えつつある。

 先日のエントリーで歌川令三氏の「新聞がなくなる日」という本を紹介し、「コンテンツとコンテナー」モデルについて書いた。そのアナロジーをそのまま流用するのであれば、いま起きつつあるネットとテレビの融合モデルは、すなわちコンテナーの多様化である。

 以前「多チャンネル化」という言葉があった。チャンネルがどんどん増えていくのは間違いないが、いまここで言おうとしているコンテナーの多様化というのは、そうした多チャンネル化の延長戦にあり、さらにコンテナー自体の進化をも促そうというものだ。

 では、コンテナーの進化とは何なのだろうか。進化したコンテナーの具体的なケースは、ふたつある。しかしここで、ちょっとエントリーを書く時間が尽きてしまった。残りは数日内に。
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 新聞社というところは昔から、派閥抗争の激しい世界である。特に東京本社編集局ともなると、人数が多いだけに、その諍いの激しさは尋常ではない。私は1990年代、およそ8年間にわたって毎日新聞東京社会部に所属し、延々と事件取材やら選挙取材やらを続けていたが、このころの毎日社会部にもやっぱり派閥抗争みたいなものがあった。社会部記者たちは警視庁グループと東京地検グループというおおよそ二つの流れに分かれ、お互いが日々反目し合っていた。政治の世界ほどの明確な派閥ではないため、別にそれぞれが独自の集会を開いたりしていたわけではないが、「毎日社会部の10年抗争」などと揶揄する関係者もいたりして、やはりあれはれっきとした派閥抗争だったのだろう。

 一方の派閥の記者が、他方の派閥の記者に「おまえなんか次はぜったい地方に飛ばしてやるからな!」と恫喝するという場面もあったりした。支局からあこがれの社会部に栄転してきたばかりの若い記者は、そんな様子を見て「なんて恐ろしく、なんて嫌なところなんだろう」と震え上がったりしたものだ。

 あるいは記者が三人集まっていると、こんなことが起きたりする――三人揃っているときには仲良く打ち合わせしているのだが、ひとりがトイレか何かで中座すると、残りの二人でトイレに行ったもうひとりの悪口をさかんに言いつのる。トイレからくだんの記者が戻ってくると二人は急に悪口を辞め、そして最初に悪口を言っていたうちのひとりが「じゃあオレも」と中座すると、今度はトイレから戻った記者ともとからいた記者の二人が、さかんにもうひとりの陰口を叩き始めたりするのである。とにかく身も蓋もない荒れ果てた世界で、信義もへったくれもない。

 私は1998年に脳腫瘍を患って、8時間もかかる大手術を受けた挙げ句に3か月ほど会社を休んだ。ようやく徐々に仕事ができるようになって編集局に出社したところ、かねてから敵対していた同年配の記者とばったり出くわした。この記者は私を見つけて冷たく目を光らせ、こう言いはなったのである。

 「なんだ、まだ生きてたのか」

 新聞記者というと映画やドラマでは、社会正義に目を光らせ、スクープを狙って地べたをはい回る……という一匹狼的なイメージがあったりするが、実態のところは異常に徒党を組むのが好きだし、いがみあいも大好きだ。人事の季節になるとみんな目を輝かせて情報収集に走り回り、そのあたりは古い企業の古い会社員そのまんまである。そういう社内コミュニケーションを「くだらない」と嫌う立派な記者も中にはいて、人事好きの記者に対して「なんだこの人事野郎!」と吐き捨てたりもするのだが、社内ではしょせん多勢に無勢である。

 しかしそうした派閥抗争が、新聞社の活力につながっている部分もあるから、一概には否定はできない。そのあたりは、自民党の派閥の功罪について言われてきたのと、似た構図といえるかもしれない。

 さて、ITと何の関係もない新聞社の派閥の話を書いたのは、最近「新聞がなくなる日」(草思社)という本を読んだからだ。この本の歌川令三氏は、元毎日新聞編集局長。そして毎日経済部の派閥の大ボスとして知られた記者である。歌川氏は80年代、毎日新聞で大きな権力を持ち、「歌川派にあらずんば人にあらず」というほどの強大な派閥を経済部に築いていた。だが結果的には激しい派閥抗争に敗れ、編集局長を辞任し、毎日も退社した。この時の内紛は週刊誌などにさんざん書かれ、毎日新聞が出版社などに抗議する事態にまでなったほどだ。

 そして毎日を退社した歌川氏は、中曽根元首相の世界平和研究所に移籍し、主席研究員に就任した。その後日本財団常務理事を経て、現在は同財団特別研究員と多摩大学院客員教授を務めている。

 私は1988年の入社で、この年に歌川氏はすでに毎日を退社していたから、面識はない。そもそもかりに同じ時期に毎日にいたとしても、私は田舎の支局で20代の駆け出し記者。向こうは大先輩であり、東京編集局を統括する編集局長であり、比べるのも恐縮な神の上の存在だったのである。

 そういう伝説上の人物である歌川氏が、70歳を越えて、「新聞がなくなる日」という本を刊行したという。しかも自分の古巣である新聞について書籍を書くのは、初めてだというのだ。いったいどのような内容が書かれているのか? 自分も毎日出身だからというわけではないが、非常に気になる。新聞に対する恨みつらみだろうか?

 しかしこの「新聞がなくなる日」というのは、読んでみると、予想とはまったく異なる内容だった。新聞のビジネス的問題点をきわめてロジカルに洗い出した書籍だったのである。インターネットビジネスを分析した部分など、一部にはかなり不満な点もあるけれども、しかしそうした部分をさっ引いたとしても、非常にきちんとした内容の本である。

 メディア産業をコンテンツとコンテナー(媒体)に分けるというのはよくある考え方だが、歌川氏の分析で面白かったのは、日本の新聞とアメリカの新聞の相違を分析していた章だ。新聞の売上げは広告収入と販売収入で成り立っているが、アメリカの新聞は広告収入の比率が非常に高い。全米平均では広告収入が新聞社の売上げに占める割合は85%で、ニューヨークタイムズともなるとなんとこの比率が95%にもなるという。要するに広告さえ維持できれば、会社は成り立ってしまうのである。

 広告の掲載場所はインターネット時代に入って、コンテナーからコンテンツへと移りつつある。たとえばわかりやすい例で言えば、テレビ広告はコンテンツ(番組)とコンテンツの間に挟まれるコマーシャルフィルム(CF)として流通していたが、HDDレコーダーの普及もあってCFが視聴者に見られなくなり、アメリカではコンテンツのドラマの中などに商品の紹介を差し挟むプロダクトプレースメントへと主舞台が移ろうとしている。電波というメディア特性を利用したCF流通ではなく、コンテンツと広告を融合させることで、広告の生き残りを図ろうとしているわけだ。

 こうした状況では、コンテンツさえ維持できれば、広告モデルも維持できてしまう。コンテナーが別の乗り物(媒体)になったってかまわないわけだ。

 歌川氏の本に戻ると、こう書いてある。<米国の新聞業界は、すでにメディアのペーパーレス時代を想定して、蛸が自分の足を食うように「紙」を見切って「電子」に重点を移すモデルを将来の有力な選択肢のひとつとして設定済みだ。旧きものを切る大胆な「カニバリ」の決断ができるのはなぜか。それは販売収入への依存度がきわめて小さい広告本位制経営をやっているからだ。米国の新聞経営者にとって広告収入の最大化こそ、至上命題であり、「紙」とか「電子」とか、ニュースと広告を詰め込んで読者に運搬するコンテナーの種類にこだわる必要はない」

 一方、日本では状況がまったく異なる。売上げの50%が販売収入で、広告収入は36%に過ぎない。この背景には、強大な販売店網が全国津々浦々に築かれていて、今までの新聞のビジネスモデルを根底から支えてきたということがある。つまり日本の新聞は、コンテナーに依存したビジネスモデルを作ってきたのである。歌川氏はこう書いている。

 <日本の新聞経営のよりどころは、三点に集約される。(1)販売収入こそ、新聞経営の命である。(2)専売店による宅配制度の維持こそが、日本の新聞経営者の至上命題である。(3)広告収入は重要だが、それも「紙」新聞の安定的発行の継続が前提だ>

 もしコンテナーである紙の新聞からの販売収入が消滅すれば、日本の新聞は収益の半分を失うことになってしまう。広告収入は36%しかないから、いくらコンテンツを強化して広告収入を増やしても、企業は維持できない。これが日本の新聞がネットビジネスに及び腰になっている最大の原因だと、歌川氏は指摘するのである。

 青臭いジャーナリズム論から新聞の将来を憂う声はあったが、きちんとビジネスを分析して新聞の今後の可能性を語った論はこれまでほとんど存在してこなかった。その意味でこの歌川氏の著作は、きわめて示唆に富んだ内容を持っていると思う。
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