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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
Hotwired / Blog / 佐々木俊尚の「ITジャーナル」
 先日書いた元京大研究員、office氏の話をもう少し続けたい。

 彼の法廷における姿勢や発言を見ていると、非常に特異な気質というものを感じてしまう。それは発言内容の苛烈さや、挑発的なことばの使い方をとらえてそう思うのではない。office氏の論理の組み立て方や、論争する相手との距離の取り方に、独特なものを感じるのである。

 office氏の立ち位置は、こんな感じだ。
 まず質問に対しては、徹底的にロジカルに答えようとする。自分で組み立てたロジックに対して絶対的な信頼を持ち、そのロジックが自分のよりどころとなっている。仮に相手が感情的に攻撃してきたとしても動揺せず、あくまで自分のロジックに立てこもって攻撃に対応しようとする。だから決して挑発には乗らない。

 彼の性格を一般化するのはかなり危険だが、ある種の“技術者気質”に近いものを感じるのは私だけではないだろう。同じようなキャラクターを持っている人を、私は知り合いの中に何人か思い出すことができる。全員が技術者である。

 ポジティブに言えば、彼らはとても公明正大であり、無私である。ある種の正義を体現している。しかしネガティブな言い方をすれば、あまりにも容赦がなく、余裕も乏しい。とはいえ、これからのIT化社会では、こうした立ち位置を持つ人たちの重要性が高まっていくような気もする。

 話を戻そう。

 office氏のそうした振る舞いを見ていると、コンピュータソフトウエア著作権協会(ACCS)との間でなぜこれほどまでに対立が深まったのか、少し理解できる気もする。

 それはこの事件で、office氏との交渉を続けたACCSの久保田裕事務局長との問題である。2人の間には、広くて深い溝のようなものがあるように思える。

 久保田事務局長は、office氏とはまったく違った立ち位置にいる人物といっていい。歩んできた人生が異なれば、人生に対する見方も異なる。人との距離感もまったく違う。ものごとの見方が違う。

 久保田事務局長は元週刊誌記者。いわゆるトップ屋である。途中で著作権の世界にはまりこみ、苦労してACCSという団体を立ち上げ、ここまで育ててきた。ひげ面に日焼けした顔は、いかにも体育会系である。実際、少年ラグビーの指導者も務めている。ちょっと不良で明朗活発で、おまけに押しはめっぽう強い。私は個人的には非常に好きなのだが、しかしオタク的な気質とはものすごく遠いところにいる人である。

 少し古い話をしてみよう。

 数年前、中古ゲーム問題というのがあった。中古ゲームの販売が著作権に抵触するのかどうかをめぐって、裁判で争われたというものだ。そしてこの当時、久保田事務局長は「中古ゲームの販売の際、ゲーム店は一定の著作権料を支払ってクリエイターに還元すべきだ」と表明し、中古ゲームの完全自由化を求めていたユーザーグループからかなりの反発を受けた。

 私は当時、ある月刊誌の編集をしていて、久保田事務局長と中古ゲームのユーザーグループの対談を計画した。編集部のあるビルの会議室に双方に集まってもらい、存分に話し合ってもらうという企画だった。

 だが蓋を開けてみると、対談は成功とは言いがたいものになった。久保田事務局長らACCS側の論客たちがガンガンしゃべり、20代の若者たちが中心だったユーザーグループの面々は、もっぱら聞き役となってしまったのだった。

 対談が終わった後、近くのファミリーレストランに席を移し、ビールを飲みながら歓談した。といっても、主にしゃべっていたのはACCSの人たちである。そんな風にしてその日は終わり、久保田事務局長は嬉しそうに話した。

 「会う前はどんな連中かと思ったけど、みんないい子たちだなあ。僕らの意見をわかってもらえて、今日は本当に良かったよ」

 ところが翌日になってみると、ユーザーグループが開設しているウエブの掲示板には久保田事務局長への不満が盛んに書き込まれ、爆発寸前の状態になっていた。

 私はその夕方、久保田事務局長に電話した。

 「いったいどう対処しましょうか」

 彼はほとほと困り果てたという口調で言った。

 「あんなにわかってもらえたと思っていたのに、なんでこういう反応になっちゃうの? ぼくは彼らの考えていることがよくわからんよ」

 実のところ身も蓋もなく言ってしまえば、ユーザーグループの若者たちは対談の場では久保田事務局長の押しの強さに、圧倒されて何もしゃべることができなかっただけなのである。しかし久保田事務局長は、そんなことは想像もしていなかった。

 その時、電話の中で久保田事務局長はこう言ったのだ。「どうして言いたいことがあるんなら、対談の時にガンガン言ってくれないんだ? 腹を割って話し合えば分かり合えるはずじゃないか」

 彼には、オタクの若者たちのスピリットがあまり理解できていなかった。それは正直なところ私もまったく同じで、新聞社というオヤジ臭い会社から転職したばかりの人間にとっては、技術者文化というのはかなり遠いところにある存在だったのだ。久保田事務局長も私も、

 「酒を飲んで、腹を割って話し合うのが大人のつきあい」

 なんて思っていたのである。

 しかし酒を飲んで腹を割って話し合って、すべてが済んでしまうのであれば警察はいらない。警察は要らないどころか、それは腐敗の発端にさえなりかねない。そして世の中は徐々に、そういう文化から脱却しつつある。「大人になれよ」と言われて大人になって、気がつけば腹に何でも呑み込んでしまって社会正義や本音を語らずに生きていくようになるのが古い大人文化だとすれば、現在のインターネットを担う世界は、そういった文化からは高速で遠ざかりつつある。

 そうした古い大人文化と、インターネット社会の親和性はとても低い。両者の間には、広くて深い溝が横たわっている。
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 検察官は、かなりイライラしていた。今月20日、東京地裁で開かれたACCS不正アクセス事件の被告人質問でのできごとである。

 事件はかなり有名になったから、知っている方は多いだろう。インターネット上でofficeと名乗っていた京都大学研究員の男性が、コンピュータソフトウエア著作権協会(ACCS)のウエブサイト「ASKACCS」に侵入したとして、不正アクセス禁止法違反で逮捕、起訴された事件である。裁判は5月26日の初公判以降、これまで4回にわたって開かれている。

 弁護側も検察側も、「office氏がASCACCSのCGIを操作してウエブサーバ内のログデータを閲覧した」という客観的事実については争っていない。争点は、その行為がはたして不正アクセス禁止法に抵触するのかどうかに絞られている。もう少し具体的に言えば、検察側はoffice氏が「アクセス制限機能を有する特定電子計算機であるサーバコンピュータに、アクセス制御機能による特定利用の制限を免れることができる指令を入力し、不正アクセス行為をした」と断じているのに対し、弁護側は「CGIはID、パスワードなどの認証はなく、アクセス制御機能はなかった」と反論しているのである。

 この争点について裁判所がどのような判断をするのかはかなり興味のあるところだが、いずれにしても結果は判決を待つしかない。その本質的な問題は置いておくとして、この日の裁判で非常に面白かったのは、検察官とoffice氏のやりとりだった。

 office氏が何か答えるたび、検察官はあごに手をやり、被告席を時々にらみつけ、そして苦虫をかみつぶしたような声でふたたび質問を投げかける。

 「事実関係については争わないんですね?」
 「はい、争いません」
 「ではASKACCSのサーバログに残っているあなたのアクセス時間と回数については、起訴状別紙の通りで間違いないですか」
 「覚えてません」
 「でもサーバログに残ってるんですよ? アクセスログが記録されてるのは知ってますか?」
 「それは知ってますが、そのログが真正かどうかはわかりませんから」
 「じゃあログが真正だと認められれば、内容を認めるんですね?」
 「それは……真正だと立証されたら、お答えしたいと思います」

 検察官から見れば、のれんに腕押しの答弁というところだろう。逮捕されて被告席に立つのは初体験のはずだが、office氏の法廷闘争は相当にタフである。見た目は真面目な技術者にしか見えないが、逮捕されてからの二十日間の拘留中も、警察官や検察官を相手に技術論争、法律論争を果敢に挑み、結局最後まで折れなかったというから相当なものだ。日本の検察官の取り調べの厳しさは、昔から定評がある。日ごろは威張っている官僚や政治家も、汚職などでひとたび逮捕され、検察官の強烈な取り調べを受けると、思わず泣き出してしまう人も少なくないという話を聞いたことがあるほどだ。

 「あなたがCGIを操作していたのは、ACCSやサーバ管理会社が想定していないイレギュラーな方法だったんじゃないですか?」
 「本を買った時に、私がカバーをめくって内側の表紙を見たとして、それはイレギュラーなやり方になるんでしょうか? 本を作る側はカバーをめくられるのを意図していないのかもしれませんが、私のカバーをめくるという行為は批判されるものではないでしょう」

 突然たとえ話を持ち出して延々と説明し始めるoffice氏に、検察官の表情は激しく苛立ち、そしてとうとう彼は遮って叫んでしまう。

 「質問に答えなさい!」

 弁護士が「異議あり!」と立ち上がり、裁判長が「検察官、法廷にふさわしくない行為ですぞ」とたしなめ、法廷は混乱した。

 検察官はなおも食い下がって質問を続ける。

 「あなたのCGIの操作はイレギュラーじゃないんですか?」
 「イレギュラーかどうかは私にはわかりません。ACCSにはそれをイレギュラーと思う人もいるでしょうし、そう思わない人もいると思います」
 「じゃあそういう操作を意図した人もACCSにはいる?」
 「そうかもしれません」
 「意図してるんだったら、わざわざあなたが脆弱性を指摘する必要がないのでは?」
 「……たとえ話をしていいですか?」
 「どうぞ」
 「アイスターという会社があって、経営している旅館がハンセン氏病患者の方の宿泊を拒否した事件がありました。そしてこの問題への抗議文を書いた人の住所と名前を、ある時アイスターはウエブで公表してしまったのです。これはアイスターが意図した行為だったと思うのですが、多くの人が抗議して、この行為は是正されました。だから意図していたとしても、指摘することは必要だと思います」

 検察官は言葉に詰まってしまった。法廷には十数秒間、沈黙が流れた。

 office氏の主張、態度が正しいのかどうかという議論は、別にしておこう。それにしても、ここまで検察官が被告人質問で翻弄されている姿を、私はこれまでに見たことがなかった。
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 サイバーエージェントの藤田晋社長に取材した。同社が「アメーバブックス」という名前で出版業に進出したからである。いまさらどうして出版なのだろう? 真意を知りたかった。

 ここ数年、「人々が本を読まなくなった」と言われ、出版不況と呼ばれる状況が続いている。書籍は1997年以降、年間販売額の前年割れが続いている。雑誌はどこも青息吐息で、販売収入のマイナスを埋めるためにタイアップを中心とした広告収入に頼ってしまっているのが現状だ。

 サイバーエージェントというのは、1998年に設立されたインターネット広告企業である。藤田社長は、ライブドアの堀江貴文社長の盟友。女優の奥菜恵さんの夫でもある。同社もネットバブル崩壊後はネット広告市場に縮小にかなり苦しめられたが、一昨年ごろから急激に復活。検索エンジンのキーワード広告代理店業に加え、メルマ!やメールビジョンなどの自社媒体を使った広告配信が大ヒットし、急成長している。広告代理店でありながら、かなりメディア企業にシフトしつつあるような印象だ。

 サイバーエージェントだけでなく、楽天にしろライブドアにしろ、インターネット企業の多くはメディア企業を目指しているように見える。そのあたりの疑問を藤田社長にぶつけると、こんな答が返ってきた。

 「要するに、みんなヤフーになりたいんですよ。経常利益率が50%を越えているのは凄くて、メディアの利益率の高さを見せつけた。それに、いまやたいていの人は新しいニュースを新聞やテレビではなく、まずヤフーのニュースで知るという状況になりつつある。メディアとしてのパワーを持っているんです」

 ヤフーの圧倒的な成功によって、多くのインターネット企業がメディアへの欲望を増幅させているということなのだろう。その動向は、よく理解できる。しかしそれにしても、なぜいま紙の出版業なのか。ネット企業なのだから、ウエブやメール、ブログなどを使ったコンテンツ配信を考えるというのが常識的ではないか。

 そう質問を投げかけると、藤田社長は言った。

 「ふたたび文字が読まれる時代になりつつあると思うんですよ。ぼくはそういう実感を持っていて、面白い本を作れば売れるのではないかと思っています」

 確かに言われてみれば、インターネットは文字文化である。文化の流れをざっくりと追えば、もともとは文章を中心とした紙の文化があって、それが1960年代ごろからテレビに乗っ取られて、活字は著しく衰退した。60年代から90年代までの長い期間は、メディアの中心はテレビだったのである。

 ところが90年代末になってインターネットが登場し、メールやブログによって「書く」という文化が再び台頭してきた。みんなが大量の文章を書き、そして大量の文章を読むようになったのである。それが証拠に、最近のインターネットユーザーの文章能力はものすごく高い。

 電車の中でみんなが携帯電話の画面を見ているという状況を、相変わらず批判している人がいる。「なんとも不気味だ」「いよいよ人々は本を読まなくなった」云々。携帯のメールにやりとりには、「くだらないショートメッセージの交換ばかり」「出会い系」――。

 だが携帯電話のコンテンツは最近、ますます広がりを見せている。小説「Deep Love」が大ヒットしたのは少し前の話になるが、小説を携帯メールで配信するという形態はごく当たり前になってきているし、教養をメールで読もうという「携帯大学」という面白い試みも始まりつつある。みんな携帯電話で「文字」を読んでいるのだ。しょせんは携帯電話は単なる通信インフラであり、媒体でしかない。刹那的なメールのやりとりもあれば、まごころのこもったメールだってある。

 そんなふうにしてインターネットの文字文化はどんどんふくらみ、ブログの登場によってその文化はさらに新しい段階を迎えつつあるように思える。ブログを書籍化しようというビジネスはすでにいくつか始まっているし、逆に書籍の読者書評をブログで公開し、アフィリエイトで少し儲けるというのも流行になっている。書籍とネットが、何らかの相乗効果を生みだしはじめているのかもしれない。
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 ある大手企業の役員会で、こんなことがあったという。IT担当役員が、新規IT投資について説明しようとした時の話である。役員が難しい技術用語を使い、その案件の素晴らしさについて力説していると、途中で役員会議長の会長がさえぎって、ぶっきらぼうにこう言った。

 「おまえの話し方はぜんぜんプロフェッショナルになっておらん。本当にITのプロだったら、わしらのような素人にもわかるように説明してくれ。おまえの話はテレビの中身を延々と説明してるようなものだが、わしらの知りたいのはテレビが何をできるかということだ」

 別の大手食品メーカーを取材に訪れると、情報システム部長がこんなことを言った。「ITは大切だけど、わが社みたいな食べ物の会社がわざわざITの発展に寄与する義務はないと思う。そんなのはIT企業に任せればいいんじゃない?」

 50代半ばに見える部長氏は、もともと技術者ではない。だがこの業界の中では、IT戦略立案のやり手として知られている。

 「コンピュータテクノロジがどんどん進化して、毎日ニュースを仕入れて勉強をして、ついていくだけでもたいへんだ。でも最近、別についていかなくてもいいんじゃないかと思うようになってきた。ソフトハウスとかハードベンダーとか、IT企業はもちろん別だよ。そういう企業だったら、自社のITをショーケースにして高度な技術を売り込んで行かなきゃいけないだろう。でも食品会社が率先してITをリードしていかなければならない理由は何もない」

 日本企業が本格的に社内ネットワークを構築し、IT化に邁進し始めたのは1990年代半ばになってからだ。そのころはまだ「IT」という言葉もなかったが、コンピュータを導入する、ネットワーク化を進めるというだけで会社の決裁はすぐに下りた。今ほど企業のコスト意識がきびしくなかったということもあるが、何より「ネットワークを導入すれば、経営は突然上向く」という根拠のない幻想が産業界に蔓延していたからだ。

 いま振り返れば、なぜそんなことを皆が信じ込んでいたのかはさっぱりわからないが、当時の経営者たちは本気でそう思いこんでいた。戦後最大の不況の中で、すがりつくものがほかに見つからなかったからかもしれない。ITは「藁」のようなものだったのだろう。ともかくもIT関連と名がつけば、簡単に予算がつけられてしまう時代だったのである。

 しかしここ数年、アメリカ型のリストラが徹底的に進められていく中で、その状況が急速に変わってきた。どんな高度な技術、素晴らしいテクノロジであっても、「それが本当にわが社の経営に役に立つのか? どのぐらいの利益をもたらすのか?」というコスト計算が厳しく求められるようになったのである。流行のTCO、ROIというヤツだ。そこで冒頭に紹介したようなやりとりが、IT部門と経営層の間でひんぱんに交わされることになったのである。

 先の食品会社部長は言う。

 「ITって知識を吸収してると、本当に楽しいんだよね。IT文化の中にどっぷりと浸っていると、勉強して知識をどんどん吸収しているだけで知識欲が満足してしまい、それ以上のことを求めなくなってしまう。モチベーションも労働時間もどんどん吸い込まれていってしまう。そして最後には、それをどう実際の仕事、実社会に役立てるかということはどうでもよくなっちゃうんだな。これはITのブラックホールだね」
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 読売新聞東京本社というのは、取材に対して非常に変わった対応をする会社である。

 以前、ある月刊誌に記事を書くため、同社広報室に取材を申し込んだことがある。取材の内容を聞かれ、「企画書を出してほしい」と言われた。ここまではごく普通の対応で、雑誌の取材といえばたいていの企業広報は企画書の提出を求めてくる。私は取材の趣旨と内容、雑誌の名前とどのようなページにどのような記事を書く予定なのかを記し、自分の住所と電話番号、ファクス番号、メールアドレスなどを添えてファクスで広報室に送った。

 なんだか奇妙な対応になってきたのは、その後からだ。企画書を送ったのにもかかわらず返答がないため、広報室に電話をかけてみると、担当者は「面会での取材には応じられません」という。

 「どうしてですか?」
 「取材には、文書で回答することになっているのです」
 「お会いしてお話をぜひ聞きたいのですが」
 「申し訳ないのですが、ちょっと無理なんですよ」
 「じゃあ文書での回答をお待ちするしかないとうことでしょうか」
 「そうですね。回答が用意できたらお送りしますので」

 担当者は決してヘンな人ではなかった。電話での対応自体はとてもきちんとしていた。しかしそうして一週間以上も待っていたのに、返答がない。どうしたんだろうとやきもきしていたところに、当の月刊誌編集部の担当者から電話がかかってきたのである。

 「読売新聞からファクスで回答が来てるんすけど、そちらに転送しましょか?」

 私は読売広報には、月刊誌編集部の連絡先もファクス番号も伝えていない。伝えてあるのは、私個人の仕事場の電話番号とファクス番号だ。読売広報はそれを承知のうえで、わざわざ月刊誌編集部の電話番号を調べ、そしてわざわざ電話をかけてファクス番号を聞き出し、「回答書」を送りつけてきたらしい。私の仕事場のファクス番号に送れば済む話なのに、なぜわざわざそんなことをするのか。不審に思っていたが、後に読売社内のある関係者に聞いて、ようやく理解できた。

 「うちの会社はね、フリーライターみたいな権威のない一個人には正式回答は行わない、っていうスタンスなんだよ。いや佐々木さんのことをバカにしてるっていうわけじゃないんだけどね、そういう基本方針なの」

 思わず私は、「ずいぶん変わった基本方針ですね」と嫌みを言ってしまったのであった。そもそも「夜討ち朝駆け」といわれる取材手法を駆使し、寝ている取材相手を叩き起こしてでもネタを取る新聞記者の会社が、「文書でしか回答しない」「個人の取材には対応しない」というのは、何ともダブルスタンダードに過ぎるのではないか。

 話を少し戻そう。

 先に書いた読売新聞への取材というのは、「見出し引用裁判」についてのコメントを求めるものだった。この裁判は、読売新聞が2002年12月、神戸のデジタルアライアンス社を相手取って起こした。同社はYahoo!がポータル上で提供しているニュースの見出しとリンクを、バナーの上に電光掲示板状に流すというサービスを提供しており、読売側は「見出しにも著作権があり、勝手に利用するのは著作権侵害である」と見出しの使用差し止めを求めたのである。

 実は読売が小規模なベンチャー企業を相手に裁判を起こした背景には、Googleニュースへの恐怖があったらしい。Googleニュースというのはご存じのように、さまざまなニュースサイトの見出しとリンクを自動収集し、カテゴリ別に並べてひとつの大きなニュースサイトのように見せてしまうGoogleの新サービスである。当時は英語圏だけでこのGoogleニュースは提供されていた。「もしこんなものが流行してしまうと、新聞社のニュースサイトの価値がどんどん下がってしまう」――読売はどうもそう考えたらしく、何とかGoogleニュースの上陸を阻止しなければならないと考え、その牽制球として「見出しには著作権がある」という裁判を起こしたのだ。

 スケープゴートにされたデジタルアライアンス社もたまったものではないだろうが、しかしこの裁判は今年3月、読売の敗訴で終わった。東京地裁は「見出しは客観的事実を記述したか、ごく短い修飾語を付けたもので、創作的表現とは言えない」「ヨミウリオンラインの見出しは全体としてありふれた表現であるから、創作性を認めることはできない」と請求を棄却したのである。

 社内の関係者によれば、この判決に対して、読売社内では「創作的表現ではないとは何ごとだ!」「『ありふれた表現』とは失礼な」と怒りの声が渦巻いたという。そしてその余勢を駆ったのかどうかはしらないが、9月1日からGoogleニュース日本語版がとうとうスタートしたのに対しても、「読売新聞は早速Google日本法人に文句を言ってきて、Google側に見出しとリンクの使用停止を求めたらしい」(検索エンジン業界関係者)という。

 この読売の対応に、全国紙では毎日新聞と産経新聞も追随した。だからGoogleニュース日本語版には、全国紙は朝日新聞と日経新聞しかリンクされていない。英語版のGoogleニュースが主だったニュースサイトのほとんどをリンクしているのと比べれば、かなり物足りない内容になってしまったのである。

 さて、これらの新聞社の対応には、ふたつの問題があると思う。まず第1に、こうした新聞社は、著作権というもののあるべき姿をかなりねじ曲げて理解しているように思えることだ。

 もちろん、「見出しには著作権がない」と断じた裁判所に対する読売の怒りはわかる。新聞社には記事に見出しをつけ、レイアウトを決める「整理部」と呼ばれる部署があり、プロフェッショナルな整理記者は日々、〆切間際に一刻一秒を争いながらも、スマートでわかりやすく、そしてキャッチーな見出しをつけることにこだわっている。その仕事に対して「ありふれた表現」というのは失礼だと思うし、私自身も見出しには著作権があるように感じる。

 でも著作権があるからということと、それを他者に絶対に無料で使わせないように守るというのは、まったく別の話ではないか。言い方を変えれば、著作権があるからといって、必ずしも無断使用を禁じなければならないわけではないだろう。著作権にはフェアユース(公正使用)という概念があって、著作権は守るだけでなく、みんなの共有財産として有効活用していかなければならないという面もある。著作権をガチガチに守るだけというのは、明らかに間違いだ。

 ビートルズだって、50年代のロックンロールの曲を勝手にコピーしまくったから、あれだけいい曲を書けるようになった。プログラムだって、他人の素晴らしいコードを盗んで学んでこそ、次世代の優秀なプログラマーが育ってくるのである。そして日本のいまの著作権の枠組みには、こうしたフェアユースの考え方が徹底的に欠如していると言われている。

 「著作権がある」となったとたん、なりふり構わず「無断利用は許さない」「勝手に使うな」と声高に叫ぶ。そんなスタンスは、絶対に間違っている。著作権があっても、無断利用が許される――そういう考え方がどうして欠如してしまっているのだろう?

 第2の問題は、新聞社は他人のウエブサイトの画面や見出し、リンク、URLについては何のことわりもなく紙面でさんざん引用しているということだ。新聞社のサイトには、「このホームページの記事、写真、図表などを無断で転載することは著作権法違反になります」と警告文が書いてある。でも新聞紙面には、企業や個人のサイトの画面がひんぱんに無断で転載されている。私の知る限り、ウエブ管理者に許可を得るようなことはいっさい行っていない。

 結局のところ、ダブルスタンダードの問題ではないかという気がする。新聞社は、ダブルスタンダードが大好きなのだ。冒頭に紹介した読売新聞の取材対応を見ても、彼らがいかにダブルスタンダードを愛しているかということがよくわかる。そういえば私が新聞社に勤めていたころも、月に200時間以上の残業時間を強いられながら、眠い目をこすりなが日々の紙面を開くと、「労働時間短縮を」「ゆとりのある生活」なんていう見出しが躍っていたのだった。
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 「Skype? そんなものには興味はないね。いま最大の危機はソフトバンク。対孫正義攻略が、第一だ」
 NTT幹部は、私の取材に声を荒げて言った。

 Skypeというのは、P2Pを使ったIP電話ソフトである。Winnyと同じようなP2Pファイル交換ソフト、Kazaaの開発者たちが作り上げた。ウエブから無償のソフトをダウンロードし、パソコンにインストールするだけで、世界中のSkypeユーザーと無料で音声通話が楽しめる。今年になって従来の固定電話や携帯電話にも通話できるサービスが登場し、日本国内では固定電話にかける場合がどこでも1分0.027ユーロ(約3.6円)。これだけでも安いが、もっと驚くべきは国際電話で、アメリカやカナダ、フランス、イタリアなど主要国に対しては1分0.017ユーロ(約2.26円)。中国は0.022ユーロ(約2.93円)。国内通話よりも安いのである。ちなみに国内と同じ1分0.027ユーロを出せば、何とギリシャとも通話ができる。ギリシャはBBフォンが1分39円、KDDIだと1分1210円にも達しているから、いかに安いかがわかる。

 さらに素晴らしいのは音声で、スウェーデンの技術ベンチャーであるGlobal IP Sound社から提供された音声技術は圧倒的だ。普通の固定電話並みか、それ以上のクリアな音で通話ができる。しかも帯域を選ばない。ブロードバンドである必要すらないという。

 SkypeはPDA向けのバージョンがすでにリリースされていて、プログラムサイズはかなりの小型化が進んでいるようだ。近い将来、携帯電話に搭載することもありうるだろう。そうなると、たいへんな地殻変動が起きる可能性がある。たとえばパケット定額制のケータイに、Skypeを搭載したらどうなるだろう? パケット通信でSkypeすれば、国際・国内ともに、今までの高止まりしていた携帯電話通話料とは比較にならないほどの値段で電話できるようになる。

 すでに世界中で2000万人以上がダウンロードしていて、旋風を巻き起こしている。もし日本のどこかの通信企業と組んで本格参入してきたら、たいへんなことになるのではないか――。

 そう考えて、あちこちの通信会社関係者に取材した。そうしたら、冒頭のNTT幹部のようなコメントが出てきたのである。「Skypeはしょせんはパソコンソフトだろう? そんなものがNTTの権益を侵すほどのパワーを持つはずがない。まあいずれはそういうこともあるかもしれないけれど、とりあえずは眼下の敵ではないな」と彼は言い放つのだった。

 ソフトバンクはドライカッパーを利用して格安基本料金の固定電話サービスをぶち上げ、KDDIも巻き込みながらNTTに勝負を挑んでいる。Yahoo!BBが緒戦で圧勝したADSL戦争に次ぎ、通信大戦争の第二陣というところだろうか。格安固定電話戦争が今後どうなるのかはわからないが、その後にはNTTドコモとソフトバンクの間の3G携帯電話戦争も控えている。雌雄を決するのは、まだまだ先だろう。

 総務省とNTTグループを中心とする“通信マフィア”とでも呼べる業界の中にあって、ソフトバンクという存在は「ずかずかと土足で入ってきた闖入者」でしかない。これまでの通信業界は第二電電、新電電、あるいはADSLベンチャーの東京めたりっく、イー・アクセスなどすべて含めて、どこの企業も何らかの「NTTつながり」を持っていた。いわばNTTという大きなお釈迦様のたなごころの中で、みんながチマチマと戦ってきた――というのが、Yahoo!BB以前の通信業界の構図だったのだ。そこにはほのかな仲間意識もあって、戦ってはいても、そんなにルールは逸脱しないだろうという安心感みたいなものもあったらしい。

 でもその安心感というのは、しょせんは「親方日の丸」に抱かれている安心感でしかない。一般消費者を大切にしようという意識には乏しく、そこにYahoo!BBが圧倒的支持を得るにいたる土壌があったといえるだろう。

 そしてソフトバンクとNTTが通信業界で作り出しているような構図は、今やあちこちに出現してくるようになった。
 オールドエスタブリッシュメント対新参の闖入者、とでも言えばいいだろうか。わかりやすい例でいえば、ライブドアとプロ野球球団の対決構図はまさにそのものだったし、あるいはWinnyと著作権ホルダーの戦いだって、その戦いの一翼をなしているのかもしれない。

 コンテンツ配信をめぐる、テレビ局とインターネット業界の暗闘もそうだ。何とか現状の枠組みを守り、自由なネット配信を妨げようと必死になっているテレビ局に対し、インターネットはその枠組みを破壊しようと動く。先日取材したテレビ局の幹部は、こんなふうに詠嘆していた。

 「テレビの業界は、古くから積み上げてきて安定している構造を維持したいと思って頑張っている。なのにインターネット業界の人たちは、それをなし崩しに、なし崩しにつぶしにかかってくるんですよね」

 そういう時代なのである。
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 ライブドアの堀江貴文社長は、何とも不思議な魅力をたたえた人物である。実のところとっつきはきわめて悪く、性格には温厚さがかけらもない。以前私がある月刊誌で編集者をしていたころ、若い女性ライターに創業間もないオン・ザ・エッヂ(現ライブドア)の取材を頼んだことがある。その彼女は堀江社長への取材を終えて、編集部に戻ってくると、半泣きになってこう言った。

 「もうあんなところ、二度と取材に行きたくありません!」

 聞いてみると、どうも堀江社長にさんざん無知を馬鹿にされ、なかば逃げ返るようにして取材を終えたらしい。彼女の気持ちは分かる。堀江社長は相手がモノを知らなかったり、自分よりもバカだと思うと、露骨に白けきった顔になり、態度も変わってしまうのだ。
 その一方で、自分にないものを持っている人間に対しては、かなりていねいに遇する。尊敬の念もきちんとあるし、決して冷たい人間ではない。

 その心持ちは、どう言葉で説明すればいいのだろう。人間性が単純というのではない。それは言ってみれば、「身も蓋もない」のである。それが証拠に、「どうしてそんなにひどい扱いをするんですか?」と聞くと、「だってバカですよ?」と答える。その時の堀江社長の表情には、「どうしてそんなことを聞くんだ?」という驚きがあるのである。バカだ、低能だと思えば相手にしないし、そうでなければきちんと相対する。そんなのは当たり前だ、ということなのだろう。

 だから彼のビジネスも人間性と同じように、身も蓋もない。儲かればやるし、儲からないものには手を出さない。能力のある人間には高給を約束し、そうでなければ最低限の給与しか払わない。本人は「当たり前のことをしてるだけじゃないですか。なんでみんなやらないの?」と不審がる。

 でも普通の世間は、それほど身も蓋もないわけではない。しがらみもあれば人情もあり、四の五の論を言わなければ、ものごとが進まないことだってある。そう簡単に「身も蓋もない」という境地には行き着けないのだ。

 しかし堀江社長は、四の五の言わない。最近は「老害はけしからん」「若者の力で社会をぶっこわせ」と持論をぶち上げ、社会変革の騎手になりつつあるが、言い始めたのは最近である。イーバンクへの出資が失敗し、長銀や三井物産出身のエスタブリッシュメント役員たちと衝突した事件が起きて以降ではないか。

 そして、そうした「身も蓋もなさ」「四の五の言わない」感じというのは、古いメディアの記者にはなかなか伝わらない。オールドメディアは身も蓋もないことは好きじゃないし、四の五の言うのが大好きだからだ。人間のさまざまな行動の背景には、必ず高邁な精神や深い人情などがなければならないし、記事にそういう部分を盛り込まないと、必ずデスクに怒られる。

 「人間が書けてないぞ!」というのである。

 でも本当に書けてないのだろうか。四の五の言わず、身も蓋もなく仕事や遊び、生活に邁進するというあり方は、若い人たちの間で最近すごく増えている気がする。

 しばらく前、2ちゃんねる管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏を取材し、4ページの記事にまとめたことがある。その時の印象は、「なんて身も蓋もない人なんだろう」というものだった。

 私の受けた印象では、彼の能力は途方もなく高い。優秀な人々を自分の周りに集め、その人たちをうまくとりまとめて仕事を進めていく運営能力のような部分は秀逸だ。そして知識も豊富で教養もあり、弁舌もさわやかだ。彼の社会に対する鋭い分析を聞いていると、ときどきはっとさせられることがある。

 だがひろゆき氏は、その能力をほとんど自分のためには使っていない。議論をする高度な言語能力を持ちながら、しかし自分自身についてはふわふわとしか語らない。ネット社会の行方や分析では饒舌に持論を展開するが、自分自身の話になったとたんにするりと言葉が上滑りしてしまう。

 そんな彼をどう書くか。その記事は新聞社系の雑誌に掲載するものだったから、やっぱり四の五の言わなければならない。それで私は、こんなふうに書いた。「高度なスキルや知識を持っておきながら、その『知』をひたすら浪費し、遊びに明け暮れている』――。

 堀江社長とひろゆき氏は、見た目も性格も年齢も目指すものもまったく異なっているけれども、その「身も蓋もなさ」においては、どこかに共通点を持っているような気がするのである。
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 来る日も来る日も取材にかけずり回り、そしてひたすらに黙々と原稿を書いていく。この17年間、そんな風にして日々を送ってきた。多くの人に会ってきた。ベンチャー企業の経営者、技術者、官僚、政治家、文化人。詐欺師にもヤクザにも、犯罪被害者にも数え切れないほど取材した。日々の取材の中で得た話には、あまりに恐ろしく墓場まで持って行かざるをえない情報もあれば、書かせてもらえる媒体が見つからないまま風化してしまった情報もある。持てあましてしまったそんな断片のいくつかを、ブログで紹介してみたい。
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