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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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Vol.33 Web2.0的信頼の構築

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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
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 前回のエントリーに関して、トラックバックでひろゆき氏などから疑問をいただいた。本ブログにはコメント欄がないので、このエントリーでお答えしておこうと思う。

 どうやらわたしの書き方が悪かったようだ。前回のエントリーで「もちろん、2ちゃんねる運営側は書き込み者のIPアドレスを捜査当局に提供しているから、本人特定は不可能ではない」と書いたが、これは一般論としての話を書いたつもりだった。今回のWinny事件について、IPアドレスが2ちゃんねるから警察当局に提供されているかどうかについては、私個人としては今のところ確認していない。お詫びしたい。

 2ちゃんねる上で「殺人予告」などを書いた者が逮捕されるケースは少なくないが、この種の事件では2ちゃんねるは、IPアドレスを捜査当局に提供している。これは私自身が以前、ひろゆき氏からも直接取材でお聞きしたと思う。一般論としてのそういう事実を書きたかっただけである。

 それから、少し余談を。

 この件で、トラックバック先の「miamoto.net」さんから、以下のようにご指摘いただいた。

 「もし検察側から佐々木さんが直接聞き出したのであれば、応酬した資料を検察側が捜査目的以外に使用したことになる。何にせよ開示されるべきではない情報がリークされたことになるので、検察側に職権乱用ぽい行為があったことになる」

 検察などの当局から直接内部資料を聞き出すという行為を批判されているのだが、もしこうした行為が違法、あるいは倫理に反する行為であると指弾してしまうと、ジャーナリズムの根幹から崩れてしまうことになる。もちろん、地方公務員法などに違反するケースがあるのは事実だが、結局のところジャーナリズムのエッジの部分というのは法律違反にスレスレのところで成り立っている。それを「法律に違反しているから悪い」というのであれば反論しようもないが、しかしことはそう単純ではないようにも思う。

 取材というのは、必ずしも記者発表会への出席や広報経由のインタビューだけで成り立っているわけではないことを、理解していただければと思う。当局や企業が開示するべきではないと考えている情報、あるいは開示したくないと考えている情報をあの手この手で何とか引っ張り出し、白日のもとにさらけだすというのは、ジャーナリズムの王道のひとつだと思うのだ。

 ただこうした取材の場合、往々にしてニュースソース(取材源)は匿名にならざるを得ない場合が多い。夜中であれば親しく話し込めるような関係のニュースソースであっても、昼間に霞ヶ関でばったり出くわしてしまったときには、お互いにそしらぬ顔をする――そういう関係に基づく取材なのだ。向こうは公務員の守秘義務違反や、あるいは個人情報保護法に違反することを承知の上で、でも「この話は外部に知らせるべきだ」という何らかの倫理をもって情報を取材者に流している。中には金銭目当てで情報を漏洩させているインサイダーもいないわけではないが、わたしの知る限り、たぶん多くのインサイダーは、カネではなく社会正義や倫理性、あるいは取材者との人間関係に依って情報を渡しているように思う。

 しかし匿名ニュースソースをもとに書いた記事が、その匿名性がゆえに信憑性を疑われることもある。中には「ニュースソースが匿名である」というのを隠れ蓑に、ほとんどデッチアゲに使い原稿を書き散らしているライターや記者もいたりするから、話はややこしい。

 そういえば新聞記者として警視庁を担当していたころ、さまざまな事件について週刊誌からの内々の取材を受けることがよくあった。週刊誌記者だと、記者クラブ制度の壁のせいでなかなか警察当局の奥の院にまでは近づけない。しかたなく警視庁記者クラブなどに所属している新聞記者に接触し、情報を教えてもらうというスタイルが定着しているのだ。さて、そうやって週刊誌記者に会い、特定の事件についてあれこれ話をしてあげるとする。翌週の発売日になって該当の記事を読んでみると、私の話した内容が「警察関係者」「全国紙社会部デスク」「捜査当局幹部」と3人の匿名の人物に分けて書き分けられていたりした。情報源が少ない中で、何とか記事のふくらみを持たせようと苦心した挙げ句なのだろうけれど、しゃべった側としてはなんとも複雑な心境だった。

 そうした記事が少なくないから、匿名ニュースソースの記事に対する信頼性がだんだん失われていってしまう。おまけにご存じのように、アメリカでは匿名の情報源を開示するように裁判所が命令を出し、挙げ句の果ては大手メディアの記者が収監されるという前代未聞の事態にまで発展してしまっている。

 なんともやりにくい時代になったものだと思う。しかしまあそれは、メディアの側の自浄努力が足りなかったことも大きいから、自業自得といえばそれまでかもしれない。しかし、それにしても――。

 私はかつてアスキーという会社に勤務し、ウェブのニュース媒体に記事を書いていた時期もある。匿名、実名、さまざまなニュースソースから集めた情報をもとにインサイドレポート的な記事を書くことが多かったのだが、そうした記事に対して社内のネットワーク技術者から「こんなものはニュースじゃない」と激しく批判されたことがあった。その技術者の主張では、「ニュースというのは記者発表会などで発表された内容を、できるだけ正確にそのまま載せること」だそうなのである。

 出版社で働いているのにもかかわらず、こういう発言を平気でできる人物がいることに私は当時、本当に心の底から驚いたのだが、インターネットの世界ではこうした考え方の人はひょっとしたら、意外と少なくないのかもしれない――最近、そう思うようになってきた。

 インターネットの世界ではジャーナリズムはまだ黎明期なのだろうか。それともひょっとしたら、すでに終焉を迎えてしまっているのだろうか。いやそもそも、ジャーナリズムが必要とされているのどうかから、議論しなければならないのではないだろうか。
Trackback (2)


■「蔓延」という言葉は誰が使ったのか――警察、それとも金子被告?


 先日のエントリーに続いて、Winny裁判の話。

 ASAHIパソコンの記事にも書いたが、金子被告は本富士警察署での事情聴取の際、著作権侵害を広める意図があったという趣旨の発言をしたとされている。検察側の証人尋問で今年1月に出廷した京都府警の捜査官は、次のように証言しているのだ。

 「著作権侵害の主犯を逮捕した際、金子被告を文京区の自宅近くの本富士警察署で任意聴取した。この時金子被告は、『著作権を侵害する行為を蔓延させて、著作権を変えるのが目的だった』という驚くべき論理を展開し始めた」

 この時に金子被告が書いた申述書が、京都府警が金子被告逮捕に踏み切る端緒になった可能性が高いとみられている。

 この証言について弁護団は、こう反論している。

 「この時の金子被告の申述書には『著作権侵害行為を蔓延させる』という表現があるが、これは京都府警の捜査官が見本を書いて渡したものを書き写させたことが、証人尋問から明らかになっている」

 確かに前出の捜査官は証人尋問の際、「私が手本を書いて、金子被告に見せた」と証言している。この「手本」がどの程度、金子被告の申述書を誘導していたかが問題になるのだろう。「蔓延」という言葉は金子被告が日常使う言葉ではなく、一方で警察当局や、あるいは警察当局と密接な連絡を保っていた社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)は、公表文書などでひんぱんに「蔓延」という言葉を使っている。だから弁護側は、「金子被告が『著作権侵害を蔓延させる意図を持っていた』というのは、警察・検察当局側の誘導であった可能性が高い」と批判しているのである。

 では金子被告には本当に、著作権侵害を蔓延させる意図はなかったのだろうか。

 金子被告は2ちゃんねる上で「47」氏と名乗り、ダウンロード板に膨大な量の書き込みを行っていたと見られている。その中には、著作権に対する挑戦的な言辞は少なくなかった。

 「著作権含むけど、それと知らない人が単にデータを中継しただけでも捕まるってのなら逮捕可能かもしれないけど、それってルーター使ってたら逮捕と同じなわけで、システム使ってるだけで無条件で逮捕可能にしないと、捕まえられんだろう」

 「個人的な意見ですけど、P2P技術が出てきたことで著作権などの従来の概念が既に崩れはじめている時代に突入しているのだと思います。お上の圧力で規制するというのも一つの手ですが、技術的に可能であれば、誰かがこの壁に穴あけてしまって後ろに戻れなくなるはず。最終的には崩れるだけで、将来的には今とは別の著作権の概念が必要になると思います。どうせ戻れないのなら押してしまってもいいかっなって所もありますね」

 「あと作者の法的責任に関しては、情報公開を要請されるとか公開停止程度の勧告はありえますが、逮捕というのはまずありえないだろうと考えています」

 検察側はこうした書き込みを含む膨大な2ちゃんねるスレッドを証拠申請しているが、弁護側は同意していない。つまりこれらの発言を金子被告のものとは認めず、徹底して「金子被告は技術開発のためにWinnyを開発したもので、著作権侵害の意図はなかった」と訴えるという作戦なのだろう。

 弁護団のひとりは裁判開始当初、私に「スレッドの書き込みが金子被告本人のものであるかどうかは証明できないのではないか」と漏らしている。もちろん、2ちゃんねる運営側は書き込み者のIPアドレスを捜査当局に提供しているから、本人特定は不可能ではない。だが膨大な数の書き込みについてすべて特定を行うのは、相当な困難が伴うはずだ。このあたりがどう立証されるかによって、金子被告の「意図」が裁判所に認定されるかどうかの分かれ目となっていく可能性が高い。
Trackback (5)


 Winnyを開発し、著作権法を侵害する意図を持って配布したとして逮捕、起訴された金子勇被告の公判が、京都地裁で進んでいる。

 これまでの裁判では検察側が多数の捜査官を出廷させ、証人尋問を行ってきた。金子被告の自宅での現場検証の際、捜査官が「君は2ちゃんねらーなのか?」と聞いたら金子被告が「ムッとし、プライドを傷つけられた様子だった」(捜査官証言から)という話は、以前「ASAHIパソコン」誌に書き、ウェブ媒体のアサヒコムにも転載された。

 6月には、Winnyでゲームや映画のファイルを違法に放流し、著作権侵害で有罪が確定した男性2人が出廷。さらに7月14日に行われた第13回公判では、社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会の葛山博志氏が証人尋問を受けた。

 私は少し前に今後の弁護方針について聞こうと思い、弁護団にインタビュー取材を正式に申し込んだのだが、「裁判がまだ序盤なので、弁護方針が立てられる状況ではない」と断られてしまった。昨年秋に始まった公判はこれまでに13回も数えているが、年末いっぱいまでの公判期日もすでに決まっているから、結審するまでにはまだ相当の時間がかかりそうな雲行きなのである。やはりまだ「序盤」ということなのか。

 これまでの裁判を傍聴する限りでは、弁護団はおおむね次のようなポイントを指摘しているように見える。

 (1)Winnyの開発目的は著作権侵害ではなく、技術の進歩のためである

 弁護団は、弁論の中でこんなふうに言っていた。

 「検察側は、P2Pテクノロジに対する基本的な理解が欠如し、Winnyを著作権侵害のためのものと誤解しているのは明らかだ。今回の起訴は個人の思想に対する処罰を求めているようなものであり、しかもその思想に対しても歪曲して誤解している。思想で処罰しようというのは、ガリレオと同じではないか。技術の進歩は、止めようとしても止まるものではない。技術開発そのものを止めるのではなく、有効活用していく方法を考えるべきではないか」

 「金子被告がWinnyを著作権侵害の目的で開発したというのは、ステレオタイプ的な理解に過ぎない」


 (2)著作物かどうかを確認できるしくみが存在しないのに、著作物を放流できるというだけでWinnyを処罰するのは問題ではないか

 これも弁護団の発言。「違法な送受信を可能にしたのは事実だが、それはWinnyのせいではない。誰がコンテンツを作ったのかを確認できる仕組みがないからだ」

 (3)Winnyには違法ファイルを無視できる「無視機能」があり、合法的な利用も行えるようになっている

 無視機能というのは、無視キーワードを設定しておくと、そのキーワードを含むファイルをダウンロードしないですむというWinnyの機能のひとつである。この無視機能を使ってWinnyユーザーみんなが違法著作物をダウンロードしないように設定すれば、著作権侵害はなくなる可能性がある。だから必ずしもWinnyが著作権侵害を幇助しているとは言えないのではないか――というのが、弁護団の考えのようだ。しかし個人的な意見を言えば、実態としては無視機能を著作権保護の目的で使っていたユーザーはほとんど存在しないのではないか?

 (4)Winnyのどの部分が違法であり、あるいは著作権侵害の幇助になるのかについて、検察側はまったく説明していない

 弁護団が求釈明を何度も繰り返しているのは事実で、たしかに検察官はまったく答えていない。検察官の戦法は、ただひたすら事実関係の確認を進めるという方法のようだ。

 さらにもう一点、弁護側が警察や検察を激しく指弾しているポイントがある。このポイントについては、次回に続けたい。
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 岐阜県可児市で2003年夏に行われた市議選の電子投票について、最高裁が7月8日、県選管の上告を棄却し、選挙を無効とする判決が確定した。この問題はメディアではあまり大きく扱われていないようだが、実のところ影響はきわめて大きい。

 判決が確定したことで、この選挙で当選した市会議員は全員が8日付で失職し、再選挙が行われることになった。せっかく必死で選挙運動を戦った議員たちにとっても大きなショックだろうが、しかし問題はそれだけにはとどまらない。

 確かに可児市の電子投票は、悲惨としかいいようのない状況だった。2003年7月に行われたこの選挙は、10万人規模の自治体で行われる初めての電子投票で、しかも全国初のサーバー・クライアント型電子投票システムを使うという「初モノづくし」の選挙だったのだ。このシステムを受注したのは、従来型の選挙機材(投票箱とかそういうモノだ)で圧倒的なシェアを持つムサシと富士通である。

 可児市選管とムサシは、事前に入念なリハーサルを行ったとされている。だが投票日の朝、いざ投票が始まってみると、システムはいきなり障害に見舞われた。市内29カ所すべての投票所で、サーバーが断続的にダウン。10分から最長75分間、有権者が投票できなくなってしまった。ひとつの投票所でサーバーが3回もダウンしたケースもあった。この間、投票所には長蛇の列ができ、中には投票をあきらめて帰ってしまった有権者が少なからずいたことが、多数の人に目撃されている。

 この障害は予備サーバーに切り替えるなどして順次復旧した。原因は選挙後の市選管の説明などによると、MOドライブの異常な温度上昇。機器をムサシと共同開発した富士通関連会社が、MOドライブの冷却ファンの位置をリハーサル後に移動させてしまい、冷却性能が低下したためだったという。

 しかし、さらに大きな問題が起きたのは、開票終了後だった。実際に投票された数と、開票時に各候補者の得票数を合計した数字が食い違い、得票数の合計の方が6票も多くなってしまったのだ。市選管の説明によると、ムサシの社員が投票所で電子投票機の操作をサポートしていた際、「タッチペンの反応が遅い」と有権者から苦情を受け、感度を調整している際に誤って白票を投じるボタンを押してしまったという。この6人がその後、再び投票したため、開票数が6人分多くなってしまったのだ。

 そんなこんなで可児市の電子投票はボロボロの結末を迎え、行方を見守っていた全国の自治体選挙担当者の間には、「電子投票はしばらく見送ろう」という機運が一気に高まってしまった。“可児ショック”などという言葉が広まったのだ。

 とりあえず選挙は終了したが、最下位当選者と次点の得票差は35票しかなかったことから、この次点候補者や有権者らが「トラブルがなければ逆転していたかもしれない」と県選管に審査を申し立てた。県選管は「トラブルが選挙結果には影響していなかった」と退けたが、有権者らは名古屋高裁に提訴し、そして高裁は選挙無効の判決を下した。これに対して県が上告し、そしてそれに対して今回の最高裁判決となったのだ。

 この判決確定で、電子投票の機運がさらに盛り下がり、ふたたび遙か彼方へと遠ざかってしまうのは間違いない。旗振り役の総務省はまだ電子投票推進の姿勢を崩してはいないが、どこの自治体も火中の栗を拾うようなことはしたがらないだろう。

 しかし本当に、これでいいのか。可児市のケースは、受注したメーカーの開発体制や品質管理にかなりの問題があったのは間違いない。だがその問題を、電子投票すべてに当てはめてしまうのが妥当かどうか。

 電子投票に取り組んでいるメーカーは、富士通+ムサシ以外にもNTTや東芝、さらには中小企業の集まった電子投票普及協業組合(EVS)などいくつか存在している。

 今回の件について、EVSの赤羽聖子さんが、次のような見解を私に送ってきてくれた。EVSはあくまで電子投票メーカー業界の一社でしかなく、メーカーの担当者の意見を紹介することには、「しょせんはカネ儲けの片棒担ぎではないか」と批判される方もいるかもしれない。だが以下の赤羽さんの見解は、非常に重要な問題を含んでおり、きわめて貴重な問題提起ではないか??私はそう感じた。

 以下は、その見解の全文である。

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 現在、電子投票導入のメリットとして、(1)開票が迅速になる(2)選挙人の正確な意思が反映できる(3)自ら投票できない(身体の故障により)選挙人が、投票できるようになる(4)長期的には、選挙費用の削減になる??などがあげられている。

 しかし、次に議論するように、投票の電子化による本質的なメリットは、紙という物理媒体を使用した場合と比較して、選挙への参加機会を拡大することができ、民主主義のグレードアップにつながることにある。多様化した社会への対応方法であり、全ての人の投票行動に対するバリアーを取り除くことができるという可能性を持っている。

 わが国で、低投票率が議論されて久しい。過去、投票率アップのためのさまざまなキャンペーンが行われているが、芳しい成果を挙げているとはいえない。選挙そのものにしっかりとした争点があり、選挙民の耳目を集めるものでなければ、投票率が上がらないということもある。しかし、投票率の長期低落傾向は、実は、選挙が激戦なのかどうかとは関係ない。ちょっと考えればわかることだか、自民党一党支配の時代で政権選択と程遠い環境であっても、高投票率の時があったのだ。低投票率の原因は、国民生活の多様化によって、選挙というイベント(誤解を恐れずに言えば)の魅力が薄れてしまったと言うことに尽きる。率直に言えば、他に、もっと面白いことがあるから、参加しないのである。

 選挙へ参加することによって得られるメリットと参加することのコストを比較して、費用対効果が合わないから参加しない。参加メリットは、政権交代の可能性が大きくなった分、実は過去よりも大きくなっている。にもかかわらず参加しない。日曜日には政権交代よりも、もっと面白いことがたくさんあるので、参加コストが高くなってしまっているのである。語弊があるが、もっと気楽に選挙に参加できないと、決して投票率は上がらないのだ。

 ここで、本質的な議論が生じる。民主主義社会はどのような国民によって担われるべきか。古い政治学の教科書には、自ら判断できる独立した市民が民主主義社会を担いうるとされている。革命で民主主義を勝ち取った市民は真剣に政治と対峙していたのだろう。現在でも、この考え方は定着していて、まじめな人間はちゃんと投票に行くべきだとされているし、政治にかかわる人々は、いわば、生死をかけて臨んでいるので、選挙民も真剣に臨んでほしいと願うだろう。民主主義社会の市民は自ら判断して投票所へ足を運ぶ「はずだ」、もしくは「べきだ」という考えが底流をなしている。投票もしない愚民はほっとけばいいという、極端な意見もあるだろう。愚民が気軽に投票できるようになったら、衆愚政治に陥って民主主義が崩壊するというわけだ。

 しかし、昔の市民は民主主義のお手本のような人々だったので、大勢投票に行ったのだろうか。もしかして、単に、日曜日が暇だったからではないだろうか。こういう極端な想像を働かすことは無益ではないだろう。なぜ、投票しないのかというアンケートは、過去何度もおこなわれている。必ず、「政治は変わらない」に類する答えと、「忙しい」がトップツーである。投票行動は費用もかかるし効果は薄いというわけだ。これを総括して政治的関心の低下としている研究は数多い。しかし、政治的関心の低下も含めて、選挙への参加の機会費用の増大は国民生活の多様化が根本原因であり、市民が不真面目になって愚民化したからではないのである。

 民主的な統治と政治的指導力に正当性と信任を与えるには、一定の投票率が必要だという前提に立つのであれば、国民を説得して投票行動に駆り立てるのではなく、多様化した国民生活に沿った選挙制度を真剣に模索する必要があるのだ。

 投票用紙を用いた投票を実現するためには、投票所と開票所という物理空間が必要になる。また、選挙民も投票用紙とゆう物理媒体に候補者名を記入できるという物理的条件が課せられる。投票を電子化するということは、このような物理的制約をはずすことができる可能性を大いに秘めているのである。

 アメリカや韓国では、低投票率の問題を電子投票を含めた、選挙制度のトータルの議論によって解決していこうとしている。

 もとより、技術の進歩を盲信して、投票の秘密という民主主義の根本を揺るがすような、冒険はすべきではない。しかし、国民生活の多様化に即した選挙制度を模索する上で、既存のさまざまな物理的制約をはずして、投票の機会費用の低減を図ることは、今後、ますます、社会が多様化することを考えれば、正面から議論すべきことと思われる。

 わが国でも電子投票は一部地方選挙で導入が始まっている。しかしそこで論じられているのは、主に開票が早くなる、コストが削減されるといった、あくまで行政効率に関することである。しかし、電子投票によって得られるメリットはそのような狭義のものではない。

 電子投票によって、身体が不自由で字をかけない人がタッチパネルを使うという入力手段を用いて投票できるようになり、視覚障害者も音声案内とキーパットの利用により投票できるようになっている。自書式投票でも代理投票の制度があるのだが、自分が投票する人を他の人に知られてしまうことが嫌で、投票所に行く前にあきらめている障害者は多い。健常者にとっては投票の秘密が守られるということは当然なのに、障害者は代理で投票できるのだから良いだろうというのは、不平等でおかしい。技術的にそれが可能な時代になったのだから、取り入れるべきであろう。今後こういった方法が普及し認知されれば、より利用者が増えることと思われる。電子投票はこのように障害者の投票に対するバリアーを取り除くことができる。しかしそれだけでは恩恵を受ける人は限定されてしまうことになる。

 現行法では、指定した投票所に出向いて、投票しなければならないが、電子化によって、どこの投票所でも、つまり、選挙区とは関係ない場所のキオスク端末を使用して投票することもできる。日曜日にディズニーランドへ出かけても渋谷へショッピングに行ってもそこの端末から投票することができる。さらに、インターネットを活用できるようになり自宅や職場の端末を利用することができるようになれば、寝たきりの者でも投票することができる。海外在住の邦人の投票の機会を拡大することもできるし、遠洋航海の船員も現行のFAXを利用した不自由な方法を用いなくてもすむのだ。つまり、電子投票とは投票の意思がある人なら誰でもどこからでも投票できる、全ての人のバリアーを取り除くことができるシステムなのだ。

 もちろん、投票がしやすくなるというだけでは、効果は限定的だろう。現在のように候補者の政権の情報を入手する手段が、きわめて限定されていては、まともな判断ができようもない。その意味で、電子投票を契機として選挙制度そのものを時代に即したものとして、大きく見直す必要があるのである。

 原点に立って考えてほしい。選挙というシステムは何のためにあるのか?

 そして今、この岐路に立っていることに気が付いてほしい。

 日本では事務効率化と費用対効果という低レベルの論争に明け暮れ、人々は自分たちにとって多くの利益をもたらす可能性のある仕組みだということに気づかされずにいる。国の予算も方針も曖昧なままであり、このままではせっかく実施した自治体も次々に条例を廃止してくこととなる。つまり、中途半端に掲げた国の政策のためにリスクも費用も負担した上、自治体は電子投票を廃止していくことになる。一度掲げたものがなくなる、するとそこには新たに国と地方自治体との不信が生まれ、もしまたこの国のインフラとして電子投票を行おうとしても、誰もそれに乗ることはないだろう。

 本当にそれで良いのか?国民にとって自分たちの社会の仕組みを根本からドラマティックに変える可能性のあるものを、気が付かないうちに失わせて良いのだろうか?せめて、本質的な論議を戦わせる機会を与えてほしい。

 リスクも費用も責任も可能性も価値も……全て総合して。
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 ライブドア・パブリックジャーナリスト(PJ)の小田光康氏にインタビューした。このHotWiredに掲載するための取材である。記事はここで読める。

 小田氏はもともとは国内外の通信社で記者として勤務していた人物だ。現在はライブドアニュースセンター長補佐の肩書きを持っている。

 取材を申し込んだ際、小田氏は電話で、

 「佐々木さんは産経新聞のコラムに書いてますよね? ああいうふうに揶揄されるのであれば、取材は断りたい」

 と言った。

 産経新聞のコラムというのは、前回このブログでも取り上げた「断」のことだ。4月22日に掲載した回で、私は「『堀江ジャーナリズム』の無邪気」と題して、次のような趣旨のことを書いた。

 <ライブドアが今春からパブリック・ジャーナリストというものを始めた。「メディアを殺す」と宣言していた堀江貴文社長が始める「ジャーナリズム」である。いったいどのようなものが現れてくるのかと、恐れと期待をもって見守っていた人は多かった>

 <小田氏が公表した「パブリック・ジャーナリスト宣言」というのが、もの凄い文章だった。威風堂々すぎて、読んでいる方が少々恥ずかしい内容である>

 <しかし結果的に出てきた記事の数々には、多くの人が幻滅した。しょせんは素人の感想文の域を出ていない。インターネットの世界では最近ブログが大流行し、すぐれた分析力と批評能力を持ったブロガーたちが数多く登場してきている。そうした卓越したブロガーたちと比べると、PJたちの力量の差はあまりに歴然としている>

 <ポスト産業資本主義の申し子ともいえるライブドア、そこから遠く離れた極北の地で、古色蒼然としたジャーナリズム論を打ち出す無邪気なPJ。この統一感のなさが、逆にライブドアらしいというべきか>

 私はこのコラムについて、

 「あなたが掲げている理想と、現実のPJの落差があまりにも激しいじゃないですか。それはおもしろがるなという方が無理ですよ」

 と小田氏に説明した。そして、

 「HotWiredのインタビューでは揶揄するつもりはなく、ライブドアPJの持つ意味について問い直したい。なぜあのような落差が生じているのかを、解き明かしたいと思っている。そういう意味で真面目なインタビューを行いたい」

 という趣旨の説明をした。

 小田氏は私の申し出を了承してくれた。そして六本木ヒルズ森タワーにあるライブドアの本社で、約1時間半にわたってインタビューを行ったのである。

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