佐々木俊尚の「ITジャーナル」

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プロパテント裁判の話.2

2005-05-24 | Weblog
 4月末に書いたプロパテント裁判の話をもう少し続けたい。

 カシオ計算機とソーテックのマルチウィンドウ訴訟が起きた直後、今度は松下電器産業がジャストシステムとソーテックを相手取って裁判を起こした。いわゆる「バルーンヘルプ裁判」である。この2月に出された一審判決を覚えている人も多いはずだ。驚くべきことに、ジャストシステムが敗訴してしまったからである。

 裁判の経緯を簡単に振り返ってみると、次のようになる。

 松下の持っていた特許は、同社グループの九州松下電器(現パナソニックコミュニケーションズ)が1989年に出願した「情報処理装置及び情報処理方法」というものだ。機能説明を行う「ヘルプ」アイコン(第1のアイコン)にマウスカーソルを移動させてクリックした後、機能を調べたい別のアイコン(第2のアイコン)にカーソルを移して再度クリックすると、その第2のアイコンの機能説明が画面上に表示される――という内容で、九州松下が80年代にDTPシステムを開発した際に発案したものだった。出願書類には「日本語DTPやワープロ等の機能説明を行う情報処理装置に関するものである」と書かれている。

 「近年、より良いマンマシンインタフェイスを志向するために、マウス等のポインティング装置を備えた情報処理装置が開発され、その多くが、ウインドウシステムを採用している。しかし、機能説明に関しては、機能説明キーを設け、その機能説明キーの押下によってこの装置を有する機能全てを説明するか、機能説明のアプリケーションを起動した後で、キーワードの入力を行わせるものが多い。しかしこの方法では、キーワードを忘れてしまった時や、知らない時に機能説明サービスを受けることができない」(特許出願書類より)

 2つのアイコンを連続してクリックし、視覚的にヘルプを取り出せるしくみが特許として認められたのである。一見、Macintoshにも備わっているバルーンヘルプなどのアイデアと同一のものにも見えるが、若干は異なる。1991年にリリースされたMacintosh System 7では、第1のアイコンをクリックする必要はなく、第2のアイコン(機能を調べたいアイコン)の上にマウスカーソルをフライバイさせるだけでヘルプが表示される。「2つのアイコンを使う」という松下の特許とは微妙に違う。

 またMicrosoft Officeにも似たような機能があるが、MSの製品には「第1のアイコン」は用意されていない。メニューバーをプルダウンし、「ポップヒント」をクリックすると初めて、マウスカーソルがクエスチョンマークの形になる。この段階で第2のアイコンをクリックすれば、機能が表示される仕組みだ。つまり3ステップのアクションが必要で、やはりこの場合も松下特許には抵触していない。

 だが松下の特許とまったく同じように2つのアイコンをクリックするかたちでヘルプの取り出しをおこなっていたのが、ジャストシステムの各種アプリケーションだった。松下は1998年にこの特許が登録された後、利用している他企業があればライセンスを得るのが妥当だと考えた。そしてジャストシステムの家庭用ソフト「ジャストホーム2」にこの機能があるのを見つけ、有償でのライセンスの供与を申し出たのである。

 だがジャストシステムは、この申し出を敢然と拒否した。そこで松下は、ジャストホーム2をバンドルしたパソコンを販売していたソーテックに対しても、同様の交渉を働きかけ、そしてこちらも拒否されてしまう。そこで松下は、ソーテックと松下を相手取って、販売の差し止めを求める仮処分申請を裁判所に起こしたのである。

 この当時、「ジャストホーム2」をバンドルして販売しているパソコンは日立製とソーテック製の二種類があった。だが松下は、日立に対しては交渉は行っていない。このことについて私が松下に取材した際、「相手が大手メーカーだから遠慮したのではないか」と問いただしたのに対し、同社幹部は「該当の日立製品は通販専用で、店頭では販売していなかった。われわれは製品を買って証拠資料をそろえてからライセンス供与を案内させていただくことを基本にしているので、店頭販売されているソーテックを優先した」と話した。

 しかしこれでは納得のいく説明にはなっていない。私がさらに説明を求めると、幹部は「ひとつの特許権に対して同時にいくつもの訴訟を起こすということは、現実の手間を考えると難しい。その業界の中でいちばん手広くやっているところにお願いするのが、通常のやり方かと思う」とも言った。ソーテックがスケープゴートであったことを、事実上認めたのである。ソーテックを訴えることで、本丸であるジャストシステムに揺さぶりをかけようとしたのだろう。

 これに対して、ジャストシステムは激怒した。そして2003年8月、「特許権侵害行為などない」と主張し、松下を相手取って請求権不存在訴訟を起こしたのである。そしてこれに応じるかたちで松下側も、特許権侵害行為差し止め訴訟を反訴として起こしたのである。舞台は司法の場に移り、裁判で争われることになった。

 この話は、もう少し続く。

さらに・・ライブドアの起こした騒動をめぐって

2005-05-16 | Weblog
 先日のエントリーについて続けたい。他人の古いコラムについてあれこれ書くのはいかがなものかとは思うが、しかし立花隆氏のような人からどうしてこういう言論が出てくるのかが、気になってしかたないのである。

 これはただ単に立花隆氏が謀略史観的であるとか、あるいは古いジャーナリストであるといった問題だけでなく、日本社会に内在している価値観の転換にかかわる問題であるようにも思えてきた。

 たとえば1935年生まれの政治ジャーナリストである岩見隆夫氏は、「サンデー毎日」の連載「岩見隆夫のサンデー時評」(2004年12月5日号)、「堀江社長は新アプレゲールだ」と題してこう書いていた。昨年末の回だ。

 「堀江さんは無責任、無軌道ではなく、いまのところ成功者だが、戦後も約六十年を経過して、ニュー・アプレゲールの出現か、と思ったりする。『稼ぐが勝ち』という本には、そんな雰囲気が色濃く立ちこめているのだ」

 そしてライブドアの堀江社長が本の中で「超低金利時代には貯蓄するべきではなく、若者こそカネを使うべきだ、貯蓄は美徳というのは戦時中の名残に過ぎない」という趣旨のことを述べていることについて、岩見氏はこの連載記事で書いている。

 「この理屈はおかしい。美徳ではないとしても、貯めれば次の計画が生まれる。はしから使えば、それまでではないか」

 だが実のところ、堀江社長は無意味な無駄遣いを勧めているわけではないのだ。銀行にカネを貯金するという行為は単に銀行にカネを「貸している」だけであり、超低金利でありなおかつ金融が自由化された今となっては、貯蓄というのはカネの使い方のひとつの手段にすぎないし、それを「美徳」と呼ぶのはあまりにも古すぎるではないか、という主張である。これは企業の金融資産であろうと、個人の金融資産であろうと、考え方は変わらない。個人のカネであっても、銀行という大樹に預けて安心……という時代ではなくなっている。みずからのリスクによって、カネを動かすことが求められている。

 超低金利で銀行なんかに預けるよりも、さまざまな経験をしたり、見聞を深めるなど、自分自身の「差別化」に使ったほうがいい。そうやって自分自身の価値を高めることができれば、銀行の低金利よりもずっと大きなリターンになる。

 少し話を回り道させよう。

 「産業資本主義」と「ポスト産業資本主義」という時代区分けがある。東大教授の岩井克人氏のベストセラー「会社はこれからどうなるのか」で有名になった考え方である。産業資本主義というのは、基本的には工場でモノを生産する資本主義だ。安い賃金で人々を雇って、工場でモノを作り、それを販売する。安い値段で人を働かせて大量生産すれば、じゅうぶんな利益を上げることができる。賃金の安さが利益のみなもととなっている。日本の高度経済成長は、この産業資本主義の考え方を前面に打ち出すことで花開いた。

 だが産業資本主義は、農村からの労働人口が枯渇し、賃金が高騰すると破たんしてしまう。大量生産・大量販売では、会社が成り立たなくなってしまうのだ。そこで一九七〇~一九八〇年代に登場してきたのがポスト産業資本主義。他社よりも素晴らしい技術やデザイン、使い勝手の製品を出すことで差別化し、儲けていこうという考え方だったのである。「他者との差別化がカネを生む」という構造だ。

  産業資本主義的な工場経営の場合、カネを持っている人間はかならず勝つことができる仕組みになっている。差別化しなくとも、大量生産しただけででモノが売れるからだ。 ところが産業資本主義が終わり、ところがポスト産業資本主義の時代になると、大量生産だけではモノが売れなくなり、「カネを持っていること」というのは強力な武器ではなくなってしまう。そのカネを大量に投入して工場を作っても、消費者を惹きつけるようなすばらしい製品を作ることができなければ、モノは売れないからだ。

 そこで余ったカネの使い道をもとめて、他の会社に投資したり、融資したりするようになる。みんなが「儲かる話」を求めて、あちこち走り回り、カネをひっきりなしに動かすようになり、金融市場が発達していく。

 ライブドアのような会社は、ポスト産業資本主義の象徴である。金融が自由化され、カネもモノもすべてが相対化され、その中で何らかの差別化が求められる時代が出現し、初めてあのような企業が出現してくる土壌ができあがった。

 こうした時代にあっては、貯蓄はたしかに美徳にはなりえない。それが人間にとって良いことかどうかは別にしても、カネをただ温存しておくだけでは、何も生み出さない時代になってしまったのである。

 岩見氏の「はしから使えば、それまではないか」というのはたしかに外形的にはその通りだが、他人に求める美徳としては、あまりにも古い。

ライブドアの起こした騒動をめぐって・・

2005-05-11 | Weblog
 少し間が空いてしまった。本当なら前回の続きのプロパテント問題を書くべきなのだが、あまりにも驚愕したことがあったので、ここで紹介しておきたい。

 ジャーナリストの立花隆氏のことである。

 立花氏は最近、日経BP社のウェブサイトで「立花隆の『メディア ソシオ・ポリティクス』」というコラムを連載している。その4月8日付の回は「ライブドア、西武問題で見えてきた日本の企業を蝕む新たな闇 」というタイトルだった。

 要は「堀江社長の背後にヤミ金融につらなる闇の人脈がチラホラしている」という話なのだが、よく読んでみれば、その根拠は月刊誌「WILL」の記事とどこかのウェブサイトに書かれていた、根拠のあまりはっきりしない話が出もとになっている。立花氏本人は取材していないわけでこれだけでも相当根拠としては希薄だと思うのだが、立花氏はさらに2点を「堀江闇人脈」の根拠としてあげている。

 ひとつは、堀江社長が東証マザーズ上場の直前、ある事情があって5億円の借金を作ったことについて、自著「堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方」(ソフトバンクパブリッシング)で「もっとも今振り返れば、あれはかなり危ない借金だったかもしれない」と述べていることだ。この文章について立花氏はコラムで、「この書きっぷりからいって、この借金は、危い金に手を出して作ったにちがいないということがわかるだろう」と書いている。

 しかし私の知る限り、この借金は闇金融、街金融のようなところから借りたものではない。上場の直前で、自社株を担保に堀江社長が銀行から借りたものだと私は聞いている。もちろん、ひょっとしたら私の聞き及んだ情報は間違っている可能性もある。しかしだからと言って、取材をいっさいしていないように見える立花氏が、堀江社長の「書きっぷり」だけを根拠に「危ない金」と断定してしまっていいものか。

 そして立花氏は第2の根拠として、作家の石田衣良氏のコメントを挙げている。石田氏と立花氏は文藝春秋の雑誌「オール読物」で対談し、その中で「堀江社長の背後にヤミ金融につらなる闇の人脈がチラホラしている」という話をした立花氏に対して、石田氏がこう言ったというのである。

 「ああ、やっぱりね」「そういうことじゃないかと思ってたんですよ」

 そして立花氏は石田氏をこう持ち上げている。「石田氏は小説を書きはじめる前、広告業界の業界人としてちゃんとした実績をあげてきた人である上に、実は、大学時代から実戦的に株を研究してきた人で、今でも、小説家をいつやめても、株の売買で食っていけるというくらい、株の世界、金融の世界、経済の世界に通じている人でもある」

 だから石田氏の指摘は正しい、というのが立花氏の論拠だ。相当に希薄な根拠ではないかと思うのだが、どうだろうか。

 さらにもっと驚くべき話もある。リクルートの無料雑誌「R25」に石田氏は「空は、今日も、青いか?」というコラムを連載していて、その4月15・21日号に彼はこんなことを書いた。

 「(ライブドアが)リーマン・ブラザーズから借りた資金の金利ははっきりしないが、非常識な高率であることは間違いない。貪欲さを神との契約の一部と考えるプロテスタント精神に、日本人の淡泊な事業欲など太刀打ちできるはずがないのだ。それを返済していくのは、年商が百数十億円のライブドアにはかなりの負担になるだろう」

 ご存じのようにライブドアがリーマン・ブラザーズから調達した800億円はMSCBで、借金ではなく転換社債である。その後、ライブドアの提出した4月の大量株保有報告書で資金調達の新たな謎が出てきてはいるものの、少なくともリーマンからの調達に「金利」云々と書くのは明らかな誤りだ。さらにいえばライブドアの年商が「百数十億円」というのも、調べればすぐ分かるレベルの事実誤認である。

 こんなことを書いて大丈夫か……と思っていたら、案の定、連載の次の回で石田氏のお詫びが掲載されていたという。実は手元にR25の最新号がないため、正確な文言はわからないのだが、知人の編集者から転載してもらった文章は次のようなものだ。

 「前回のエッセイにライブドア関係者から抗議文が届いた。重大な事実誤認があり、今後も同様なことが続く場合、法的対応の検討を考えなければならなくなるのだそうだ」「ぼくは気が弱いので、すぐにあやまらせてもらいます」「『ライブドアが調達した資金は、借金ではなく無利子の転換社債で、そのうちの大部分(8割程度)がすでに株式に転換済みなので、返済する必要はない』のだそうです。ぼくは勉強不足だったので、このむずかしいMSCBについて調べてみました」

 ライブドアの起こした騒動をめぐって、さまざまな議論が行われている。そこには批判も賞賛もあり、冷静な分析も熱い議論もある。議論そのものは、当たり前だが否定されてはいけない。しかしそれにしても、立花隆氏と石田衣良氏というのは、いずれも日本を代表する言論人ではないか。果たしてこれでいいのだろうか。