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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
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 先日、韓国のインターネット事情を書いた。もう少しその話を続けてみる。

 アメリカでブログが流行し始めたのは、2001年だと言われている。つまりセプテンバー・イレブンの同時多発テロが、起爆剤となった。事件をきっかけにアメリカ国民の政治意識が急速に高まり、そしてブログがその噴火口としての役割を果たすようになったのである。左右両派の論客が次々にブログを開設し、それまでオールドメディアではまったく知名度のなかった大学教授や評論家が、ブログによって知名度を向上させるという現象を生み出した。そしてブログのテーマはテロ戦争から、政治、宗教、思想と広がっていき、さまざまな論客たちがトラックバックやコメントによってお互いの意見を交換し、あるいは批判しあうという文化を作り出した。

 言ってみれば、ネット上に「論壇」ができあがってしまったのである。これに触発されてオールドメディアでもブログがひんぱんに取り上げられるようになり、2002年春にはニューズウィークに記念碑的な記事「ブログはオールドメディアを葬るか?」が掲載された。

 一方で韓国では、先日も書いたように、もう少し地に足がついた形でインターネットがマスメディアとして認識されつつある。つまりはアメリカも韓国も、それぞれのやり方でそれぞれのインターネット文化を醸成しつつあるということなのだろう。

 翻って、では日本ではどうなのだろうか。

 日本のインターネット文化は、アメリカとも韓国ともかなり異なっているように見える。アメリカのようにオールドメディアを補完する論壇とも異なるし、韓国のようにオールドメディアに取って代わるメディアの地位を得ているわけでもない。

 一国のインターネットにはさまざまな側面があり、一言で切ってしまうのはあまりにも難しい。だがたとえば日本を代表するネットメディアである2ちゃんねるを題材にとって見れば、その文化はかなりシニカルである。熱くなるユーザーはバカにされ、頭の悪いカキコミも相手にされない。ある種の知的遊戯と呼んでもいいかもしれない。

 以前、韓国のインターネットユーザーたちが竹島問題をきっかけに2ちゃんねるにDoS攻撃をしかけた事件を取材した際、2ちゃんねる管理人の西村博之氏に聞いてみたことがある。

 「なぜ日本のインターネットは韓国のように熱くならないんでしょう?」

 彼はこう答えた。

 「2ちゃんねるには熱い人、一生懸命がんばっている人を馬鹿にし、足下をすくおうとする文化があるんです。正論が通らない。そもそも2ちゃんねるにいることはとても恥ずかしくて、その狭い世界の中で英雄視されることは、現実世界ではとても恥ずかしいことなんです。皆にそういう共通認識があると思います」

 高度に文化が発達した日本。その国のインターネットで繰り返される知的遊戯。それはわれわれ日本人が、「終わりなき退屈な日常」を過ごすために生み出した文化なのだろうか?
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 韓国では、インターネットがオールドメディアを凌駕する力を持ちつつある。

 たとえば2002年のワールドカップでは、インターネット上で場所と時間を決めて応援が呼びかけられ、その書き込みに応じて参加した人がふくれあがり、やがて市街地を埋める400万人もの大応援となった。これ以降、ネットの影響力が日増しに高まり続け、先の大統領選挙では盧武鉉氏を当選させる原動力にもなった。

 そのパワーの中核に位置するのが、「オーマイニュース」というニュースサイトだ。韓国ではネットメディアは1995年ごろから現われ、中央日報や東亜日報、朝鮮日報などの有力紙がネット新聞専門の子会社を設立するようになった。だがこうした従来メディア先導型の展開は、21世紀に入ってから大きな変わった。オーマイなどネットから生まれた媒体が主導権を握るようになったのである。

 前回の大統領選挙でも、オーマイはきわめて重要な役割を果たしたとされている。世論調査では「投票に大きな影響を与えるものはなにか」という質問に、「ネットの影響が一番大きい」と答える人が最も多かったという。政府や従来メディアもインターネットの影響を無視できなくなり、公式発表はまずネットでリリースし、その反応を見てから記者会見を開くといったスタイルが生まれた。また紙媒体の有力紙も「インターネットの情報によると」というクレジットをつけてネット発のニュースを流すようになってきている。

 こうしたパワーを持つに至った要因はいくつもある。何と言っても、韓国のブロードバンドが世界に先駆けて普及したという点は大きい。少し古い数字になるが、2002年ごろには普及率は97%を突破し、インターネットの平均利用時間は週14時間に達していた。

 だがこれだけでは、韓国のネットメディアのパワーを説明する理由にはならない。韓国より数年遅れでブロードバンドが普及した日本が、同じような状況にはなっていないからだ。

 実はもうひとつの大きな背景として、韓国では新聞や雑誌、テレビなどのオールドメディアに対する報道規制がきわめて厳しく行われていたという点がある。

 たとえば韓国の国内では1980年の光州事件は当時はいっさい報道されず、93年の北朝鮮の核危機も国民にはほとんど知らされていなかった。北朝鮮拉致問題の報道もほとんどない。報道統制は、長く続いた軍事政権時代の遺物なのだろう。そして事実を詳細に報道しないオールドメディアに対する不満は、国民の間にくすぶり続けていた。そうしてその不満が、オーマイニュースをはじめとする新しいインターネットというメディアへと奔流のように流れ込んだのである。

 オーマイニュースは、新聞やテレビがいっさい報じなかった事件や政府の腐敗などをこと細かに報じた。たとえば金泳三・元大統領が高麗大学に講演に行った際、反発する学生から卵を投げつけられた事件。新聞では報じられず、オーマイニュースだけがこの話を唯一報道するメディアとなり、事実を知りたい国民はオーマイのウェブサイトに殺到した。またテレビの記者が、「オレを記者様と呼べ」などと暴言を吐きながら警察で暴れたという不祥事。勤務先のテレビ局が警察に何らかの圧力を加え、逆に被害者の警察官が更迭されてしまうという事態になったことが、怒った警察官によってオーマイの掲示板で暴かれた。

 ではなぜ、オーマイニュースは報道統制を受けなかったのだろうか。以前、ソウル在住の女性ジャーナリスト、趙章恩さんに聞いてみたことがある。彼女は以下のような話をしてくれた。

 「ひとつは政府のIT推進政策の一環として、ネットメディアが今後の成長産業として保護されているから。1997年の通貨危機で苦境に陥った韓国経済を救うため、IT分野への集中的な傾斜が国策となったことが背景にありますね。それからもうひとつの大きな理由としては、オーマイニュースの創業者であるオ・ヨンホ氏が金大中前大統領にきわめて近い存在だったから。彼は『金大中の息子』とまで呼ばれている存在で、非常にかわいがられていた。オーマイがさまざまなタブーを打ち破る報道を続けていたのにもかかわらず、何の統制も受けなかったのは、金大統領の大きな後ろ盾があったんです」

 意外にも、政府首脳とのコネがインターネットのパワーの源泉になっているという話なのであった。同じインターネットであっても、その国によって状況はかなり異なる。その国の持つ事情によって、インターネットのあり方は変わってくる。
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少し古い話になるが、映画の字幕にからんだ問題を週刊誌に書いたことがある。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の日本語字幕について、原作「指輪物語」のファンたちが、「あまりにも翻訳がひどすぎる」と映画会社に異議を申し立てていることを紹介した内容だった。

ファンたちの活動は、主にインターネットのウェブ掲示板上で行われていた。そこで私は取材にあたり、ウェブ開設者に「できれば取材をお願いしたい。会ってお話をおうかがいできればベストだが、不可能であれば電話やメールでもかまわない」という旨のメールを送った。

開設者からはすぐに返事が来た。メールには「これまで私たちの趣旨をきちんと理解して報道していただいた例はまったくなく、報道されるたびに不満と怒りが渦巻いているような現状です」という趣旨のことが書かれていた。

そしてメールは、こんな風に続いていた。「私たちの趣旨をきちんと理解いただけるのであれば、取材には応じたいと思います。ただ、取材についてはメールでのお問い合わせにお応えする方式でお願いしたいと思います。直接面会することとお電話でお話しすることについては、お断りしたいと思います。メールでのやりとりであれば、そのやりとりの詳細な内容をウェブにアップし、その後記事に掲載された折りに取材内容をどの程度正確にお書きいただいたかを検証できるからです」

一読して、うーんと唸ってしまった。いままで何度もメールで取材を申し込んでいて、このような内容の返信を受け取ったことがなかったからだ。そして今だから正直に打ち明けられるが、少し嫌な気持ちになった。

どうして嫌な気持ちになったのかはよくわからないが、たぶん「取材」という行為のプロセス自体を、公にした経験がなかったからだろう。通常公開されるのは、取材の結果完成した記事だけであって、取材の途中プロセスを公開することはほとんどない。さらに言えばたとえば警察取材や裏社会取材などは、取材プロセス自体が企業秘密と呼んでもいい貴重なノウハウになっている。どのようにして刑事や捜査当局幹部にアクセスし、あるいはヤクザや詐欺師に取材するのかというノウハウは、その道の取材者にとっては門外不出の機密なのである。

しかし相手がウェブサイトの開設者で、しかも公になっている字幕の翻訳問題をテーマに取材するのに対し、機密もへったくれもない。そもそも人に聞かれて困るような取材ではないし、それを公開されたからといって、何も困ることはないはずだ――冷静に考え直すと、当たり前のようにそういう結論になった。

だからそのメールを受け取った数十分後、開設者に「やりとりは公開していただいてもかまいません」と返事を書いて送った。そして質問内容を同時に送り、開設者からは翌日、詳細な回答の返事をいただいた。それに対して若干の補足の質問を再度送り、そして開設者からは再び回答を送ってもらい、それで取材は終了した。記事は翌週、週刊誌に3ページにわたって掲載された。その後、メールのやりとりはくだんのウェブ掲示板にそのまま掲載された。今もその内容はウェブ上に残っている。私自身はできうる限り公平な視点で記事を書けたと思うし、結果的にはこのメールでの取材は非常にうまくいったと思う。

後から振り返ってみるとこの取材は、インターネットにおける取材活動のありうべき姿を考える上で、貴重な示唆となった。たぶんこれからは、取材という行為自体もこのようにして相対化されていくのではないかと思った。つまりは取材する側と取材される側が、同じ土俵の上に乗っていくということである。そして取材という行為が相対化されていくということは、その結果生み出される記事そのものも相対化されていくということになる。

かつては週刊誌にしろ新聞にしろ、あるいはテレビ報道にしろ、「書き飛ばし」「報道しっぱなし」が当たり前だった。人権侵害当たり前、取材された側が泣こうがわめこうが、面白けりゃそれでいいだろ、という時代である。新聞なんてひどいものだった。私が新聞社に入社した1980年代には、殺人事件などの記事で「被害者の女性は男性関係が派手だった」などということを平気で書いていた。

さすがにそうした記事は新聞紙面からは消えたが、実のところ、いまだにそれに類する取材手法、記事スタイルを続けているメディアは少なくない。かつてはそんな風な報道被害にあっても、取材された側は泣き寝入りするしかなかった。メディアは他のメディアの悪口を書かないのが「仁義」だと思われていたし、そうなるとメディアにひどい目にあっても、駆け込むところはどこにもなかったのである。

だがインターネットの登場によって、その状況は劇的に変わった。書かれる側が抗議をするメディアを手に入れたのである。ひどい取材に対しては当然のように匿名掲示板で指弾される。それがどこまで実効性を持っているのかは別にして、少なくともそうした批判の声は挙げられるようになったのである。その良い例が、現在も余震が続いている新潟中越地震だ。匿名掲示板「まちBBS」の「新潟県小千谷市民集合」というスレッドでは、新潟中越地震で取材している報道陣のおぞましいばかりに悪辣な実態が、こと細かに報告されている。

だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い。冒頭に紹介したメールのやりとりを、マスコミで働く何人かの記者に話してみたことがある。ほとんど全員が、同じような反応だった。

「うへーっ、インターネットってやっぱり気持ち悪いなあ。取材を申し込んで、そんなこと言われちゃうの? オレだったらぜったい嫌だな」

道のりは遠いのである。
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 NTT東日本を取材で訪れていて、新潟県中越地震の話になった。

 「地震でたいへんな被害が出た山古志村というのがありますよね。あそこにもNTT東日本の電話交換機が設置されてるんですよ」
 「停電で不通になってるんですよね」
 「そうです。わが社としては何とか現地入りして、修理が必要なら修理し、電話線を回復させなければいけないと考えているんですが、車道も通れないような有様で困ってたんです」

 そうこうしているうちに、山古志村では約2000人の住民全員が全員避難となった。NTT東日本としては修復に苦慮していただけに、「全員避難であれば、電話線を回復させる必要はなくなったか」といささかほっとした部分もあったようだ。

 ところが全員避難に続いて、「村民のうち7人が避難を拒否している」というニュースが流れる。NTT東日本の社内では「7人が残っている以上、NTTとしては電話線の復旧を急がなければならないだろう」という議論になったという。

 わずか7人のためにどうしてそこまで労力をかけなければならないかといえば、NTTの電話はユニバーサルサービスを建前にしているからだ。通信のユニバーサルサービスというのは、全国津々浦々のどんな世帯に対しても、公平に電話というインフラを提供しなければいけないという考え方である。NTTはこのユニバーサルサービスに強く縛られている。だからたとえ相手が7人であっても、全力で電話サービスを提供しなければならない。そうしないと、ユニバーサルサービスの原則が崩れてしまうことになる。

 さまざまな通信サービスが続々と登場し、NTTの存在価値は日ごとに低下している。同社の官僚的な体質に対しても、批判は相変わらず根強い。だが彼らのユニバーサルサービスに対する考え方を聞いていると、金儲けが最上とされる今の時代状況の中で、逆に強い存在価値を感じてしまうのである。
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 10月初旬、「録画ネット」事件の判決があった。

 録画ネットというのは海外に住む日本人向けのテレビサービスだ。エフエービジョンという社員3人の小さなベンチャー企業が提供している。申し込んだ人は、同社からテレビパソコンを購入し、松戸市にある同社の施設にパソコンを置かせてもらう。このパソコンはNHKや民放の地上波を受信し、ハードディスクに蓄積できる。加入者はインターネット経由で、番組データを海外から観られるようになっている。

 これまでも同種のサービスはあった。だがテレビ局の番組を勝手に蓄積し、ユーザーに再送信していたことは著作権法違反(公衆送信権侵害)に触れるため、テレビ局側の警告でほとんどがサービスを停止している。中には警察に摘発されたケースもある。

 だが録画ネットの場合は、電波を受信するパソコンはあくまで加入者の所有で、録画の主体は加入者であるという仕組みを取っていたことから、法律違反にはならないのではないかと考えられていた。少なくとも、サービスを提供したエフエービジョンの側はそう考えていたし、顧問弁護士もその論理で大丈夫だろうと判断していた。

 ところがNHKと民放キー局5社は7月に、録画ネットに対してサービス停止の仮処分を求める申し立てを行った。「録画の主体が加入者だというエフエービジョンの主張は詭弁で、主体はあくまで同社ではないか」という論理である。そして判決が10月に出て、テレビ局側の全面勝訴となった。録画ネットは現在、サービスを停止している。

 判決の是非はともかくとして、なぜテレビ局は録画ネットに対してこれほどまでに強硬な対応に出たのだろう。録画ネット側は社員わずか3人の超零細企業、加入者だって250人しかいなかった。かたやNHKと民放キー局5局は、日本のメディアの中核に位置する巨大な権力である。象の群れが襲いかかって、蟻を踏みつぶしたようなものではないか。

 その疑問をNHK関係者にぶつけてみたところ、こんな答が返ってきた。

 「オリンピックの放映権がからんでいるからですね。録画ネットは小さい存在かもしれないけれど、堤防の土手に空いた小さな水漏れ穴になるかもしれない。つまり放置しておくと、たいへんな事態を招きかねないと判断されたからです」

 オリンピックの放映権というのは、巨額のマネーが動く世界である。たとえばアテネ五輪で日本のテレビ局は、1650億円ものカネを国際オリンピック委員会(IOC)に払ったとされている。東京五輪の時はわずか3000万円程度だったというから、40年間で5000倍にまで高騰したことになる。たいへんなインフレだ。

 この放映権はその国の中にだけ通用する権利で、国境を越えて映像を流したりすると、IOCからペナルティを課される可能性がある。それをテレビ局側は恐れている。しかし――仮にそうだとしても、なぜわざわざ小規模なベンチャーを叩き潰す必要があるのだろう? そう聞くと、先のNHK関係者はこう言った。

 「もちろん録画ネットが放映権破りの脅威になるとは考えてません。でも録画ネットのようなビジネスがなし崩し的に普及して、海外に日本の電波を流すことが事実上認められるようになってしまったら、もっと巨大な企業が参入してくるかもしれませんよね。それを恐れてるんです」

 そして彼は、大手IT企業の名前をいくつか挙げた。「前回のシドニー五輪の放映権が未払いだったフィリピンでは、危うくアテネの放映ができなくなりそうだったんです。たとえばこうした五輪が放映されないような国に日本の電波を送り込んで、日本の大手IT企業が大々的に『われわれのサービスを使えば、オリンピックを観られます!』とキャンペーンを打ったら、どうなると思います?」

 確かに、そうなれば五輪放映権の枠組みは根底から崩壊してしまうかもしれない。そうなれば最悪、IOCは日本のテレビ局から放映権を奪ってしまうかもしれない。でも別の可能性としては、インターネット時代に応じた新たな枠組みが生まれてくるきっかけになるかもしれないのだ。さんざん言い古された言葉だが、インターネットは国境の壁を簡単に越えてしまう。五輪放映権だって、例外ではないはずだ。
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