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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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Vol.33 Web2.0的信頼の構築

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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
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 前回に引き続き、「通信と放送融合モデル」の話をしたい。

 通信と放送の融合とは、すなわち放送コンテンツを運ぶコンテナー(メディア)が多様化し、最終的に通信と融合する形であらたな進化を遂げることだと、私は思っている。

 その視点から現在のネット業界を見渡してみると、コンテナーの進化を象徴するふたつのできごとが起きている。

 ひとつはTivoの出現であり、もうひとつはiPodへのビデオ機能の実装である。

 Tivoは会社名/サービス名で、一般的にはPVR(パーソナルビデオレコーダー)という用語の方が的確かもしれない。日本で販売されているハードディスクレコーダーと似たようなものだが、日本のハードディスクレコーダーがハードウェア製品として電気店で販売されているのに対し、PVRは月額料金制のサービスであるという違いがある。加入者はハードディスクレコーダーをTivoなどのPVRサービス会社を経由して購入し(DVDなしの最安値モデルで100ドル程度)、月額12.95ドルの料金を支払う。

 Tivoからは、地上波や衛星放送、ケーブルテレビなどの番組が掲載されたEPG(電子番組表)が配信されてくるので、加入者は好きな番組をクリックしてハードディスクに蓄積しておき、あとから好きな時間に見ることができる。Tivoはすでに全米で300万世帯にまで普及し、しかも解約率が非常に低いことでも有名になっている。解約率が低いというのはつまり「Tivoがなければ生活できない」という加入者が激増しているということだ。

 Tivoがすぐれているのは、加入者から見て自分の視聴しようとしているコンテンツが地上波経由なのか、衛星放送経由なのか、あるいはブロードバンド配信なのかをまったく気にせずに、シームレスにさまざまな番組を見ることができるという点だ。視聴者からすれば、重要なのは自分のみたい番組がそこにあるかどうかであって、その番組がテレビなのかネット配信なのかは重要な問題ではない。通信vs放送というのは、企業側が勝手に起こした戦争なのであって、視聴者にとってはその戦争はとっくに解決ずみのどうでもいい戦いなのである。

 その心理をうまく活用して、Tivoは完全に放送と通信を融合してしまっている。そしてTivoというサービスは単なるサービスではなく、ひとつのメディアとなりつつある。つまりはこれまでの「地上波」「衛星放送」「ケーブルテレビ」「ブロードバンド」というコンテナーに加え、あらたにTivoというコンテナーが加わったのである。

 Tivoは案外と歴史が古く、1997年からアメリカではサービスインしている。実は過去、2000年ごろにいったん日本市場に参入を計画した経緯がある。だがこの計画は途中で宙ぶらりんとなり、その後忘れ去られた。しかし関係者によれば、Tivoは来年か再来年――ごく近い将来に、再び日本市場に参入する計画を進めているという。日本の大手ケーブルテレビ企業との提携もささやかれており、非常に気になるところだ。

 そしてiPodも、Tivoと同じような可能性をはらんでいる。

 iPodはつい先日発売された新製品で、ついにビデオに対応した。現在のところ新しいiPodでできることと言えば、iTunes Music Store(iTMS)でビデオコンテンツを購入し、iPodの2.5インチの画面で視聴するだけだ。だがオプションのiPod Universal DockやiPod AVケーブルなどを接続すれば、大画面テレビでiPodのハードディスクに保存してあるビデオコンテンツを観ることもできる。そしてアップルコンピュータは、アメリカ国内ではABCテレビで前日放映した人気ドラマの一部をiTunes Music Storeで購入できるサービスを開始している。つまりiTMS―iPod経由で、テレビドラマを視聴することができるようになったわけである。

 コンテンツ配信というと必ず課金モデルをどうするのかというのが問題になり、「無料で放送している地上波の番組をわざわざカネを払って見る人はいない」「少額決済のモデルがない」といった課題が指摘される。だがiTMSはすでに音楽有料配信のプラットフォームとして定着しつつあり、このスキームの中でコンテンツに対して料金を支払うことに抵抗を感じる人は少ない。いわばNTTドコモがiモードで確立した通信料金とコンテンツ料金のウィンウィン関係と同じような関係(実際には音楽課金―ビデオ課金という関係だが)が、iTMSを活用することで可能になってしまうわけだ。

 さらには今後、ビデオポッドキャスティングを使って、iPodを経由した広告モデルが登場してくる可能性もある。アップルは今のところはポッドキャスティングに広告を導入することは認めていないが、今後この規制がゆるめられる可能性は大いにあると思う。

 かつてはネット業界では「広告依存」というのは良くないことだと考えられ、広告依存からいかに脱して、有料課金へと向かうのかが大きな課題とされていた。しかし最近、グーグルがAdWordsとAdSenseで大成功を収めたことによって、広告依存モデルが再び脚光を集めるようになってきている。コンテンツを有料化しなくとも、リスティング広告(キーワード広告)やコンテンツターゲット広告のような秀逸な広告モデルがあれば、広告に依存して収益を上げることは決して間違いではない――そんな共通認識が広まりつつある。

 その枠組みでは、今回楽天が提示した事業計画案のなかのひとつである「テレビのトラフィックをウェブに誘導し、そこで広告収入を得る」というプランは、決して間違いではない。

 <インターネットで番組配信―パソコンで視聴―コンテンツ課金>

 というモデルだけが、通信と放送の融合ではない。コンテンツとコンテナーの関係は今後も進化していくはずで、さまざまな可能性が広がっている。
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 楽天はTBSに対して、「共同持株会社を通じた統合に関する提案およびその要旨」という100ページあまりの文書を提出していた。この文書には、楽天がどのような「テレビとネットの融合モデル」を考えているかが具体的に書かれているらしい。そこで新聞や雑誌などのメディアはどこも必死で入手を図っていたのだが、とうとう読売が入手したようだ。20日の読売新聞東京本社版朝刊は「TBSへの統合提案全文判明、番組視聴に楽天ポイント」と題した記事を掲載した。

 <放送と通信を融合させた具体的な事業としては、(1)楽天グループ3000万会員の基盤を活用して「見たい番組」情報を提供(2)TBS番組や広告を視聴することで、買い物に利用できる楽天ポイントを付与(3)ブログを活用した視聴者同士のコミュニケーションの拡大――などを挙げ、「視聴者個人の好みに合わせ、番組と広告を統合的に組み合わせる」ことによって、相乗効果を図るモデルを打ち出した。これらの展開には、大手広告会社の電通の協力が不可欠であることも明記した>

 なんだかなあ、という感じである。読売の記事から読み取れるのは、楽天はまじめに通信と放送の融合を考えているのではなく、あくまでも自社ポータルの楽天市場の集客のために、いかにTBSを利用するかということでしかないのではないか。ライブドアから楽天へと続く一連のテレビ業界攻略を見てきて、最近そんな気持ちになってきた。ライブドアにしろ楽天にしろ、しょせんはポータルでしかない。要するにぶっちゃけて言ってしまえば、ポータルなんていうのはもはや古いビジネスモデルなのだ。

 ポータルサイトというビジネスモデルは、客をできるだけたくさん集め、それらの客にいかにたくさんのサービスを提供できるかが肝となる。前者の集客力に関して言えば、王者ヤフージャパンが圧倒的だ。そのヤフーを越えるためには、ヤフーを凌駕するリーチ率を持つメディア――すなわちテレビやラジオなどのマスメディアから客を呼び込むしかない。だからライブドアにしても楽天にしても、テレビ業界にさかんに触手を伸ばしている。

 しかしポータルビジネスの価値の極大化と、通信と放送の融合は、当たり前だが決して同じものではない。ポータル企業がテレビ業界に触手を伸ばしたからといって、それを「通信と放送の融合を目指している」と言ってしまうのは間違いだ。

 ネットとテレビの融合に関して言えば、楽天やライブドアが言っているのとはまったく別の方向性で、現時点でもかなりの部分まで道筋が見えつつある。

 先日のエントリーで歌川令三氏の「新聞がなくなる日」という本を紹介し、「コンテンツとコンテナー」モデルについて書いた。そのアナロジーをそのまま流用するのであれば、いま起きつつあるネットとテレビの融合モデルは、すなわちコンテナーの多様化である。

 以前「多チャンネル化」という言葉があった。チャンネルがどんどん増えていくのは間違いないが、いまここで言おうとしているコンテナーの多様化というのは、そうした多チャンネル化の延長戦にあり、さらにコンテナー自体の進化をも促そうというものだ。

 では、コンテナーの進化とは何なのだろうか。進化したコンテナーの具体的なケースは、ふたつある。しかしここで、ちょっとエントリーを書く時間が尽きてしまった。残りは数日内に。
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 新聞社というところは昔から、派閥抗争の激しい世界である。特に東京本社編集局ともなると、人数が多いだけに、その諍いの激しさは尋常ではない。私は1990年代、およそ8年間にわたって毎日新聞東京社会部に所属し、延々と事件取材やら選挙取材やらを続けていたが、このころの毎日社会部にもやっぱり派閥抗争みたいなものがあった。社会部記者たちは警視庁グループと東京地検グループというおおよそ二つの流れに分かれ、お互いが日々反目し合っていた。政治の世界ほどの明確な派閥ではないため、別にそれぞれが独自の集会を開いたりしていたわけではないが、「毎日社会部の10年抗争」などと揶揄する関係者もいたりして、やはりあれはれっきとした派閥抗争だったのだろう。

 一方の派閥の記者が、他方の派閥の記者に「おまえなんか次はぜったい地方に飛ばしてやるからな!」と恫喝するという場面もあったりした。支局からあこがれの社会部に栄転してきたばかりの若い記者は、そんな様子を見て「なんて恐ろしく、なんて嫌なところなんだろう」と震え上がったりしたものだ。

 あるいは記者が三人集まっていると、こんなことが起きたりする――三人揃っているときには仲良く打ち合わせしているのだが、ひとりがトイレか何かで中座すると、残りの二人でトイレに行ったもうひとりの悪口をさかんに言いつのる。トイレからくだんの記者が戻ってくると二人は急に悪口を辞め、そして最初に悪口を言っていたうちのひとりが「じゃあオレも」と中座すると、今度はトイレから戻った記者ともとからいた記者の二人が、さかんにもうひとりの陰口を叩き始めたりするのである。とにかく身も蓋もない荒れ果てた世界で、信義もへったくれもない。

 私は1998年に脳腫瘍を患って、8時間もかかる大手術を受けた挙げ句に3か月ほど会社を休んだ。ようやく徐々に仕事ができるようになって編集局に出社したところ、かねてから敵対していた同年配の記者とばったり出くわした。この記者は私を見つけて冷たく目を光らせ、こう言いはなったのである。

 「なんだ、まだ生きてたのか」

 新聞記者というと映画やドラマでは、社会正義に目を光らせ、スクープを狙って地べたをはい回る……という一匹狼的なイメージがあったりするが、実態のところは異常に徒党を組むのが好きだし、いがみあいも大好きだ。人事の季節になるとみんな目を輝かせて情報収集に走り回り、そのあたりは古い企業の古い会社員そのまんまである。そういう社内コミュニケーションを「くだらない」と嫌う立派な記者も中にはいて、人事好きの記者に対して「なんだこの人事野郎!」と吐き捨てたりもするのだが、社内ではしょせん多勢に無勢である。

 しかしそうした派閥抗争が、新聞社の活力につながっている部分もあるから、一概には否定はできない。そのあたりは、自民党の派閥の功罪について言われてきたのと、似た構図といえるかもしれない。

 さて、ITと何の関係もない新聞社の派閥の話を書いたのは、最近「新聞がなくなる日」(草思社)という本を読んだからだ。この本の歌川令三氏は、元毎日新聞編集局長。そして毎日経済部の派閥の大ボスとして知られた記者である。歌川氏は80年代、毎日新聞で大きな権力を持ち、「歌川派にあらずんば人にあらず」というほどの強大な派閥を経済部に築いていた。だが結果的には激しい派閥抗争に敗れ、編集局長を辞任し、毎日も退社した。この時の内紛は週刊誌などにさんざん書かれ、毎日新聞が出版社などに抗議する事態にまでなったほどだ。

 そして毎日を退社した歌川氏は、中曽根元首相の世界平和研究所に移籍し、主席研究員に就任した。その後日本財団常務理事を経て、現在は同財団特別研究員と多摩大学院客員教授を務めている。

 私は1988年の入社で、この年に歌川氏はすでに毎日を退社していたから、面識はない。そもそもかりに同じ時期に毎日にいたとしても、私は田舎の支局で20代の駆け出し記者。向こうは大先輩であり、東京編集局を統括する編集局長であり、比べるのも恐縮な神の上の存在だったのである。

 そういう伝説上の人物である歌川氏が、70歳を越えて、「新聞がなくなる日」という本を刊行したという。しかも自分の古巣である新聞について書籍を書くのは、初めてだというのだ。いったいどのような内容が書かれているのか? 自分も毎日出身だからというわけではないが、非常に気になる。新聞に対する恨みつらみだろうか?

 しかしこの「新聞がなくなる日」というのは、読んでみると、予想とはまったく異なる内容だった。新聞のビジネス的問題点をきわめてロジカルに洗い出した書籍だったのである。インターネットビジネスを分析した部分など、一部にはかなり不満な点もあるけれども、しかしそうした部分をさっ引いたとしても、非常にきちんとした内容の本である。

 メディア産業をコンテンツとコンテナー(媒体)に分けるというのはよくある考え方だが、歌川氏の分析で面白かったのは、日本の新聞とアメリカの新聞の相違を分析していた章だ。新聞の売上げは広告収入と販売収入で成り立っているが、アメリカの新聞は広告収入の比率が非常に高い。全米平均では広告収入が新聞社の売上げに占める割合は85%で、ニューヨークタイムズともなるとなんとこの比率が95%にもなるという。要するに広告さえ維持できれば、会社は成り立ってしまうのである。

 広告の掲載場所はインターネット時代に入って、コンテナーからコンテンツへと移りつつある。たとえばわかりやすい例で言えば、テレビ広告はコンテンツ(番組)とコンテンツの間に挟まれるコマーシャルフィルム(CF)として流通していたが、HDDレコーダーの普及もあってCFが視聴者に見られなくなり、アメリカではコンテンツのドラマの中などに商品の紹介を差し挟むプロダクトプレースメントへと主舞台が移ろうとしている。電波というメディア特性を利用したCF流通ではなく、コンテンツと広告を融合させることで、広告の生き残りを図ろうとしているわけだ。

 こうした状況では、コンテンツさえ維持できれば、広告モデルも維持できてしまう。コンテナーが別の乗り物(媒体)になったってかまわないわけだ。

 歌川氏の本に戻ると、こう書いてある。<米国の新聞業界は、すでにメディアのペーパーレス時代を想定して、蛸が自分の足を食うように「紙」を見切って「電子」に重点を移すモデルを将来の有力な選択肢のひとつとして設定済みだ。旧きものを切る大胆な「カニバリ」の決断ができるのはなぜか。それは販売収入への依存度がきわめて小さい広告本位制経営をやっているからだ。米国の新聞経営者にとって広告収入の最大化こそ、至上命題であり、「紙」とか「電子」とか、ニュースと広告を詰め込んで読者に運搬するコンテナーの種類にこだわる必要はない」

 一方、日本では状況がまったく異なる。売上げの50%が販売収入で、広告収入は36%に過ぎない。この背景には、強大な販売店網が全国津々浦々に築かれていて、今までの新聞のビジネスモデルを根底から支えてきたということがある。つまり日本の新聞は、コンテナーに依存したビジネスモデルを作ってきたのである。歌川氏はこう書いている。

 <日本の新聞経営のよりどころは、三点に集約される。(1)販売収入こそ、新聞経営の命である。(2)専売店による宅配制度の維持こそが、日本の新聞経営者の至上命題である。(3)広告収入は重要だが、それも「紙」新聞の安定的発行の継続が前提だ>

 もしコンテナーである紙の新聞からの販売収入が消滅すれば、日本の新聞は収益の半分を失うことになってしまう。広告収入は36%しかないから、いくらコンテンツを強化して広告収入を増やしても、企業は維持できない。これが日本の新聞がネットビジネスに及び腰になっている最大の原因だと、歌川氏は指摘するのである。

 青臭いジャーナリズム論から新聞の将来を憂う声はあったが、きちんとビジネスを分析して新聞の今後の可能性を語った論はこれまでほとんど存在してこなかった。その意味でこの歌川氏の著作は、きわめて示唆に富んだ内容を持っていると思う。
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 デジタルデバイドという言葉は、この日本国内に限って言えば、消滅に向かっているのかもしれない。

 デジタルデバイドというのは、パソコンやインターネットを使いこなせるかどうかによって社会的待遇や富、機会などに不平等が生まれてしまうことだ。

 私はパソコン雑誌の編集部に籍を置いていた2000年、次のような短い原稿を書いたことがある。

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 デジタルデバイド。パソコンやインターネットを使えるかどうかで生じる格差のことだ。格差は情報量だけでなく、貧富の差を拡大させる結果にもつながるという意味を持つ。
 日本では今年に入ってこの言葉が急に流行りはじめ、新しいもの好きのIT雑誌などではさっそく「デジタルデバイド」「デジタルデバイド」と大騒ぎだ。米国では人種間や世代間、地域間の社会的格差の拡大が真面目な社会問題となっているが、日本では「ネットビジネスで億万長者を目指せ!」「パソコンを使いこなせないと所得も減っていく!」みたいな“煽り”に使われている節もあり、何だかちょっと……という感じではある。
 実はデジタルデバイドは、米国では特に新しい言葉ではない。商務省情報通信局(NTIA)の1998年夏の報告書ですでにこの言葉が使われ、白人―非白人や高学歴者―低学歴者などの間で過去3年間、パソコン所有率やインターネット接続率の差がどんどん拡大していることが指摘されていた。また同年2月のテネシー州バンダービルト大の研究報告によると、デジタルデバイドという言葉を最初に使ったのはメディア研究機関「マークル財団」の前理事長、ロイド・モリセット氏という。
 米国には「CLOSING THE DIGITAL DIVIDE~デジタル格差を埋めるために」という政府のオフィシャルサイトもあるほどだが、なぜ今ごろになって日本で異常なブーム(?)になっているのだろう?
 どうも小渕恵三首相が2月末、九州・沖縄サミットに向けての懇談会で「サミットではデジタルデバイドを主要議題にしたい」と発言したことが、起爆剤になってしまったようだ。しかし実のところ、人種や識字率の問題が希薄な日本では、国内のデジタルデバイドはさほどには深刻化しそうにない。結局はただの流行語。「デジタル音痴おじさんが見捨てられる」みたいなどうでもいい話題に終始してしまいそうな気配は濃厚だ。

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 いま読むと若干気恥ずかしさを感じる文章だが、ネットバブルのこの当時はIT革命という言葉が流行し、いかに社会の隅々にまでインターネットを普及させるかが政府の大きな課題となっていた。そしてデジタルデバイドを解決するため、政府のIT施策の集大成であるe-Japan戦略には「3000万世帯が高速インターネットアクセス網に、1000万世帯が超高速インターネットアクセス網に常時接続可能な環境を整備することを目指す」という有名な文言が盛り込まれたのである。

 その後、Yahoo!BBによるADSLの価格破壊なども功を奏して、この数字はほとんど実現してしまっている。いまや日本のインターネット人口は七七三〇万人、人口普及率六〇.六%(二〇〇三年三月末時点、総務省の二〇〇四年版情報通信白書)。最新の数字で言えば、今年6月末の総務省の統計で、ブロードバンド契約者数は2057万8171件に達し、先のe-Japanで「超高速」と表現されていたFTTHは341万件にまでなっている。3000万―1000万という数字は、目前だ。

 おまけにWindowsは、90年代の中途半端な製品と比べればかくだんに使いやすくなった。Windows XPがプレインストールされているパソコンで、ウェブブラウジングとメールの利用に苦労する人は昔に比べればかなり少なくなっているだろう。

 いまやパソコンとインターネットは、限りない日用品(コモディティ)となったのである。

 先日、ある会合で出会った総務省の幹部に「デジタルデバイドは消滅しつつありますよね?」と言ってみたところ、彼はこう答えた。「いやまだまだデジタルデバイドはなくなってませんよ。特に地方に行くと、ネットが使えないところはたくさんありますから」

 確かにそれは事実なのだろうが、こと都会に限って言えば、かつてのデジタルデバイド論議とはまったく逆の現象も起きつつあるように見える。

 「格差社会本」が論壇のブームになっているが、その中の一冊に「下流社会 新たな階層社会の出現」(光文社新書)という本がある。パルコや三菱総研を経て、現在はカルチャースタディーズ研究所というシンクタンクを作っている三浦展氏が、消費社会的分析から階層社会化を論じた非常に興味深く、かつ読んで面白い書籍である。たとえば団塊ジュニア世代の女性では、自分が「下流」と認識している層ほど、ルイ・ヴィトンなどのブランド品が好きであるという調査結果など、驚くべき話があちこちに出てきて飽きない。

 そしてこの本の中で、パソコン・インターネットの利用についてのきわめて興味深い調査結果も書かれていた。団塊ジュニア世代に対して「あなたの趣味は何ですか」と聞き、用意した選択肢から選んでもらった趣味を、男女別・階層意識別に比較したというものだ。「階層意識」というのは、自分が「上」であると認識しているか、それとも「下」と認識しているかという区別だ。実際の収入の多寡とは直接は関係ない。

【男性の「上」】
 (1)パソコン・インターネット(75.0%)
 (2)旅行・レジャー(58.3%)
 (2)音楽鑑賞(58.3%)
 (4)読書(41.7%)
 (4)自宅での映画鑑賞(41.7%)

【男性の「中」】
 (1)パソコン・インターネット(85.0%)
 (2)自宅での映画鑑賞(57.5%)
 (3)読書(55.0%)
 (4)旅行・レジャー(47.5%)
 (4)ドライブ・ツーリング(47.5%)

【男性の「下」】
 (1)パソコン・インターネット(95.8%)
 (2)音楽鑑賞(60.4%)
 (3)読書(56.3%)
 (4)外食・グルメ(47.9%)
 (5)ドライブ・ツーリング(45.8%)

 いずれもパソコン・インターネットが最上位にランキングされているのだが、注目すべきはそのパーセンテージだ。階層意識が下になればなるほど、パソコン・インターネットを楽しむ人が増えているのである。

 著者の三浦氏は、こう書いている。<パソコンというと「デジタルデバイド」と言われて、お金のある人は持てるが、お金のない人は持てず、よって所得によってパソコンを使えるかどうかに差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念があった。しかし今やパソコンは接続料さえ払えば何でも手に入る最も安い娯楽となっており、低階層の男性の最も好むものになっているようである」

 そうして三浦氏は、「悪のりしていえば」と注釈つきで、団塊ジュニアの「下」のキーワードを、「5P」という言葉で表している。

 ・パソコン
 ・ページャー(携帯電話)
 ・プレイステーション(テレビゲーム)
 ・ペットボトル
 ・ポテトチップス

 今やパソコン・インターネットは、「貧者の娯楽」なのだろうか? いやしかし、インターネットの本質はエンド・トゥー・エンドだ。エンドである利用者がどうネットを使うかは、ネットの側が関知することではない。エンドに存在している人間であれば誰にでも利用でき、どのような使い方もできるという現在のネットのあり方は、ある意味でインターネットの理想像のひとつであるともいえるだろう。

 しかし、こうしたデジタルデバイドの解消によって、インターネットの世論(もしそのようなものがあれば、の話だが)が大きな影響を受け、ドラスティックに変動しつつあることも考えておかなければならないと思う。
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 キーワード広告企業のオーバーチュアが、同社の「スポンサードサーチ」広告に出稿しているクライアントを対象にした「オーバーチュア サーチマーケティング・カレッジ」(SMC)を開校した。

 9月22日にオープニングのイベントがあり、私も参加してきた。約100人も集まっていた出席者は全員がキーワード広告のクライアントだが、大半は個人事業主や中小企業である。地方の商店も多い。そしてイベントで多くの参加者の方々に会ってみて、こうしたスモールビジネスの世界で、急激にネットビジネスのリテラシーが高まっていることを実感した。

 オープニングイベントで会場の最前列に座り、熱心にゲストスピーチに耳を傾けていた中年女性は、各種測定器のネット通販を行っている会社の営業担当だという。要するにB2Bのビジネスである。

 「もうたいへんだったのよ! 最初は化粧品とか健康食品を売ってたんだけど、なかなか売れなくてねえ。それがお肌の状態を調べる測定器を売るようになったら、けっこう当たったものだから、だんだん測定器をやるようになったのよ」
 「パパママ会社だったからねえ、なーんにもわかんなくて苦労したの。でもキーワード広告をやってみたら、けっこうお客さんが来るのよね。それでサイトを一生懸命作って……もちろんどう作ったらいいかわかんないから、ほかの通販サイトの文章をこっそりコピーとかしちゃったり(笑)」
 「毎日毎日パソコンにしがみついてやってたら、いつの間にか社員は10人に増えて年商も3億ぐらいになっちゃった!」

 と陽気に話すのだ。そのうち急にしんみりしはじめたかと思うと、「でも会社の経営ってどうやったらいいのか全然わかんなくてねえ。うちなんか会社のカネはいっぱい溜まってきたんだけど、私らは全然オカネがなくて。会社の社長って、どうやってみんなあんなにいい車に乗ってるの?」と真顔でいう。

 私は思わず「それは社有車にしてるからですよ。会社の経費で買うんです」と口を挟んでしまった。女性は驚いて、「ええっ? そうだったの!?」と叫ぶ。ベンチャーなどではごく当たり前に行われていることだと思うが、この人はそんなことも知らないでここまでやってきたのである。これ以外にも女性はビックリするような話をたくさん打ち明けて、無邪気というか純粋というか、何とも驚かされた。

 インターネットが登場し、ネットビジネスが隆盛を迎えるようになって、ビジネスの有り様は大きく変わった。「ゲーム感覚」というとネガティブなイメージで語られることの多い言葉だが、本当にゲーム感覚でビジネスを遂行できる時代になってきたのである。たとえばかつてはB2Bの法人向けビジネスであれば、営業マンは「どぶ板」を強いられた。取引先の部長や課長をカラオケに連れて行き、果てはソープランドまで接待したりしていたのである。そんな時代にあっては、営業マンの資質はいかに自社の製品をきちんと理解し、コアコンピタンスを見抜いているかといった高尚なことではなく、酒がどれだけ飲めるかとか、どれだけうまくお追従が言えるかとか、そういった泥臭い素質がもとめられたのだ。

 しかしいまやB2Bであっても、電子調達は当たり前になりつつある。営業マンの接待で調達先が決まる時代ではない。ネットで調達し、もっとも価格が低いか、それとも品質がよいか、あるいはアフターサポートがきちんとしているかといった点が基準となる。わざわざ面会する必要さえないことが多い。そこでB2Bビジネスを手がける側も、SEOやキーワード広告などに力を入れることになる。Googleやオーバーチュアが提供しているキーワード広告は入札制で行われ、もっとも高い価格を入札したサイトがランキングの上位に掲載される仕組みになっている(ただし、Googleは入札額に加えてクリック率も加算されてランキングの掲載位置が決まる)。そこでこの入札額を決めたり、コンバージョンレート(アクセス数に対して、実際に資料請求や購入などをしてくれた人の割合)をきちんと把握するといった、さまざまな操作が必要となってくる。一日中ぴっちりとパソコンの前に張り付いて、まるで株のデイトレーダーのようにキーワード広告に没入する経営者(もしくは担当者)もいるほどだ。

 オフィスのまわりの人間から見れば、「外回りの営業にも出ないで、いったい社長は何をしてるんだ?」ということになるのだが、その実、キーワード広告に取り組むことで売り上げが急増しているケースも存在するから、決してバカにはできない。最終的には周囲からのお墨付きも得て、一日中パソコンの画面を眺めることで、どんどん売り上げを上げて利益を増やしていくという先端的な企業経営者が現れてきている。

 こうした経営者のあり方を「情けない」「嘆かわしい」と見るか、あるいは「企業が変わりつつある」と好意的に見るかは、その人の文化的バックボーンによるだろう。しかし着実に、普及したブロードバンドのもとでネットビジネスは新たなパラダイムを迎えつつあるように思う。
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