「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの美術鑑賞:対決「巨匠たちの日本美術」…その2「長次郎と本阿弥光悦」

2008年07月26日 | 美術鑑賞

前回の「狩野永徳と長谷川等伯」の「対決」に引き続いて、今回は、「長次郎と本阿弥光悦」
の「対決」です。


長次郎は、安土桃山時代に、陶芸の世界で活躍し、楽焼を創始して、千家十職の一つである楽吉左衛門の初代とされています。

「楽焼」というと、小学校の頃に学校で焼いた焼き物のことを想い出す方もいることでしょう。
また観光地などで、素焼きの陶器に絵付けをして、それをその場で焼いて完成する、あの手軽な焼き物「楽焼き」のことを想い出す方もいるでしょう。
気軽に楽に出来るから、楽焼きかと思っている方もいらっしゃるかも知れません。

しかし本来は、安土桃山時代に、瓦職人だったと言われている長次郎が、千利休の指導によって作り出した陶器のことを意味しています。


長次郎作 黒楽茶碗「銘大黒」(図録より抜粋)

茶の湯を総合芸術の世界まで高めた大立者・千利休。
その千利休の茶の湯に対する「侘びの思想」を具現化した器として、長次郎は赤楽茶碗や黒楽茶碗を創りました。
そういった意味で、私はこの人・長次郎は根っからの職人ではなかったかと考えています。

おそらく、時代の権力者とも密接に関わった、政財界の黒幕でもあったであろう千利休の絶対的な指示により、その思想を茶碗という形に具現化するのに、精一杯の人生を送った人ではなかったかと思います。
したがって、その作品に、長次郎その人の個性や主張などは、入り込む隙などなかったと私は考えています。

その作品は、重厚な存在感を表しているとされますが、侘び・寂びの思想を反映するためなのか、造形的にも装飾的にも特徴的な変化がない作品となっています。


長次郎作 黒楽茶碗「銘俊寛」

千利休以前の茶会では、茶器は中国製が主に使われていたようです。
当時は、極めて高価な天目茶碗が、舶来物として珍重されていたことでしょう。
そうした中で、長次郎により作り出された、手びねりで成形したこの楽茶碗は、茶会に大きなインパクトを与えたことは想像に難くありません。

その色は中国製の黒い天目茶碗を模したようにも思え、その形状は托鉢僧が手に持つ漆塗り椀の形や色を模したようにも、私には思えます。

草庵茶室の創出者・千利休の好みから考えると、楽茶碗は、薄暗い閉じられた空間の中にひっそりと置かれる茶碗としての佇まいを、演出するように出来ていると私は思います。


長次郎作 赤楽茶碗「銘無一物」

私の文の語尾が、少し煮え切らない、歯切れの悪い書き方になるほど、実は長次郎を始祖とする楽茶碗が、茶の湯の世界で今日(こんにち)までどれだけ隠然たる影響力を行使してきたことか。

千家十職(せんけじっそく)を中心とする横のつながりの中に、また茶の湯の家元を頂点とするヒエラルキー構造の中に、そうやって歴史の奥深くに秘蔵されてきた「長次郎の茶碗」…そうした重みは十分に伝わってくる茶碗でした。



一方、本阿弥光悦は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した芸術家です。
光悦は、ご承知の通り、陶芸・漆芸・書・絵画・出版・作庭など、総合芸術家と言って良いほど、幅広い分野において、足跡を残した芸術家でした。

この人は、この時代にあって、鋭い感性で、芸術の本質を見抜いていたような人ではなかったかと思います。
歴史のフィルターを通り抜けて、燦然と輝く名品を世に残しています。


本阿弥光悦作 黒楽茶碗「銘時雨」

光悦は、楽焼の2代常慶・3代道入から作陶の指導を受けています。
手びねりで作られる楽焼は、陶芸を本職としない光悦にとって、自分の発想や感性をかなり自由に表現できたに違いありません。

この時代、作陶はまだ職人の世界であったはずで、焼き物を作る者を芸術家と見る発想は無かったと思います。
民芸運動の中でもお話ししたように、作陶する個人を、陶芸家として芸術家と見る考え方は、かなり現代的な見方のようです。
そうした時代にあって、光悦は自分の茶碗の箱に、自分の署名を入れたそうです。

この人は、作陶行為を書や絵画と同様の芸術活動として認識して、その焼き物を通して自分を表現できた人だったように思います。


本阿弥光悦作 黒楽茶碗「銘七里」

光悦は、俵屋宗達・尾形光琳とともに、琳派の創始者と見なされています。
初期の琳派は、装飾的で構図が個性的で大胆(俵屋宗達 風神雷神図・尾形光琳 紅白梅図屏風など)であり、紙型を用いた同じパターンのくり返し(尾形光琳 燕子花図)など、今まで無かった斬新な手法で作品を仕上げています。
その時代における革新性や若干過度の装飾性は、私に19世紀末のアールヌーボーを連想させます。


本阿弥光悦作 赤楽茶碗「銘加賀光悦」

さて、光悦の茶碗ですが、その赤楽茶碗「銘加賀光悦」に代表されるように、「こうしてみたい・こうしたらどうか」と言った作者の作為が私には感じられます。
しかし、それは悪い意味ではなく、これらの作品からは、時空を越えて現代の鑑賞する者に、光悦が語りかけてくるものがある、という意味です。
長次郎と異なり、ハッキリした作者の意志が、感じられると言うことです。
今回展示されている茶碗の中で、最も印象が強い作品は、「加賀光悦」でした。


本阿弥光悦作 「舟橋蒔絵硯箱」

光悦の「舟橋蒔絵硯箱」は、この作家の代表的な工芸作品です。
私がこの美術品を知ったのは、国語の教科書にこの作品の鑑賞文が載っていたのを学習したときだと思います。
話はずれますが、法隆寺の「玉虫厨子」も、確か国語の教科書でその鑑賞文を習った時に覚えたように記憶しています。
「舟橋蒔絵硯箱」は、国語の授業で習ったときほど、何故か私に感動を与えませんでした。


本阿弥光悦作 「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」

光悦の書、俵屋宗達下絵とのコラボレーションが美しい「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は、もしもう少し私に書と和歌の知識があったら、もっと興味をそそる作品ではなかったかと思います。

私は、書のコレクションも少しありますが、三十数点の書軸・額の中で、書家の書は「西川寧・桑田笹舟・大石隆子」の3点のみで、私自身が筆を持って書を書くことは、ほとんどありません。
いつも書については、学習してみたい希望はあるのですが、そのチャンスが無くて今に至っています。


本阿弥光悦作 「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」

「長次郎と光悦」、こうした先達がいて、その人達の弛まぬ努力の成果の上に茶陶の世界が広がり、その恩恵を私たちは享受しているわけです。
今回の2人は、「対決」と言う言葉よりも、陶芸を美術の世界に引き上げた「同志」と言った方が相応しかったかも知れません。
また、同じ陶芸でも、やはりその方向性が大きく異なり、比べること自体、お二人には可哀想な企画…と感じた私でした。

以下の「巨匠たちの日本美術」関連ブログも、興味ある方はご覧ください。

マッキーの美術鑑賞:対決「巨匠たちの日本美術」…その1「狩野永徳と長谷川等伯」

マッキーの美術鑑賞:対決「巨匠たちの日本美術」を観て…その3「池大雅と与謝蕪村」(1)

マッキーの美術鑑賞:対決「巨匠たちの日本美術」…その3「池大雅と与謝蕪村」(2)





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1 コメント

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写真をお借りしました (Kamei Mituru)
2013-02-07 11:50:21
勝手に使ってすいませんがこのページを参考にさせていただきました。
問題があるようでしたらコメントしてください。
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