「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの随想:アンという名の少女

2020年09月01日 | 時事随想

 『アンという名の少女』は、L・M・モンゴメリーの1908年の小説『赤毛のアン』に基づくテレビドラマシリーズです。カナダCBCとNetflixにより共同製作され、3シーズン27エピソードの作品です。文学史に登場する『赤毛のアン』・モンゴメリーとだけ知るだけで、私は実際にこの小説を読んだことがありません。新型コロナウイルスで、外出せずに自宅にいることが多くなり、Netflixで様々な動画を鑑賞しました。今回語る『アンという名の少女』もそんな作品の中の一つです。



 人生のスタートを孤児院で送ったアンが、手違いで老境を迎えつつあるマシューとマリラの兄妹の元に送られてくるところから物語はスタートします。想像力と語彙力にあふれたアンが、いろんな悩みを抱えながらも、周囲との軋轢を乗り越えて、まっすぐに立ち向かい成長していく姿が描かれています。アイデンティティ、偏見、いじめ、人種差別、先住民迫害、女性の自立など現代的なテーマが物語に散りばめられ、とても奥の深い物語となっています。おしゃべり好きで想像力豊かなアンは、いつも自分の心にまっすぐで、どんなにつらいことがあってもくじけません。そんなアンと出会い、周りの人たちも少しずつ変わっていきます。

 幸薄い人生のスタートを切った一人の少女が、厳しい環境を人一倍強い行動力で乗り越えて独り立ちしていくストーリーは、心を揺り動かします。そうした行動の源泉は、アンの類まれな想像力であり、文学的な知識や語彙力が豊富であることであると思われます。

 「思い出より想像する方が好き」と最初にアンは言います。アンの想像力は、辛い過去を消し去るための処世術なのでしょうか。『ジェーン・エア』や著名人の名言、そして大人が仰天する言葉がアンの口から出てきます。その例を幾つか挙げておきます。

 「もし今夜いらしてくださなかったら、線路をおりて行って、あのまがり角のところの、あの大きな桜にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて一面に白く咲いた桜の花の中で眠るなんて、すてきでしょうからね。」

 「これから発見することがたくさんあるって、すてきだと思わない?あたししみじみ生きているのがうれしいわ―世界って、とてもおもしろいところですもの。もし何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ。そうでしょう?そうしたら、ちっとも想像の余地がないんですものねえ。」

 「この部屋にはあんまりいろいろの物があって、しかもみんな、あんまりすばらしいもんで、想像の余地がないのね。貧乏な者のしあわせの一つは―たくさん想像できるものがあるというところだわね。

 2020年9月6日から、毎週日曜 午後11時00分より、NHKが『アンという名の少女』を放映予定です。時間帯からすると、子どもも含めた家族で観ることができません。もっと時間帯を早めてもらいたかったですが、無論大人でも楽しむことのできる物語です。やせっぽちでそばかすだらけの赤毛の少女アンが、豊かな文学的知識と創造力を使って、真直ぐに生きていく姿に感動することでしょう。

 物語中でのアンの考え方は、フェミニズムそしてウーマンリブと発展していくジェンダー論の先駆けといった印象を受けます。また、Eの付くアン、すなわちanneは、愛称がannieでアニーとなり、
小さな孤児アニーを主人公として製作されたブロードウェイミュージカル「アニー」を連想させます。「アニー」の舞台は1933年、世界大恐慌直後の真冬のニューヨーク。街は仕事も住む場所もない人で溢れ、誰もが希望を失っていました。そんな中、どんな時も夢と希望を忘れないひとりの少女がいました。ニューヨーク市立孤児院に住む11歳の赤毛の女の子、アニーです。日本でも有名なミュージカルの「アニー」は、明らかにモンゴメリーの小説『赤毛のアン』に発想を得た作品と思われます。

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