「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの現代陶芸入門講座(7)…和太守卑良のぐい呑みと湯呑

2008年03月21日 | 陶芸


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加守田章二は、1983年、私が陶芸に本格的に興味を持ち始めたころ、亡くなりました。


ちょうどその年に、日本工芸会正会員になった、新鋭の陶芸家がいました。

その名は、和太守卑良(わだ もりひろ)です。このぐい呑みは、その作家の作品です。


手捻りで仕上げられた作品の表面に、独創的な文様が象眼されている


和太守卑良は、京都市立美術大学(現京都芸大)で、富本憲吉と出会い、その後茨城県笠間市に移住し築窯し、現在に至っています。

この作家の特徴は、加守田章二を連想させるような、独創的な象眼による文様です。

それが、やはり原始の昔を想記させる、土着的な文様で、緻密で理知的であるにも拘わらず、見るものに、大胆な力強さを感じさせます。


1987年、和太守卑良は、日本陶磁協会賞を受賞し、陶芸家として日本の焼き物の歴史に、名を刻む作家に成長しました。

(注)日本陶磁協会賞とは、毎年社団法人日本陶磁協会が、その年に最も優秀な作家活動を行った陶芸家に贈る賞。特に、陶芸界に大きな足跡残したベテラン作家に対し、日本陶磁協会金賞を授与しています。ちなみに、第一回陶磁協会賞は、清水 卯一と熊倉 順吉です。また、第一回金賞は、八木一夫でした。


釉彩湯呑


彼が、活躍を始めたころ、折しも日本は比類のない好景気にさしかかっていました。バブル景気です。

この作家の、最も大きな個展は、加守田と同様、日本橋高島屋でした。

陶芸のファンの間で、加守田に代わって、熱狂的な注目を集めました。

絵画を扱っていた画廊が、バブルで儲けたお金で、そうした陶芸人気作家の作品を、利殖目的で、百貨店の店員とグルになって、買い漁るようなことを、平然としていた時期でした。

バブル末期、銀座の藤井画廊における和太の個展では、その作品に、とてつもない価格が設定されました。

この力量ある作家は、そうした流れの中で、最もバブリーな作家として、陶芸ファンに記憶されることとなりました。

陶器を、投機の対象としてしまった画廊、そしてそれに踊らされた美術収集家。


この作家の作品を見るたびに、その苦い思い出が、この作家の作品を購入した人のみならず、それに関わった人たちの脳裏をよぎることでしょう。

幸か不幸か、そうした時代に、脂ののりきった活躍を見せた和太守卑良を、私は陶芸家としての力量を高く評価するものの、どうしてもバブルに踊らされた作家として、回想してしまうのです。

ただ、この時代の多くの美術作家は、多かれ少なかれバブルに踊っていました。

ある著名な油の画家は、高騰した自分の作品に、「高くなったんだから、サインを変えなければならないな。」と言ったとか。(号20万が、100万に高騰)無論、芸術的に進歩を見せたわけでは無いのに。


釉彩湯呑


そんな、日本中がどんちゃん騒ぎの時代が過ぎて、今このぐい呑みを前に、できるだけ雑念を振り払い、静かに対峙してみたいと思います。

あの正気の沙汰とは思えないバブルに弄ばれた、新進気鋭の作家・和太も、もうとっくに還暦を超えているのだなあ。

そして、思えば私も結構年を食ったものだと、感慨に耽ってしまいます。

20代で始めた焼き物集めも、もう30年になります。

色々な思いが去来する、和太守卑良の作品です。


函文陶板



箱書き

以下は、関連ブログですので、興味ある方は御覧ください。

マッキーの随想:自分のブログの検索ワードで、初めて知った出来事2008-09-15

マッキーの現代陶芸入門講座(6)…加守田章二の湯飲みと茶碗2008-03-14




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