80年代から90年代にかけて、私は吉川水城(よしかわみずき)という作家の達者な陶芸技術を高く評価していました。
今日は、その吉川水城の陶芸について紹介しましょう。
吉川水城は、東京芸大において藤本能道・浅野陽・田村耕一に師事していますが、どちらかと言うと、土の匂いのする陶器を手がける浅野・田村両教授の影響を強く受けているように感じます。
茶系の胎土に、白化粧土を内側は回し掛けし、外側は浸け込んで白いキャンバスとし、そこに色絵付した作品が多いようです。
白化粧には、刷毛の動的な面白さを表現した刷毛目や、萩焼のほたるのように斑点状の模様ができたもの、また陶胎染付のように釉薬に貫入が入ったものなど、さまざまな面白い表現技法があります。
吉川水城の場合は、その上に色絵付を施しますから、基本的には白いキャンバスに仕上げ、そこに白化粧の面白さは表現されません。
私は、彼の色絵付した湯のみや酒器を中心に、以下のような作品を所有しています。
色絵盃 酒器 1987
ジョッキ 酒器 1987
ジョッキ2個 酒器 1989
湯呑 湯呑 1986
湯呑2個 湯呑 1987
湯呑3個 湯呑 1990
黒釉ぶどう文壺 花器 1986
陶箱 食器 1990
吉川水城の陶器は、器の形状、白化粧の微妙な色合い、その上に施される色絵付の文様の魅力が、器全体の中にバランスよく調和しているかどうかが鑑賞のポイントになります。
ビアジョッキ(1988年)
絵柄は麦の穂であろうか…初夏、冷やしたこのジョッキで飲むビールは美味い!
もう一つ、彼が追求している焼き物に、黒釉の作品があります。
私が持っている花器は、日本橋三越本店での彼の個展の折に、作家自身が気に入っている作品という事もあって、購入したものです。
漆黒の黒釉に溶け込むようにして、上絵は目立たないのですが、味わい深くぶどうの文様が描かれた作品です。
黒く発色するという事は、柿釉と同様に鉄分を多く含む釉薬を掛けて焼成した作品です。
多くの人が黒い陶器で思い出すものには、 人間国宝となった荒川豊蔵や加藤孝造の瀬戸黒、織部黒、窓絵がついていますが黒織部、そして茶の湯に用いる黒楽の茶碗などが挙げられます。
黒い焼き物を魅力ある陶器に仕上げるのは、鋭い感性と卓越した技量を必要とするように思います。
また瀬戸黒などは、陶器を見慣れない人や、陶芸鑑賞の初心者には、黒いコールタールを単に焼き物にぶっかけたように感じる可能性もあり、黒い陶器に魅力を感じるまでそれ相当の経験が必要です。
どちらかというと黒い陶器は、陶磁器通が好む奥の深い焼き物といえるでしょう。
現在の吉川水城の作陶は、どのような状況なのでしょうか。
吉川水城は、体が弱いとかつて聞いたことがありますが、器用で技量の確かな作家と私は考えています。
今後も個性的な作陶に期待し、注目していきたいと思います。
吉川水城 略歴
1941年 東京都に生まれ、神奈川県小田原市にて育つ
1960年 東京藝術大学に入学
藤本能道・浅野陽・田村耕一各先生に師事
1966年 東京芸術大学大学院陶芸専攻科終了
田村耕一先生の紹介により栃木県窯業指導
所に技師として入所
第6回伝統工藝新作展にて奨励賞受賞
1967年 栃木県展にて佳作賞受賞
1969年 栃木県益子町北郷谷に築窯
1976年 日本工芸会正会員となる
1984年 伝統工芸新作展監査委員(同89年・04年)
2004年 第5回益子陶芸展審査員(同06年)
現 在 日本橋三越・大阪高島屋・東武百貨店・
寛土里などにて個展開催